第2部 幻のスープラ
ある夏の終わり、仕事で遅くなったロンが出会った幻のスープラの正体は・・・
この物語はフィクションです。
登場する人物・施設等は全て架空のもので、実存するものとは何ら関係ありません。
実際の運転は、マナーを守り安全運転を心掛けましょう。
ACT.1 観覧車
ある夏の終わり、久々に仕事がハマって遅くなった夜だった。
俺は湾岸市川パーキングで小休止を取りながら、795(ナックファイブ)の交通情報
に耳を傾けていた。
午前1時が近いというのに、首都高速環状線は渋滞だらけだった。
「仕方ない、それなら観覧車を3つ見ながら帰るか…」
湾岸線を横浜まで走ると、葛西、お台場、みなとみらいの観覧車が見える。
東名を使うより遠回りになるが、3つの観覧車が見えるこのルートは、お気に入り
のひとつだ。
湾岸線はガラガラだった。葛西、お台場と観覧車を横目に走る。
東京湾トンネルの手前あたりで、猛然とバックミラーに迫る車に気付いた。
そこをどけとばかりに、ライトをパッシングさせている。
いい気はしなかったが、左に避けて進路を譲り、追走するために速度を上げて待つ。
速度計は180km/hを指していた。
「ドギューンッ!」
まるで弾丸のように、俺の右側の空気を斬り裂いて駆け抜けていったのは、
派手なカラーリングに、派手なエアロで武装した80スープラだった。
こちらもアクセルを床までベタ踏みして加速する。
200,210,220…トンネルの下り勾配も手伝って、どんどん速度は上がる。
250,260、この辺りが限界だが、スープラとの距離は縮まるどころか、離れていく。
トンネルの中間あたりで、「もう無理だ」と諦めた。
ACT.2 アユミ
数日後、大井のパーキングで湾岸ランナーのシンジに会った。
ここでチギられたスープラの話をしてみた。
派手な車だったし、湾岸ランナーならシンジの方が詳しい。
「派手なピンクのスープラだよ」
「あぁ、あのスープラならアユミだよ」
「アユミって女なのか?」
「そう、半年くらい前から湾岸を走ってるよ」
「女のクセに、メチャメチャな走り方するんだね」
「だから危なくって、ツルんで走ってるヤツはいない、いつも1台だけで走ってる
みたいよ、オレも詳しくは知らねぇけどさ」
「でも、エラく速かったぞ。いくら古くったって俺のGTRをチギるんだからよ」
「あのスープラ、800馬力はあるらしいぜ、エンジンノーマルの32Rじゃ
チギられて当然だよ」
「ふぇ〜、すげェな…」
それからの俺は、仕事が早く終わっても、0時近くまで時間を潰してから湾岸線を
使って帰るようになった。
だが、1ヶ月が経ち、2ヶ月が経っても、あのスープラは俺の前には現れなかった。
ACT.3 遭遇
スープラの事が頭から消えかかっていたある日。
俺はいつものように、湾岸市川パーキングで小用を済ませ、795を聞いていた。
深夜0時過ぎ、その夜も環状線は相変わらず渋滞していた。
「さてと、帰るとしますか…」
自分以外には誰も居ないのに、まるで誰かに話し掛けるように呟いた時だった。
パーキング入口のスロープをショッキングピンクのスープラが下りて来た。
「で、でたっ」
そう言って俺は、何故かエンジンを切り、寝たふりをした。
ガボガボッと、尋常ではない音を響かせて、スープラは俺の真横に停車した。
薄目を開けて、スープラを覗き見る。
運転席から降りて来たのは、その車にはまるで不釣合いな華奢な女の子だった。
華奢ではあるが、出る所は文句の付けようが無く、スタイルは抜群だ。
頭の良さそうな白いブラウスに、グレーでミニのプリーツスカート。
足元だけは、真紅のドライビングシューズを履いていたが、その醸し出す雰囲気は、
ド派手なスープラのドライバーと言うには、およそ想像もつかない程に清楚だった。
こんな薄汚れたパーキングに、深夜一人で来る人種ではないとも感じた。
ACT.4 可憐な女
俺は寝返り打つ素振りで身体の向きを変え、自販機へと歩く彼女を目で追った。
「顔が見えねぇ、コッチを向け」
身を乗り出したその時、彼女はクルリと踵を返して、こちらに戻って来た。
あまりに突然のことに、寝たふりをしていたのも忘れ、呆然としている俺の視線に
気付いたのか、眼と眼が合ってしまった。
バツが悪い…。
ドギマギしている俺と対称的に、彼女はニコッと微笑みを浮かべてスープラに戻り、
何かを手に取って、再び自販機へと歩いてゆく。
「か、可憐だ…」
ここ数年、こんなに可憐という言葉が似合う女に出会った記憶が無い。
まるで魔法をかけられたように、一瞬で彼女に引き込まれた。
自販機の前で、バッグの中を掻き回している。
どうやら小銭を探しているようだ。
俺は車から降り、猿芝居のアクビをしながら彼女に近づいた。
「よかったら、何かご馳走するよ」
声が裏返らないように、懸命に喋りかけた。
「え、でも…」
当惑したような表情も、また可憐だ。
「遠慮しなくていいよ、スゴイ車を見せてもらったお礼だから」
そう言って、視線を彼女のスープラに向けた。
リクエストされた缶コーヒーを手渡すと、再び可憐な微笑みが俺をドギマギさせた。
ACT.5 オジサン
「オジサンも32Rで湾岸を走ってるんですか?」
オ、オジサン???
そうか、彼女の年代から見れば、俺は立派なオジサンか…。
まいったな、ドギマギしていた俺が恥ずかしいじゃないか…。
そんな思いを悟られないように応えた。
「いや、仕事の帰りに通るだけだよ、暫く前だけど、そのスープラにパッシングされて、
ブチ抜かれたことがあるけどね」
「ゴメンナサイ、私、走ってると周りが見えなくなっちゃうタイプみたいで、
全然憶えてないです」
「ハハハ、別にイイんだけど、いつも一人で走ってるのかい?」
「ハイ、走る時は何も考えたくないんです。誰かと一緒だと、その、何ていうか、
気を遣うのがイヤなんです」
「ストレス発散にならないって事か」
「それもありますけど…」
彼女はそこまで話して、急に口ごもった。
俺も初対面で、それ以上無粋なことは出来なかった。
「じゃ、オジサンは帰るね」
「あ、コーヒーご馳走様でした」
「事故とお巡りさんには気を付けなよ」
そう言って、俺は市川パーキングを後にした。
俺は車の中で愕然としていた。
身内以外の赤の他人に、生まれて初めて「オジサン」と呼ばれたからだ。
暫くは頭の中で「オジサン」がリフレインし続けるのだろう。
そう思いながら、東京湾トンネルの左車線をゆっくりと走る。
案の定、弾丸のようなスピードで、ド派手なピンクのスープラが駆け抜けて行った。
― 第2部 完 ―