星と心の牢獄
軽めとはいえ、百合は正義
「珍しいな、お前が酒を飲むなんて」
男が近づいてくる。
深い闇のような黒髪に、黄金の瞳を持つ、細身の青年だ。
ちびり、ちびりと、ブランデーを舐めていた女は、聞き慣れ始めたその声に、振り返る。
「今日はめでたい日ですからね・・それに、聖夜は素面でいたくないんです」
「・・その様子じゃあ、宴会には顔を出さないんだな」
「ええ、すみません」
眼帯を外し、露になった紅の瞳を前髪で覆った女は、消沈したように、またブランデーを呷る。
「向こうはもう、できあがってるよ。俺も飲んでたんだが、お前がいないのに気がついてな」
「気を遣わせてしまって、申し訳ないです」
「いや、いいんだ。俺たちは家族みたいなもんだからな。そういうのは無用だよ」
照れることもなく、男は言い切る。
彼にとって、パーティーメンバーとはすなわち家族であり、それは当然なのだから、照れたりしないのも当然なのだが。
しかし、離れたところで騒いでいる他のメンバーよりも、彼との付き合いの短い女は、少し戸惑ったような様子を見せる。
「家族・・なんですよね、私たちって」
「ああ。少なくとも俺はそう思っている」
彼女は、男に命の恩がある。付き合いはまだ短いが、気さくで頼り甲斐のある彼に、信頼を寄せ始めていた。
故に、彼と彼が家族と呼ぶ仲間たちと、家族になれることは、天涯孤独の女にとって、喜ばしいことのはずだが、
「ごめんなさい。まだ、整理がついてなくて・・気持ちは嬉しいんですけど、まだ皆さんを「家族」とは呼べなくて・・」
「いいさ。強制するつもりはもちろんない。ただ、俺たちがそういう気持ちでいることを、忘れないで欲しい」
「ありがとうございます」
しばしの沈黙。
女は星空を見上げて、ブランデーの入った小さなボトルを傾ける。
男はじっと目を瞑り、何かに想いを馳せているようだった。
2人とも、想っているものは違うはずだが、遠くの誰かに心を寄せるその姿は、不思議と似通っていた。
「心の整理をつけたいときは、誰かに話すのも良い手段だ。もし、お前にその気があるなら、俺でよければ聞こう」
「ええ、そうですね・・」
どれほど時間がたっただろうか。
既に宴会はお開きとなり、小さな森は静寂に包まれている。
ふぅ、と息を漏らし、女はブランデーボトルを地面に下ろし、近くの木にもたれ掛かる。
そして、心が動くままに、言葉を紡いだ。
「これは、とある世界の、とある女の子の、とりとめもない一生のお話・・」
ーーーーー
物心ついた頃から、少女は剣を振っていた。
手に豆ができて、それが潰れて、流れた血が染み込んで黒く染まった剣の柄を、飽きることもなく握り続けていた。
「イチッ! ニィッ! サンッ! シッ! 300! 今日の素振りは終わり!」
「ありが・・と・・はぁ、はぁ、ございましたっ!」
彼女は、すでに300回のセットを、数回こなしている。
大の大人でもきつい量だが、少女は決して辞めることなく、毎日続けている。
涙を流しながら、何度も倒れながらも。
素振りを監督していた女が、少女にタオルを投げる。
真っ白いそれを焦げ茶色の髪の上から被り、彼女は無造作に汗を拭った。
「ティナ・・少し無茶が過ぎるわよ?」
「アリ・・ア・・はぁ、はぁ、でも・・っ!」
「いいから取り敢えず休みなさい」
少女、ティナは来月で14になり、身体にも女性らしさが表れ始めている。
しかし、引き締まった全身の筋肉と、何かに追われるように、ギラギラと輝く左右で色の異なる双眸が、年に似合わぬ異質さを目立たせていた。
「使命感にかられてるのはわかるけど、1日1500本はやり過ぎよ」
「それでも私は・・ごほっ! ごほっ!」
彼女の修行は、かれこれ10年以上続けられているが、ここまでの無茶をし始めたのは、4年前からだ。
もうすぐ、少女は旅に出る。
危険極まりない外界へ。
表向きは勇者として、その実追い出されるように。
「はぁ、はぁ・・ふぅ・・アリア、20分後から魔法の授業をお願い」
「まったくあなたって子は・・」
外見年齢20代前半、実年齢不詳の美女アリアと、ティナの付き合いは、ティナが生まれたときからになる。
元々アリアは、外界からの敵を食い止める「迷宮街警備隊」において、「不老の魔女」と恐れられていた人物であった。
ティナの両親は彼女の同僚であり、数少ない友人であった。
しかし、10年前、突如起こった大攻勢で2人は亡くなり、すでにこの世にはいない。
2人の死後、アリアがティナを引き取り、母親兼師匠として、一緒に暮らしているのだった。
授業の準備へ向かった義母を横目に、ティナは息をつく。
「もっと、もっと強くならなきゃいけないのに・・!」
ティナ=ラミネは「勇者」だ。
その昔、原因不明の大災害と、その時現れた「魔神」によって、この世界の人類は地上から追われ、地下に存在していた大迷宮へと逃げ込んだ。
それ以来、数十年に1度「魔眼」と呼ばれる、特殊な力を持った存在、すなわち「勇者」が誕生している。
彼らは、必ず外界に出て、魔神を討伐するための旅をした。
しかし、人類が迷宮に逃げ込んで500年がたった今でも、魔神は倒されていない。
1日の訓練を終えたティナは、夕飯の買い出しに向かう。
仕事の忙しいアリアの代わりに、家事の大半をこなすのがティナの役割であり、恩返しの1つでもあった。
勇者は神殺しを期待されている。しかし、町に出た彼女を迎えるのは、憎悪に満ちた視線であった。
あちこちから、自分の根も葉もない噂話が聞こえてくるが、多感な時期のはずの彼女はそれを悉く聞き流し、食材を購入する。
「えっと、これとこれ、あとこっちもください」
「フン! 250リッタだよ」
相場の約10倍の価格が吹っ掛けられる。しかし、ティナはそこになんの疑問も覚えず、言われるがままを支払った。
これが、普通だからだ。
忌み子である自分に、食べ物を売ってくれるというだけで、感謝すべきことなのだ。
彼女はそう、自分自身に言い聞かせていた。
「ありがとうございます」
「さっさと行きな! 目障りだよ!」
彼女の義母は、迷宮街を守るために、命を懸ける職についているだけあって、それなりに稼ぎが良い。
だからこそ、このような出費があっても生きていけるのだが、
それでも、稼ぎぶちのない彼女にとっては、大きすぎる罪悪感として、心に重くのしかかっていた。
こんな自分の隣にいて、今まで育ててくれたのだから、尚更。
すっかり弱気になってしまった自分に、気合いを入れ直し、ティナは夕飯を作り始める。
どんなに疲れていても、彼女が手を抜くことは、絶対にない。
大好きで、大切な、たった1人の家族に、温かくて美味しいごはんを食べてもらうために。
少しでも、恩返しができるように。
ーーーーー
「健気なものだな、その少女も」
今まで黙っていた男が、口を挟んだ。
目は瞑ったままだが、女の話は聞いていると見える。
「しかし、解せないな。何故、待ち望んだはずの勇者を嫌っているんだ?」
女は、セピア色の長い髪を弄りながら、話を続ける。
「1度、ティナが外界との境界線に行ったことがありました。その時、モンスターたちが、一斉に彼女に襲いかかったのです。・・思えば、大攻勢があったのも、彼女の魔眼が開いた年でした」
「なるほど、モンスターたちは、勇者を殺すために迷宮を襲撃していたっていうことか」
「ええ、その通りです」
淡々と語る女の表情は、聖夜の闇に隠れて、男からは窺い知ることができなかった。
ーーーーー
いよいよ、ティナの14歳の誕生日がやってきた。
この世界での成人年齢は、14~18歳と、地域や家庭によって開きがある。大抵は16歳で仕事に就く者が多いが、皆に疎まれている彼女が、その最低年齢で就労、つまり魔神討伐の旅に出ることは、ある意味必然でもあった。
動きやすい革鎧をベースに、ブレストプレートや鉢金のような簡易な兜など、急所を守る金属鎧をつけた軽装を、彼女は身に纏う。
「忘れ物はない? 取りには来られないのよ?」
「うん、何度も確認した」
これから、戻ってこられるかもわからない旅に出るというのに、送るアリアは、どこか気楽だ。
最後に細身の片手剣を佩いたティナは、ふと疑問に思い、問いかける。
「確認作業を手伝ってとは頼んだけど、なんでアリアも旅装なの?」
「ん? 私も行くからだけど?」
それを聞いたティナの顔に、喜び、悔しさ、怒りといった感情が次々と浮かんだ。
「あはは! なに百面相してるの、あははは!」
笑いだしたアリアを見て、コロコロ変わっていた表情が、不満顔に統一される。笑われるのは不本意だ、と言わんばかりに。
「むぅ、そんなに笑わなくてもいいじゃない」
「だって、あなたの顔ったら可笑しいのなんのって・・」
「いろいろ考えてたらそうなっちゃったの!」
ティナとしては、愛する義母がついてきてくれることは、当然嬉しい。しかし、また迷惑を懸けると思うと、素直に喜べないのも事実だった。
「なに? 嬉しくなかった?」
「そりゃ、嬉しいけど・・」
「なら素直に笑っておけばいいじゃない。たくさん笑っておかないと、この先辛いわよ?」
もちろん、彼女なりに発破をかけているだけで、本気で脅しているわけではない。
むしろ、旅が辛くならないように、ティナに寄り添うのが自分の仕事だと、アリアはそう考えていた。
「うん・・そうだね。ありがとう、アリア」
「どういたしまいて!」
「でも、なんで一緒に来てくれるの?」
素朴な疑問を装っているが、ティナの瞳は大きく揺れていた。
まるで、生き方を決められるかのように、強く。
「あなたが心配っていうのもあるけど・・寂しくなるじゃない? あなたがいなくなると」
アリアは悠久の時を生きている。
それ故に多くの出会いと別れを経験し、心をすり減らしていた。
別れの辛さを恐れて、自ら親しく接する人間を絞ってきた彼女にとって、無邪気に懐いてくるティナの存在は、乾ききっていた彼女の心に、多くのものを与えていたのだ。
仕事へのやりがい、温かくて美味しい食事、そして愛情。
アリアにとって、娘同然の彼女の存在は、すでになくてはならないものとなっていたのだった。
「アリアは・・私がいた方が、いい?」
「ええ」
そして、相手のことが必要なのは、なにもアリアに限ったことではなかった。
世界で唯一大事な人に、はっきりと存在を肯定された少女は、涙を流し、義母へと抱きついた。
「ちょ、ティナ!?」
「アリアぁ・・」
始めこそ持て余していた魔女も、義娘の体温に触れ、彼女の身体をしっかりと抱きしめた。
「エド、サナ、この子は私が守るから・・」
今は亡き、友へと思いを巡らせて。
ーーーーー
「ハッ!」
「『マインズ・ゲイル』!」
ティナが鋭い切り上げで、熊型のモンスターを仰け反らせたところに、すかさずアリアが風の刃を土手っ腹に叩き込む。
まるで、1匹の生き物のようなコンビネーションで、2人は身の丈5mはあった巨熊を打ち倒す。
「今夜は熊鍋だぁ!」
「ふふ、そうね。じゃあ、香草を採ってくるから、血抜きをお願いね?」
迷宮街を出てから早数ヶ月。旅の生活にも慣れ、ティナはすっかり逞しくなっていた。
季節は、冬の足音が聞こえてくる深秋。徐々に獲物となる、動物型モンスターが減ってきていた。
巨体の血抜きが終わり、今後への備えのため、今日食べる分と、干し肉にする分を手際よく切り分け終わるころ、アリアが香草を抱えて戻ってくる。
「まだ陽はあるけど、夕飯にしちゃいましょうか」
アリアは、魔法で作り出した岩の柱に、厚い布をかけ、固定する。たったそれだけではあるが、雨風をしのげる、簡易の寝所としては十分だ。
光魔法の『コンディション』があれば、中の環境も容易に調整可能である。
ティナも光と風の魔法を組み合わせて火を起こし、調理を始めている。
補給のない、無茶な2人旅であったが、便利な魔法に助けられ、力を合わせることでここまで切り抜けてくることができた。
そんなことに感慨を覚えながら、テントの設営を終え、義母は義娘の料理を手伝い始める。
「あとは火が通るのを待つだけね」
「ふぅ・・」
「お疲れさま」
アリアは慈愛に満ちた表情で、ティナの頭をぽんぽん、と撫でる。
「もう・・子供じゃないんだよ? 私」
「まだ14じゃない。十分子供よ、お母さんにとってはね」
頬を膨らませる彼女に、アリアは悪戯っぽく笑いかける。
なんのことのない、旅に出る前から変わらない、平穏な時間がそこにはあった。
「お湯、沸かしておくね」
旅での身体を清潔に保つ方法は、専らアリアの水魔法と火魔法に頼っていた。
全ての属性を操る不老の魔女は、戦いだけでなく生活面でも、万能なのだった。
火力を調整し、熱くなりすぎないように水を温める彼女を、後ろからティナは抱き締め、厳しい旅のなかでも、よく手入れの行き届いたコバルトブルーの髪に、顔を埋めた。
アリアはなにも言わず、されるがままだ。
旅に出てから、ティナのスキンシップが増えた。
進めば進むほど、敵は確実に強くなっており、冬が近づいて、気温も下がっている。
まだ年若い少女が、厳しい生活のなかで、たった1人の家族に依存するのは、当然のことかもしれなかった。
他愛もない話をしながら熊鍋を味わい、その日の夜は更けていった。
数日後の夜、テントのなかで横になったティナは、口を開いた。
「ねぇ、起きてる?」
「うん・・? 眠れないの?」
「そういう訳じゃないんだけど、アリア最近・・」
「?」
「・・ううん、そろそろ1ヶ月だなぁって」
「そうね」
言葉を濁らせたティナを、それ以上問い詰めることはせず、アリアは彼女に同意する。
「アリアは、すごいね」
「なに? 突然」
「だって、私なんかよりずっと強いし、頭も良いし、便利な魔法もいっぱい使えるしさ・・」
「そりゃ、あなたより長く生きてるんだから。まだ負けるわけにはいかないわよ?」
夢見る乙女ように語るティナの、熱に浮かされたような口調に混じる、ほんの少しの黒い感情に気づくことなく、アリアは冗談めかして答えた。
「すごく格好いいし、美人だし、理想的な女性って感じでさ」
「・・さすがに恥ずかしいんだけど・・」
お世辞を言わないとわかっている相手に、いきなりベタ誉めされ、アリアは赤面する。
ティナはそんな彼女に気づいているのかいないのか、身体をアリアの方に向けて、なおも続ける。
「アリアは私のこと、家族だって思ってくれてるんだよね?」
「当然よ」
即答されたことで、ティナを包んでいた高揚感が、嘘のように消え去る。そして、自分が告げようとしていた言葉に、若き勇者は身体を震わせた。
「・・ありがと。おやすみ」
「おやすみ」
母と子だから、家族と即答できる。
そう、思い至ってしまい、ティナは冷静になった。
言えるはずがない。言う勇気もない。
自分とアリアの絆は、親子である限り、切れることはない。
彼女の望む1歩は、それを壊してしまうかもしれない。2度と、手に入らなくなるかもしれない。
だから言えない。
アリアとの、心地よい今の関係が崩れることを恐れて。
彼女に拒絶され、見捨てられてしまうことを恐れて。
なにより、彼女の重荷になることを恐れて。
ティナは知っている。
アリアが自分のために、食事の量を減らしていることを。
これ以上、彼女に迷惑はかけられない。
これ以上、彼女を苦しめたくない。
少女は自らの心を押し殺し、軋ませ、歪ませる。
勇気のない「勇者」なんて滑稽だと、自嘲を残して。
そして幾度かの夜を越え、両手の指で数えられないほどの戦闘をこなした。
「『墜ちよ月光、フォーリン・ムーン』! 『疾く駆けよ流星、スター・レイド』!」
月が墜ちたと錯覚するような、極大の光線が大地を灼き、その熱量を怖れることもなく、ティナは流星となって突貫する。
その動きは、よく言えば大胆、悪く言えば焦りを感じさせるようなものだった。
「突っ込みすぎよ! 戻りなさい、ティナ!」
アリアの制止も聞かず、ティナは剣を振るい続ける。
無茶な挙動で壊れかけの身体をそれでも動かし、モンスターを次々と切り伏せていく。
数分後、戦場に残ったのは、あちこち断裂した健と、無数のヒビが入った骨、そして返り血で真っ赤に染まったティナだけだった。
すぐに駆けつけ、気絶寸前の彼女を支えたアリアが、応急処置を始めようとする。しかし、
「いい。自分でやれるから」
ボロボロのはずの彼女は、魔力を振り絞って、自ら治療の魔法を紡いでいく。
そんな状態で行使された光魔法が、まともな効果を発揮する訳もなく、彼女の怪我の治る速度は、あまりにも遅かった。
「そんなんじゃダメよ! 私がやるから!」
「やめて!」
見かねたアリアを、語調を強めて、ティナは拒絶する。
こんなにも強く拒絶されたことを信じられず、アリアは呆然と立ち尽くすことしかできない。
そんな彼女に、声をかけることもなく、ティナは進む。
傷ついた身体を引きずるように、傷つけた心から目を背けるように。
「どうしてなの・・ティナ・・」
思えば、彼女がこんな無茶をしだしたのは、ここ最近からのことだ。
昔から背負い込みすぎる危うさはあったが、それも自分が側にいることで、なくなったのではなかったのだろうか。
なにがいけなかったのだろうか。
アリアは考える。
あんなにも仲が良かったはずなのに。
あんなにも近くにいたはずなのに。
あんなにも・・心が通じあっていたはずなのに。
全ては幻想などではなく、アリアの記憶のなかには、絶えず笑っているティナしかいない。
どこで道を違えてしまったのか。
アリアは、ティナが思うほどの万能の超人ではない。
不器用で、傷つきやすい、ただ少し長く生きているだけの普通の女性だ。
彼女には、離れてしまった2人の距離を思いながら、ろくに言葉もかけられず、ただ見つめることしか、できなかった。
家族だから、きっとまた仲良くなれる。
そんな淡い希望を、抱きながら。
ティナを想うとこんなにも締め付けられる、本当の心に蓋をして。
ーーーーー
「愚かなものですよね、彼女も」
女はそう言って、嘲笑する。
「アリアがどれほど心配してくれているのかも考えられず、ただ1人で、自分だけで戦い続けることが、彼女のためになると思い込んでいたのですから」
それは嘲笑と言うよりも自嘲。そして、その奥に深い後悔と、自責が感じられる。
男はそれを察していながらも、下手な慰めを口にはせず、ただ、次の言葉を待った。
「離したくない、壊れてほしくない、失いたくない・・そんな気持ちを拗らせ、歪ませ、戦っても戦っても終わらない旅に明け暮れ、徐々に少女は壊れていったんでしょうね」
男は、薄く目を開き、淡々と語る。
「終わりのない戦いに身を投じるのは、容易なことじゃない。心が軋んで、渇いて、枯れて、それを満たすために愛を求めるのは決して間違ってない」
突然女は、壊れたように笑い始めた。
「はは、は、あははは、あははははは! 愛、そうですね、愛だ! 家族を、同性を、尊敬する大恩人を、醜い愛で縛り付け、少女は執着した! 「貴女」を、「私」は、1人の女として愛してしまった! 貴女の愛は家族へのものだったのに! それを勘違いして・・最悪ですね、私。はは、あはは・・」
ただひたすらに、彼女は己の想いを吐露する。
他人であるように繕うことをやめたそれは、まるで懺悔のようですらあった。
「だって、だって仕方ないじゃないですかぁ・・いつも、どんなときでも隣にいてくれて・・あんなに格好よくて、あんなに綺麗で、あんなに強くて・・憧れないわけ、ないじゃないですか・・好きにならないはずが、ないじゃないですかぁ・・」
すすり泣きながら、ティナはさらに過去へと潜る。
深く、深く。想いをかき消し、頬を伝う滴を、振り払うために。
ーーーーー
狭い空間で、尚且つ隣に寝ているとなれば、否が応でも気づいてしまう。
茶髪の勇者は、相棒に無断で、毎夜毎夜寝所を抜け出していた。
食料の少ない冬にあって、毎日朝だけは、しっかりとした食事をとることができる。
ティナは、未だに一時期、アリアが自らの食料を減らしてでも、自分にお腹いっぱい食べさせようとしていたことを引きずっており、毎晩行っている滅茶苦茶な狩りは、その恩返しのつもりだった。
毎晩、ほとんど眠りもせずに荒野を駆け回り、彼女は冬眠している獣たちを、巣ごと焼き尽くした。
アリアが、その行為を心配しているとわかっていても、自分ではなく、アリアのためにやっていると、そう言い聞かせることで、継続していた。
ティナは、アリアがこの作業を手伝うことも、言及することさえ望んでいない節がある。
その理由はわからないが、それで愛する義娘が満足ならと、アリアは自分を納得させた。
そして、胸に渦巻く不安を押し殺し、浅い眠りへと、身体を委ねた。
そんな薄氷の上を渡るような毎日が、永遠に続くはずがない。
休む間もなく、戦い続けていたティナが、ついに倒れてしまったのだ。
思い返せば、旅に出てからこれまで、大きく体調を崩したことがなかったのこそ、奇跡的なことだった。
当然、荒野を進むのを諦め、アリアはうなされる彼女の看病に勤しんだ。十分な設備の無いこの旅路において、病はどんなに小さなものでも命に関わるからだ。
しかし、今の状況でアリアにできることは少ない。
病を治す魔法が無いわけではないが、それは身体に負担をかけてしまうし、疲労を原因とする病では、使っても根本的な解決に至らないからだ。
「なんでもいいから、私にできることはないかしら・・」
ティナの身体を、濡らしたタオルで清めた彼女は思案する。
安静にさせておくのが1番な訳だが、どうにもそれでは安心できなかった。
どんなことでもいいからと、悠久を生きる魔女は、必死に頭を働かせる。
ふと、妙案が浮かび上がった。
「私のカウントが正しければ、きっと3日後は・・まあ、精神論になっちゃうけど、この際細かい日付は関係ないわ!」
善は急げと、アリアは寝息をたてるティナをおいて、1人、荒野へとくり出した。
「不老の魔女」アリア=セルベルクは、強者だ。
全属性を完璧に使いこなし、中~遠距離における戦闘であれば、彼女の制圧力に並び立てる者は、そういないだろう。
しかも、彼女は近距離戦闘も、こなすことができる。
ティナの剣の基礎を作ったのが彼女であることからも、それは窺える。
ティナの実母、「剣聖」サナ=ラミネには、純粋な剣の腕では劣るだろうが、多彩な魔法を交えれば、相当良い勝負ができるであろう。
つまり、何が言いたいのかというと、
「『インシネレイト・シェル』!」
普段2人で相手している敵程度では、話しにならないのだ。
いつもの力は、ティナに合わせているにすぎない。
たまにティナの様子を見に戻りながら、彼女は、3日もの間、狩りという名の虐殺を行い続けた。
キャンプの近くのモンスターたちにとっては、そこは間違いなく地獄だった。
「よし、これだけあれば大丈夫でしょう!」
狩りを終えたアリアの前には、氷の魔法で冷やされた、無毒で綺麗な肉や野菜が並んでいた。
多くのモンスターは食用に適さなかったが、数を狩った彼女にとっては、この程度の量を用意するのは容易いことである。
未だ目を覚まさない最愛の少女のため、アリアは、この不自由な旅でできる最大限贅沢な料理を作り始めた。
12月24日の、夕刻のことだった。
無人どころか、獣の鳴き声1つない荒野。そこに宵闇の帳が降りる頃、少女は目を覚ました。
そして、周囲の異様さに目を見開く。
キャンドルが沢山立っていた。
どうやって生やしたのか見当もつかないような大木には、色とりどりの飾りつけがなされ、明るく照らされた食卓からは、食欲を刺激する匂いが漂ってくる。
なにより、目の前に立つ愛する女性が、赤と白の独特のコスチュームを見にまとっていることが気になった。
まったくどこから用意したのか知らないが、赤地に白のボタンの上着に、『コンディション』がなければ凍えてしまいそうな、ミニスカート。
頭に被られたナイトキャップに似た帽子は、彼女の紺青の髪に、よく映えていた。
「『アウェイクン』かけちゃったんだけど、倦怠感とかはない?」
「うん・・大丈夫だよ。でも、これはなに? 夢なの?」
愛しい人が、悪戯っぽく微笑む。
「どうだろうね? ほっぺたつねってみたら?」
ぼーっとしたままの頭で、言われるがまま頬をつねる。少しやつれていたが、健全な痛みを返してきた。
「痛い」
「じゃあ、夢じゃないんじゃない?」
「でもこれ、どういうことなの?」
「えーっと、それはね・・」
鮮やかなコバルトブルーをなびかせ、不老の魔女はテーブルから何かを取ってくる。
そして、
「メリークリスマス! ティナ!」
パン! と音がして、クラッカーが破裂する。本当に、どうやって用意したんだろうと思いながら、久しぶりに浮かべる心からの笑みを、ティナは返した。
「メリークリスマス、アリア」
「日付的にはイヴだけど、誤差よね、誤差」
アリアはそう言って、シルバーのネックレスをティナの首にかける。
銀の鎖についた小降りな宝石は、ティナの片方の目と、同じ深紅に輝いていた。
「あ、ありがと・・でも私、何にも用意してないよ?」
そもそも、今日が聖夜であることを、アリアに言われて初めて知ったのだから。
「いいのいいの。あなたが無事回復してくれたことが、私にとってはプレゼントみたいなものなんだから。本当に、聖夜の奇跡さまさまよね・・」
神の誕生前夜、すなわち「聖夜」には、奇跡が起こると信じられている。
アリアは信者でもなんでもないが、実際に熱の下がったティナと対面すると、信じたくもなってしまう。
「本当に、本当によかった・・」
「うぇ!?」
感極まった彼女は、義娘をひしと抱き締め、目尻に透明な滴を浮かべた。
しかし、すぐに引っ込めると、
「さ、早く食べましょ。料理が冷めちゃうわ」
ティナをテーブルへと誘った。
「わぁ、これ全部アリアが・・?」
「ふふふ、すごいでしょ? 結構頑張ったのよ」
食卓の上には、迷宮街にいたころと比べても遜色の無い、豪華な料理が広げられていた。
ティナは、しばらく他愛もない話をしながら、アリアの料理に舌鼓を打つ。
その時間は、久しぶりに訪れた、平和で心の通じあったものだった。
「ティナはさぁ、なんで1人で抱え込んじゃうの?」
シャンパンの酒精が入り、アリアはいつもより少しだけ陽気になり、少しだけ歯止めが効かなくなっていた。
このひとときを精一杯楽しもうと、日頃の想いを忘れていたティナは、その言葉に凍りつく。
「それは・・」
「私だってぇ、あなたのことが心配なのよ? お母さんなんだから」
そして、目を背けていた、「アリアが心配している」という事実と、無理矢理対面させられる。
「・・だって、怖いんだもの。貴女がいなくなってしまったらと思うとさ。だから私が沢山戦って、貴女に楽をしてもらいたかった」
今なら、もしかすると伝えられるかもしれない。
淡い期待を胸に、ティナは自分の想いを綴った。
「こんなに危険な旅だから、できるだけ貴女に戦ってほしくなかったの。だから1人で頑張ってた」
だが、思考力の鈍りかけているアリアに、その言葉は、想いは届かなかった。
「そんなに心配しなくても、私は強いわよ? この食材だって、ぜーんぶ私1人で用意できたんだから。見直した?」
アルコールが悪かった。
タイミングが悪かった。
言葉選びが、悪かった。
昔のように、冗談めかしたその台詞が、ティナの人生とアイデンティティーを否定したことに、アリアは気づくことができなかった。
「ごめん、私少し思い上がってたみたいだね。そうだね、アリアは強いもんね」
知っていた。不老の魔女が誰よりも強いなんて。
昔はそれが、なによりの誇りだった。
でも今は、2人で旅をしている今は。
「あ、はは、アリアは強いね、やっぱり」
「えっへん、まだ弟子には負けないからね!」
その通りだった。
アリアは師匠で、ティナはその弟子。まだまだ未熟で、届かない。
剣の腕も、魔法の威力も、そして心も。
「私ったら馬鹿みたいだね。あんなに焦って、あんなに頑張って。全部、全部無駄だった。当たり前じゃん、アリアの方がずっと強い。アリア1人でも大丈夫だった。アリアなら・・!」
「ティ、ティナ?」
「私なんていらなかった! 死ぬ気で努力して、戦って、毎日ご飯を作って、貴女を支えようとして! 貴女を守ろうとして! でもそんなのは必要なかった! 助け合ってると思ってるのは私だけだった! だってアリアは私なんかより強い! 私なんていなくても生きていける! 私に守られるほど弱くない! そんなこと分かってたよ! 分かってたはずなのに・・」
少しでも彼女の役に立てるように。
幼い勇者の原動力は、世界を守るためなどという、高尚なものではなく。
彼女に追い付けるように。
重圧に耐えられたのは、苦難を乗り越えることができたのは、使命感などではなく。
彼女を・・守れるように。
敵を倒せるのは、ずっと戦い続けられたのは、勇気なんてものじゃなく。
愛するアリアのために生きることが、ティナのこれまでの人生のすべてであり、彼女の存在意義であった。
「私がいなければ・・私さえいなければ・・貴女はずっと平和な迷宮街で、幸せな毎日を過ごせていたはずなのに。私のせいで、全部私のせいで! こんなところまで来て、毎日毎日危険な戦いをくぐり抜ける羽目になって!」
好きだから。大好きだから。義母だからじゃなく、家族だからじゃなく、1人の人間として、1人の女性を愛しているから。
「私のわがままで・・ずっと貴女を苦しめて・・」
なんでも知っていると思っていた。
1番の理解者を気取っていた。
だって、ずっと一緒にいたのだから。
だって、心が通じ合っていたのだから。
でも、違った。
ティナが心の奥に抱えていた激情に、アリアは気づけなかった。気づこうとしていなかった。
きっと今まで、キッカケはいくつもあったはずだった。
ティナの修行が激しくなり始めたとき。
旅に出る直前、彼女の顔に翳りが見えたとき。
自分の髪に触れる手に、壊れ物に接するような雰囲気を感じたとき。
無茶な戦闘を繰り返し始めたとき。
その全てを、アリアは逃してきた。
否、無視していた。
今の幸せな関係が崩れてしまう気がして。自分が知っているティナが、変わってしまうような気がして。
結局は2人とも似た者同士なのだ。
変化を恐れて、1歩を踏み出せない。
勇者だの、魔女だの言われていても、2人はただの人間だったのだから。
かける言葉が見つからない。
泣き続けるティナを、見ていることしかできない。
アリアには、なにもできなかった。
そして、
そのとき、
アリアには、目の前のティナしか、見えていなかった。
ーーーーー
宵闇に沈む岩山の陰。そこに、さまざまな姿かたちをした、6体のモンスターが潜んでいた。
そのどれもが圧倒的な力を感じさせ、特に強い力を持つ個体の周りは、空間が歪んでいるようにすら、見えた。
「魔将」たちは、歓喜する。
当代の勇者は、歴代と比較して、強さに大きな差があるわけではなかった。
しかし、一緒にいる者は、違った。
迷宮創成より生き続けるその魔女は、あまりにも危険であり、絶対に倒さなければならなかった。
だが、下手に手を出せば、返り討ちに合うことは自明だ。
彼らは隙を窺っていた。
彼らはチャンスに貪欲だった。
「っし! この時を待ってたぜ!」
「焦るなよ? 焦れば殺し損じるかもしれん」
「あの女も不運ですなぁ・・まさか我々全員が相手とは、夢にも思っていますまいに」
「コロス」
「南無」
「・・・」
思い思いに、これから始まる戦へと、集中していく。
そして、一際大きな力を持つ者が、口を開いた。
「これより、魔女狩りを始める」
「「「ハッ!」」」
魔将と魔神。
6体の化物が、一斉に動き出す。
古より生きる魔女を、永く追い求めてきた、女神の分体を、確実に葬り去るために。
闇を切り裂き、勇者の胸を鋭利な刃が貫いたとき、魔女はやっと、隠れていた6つの悪意に気がついた。
「まずは勇者ァ!」
「ティナっ!」
一瞬で意識を失った彼女を抱き寄せて、アリアは咄嗟に戦闘体制を整える。
「『ハイ・ヒール』! 『フラッシュ』!」
すぐさまティナの傷を治し、その場を明るく照らす。
しかし、彼女は傷が完全に塞がっても、意識を取り戻さなかった。
毒か、呪いか、どちらにせよ、それに構っている暇はない。
ぬらりと光るエストックが、艶消しされた黒刀が、巨大な拳が、鞭のような触手が、闇色の衝撃波が、四方八方から殺到してくる。
「死ね。魔女め!」
「『マインズ・ゲイル』! 『アイシクル・シールド』! ずいぶんな大盤振る舞いね!」
それらを全て風で吹き飛ばし、氷で防ぎ、アリアは飛び上がる。
すぐさま無数の炎の弾丸が、彼女に追随する。
「これはちょっと不味いかもね・・『ファイアー・ウォール』!」
「ちょこまかと逃げますねぇ・・」
燃え盛る火炎の渦で自分の周囲を焼き、時間を稼ぐ。
「ごめんね、愛してる。『ウィンド・クレイドル』『プュリファイ・フレア』」
未だ意識の戻らぬティナを風で包み、額に優しく口付けてから、アリアは手を離す。
ふわり、と風に乗って戦場を離れていく彼女を見届けてから、アリアは魔神に向き直る。
「私の大事なティナに手を出すなんて・・良い度胸してるわね、あんたたち!」
かつてない怒りと憎悪をのせた、全力の大魔法が吹き荒れる。
今、世界最強が、ぶつかる。
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空が白み始める頃、ティナは目を覚ます。
身体を起こすと、胸の辺りで、浄化の炎が一瞬光って、消えた。
ここは開けた荒野である。周囲を見渡せば、大抵目当てのものは見つかる。
呪いのせいか、痛む右目を押さえながら、ティナは歩き出す。
「アリ・・ア・・!」
離れたところにポツンと立つ、人影へ向かって。
彼女に近づくほど、戦いの痕は、色濃く見つかった。
いくつもできた巨大なクレーター、何本も地面から生え出した土の槍、未だ燃え続ける炎、凍りついた水溜まりなど、その規模は勇者をして、想像を絶するものだった。
「アリア・・アリア・・!」
戦場の中心に立つ愛する人の元へ向け、ティナは走る。
周囲には、真っ黒く焦げた「なにか」や、身体中穴だらけで、臓物が引きずり出された「なにか」など、5つに及ぶ肉塊が転がっていたが、それには目もくれず、彼女は走った。
あまりの悪路に足をもつれさせながら、それでも立ち止まることなく。
そして、伸ばした右手が、触れる寸前、
「アリア」は、大地に崩れ落ちた。
酷い状態だった。
右腕は炭化し、左腕は既に無い。
足は両方とも石化し、倒れた衝撃で砕けてしまった。
皮膚のあちこちが、火傷と凍傷でボロボロになり、美しかったコバルトブルーの髪は、返り血と自分の血でどす黒く染まっている。
大好きだった笑顔は、毒と酸で醜く爛れ、面影はもう、残っていなかった。
なにより、
胸の中心に、大きな風穴が空いていたのだった。
「うぁ・・ぁあ・・あああああぁぁぁぁア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
少女の慟哭が、無人の荒野に響き渡る。
「ヒール! ヒール! ヒールぅぅぅ!! なんで!? 治ってよ! 治ってよぉぉぉ!!」
握りしめた拳からは血が流れ、魔力は枯渇し、叫ぶ声も次第に小さくなる。
「私は・・ダメなんだよ・・1人じゃ生きていけないよ・・戻ってきてよ、アリアぁ・・」
弱々しく腰の剣を抜き、少女は自らの胸にそれを突き立てる。
あと少し力を入れれば、それは皮膚を食い破り、自分の心臓を貫くだろう。
しかし、そこで刃は止まった。
否、止めた。
気を失う前、確かに感じた殺気の数は6つ。
死体の数は5つ。
ひとつ、たりない。
そして、アリアを殺せるほどの強さをもつのは、きっと魔神だ。
「まだ、生きてる? 私からアリアを奪ったやつが? ・・許さない、許さない、許さない、許さない許さない許さない殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺してやる!!!」
自分がもっと強ければ。
自分がもっと賢ければ。
彼女を守れたのだろうか。彼女を救えたのだろうか。
空っぽの心を、憎悪で満たす。
復讐心以外の、あらゆる感情を失った勇者は、動き出す。
己の剣を手に、進む。
どこまでも機械的に、魔神殺すためだけに生きる。
愛する人を喪った少女は、殺戮兵器と化して、荒野を歩いていった。
そして、その数年後、
彼女の空っぽの剣は、遂に魔神に届く。
見知らぬ男の、力によって。
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「どうして、私を止めたんですか?」
自分を助け、魔神を倒すのに手を貸してくれた男に、ティナは問いかける。
目的を果たした彼女は、自ら命を絶とうとした。
しかし、それを男は止めたのだった。
「お前ほどの剣士を喪うのは痛かった」
「・・建前ですね?」
確かに、魔神討伐時のティナの剣技は、神憑り的ではあった。
憎悪に研ぎ澄まされ、極限まで、感情や肉体的なリミッターなどの無駄を削ぎ落とした、機械のようなものであったが。
しかし、それはレイヴン=フォルティスという男が、人を助ける理由にはならない。
他のパーティーメンバーの話を聞いたティナは、その事を確信していた。
「お前はきっと、想いを伝えていないのだろう?」
「え?」
「アリアという女に、お前は想いを伝えられていないのではないかと思ってな」
「ええ。想いを伝える前に、逝ってしまったので・・」
それがどうしたのだというのか。ティナは、訝しげに恩人を見る。
「ならば今、伝えるべきだ」
驚愕によって、ティナは目を見開く。この人は本気でそんなことを言っているのだろうかと。
「無理に決まってるじゃないですか。もう、アリアはこの世にいないんです」
「普通に伝えることはできないさ。だけどな、お前の義母は、相当な使い手だったのだろう? そんな彼女が、今この世界に転生して、生きていないとどうして言い切れる?」
『エクリプス・リザレクション』という、蘇生の魔法がありはするが、転生の魔法など聞いたこともない。
本来なら、一笑で切り捨てるところだが、アリアの力への、「信仰」の域に達するほどの信頼が、その可能性を否定できなかった。
「でも・・! それだって、自己満足じゃないんですか・・!」
声を揺らし、瞳を揺らし、ティナはなお、自分の想いと向き合うことを拒否し続ける。
レイヴンは、そんな彼女に優しく言い聞かせるように、続けた。
「お前の心はきっと、数年前の戦場に囚われ続けているんだろう。死者を忘れるのではない。未来へと進むために、自分の心に整理をつけるんだ」
「心に、整理を・・」
「お前ならわかっているはずだ。アリアとて、お前のことを愛していたことを。ならば、想いを告げられて嬉しくは思っても、憎いとは思わないだろう」
1度言葉を切って、男は優しげにティナを見つめ直す。
「きっと、届くはずだ。なんたって、今夜は聖なる夜なんだから」
聖夜なんて、嫌いだった。
嫌なことばかり思い出してしまう。
憎んですらいた。
だから、忘れてしまっていた。
アリアと2人で過ごした、あの楽しかったクリスマスのことを。
「星空に、お前の想いの丈を描くと良い。必ず、伝わるはずだ」
「・・『スターライト・プリズン』」
敵を灼くための魔法を、緻密に繊細に制御し、手のひらに星を集めた。
かつての師に迫るほどの、その卓越した魔力操作によって。
腕を大きく掲げ、星の光のペンで、かつての勇者は、夜空に愛を描く。
自然に、言葉が溢れ出した。
「私はいつもいつも、貴女に助けられてばかりだったね、アリア」
「貴女は私のお母さんをしてくれて、本当の親みたいに愛をくれた」
「どんなときでも貴女は格好よくて、とっても綺麗で、優しくて、ずっと私の憧れだよ」
「私はきっと、貴女に恋をしていた」
「一緒にご飯を食べているとき、魔法を教えてくれるとき、ピンチに、私を守ってくれたとき」
「貴女が好きっていう気持ちが、どんどん大きくなって」
「それはもう、娘として母に向ける愛情を、とっくに越えていたんだよね」
「大好きだから、傷つけたくなくて、壊したくなくて、喪いたくなくて・・」
「分かってくれない貴女が悪いって、自分の弱さを誤魔化してた」
「こんなに貴女を想っていたのに気がついたのは、貴女を喪ってからだった」
色違いの両の目より、あとからあとから滴が溢れ落ちる。
それは、心を失くした機械の身体を、人を愛する暖かい身体に作り替えていく。
世界のどこにいても、見上げればきっと見つかる。
優しいメッセージが、夜空に描かれる。
『大好きです。愛してるよ、アリア。ずっとずっと忘れないから、また会える日まで、私のことを見守っていてね』
無邪気に笑う少女と、暖かい微笑みを浮かべる女性が、仲良く並んで手を繋いでいる絵。
いつの日か、忘れてしまっていた過去。
ティナの涙に感応したのか、銀のネックレスが輝き出す。
まるで、泣かないでと彼女を励ますように。
「ずっと、ここに居てくれたんだね。アリア・・うっ・・くっ・・ああぁぁぁ・・」
少女は数年ぶりに、何の気負いもない笑みを浮かべて、泣いた。
今までの苦しかった日々を洗い流すように。
自分と愛する人を閉じ込めていた、心の牢獄から、光を解き放ちながら。
この平穏な、優しい聖夜の奇跡に、感謝を込めて。
「まさか親友に、娘をとられちゃうなんてね・・」
「ふふふ。ティナがこーんなに、私にぞっこんだったなんてねー」
どこまでも広がる緑の草原を、3人は連れだって歩く。
「エドはどうなの? 娘をとられて悔しくないわけ?」
「む、悔しくないわけじゃないが・・アリアなら、きっとあいつを幸せにしてくれるだろうしな」
「でしょ? サナも諦めて? 私とティナは、固い絆で繋がれてるんだから!」
心底嬉しそうに、紺青の髪の女は言う。
やっと、求めていた本当の形にたどり着くことができたと。
「仕方ないなぁ・・じゃあ、3人で見守るってことで、手を打ちましょ!」
「異論なし」
「えぇ!? この流れで!? ・・まあいいよ、3人とも、ティナを思う気持ちは一緒だもんね」
かつての英雄たちは、並んで歩き続ける。
愛しき娘に、想いを馳せながら。
作中のティナとレイヴンはそのうちまた出てきます