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気合一震 

掲載日:2019/06/18

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 先輩、大変お疲れ様でした。

 いかがです、久しぶりに竹刀を握った感想は? だいぶ稽古から遠ざかっていたはずなのに、先輩の指のつけ根、まだタコが残っているんですね。こういうの見ると、あの日々は幻じゃないんだって実感できませんか?

 稽古だ、修行だっていっても、成果を残せないと、振り返った時にふと空しさを感じるんですよねえ、私は。

 見返りを求めないことは美徳と言われますけど、私は縁遠いですね。やるからには勝ちたい、報われたい、意味あるものでありたいと常日頃思っています。何より、昔の人も自分の積み重ねを意味あるものにしていった例がたくさんありますしね。

 最近聞いた、意味ある存在となった人の昔話、先輩も聞いてみませんか?


 江戸時代のこと。とある剣道の道場に通う少年がいました。両親に心身を鍛えるという名目で強引に放り込まれ、本人は気乗りしなかったそうです。

 しかし、怠ければ両親からの折檻を受け、向かえば今度はそこで、師範たちによるしごきを受ける。道場がある日の彼の心は、朝からずっと憂鬱でした。

 

 半年が経ち、防具をつけるようになった彼ですが、その分、師範たちから受ける圧力は、なお大きくなっていきます。何度も倒され、叩きつけられて、涙がにじんだことはもう数えきれません。

 やめる、とも言い出せませんでした。家にいれば別の辛さが待つばかり。それも自分ひとりに二人がかりなのですから、辛くて仕方ないのです。その点、稽古ならば少なくとも手合わせの間は一対一。他の人の試合が行われるなら、休む時間だってあります。

 相対的にこの時間の方が楽だから、彼は稽古を続けているのでした。けれど、この日々にちょっとした変化が訪れます。

 

 稽古をしている道場の外に、自分と同じ年頃の女の子がたたずむのを見るようになったのです。かかり稽古をしている最中、打ち込む相手の背中の向こうにある戸口のすき間から、姿をのぞかせていました。

 誰だろう? とも思いましたが、稽古中はそればかり気にしてはいられません。容赦のない返しが待っていますから。満身創痍で休憩に入った時、もうその子の姿はありませんでした。

 それからふとした時間の合間で外を気にするようになった彼は、彼女が稽古のある日は、いつもここへ来ていることを知ります。彼女は中へ入ってきたり、声をかけたりせず、じっと道場内を見やっていました。そして、ふと目を離した時には、もう消えているのです。整った顔立ちをしている彼女ですが、この辺りでは見たことがない顔でした。

 そうなると、女の子の前で無様な姿をさらしたくないと思うのも、また男の子の見栄でしょうか。彼は次第に、日々の稽古に力を入れるようになりました。

 時折、師範からの怒声が飛びます。


「手打ちになっているぞ! もっと声を出せ!」


 彼個人のみならず、稽古をしている全員によく呼びかけられること。いくら技巧が優れていても、竹刀の音ばかり響く道場は下。人の声の方が響く道場は上というのが、外から見る人の判断の基準です。

 いつもはその声をうっとうしく感じ、おざなりに発声していた彼ですが、今はもう違います。お腹から誰にも負けないくらいの大きな声を、おのずと出すようになっていたのでした。

 逃げ場所を求めているばかりだった彼に、前向きな動機づけが成されたのです。


 気持ちが変われば、取り組みも変わります。漫然と臨んでいた時間が、自分を魅せる時間になったのですから、やりがいが出てきました。

 他の門下生たちとも話す機会が増えましたが、例の戸口の先に立つ彼女の話題が出ると、どうにも心の中がざわつきます。彼女に興味を持っているのは、自分だけではないことがはっきりしました。

 しかし、この話題に飛びついて仲間入りをしてしまうと、どうにも自分が下劣な奴になりそうな気がします。あくまで高潔にと考える彼は、表向き関心がないふりを装い、彼らと距離を取りながらも、聞き耳を立てていたそうです。

 

 彼が初めて少女を見かけてから、数年の月日が経ちました。すっかり身体が大きくなり、門下生を指導する側の一員になった彼ですが、道場に通えるのは今年が最後になる予定。両親の指示で、これからは道場に通う時間を学問に充てるよう言われたためです。

 

 ――彼女を見ることができるのも、今年限りになるかもしれない。

 

 数年の時間を経た少女もまた、ほのかな色気を醸す女性になっていました。化粧をするようになったらしく、唇には鮮やかな赤がさしています。相変わらず、自分から声をかけることはせず、じっと外から眺めるだけ。


 ――どうせ、最後の機会になるかもしれないのなら。


 その日の稽古を終えると、彼は自宅で勉強をしつつ、かねてより考えながら、踏み切る勇気の出なかった行動に出ます。それはこれまで休んだことのない稽古を、休むことでした。


 親には秘密で長屋の一室を借りた彼。いつものように稽古に出かけたと見せかけ、件の部屋へ向かい、竹刀と防具の袋を置きます。軽く髪を結い直し、服も着替えると、門下生に出くわさないよう、稽古が始まって少し経ってから道場の影に隠れました。

 今日の道場は、やけに竹刀の音が目立ちます。気が緩んでいるのか、集まっているのが下手な者ばかりなのか。自分が立っていたならば、何度、喝を入れているか分かりません。

 やがて道場近くで駕籠が停まり、中から彼女が降りてきました。駕籠かきに酒手をはずんでいるところを見ると、かなり裕福な家の出のようです。

 道場に近づいていく彼女を、彼は物陰からそっと見つめます。上品な歩みで道場入り口に立った彼女でしたが、まもなくその顔に失望の色がありありと浮かんできます。ほどなく、彼女はきびすを返し、街中へ消えていこうとします。

 そっとその後を追った彼は、道場からある程度離れたところで、思い切って声を掛けてみました。彼女は驚きましたが、自分の最近の取り組みを話すと、すぐ彼のことだと分かったそうです。


「あれから数年。本当にご立派になられましたね。でも、いいのですか? 稽古に顔を出さずとも」


「いや、ちょっと急用ができて休みだと告げたんじゃがな。思いがけず早く終わって、今から顔を出すのもなんだし、どうしようかと考えていたところじゃ」


 あなたと話がしたかったから、とは素直に話せず、ごまかす彼。今日一日、時間があるから、芝居とか見ないかと誘ったところ、彼女は「ご迷惑でなければ」と前置いて、海へ行きたいと告げてきました。

 少し距離があったので、彼女を駕籠に乗せ、彼はその横を歩いてついていったそうです。


 その日の海は波が格別に荒く、人も船も姿が見えませんでした。

 砂浜に降りると、彼女はあたりを見回して、自分たちに誰もいないか警戒しているようだったとか。彼が理由を尋ねると、彼女はあまり口外しないで欲しいとお願いした上で、話し出します。

 彼女は幼い時から、特異な病にかかっていました。それは身体の中に勝手に石ができてしまうというもの。臓器の中に限らず、口や手足の中からも生まれ出てしまうのだとか。

 定期的に石を砕かなくて、やがて致命的な部位に石が詰まり、命を奪いかねない。そう診断されて色々な処方がされた結果、人ののどから出る大声を、身体に受けるのが一番効果の出る方法だったのです。成功すると、砕かれた石たちが咽喉を駆けのぼってくるので、それを吐き出しているとか。


「昔は父母がしてくれたのですが、もう二人とも無理はできないお体。かといってこの奇妙な頼み事、なかなか他の方にはできません。祭りの時などは申し分ない環境なのですが、調子が悪くなる感覚がじょじょに短くなってしまい……そこでちょうど、かの道場から聞こえる気合を受けたところ、病状が落ち着きましたので、それからずっと」


 彼女は波打ち際に向き直り、胸の前で手を合わせます。潮騒に願いを託しているのが、彼にも察することができました。

 しばし、そうしていた彼女ですが、やがてため息をひとつ。お腹の辺りをさすると、それに合わせてゴロゴロと音が鳴ります。腹の虫とは違う、本当に大きな何かが揺り動いているように感じられました。


「――ならば、わしの声などではいかんか?」


 自然とそう出た声に、彼女は彼の顔をまじまじと見つめます。改めて向き合う麗しい顔に、彼は自分の胸と一緒に、頬も熱くなってくるのを感じました。

 ややあって、「お願いいたします」と頭を下げる彼女。わずかに二、三歩下がって腕を広げ、一身に受け止めんとする姿勢です。

 彼はふっと息を吸い込むと、いつも稽古で発する気合を思い切り彼女へぶつけました。声の大きさを信条として数年間。誰にも負けないように張り上げ続けたそれは、波の音を完全にかき消し、彼自身の鼓膜の揺れを支配していました。

 長い長い吐き出しが途切れます。ほどなく、彼女は「ぐっ」と身をよじると、袂から白い手拭いを出して口へ。同時に彼へ向かって「心配ご無用」と、開いた手を向けます。

 えずく声と共に、生地の裏から分かるほど灰色に染まる手拭い。それは河原の砂利たちと遜色ない色合いで、およそ人の身体から出るものとは思えませんでした。

 手拭いを放すと、彼女はぱっと目を伏せて、顔を赤らめます。


「お見苦しい姿をお見せしまして……」


 もちろん、彼には気持ち悪いと思うことなどありません。むしろ、彼女が打ち明けてくれたことで、決心が固まります。

 この先も、彼女の力になりたい、と。


 それからしばらくの後、二人は結ばれます。夫婦は生涯、妻の病を治す薬を探しましたが、とうとう見つからず、自分が動けなくなるその時まで、彼女の求めに応じて気合をぶつけていったといいます。

 妻は夫を看取った数日後、追いかけるように「息をしなくなりました」。なぜなら寝床で眠っていた彼女の身体はすっかり石となってしまったからです。菩薩像のごときその姿は、今も彼のお墓のそばで、その眠りを見守り続けているとのことですよ。


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― 新着の感想 ―
[一言] とっても、面白かったです。 できればそんな病とは無縁で健康に過ごしたかったと思いますが、だからこそ生まれた縁だったのかもしれませんね。素敵なお話でもありました。 彼女の最期を思うと、彼が年老…
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