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白い光の眩しさに目を焼かれてしまったのではないかと思えるほどに、白い空間に僕は居た。
前も後ろも右も左も上も下も、全てが白い、よくわからない不思議な空間。
それでも光に焼かれた目が見えなくなった訳ではなく、今いる場所が不思議な空間と認識できているのは、僕自身の手足や体がしっかりと見えているからだ。
白い空間には地面も空もないようで、けれど僕はひっくり返る事もなく、川ので浮いた時のような浮遊感もなく、普通に違和感なく、立っていた。
地面も床もない足元が不安で歩き出せず、泳ぐときのような浮遊感もないから泳ぐ真似をするのも何かが違う気がする。
先程まで一緒にいたはずの司祭はいくら見回しても見えないし、部屋へ入る時にくぐった大きな扉も見えない。
どうしたらいいのかなと僕は腕を組んで考える。
その時、僕の前――僕の歩幅で三歩くらいの位置から、魔法陣を形作っていたあの虹色の光とよくにた光が溢れ出はじめた。
近づくのもためらうし、かといって逃げ出すにもどこへ逃げればいいのかわからない。
どこもかしこも白い空間に出た、僕以外のはじめての色彩なのだから、見守る事にした。
「……やっとか」
溢れた虹色の光は散って消える事はなくその場にたまり、大人ひとり分くらいの大きさまで増えると、その虹色の光の塊は人の形になった。
髪と目は虹色の光を持ったままだが、肌は僕と同じような白さを持ち、どこから現れたのか不思議なくらいにたくさんの色を持った不思議な形の服を着た、きれいな人だった。
高くもなく低くもなく耳に心地の良い声なのに、口調が少し荒っぽくてちょっとだけ勿体ない気がした。
男なのか女なのかわからないけれど、とても美人なその人は首をふり、身体の調子を見るように少しだけ身体を振るわせ、それから僕を見下ろした。
真面目な顔をして僕を見るのだけれど、最初に発した言葉以外を紡ぐ様子はない。
「はじめまして?」
その時、兄たちや母以外の人の仏頂面を僕は初めて見る事になって、少し焦ってしまった。
僕はこのきれいな人を見た事はないけれど、前にどこかで会った事があるような気がした。
でもこんなきれいな人なら一度見れば忘れるなんてことはないだろう。
だから、はじめましてで合っていると思ったのだけれど、こんなに仏頂面になったということは、もしかして間違っていたのかもしれない。
会った事がある気がするのは気のせいではないのかもしれない。
僕が忘れているだけかもしれない。
「お久しぶりと言うべきなのでしょうか? ごめんなさい、僕はあなたを覚えていません」
僕が覚えていないと言う事は、乳飲み子であった頃に会ったのかもしれない。
心が早熟であったと自分では思っているけれど、さすがに赤ん坊の頃の事は僕も覚えていない。
忘れられると言う事はとてもさみしくて、悲しい事だと僕も知っている。
だから、僕はきれいな人に謝った。
けれどもきれいな人は僕の言葉に目を見開き、手で目を覆って天を見上げる仕草をした。
「そうか。そういうものか。これが真なる代償か」
きれいな人の口から出るのはよくわからない言葉ばかり。
正確に言えば、言葉の意味はわかるのだけれど、その言葉が何に向けてのものなのかがわからないので、僕は戸惑うしかない。
哀しさのにじむ声音に、覚えていないくらいに忘れてしまった僕が何かを言える訳でもない。
小さな声でよくわからない嘆きを続け、急にぎゅっと口を結び、きれいな人は僕をもう一度見た。
「私は精霊樹の精霊、ガザン・ミザローア。おまえはヤハルだろう? ヤハルのはずだ。ヤハル以外ではありえない」
「え、あ、はい。ヤハルは僕です」
「そうだろうそうだろう。おまえはヤハルだ。ヤハル以外の何ものでもない。ヤハル、私と契約をするぞ」
司祭と同じくらいの背のある人を見上げるのは、僕にとっては少しつらい。
きれいな人――ガザン・ミザローアから流れるように出てくる言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。
僕が理解するよりも早く、ガザン・ミザローアは続ける。
「私の事はガザンと呼ぶと良い。私もヤハルの事はヤハルと呼ぶ。安心しろ、おまえの魔法適正は邪以外の全てにある。その上で私と契約をすれば魔力も上がる。お望みの魔法を使いたい放題だぞ?」
「まほう!」
「そう。ヤハルの大好きな魔法、だ」
理解しようと思うより先に、魔法という言葉に僕は反応した。
予想通りの反応だったのか、ガザンは口の端だけをあげる器用な笑い方をし、僕の前に膝をついた。
「だから、な? 契約をするぞ。ガザン・ミザローアとヤハル・トルトネールの契約だ」
契約が何なのかを僕は知らなかったけれど、使いたい放題に魔法を使えるようになると言われてしまえば、早熟とは言っても未だ成人には遠い。悪く言えばまだまだ考えの足りない、幼い僕が拒絶する事はないのだと、ガザンはわかっていたのだろう。
僕の視線とガザンの視線の高さが同じになり、ガザンは僕の右手を取りガザンの額に押しいただいた。
契約が何であるかをまだ知らなかった僕は、魔法が使えるという事への期待に、ガザンにされるがままになっていた。
「我と汝の絆ゆえ
過去現在未来に至る絆ゆえ
ただただ望む願いゆえ
唯一つの祈りゆえ
時を翔けたる絆をここへ」
詩鳥の鳴き声のように、空気にとけていく程にやわらかく耳に心地の良い歌声のように、ガザンの詠唱が僕の耳に届く。
そして、声が止むと同時にガザンの額と僕の右手が光を発する。
この光を見るのは何度目かと、数え忘れた虹色の光。
同じ色をしたガザンの髪と瞳の輝きに、なんとなくだけれど僕は、この虹色の光はガザンの色なのだなと納得をした。
こうして、僕は魔法使いの仕組みをしらないまま。魔法が何であるのかを知らないまま。
何もしらないまま、魔法使いになるという過程をすっ飛ばし、魔法使いの頂である魔導師になったのだ。