12
先生が倒れると同時に結界が解け、僕は屋敷から出る事ができた。
けれどすぐに僕の家へと戻る訳ではなかった。
星降りの残滓は少しでも残っていれば増え続けて周囲全てを汚染し続ける。だから、周囲に広がり汚染を進める前に残滓の全てを浄化する必要があったのだ。
これは僕ではなく、精霊召喚――普通のとは少し違う法則の詠唱によって精霊を呼び目的の為に魔法を行使してもらう詠唱魔法――によって顕現した少年姿のガザンが請け負ってくれた。
窓の全てに板を打ち付けてあった大きな屋敷は残滓の汚染度が高く、建物どころか柱ひとつ壁の欠片ひとつも残らずに、残滓と一緒に浄化されて消えてしまった。
動かなくなった先生もしっかりと浄化をしてくれたらしいのだけれど、ガザンは先生を僕には見せてくれず、教えてもくれなかった。けれど屋敷の全てが消えてしまったように、先生も汚染度が高くて骨の一欠けらすら残らなくて、見せるものが残らなかっただけかもしれない。
ガザンが言いたくなさそうだったから追及はしていない。だから、先生については予想するしかなかった。
全てを浄化したガザンに連れられて、僕は家に帰りついた。
屋敷の門番たちに話しかけると彼らは驚いた顔で僕を見て、それから慌ててひとりが屋敷へと駆けて行った。
もうひとりの残った門番が僕に訓練所へと行くようにと言ったから、僕たちは屋敷へ入る前に屋敷の外にある領兵の詰め所にある訓練所へと足を向けた。
そこでは父が領兵を集めて僕を探す準備をしていた所で、それを涙を浮かべながら祈るように見守っていた母が、庭へと姿を見せた僕へと駆け寄り僕を抱きしめた。すぐに父も駆け寄ってきて母ごと僕を抱きしめる。
無事でよかったと涙を流して喜んでくれる二人に、抱きしめられていた僕もいつの間にか涙を流していた。
両親に会えた嬉しさと二人に抱きしめられた安心感ばかりで、辛くも悲しくもなくても涙は出るのだという事をその事で知った。
ところで、屋敷の門番などの領兵たち、執事やメイドたちが目を丸くして僕を見ていたのは何故だろう。
「……そろそろ時間ではなかったか」
あの事件を振り返っていたあの頃より少し大きくなった僕に、あの頃と同じ少年姿のままなガザンが告げた。
そうだねと僕は頷いて、ベッドの横に置いてあった大きなカバンを手に取り、自室を出た。
朝のやわらかい光が差し込む廊下をガザンと共に歩く。
僕の転機とも言えるあの誘拐事件。
無事を喜んだ両親は落ち着くとすぐにガザンに気が付いた。何も言わずにたたずむ僕と同じ年頃の少年に、父は誘拐一派の人間だと思ったようだったが、母はすぐにガザンが精霊だと見抜いた。
ガザンが肯定すると途端に騒ぎになった。
「でも、木の精霊かぁ」
「……一応、木と共にあるからな」
聖霊樹という木の精霊。略して木の精霊。
実際には木の精霊という区分に収まらない特殊な精霊なのだそうだが、未だに何の精霊であるのかを僕は教えてもらえていない。
教えてもらえていないが、それは僕に信用がないとかそういう事ではなくて、その事を知る事で僕にとっての不都合が起きるからだと思う。
三年という時間でガザンがそういう――僕の安全を第一に考えて動く精霊だという事を僕は知っていたから、僕も「精霊樹という名前の」という言葉は省いて、木の精霊だよと言うようにしている。
誘拐事件が起きる前までは何か私的な用事をこなしていたらしいのに、誘拐事件で顕現してからずっと、ガザンは僕の側を離れない。
一度、僕は大丈夫だからガザンの事をしてきたらというような事を言った事があったのだけれど、ガザンは頑として首を縦に振らなかった。
少なくても僕が僕の身を守り切れる実力が付くまでは顕現し続けるとの言葉までもらっている。
これでもあの頃よりは戦えるようになったのだけれど、それでもまだ合格点をもらえない。
ダンジョンも浅い層なら一人――ガザンが手を出さずに本当に僕だけ――でモンスターを倒せるようになった。僕の今の年齢であればそれはたしかに強くはあるけれど、あくまで年齢にしては、なのだ。一人前の兵や騎士、戦える大人からすればまだまだ序の口であるらしい。
「――きたか」
エントランスには両親と兄たち。それから執事とメイドたちが並んで待っていた。
「おはようございます、見送りをありがとうございます」
挨拶をするとおはようと返事が返ってきた。
父や母、執事とメイドたちはいつも通りだったが、兄二人が変な顔をしている。
変な顔のまま、次男のフェイネルの方が口を開いた。
「……本当にそんな恰好で行くのか?」
「何か変でしょうか? とても可愛らしく着こなせていると思うのですが」
父譲りの長く伸ばした銀髪はそれぞれの耳の後ろで三つ編みに――二本のおさげにし、青地に白のレースを縁取ったリボンで結んである。
服は学院指定のもので、白地に青い縁取りの入ったブラウスと今年度の入学生の証である青色のネクタイ。スカートはブラウスと同じ白色であり、その上に魔法科の証である紺色のローブを羽織っている。
出来上がってから何度も試着をして鏡で確かめたが、この制服は僕にとてもよく似合っていて、可愛らしいと思う。
「変……ではないが、むしろ似合っているからというか。……なぁ?」
「女子制服を着ている男はいないよ?」
フェイネルの言葉に続けて、ユサードも言う。
着ている人がいないから、何だと言うのだろうか。
父と母を見ても、二人はいつも通り穏やかなままであるし、ガザンは関わりたくないのか知らんふりを決め込んでいる。
「女子制服を男子生徒が着てはいけない、という規則はなかったはずですよ」
「お前、調べたの!?」
「たしかに禁止されているという話を聞いた事はないね」
これから僕の身分証にもなる学院の生徒手帳に書かれた学院規則を何度も読んだから間違いはない。
一応、女子制服という名前ではあるけれど、禁止されていないなら男の僕が着ても問題はないのだし、男子制服を着た僕より女子制服を着た僕の方が遙かに可愛い。可愛い方が僕の気持ちも良い。
「というよりはな? 女子制服がお前に似合い過ぎているから問題なんだよ」
フェイネルが言い、ユサードが何度も何度も頷いている。
過ぎるほどに似合っているなら何が問題なのだろうか。
「男が泣くぞ」
「嫁がこないかな」
僕は三男だから嫁をもらえなくても問題はないけれど、どうして嫁がこないと断言できるのだろう。
そもそも何で男が泣くのか、意味がわからない。
「兄さん、これは無理かもしれない」
「わかっていたけど手遅れだったようだね」
兄弟であるというのにこんなにも意思の疎通が困難だとはと嘆く兄たちを僕は首を傾げて見ているしかなかった。
より似合う服を着た方が、着る方も見る方も幸せだと思うのだけれど、兄たちの考えは違うのだろうか。
「そろそろ出ないと夜までに街へ着かないぞ」
「そうね、暗くなっては危ないわ」
兄たちと僕の会話に区切りがついたと思ったのか、それともそろそろ本当に時間がないからか、父と母がそう告げた。
僕は荷物を持ち直し、足を外へ続く扉へと向けた。
執事長とメイド長が扉を開いてくれたので、僕はそのまま外へ出る。すぐ側に伯爵家の紋章入りの馬車が用意されていて、御者に荷物を渡すと馬車の中へ積んでくれた。
僕は家族の居る方を振り返り笑顔で口を開く。
「立派な魔導師になって帰ってきますから、応援していてくださいね。いってきます!」
ガザンと出会って三年目。十歳の春。
僕はたくさんの事を学ぶために学院へと旅立った。
そこで僕の運命と言える程の存在、彼女に出会う事になる。
0章という名のチュートリアル編はこれで完了です。
正直、説明し過ぎないように、説明不足にもならないようにというのが難しかったです。
てことで、次からやっと本編な1章が始まります。