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鍵となっているつっかえ棒を扉の隙間に合わせて魔法で切り落とし、扉を開いた。
廊下の窓は僕が監禁されていた部屋と同じく、窓が全て外から板か何かを打ち付けられているようで、外から光が入る事を許さない。
『……人の気配はないな』
暗いだけではなく、僕の出す音とガザンの声以外に聞こえる音はない。
光の玉をもうひとつ作って、ひとつ廊下の奥まで走らせて見えた感じでは、階段も見えたし、今いる廊下も思っていたより長い距離があった。ここはそれなりに大きな屋敷に間違いない。
それなのに、音がしない。僕以外の人間が――使用人がいないのはおかしい。
僕が監禁されていた部屋に埃が積もっていた様子はなかったし、外から閉じられている窓の縁に指をすべらせても埃は付かない。
手入れの行き届いているのに誰もいない、異様さ。
『……ヤハル』
廊下から感じた異様な雰囲気にのまれていた僕は、ガザンの呼びかけられた。
なんだろうかと返事をすれば、強張った雰囲気が伝わってきた。
何か危ない事でも発見したのだろうか。
『前言を撤回する。無詠唱の浄化魔法をいつでも使えるようにしておけ』
(え、どうして?)
浄化魔法とは聖属性の魔法だ。
邪属性を祓う事に特化した魔法で、主にモンスターの死骸や邪属性に侵されたモノに使う。
そうしないと邪属性は様々な物を汚染し、全てを邪属性に変え、世界を腐らせてしまうのだそうだ。
『星降りの残滓と似た気配がする』
(ほしふりのざんし? 大変なこと?)
『ああ。人の歴史が覚えていない程の昔、邪属性を帯びた小さな星が世界中に降り注いだ事があった。前触れもなく突然空から一斉に降ってたせいで逃げ切れたモノは少なく、世界の大半が邪によって汚染された。
汚染された生物や精霊は、狂い、世界が朽ちる一歩手前までいった事がある。。
その出来事を星降りの悲劇と私たちは呼んでいる』
(世界が朽ちる……滅びそうになったの?)
『そうだ。滅びる直前までいった。
滅びなかったのは、汚染されずに残った精霊とある人間によって世界が朽ち果てる前に世界を汚染している邪のほとんどを祓う事ができたからだ。が、それでもすべての邪を祓いきれず、世界は救えたが爪痕は大きかった』
(つめあとって?)
『世界にはダンジョンと呼ばれる洞窟があり、そこからモンスターと呼ばれる邪属性の蠢くものがいるだろう? あれは星降りの悲劇で浄化しきれなかった邪の残滓だ。星降りの残滓。星降りの残滓は浄化しきらなければ増え続け、世界を汚染し広がっていく』
ダンジョンを浄化しない限りダンジョンはモンスターを生み続け、時間が経てば経つほどダンジョンそのものも深く大きく成長する。
その為、早い段階でダンジョンを浄化しきって消滅させるか定期的にダンジョン内でモンスターを一定数以上倒すかをしなければならない。でなければ、ダンジョンからモンスターが溢れ出してしまい、生き物という生き物を襲い、植物という植物を腐らせてしまうのだ。
聖属性は他の属性に比べて適性を持っている者が少ない為、ダンジョン発見直後に浄化できる事は少ない。
ダンジョンが成長をするとそれが生み出すモンスターも強くなっていくため、聖属性持ちが浄化にやってきた時にはダンジョンの奥――ダンジョンを浄化する為には最奥の部屋で浄化魔法を使う必要がある――までたどり着けなくなり手遅れになる時もある。
それを防ぐための定期的なモンスターの間引きだ。
モンスターを倒すだけではダンジョンの成長は止まらないが、モンスターを倒した後に聖水と呼ばれる聖属性の水をその死骸にかける。するとモンスターのまとっていた邪属性が浄化されて宝石のような石へと変化する。そして、モンスターが浄化された数だけダンジョンの成長は止まるし、ある程度成長しているダンジョンでもダンジョンで生まれたモンスターの中で一番強いものを倒せば逆に浅く小さく縮んでいく。
ちなみに聖水は各街や村にひとつはある教会で買う事ができる。
僕はまだダンジョンもモンスターも見た事はないけれど、父が領兵を集めて討伐隊を作り、定期的にダンジョンへモンスターを間引きに行っているのは知っていた。
危険だけれどそれがこの国の領主の一番大切な仕事であり、跡継ぎには必ず予備が必要である理由だ。
、けれど、そのダンジョンとモンスターの生まれた原因までは知らなかった。
(僕はまだ行った事がないから気配とかわからないのだけど、ここがダンジョンかもしれないってこと?)
『違う。ダンジョンではない。断言できる。だが星降りの残滓の気配がする。用心せねば全てが繰り返される』
ダンジョンではないのならばモンスターの気配がするのかなと思ったけれど、それならモンスターの気配がするとガザンなら言うだろう。
と言う事は、ダンジョンとモンスター以外にも星降りの残滓によって出現する何かがあるのだろうか。そして、その何かが何であるのかはガザンも知らない、と。
(それなら、聖属性の結界まほうを使っておいた方がい――)
『却下だ。結界魔法では邪を祓えない』
僕の言葉を遮って言うガザンの焦り具合いが珍しい。
あのダンジョンとモンスターの大本であるのだから星降りの残滓が恐ろしいものであるのはわかるけど、ガザンがダンジョンやモンスターに恐怖や焦りの感情を見せた事はなかった。
ダンジョンにもモンスターにも成っていない星降りの残滓は、僕が想像できる怖い事以上に恐ろしいものなのかもしれない。
『使うなら浄化魔法を。それ以外の魔法は使うな』
(うん、わかった。あとでちゃんと言い訳を一緒に考えてね)
『了承した。使えと言ったら何があろうとも必ず浄化魔法を使え。使えと言わなくても魔法を使いたくなったら浄化魔法を使え』
(わかった)
廊下が不気味に思えて歩くのを恐ろしく思った僕は、とりあえず今いる階の廊下全てに浄化魔法をかける事にした。
ガザンが警戒するほどに星降りの残滓とは恐ろしいものなのだろうから、浄化魔法でなんとかなるなら一応かけた方が良いと思ったからだ。
(……ちょっと明るくなった? 気のせいかな)
『気のせいではない。残滓の気配が薄くなった。今のように浄化魔法を使っていけば良い』
ガザンの言葉にうなずいて、僕は廊下へと踏み出す。
足の裏から感じる、硬く冷たい石の感触に背に悪寒が走った。
部屋には絨毯が敷かれていたから、僕はすっかり裸足である事を忘れていた。
シーツを切り取るついでに両足に巻き付ける分も切り取ればよかったとも思ったけれど、水の切断魔法を使ったからあのシーツは少し湿ってしまったのだ。
冷たさを回避したくてシーツを巻き付けたいのに、湿ったシーツを巻き付けたら足が温かくなるどころかますます冷えてしまうのではないだろうか。
残念だけれどと心の中で足にシーツを巻き付ける案を却下した僕は、転ばないように歩いて廊下を進んでいく。
途中、他の部屋への入り口であろう扉がたくさんあったけれど、入る気にはなれなかったので触れずにまっすぐに歩く。ガザンも何も言わなかったから、それが正解なのだろう。
(階段もこわい感じがするから、浄化まほうをかけるね)
先に飛ばした光の玉のある地点に到着した僕は、その光に照らされている階段を見てガザンへと伝えた。わかった、とガザンの答えが返ってくる。
廊下と同じように光りの玉をまず階段で行くことのできる一番下の階層まで落とす事で階段の大きさを調べ――ここが最上階のようで下へと続く階段しかなかった――その全てを浄化できるように魔法を発動させる。
とても恐ろしい雰囲気だった階段がこころなしか明るくなったように感じたので、きちんと浄化できたのだろう。
もうひとつのランタン代わりにしている光の玉を僕の足元より少し前へと浮かべて移動させ、階段を踏み外さないように一段ずつ慎重に降りていく。
その時の僕の手は、片方は階段の手すりを掴み、もう片方の手は足に絡まらないようにスカートの裾をつまみ上げている。
治療薬の小瓶を首にかけて持っていく方法を思いつけてよかったと、僕は心の中で自分の事を褒めていた。
そうでもして自分の気持ちを盛り上げないと、浄化をしたとは言っても暗い階段を下りていく事が僕は怖かったのだ。