第二章 お姫さまの家出の事情 2
「よい……しょっと!」
フロルは持ちなれない斧を両手で持ち、その重さにふらつきながら振り下ろす。が、当然のように刃はまっすぐ薪には当たらず、ガツンという鈍い音とともに斜めに叩いてしまい、その衝撃がフロルの手を貫く。
「……ッ」
痛みに手を放し、斧はガランと音を立てて薪と一緒に地面に転がった。が、手が痺れて少し涙も浮かべているフロルには、それをすぐに拾うこともできない。
と、そこへ、少し手洗いに行っていた太陽が戻ってきて、自分が一人でやっていた薪割りをフロルがやっているのを見て驚き、走り寄った。
「フロルさん、なにやって… あ、失敗しちゃったんですね。大丈夫ですか? 痛いでしょう」
目の前の光景を見て状況をすぐに理解すると、太陽は心配そうに彼女の手を取って見る。
「特に怪我はしてないみたいですね… 手首ひねったりしてませんか? こんな力仕事、無理にしなくてもいいですから。フロルさんはお客さんなんだし…」
ここまで言ってフロルの顔を見ると、彼女は恥ずかしそうに視線をそらし、うつむきがちにしながら顔を赤くしている。それを見て太陽も、彼女のスプーンより重いものを持ったことがないようなやわらかく華奢な手を握っていることを知ると、あわててそれを放した。当然こちらも赤面である。
「す、すいません」
「い、いえ… こちらこそ返ってご迷惑をおかけしてしまって…」
赤面したままながらしゅんとするフロルは、服装はさっきまでと同じだが、仕事がしやすいようにか、長い髪を後ろで結んで一まとめにし、子馬の尻尾のように垂らしている。その髪型が新鮮で、太陽はつい見とれそうになってしまうが、そんな自分に気づき、あわてて小さく首を振る。
「そ、そんなことないですよ。でもどうして薪割りを? あっちで姉ちゃんやエリを手伝ってるはずじゃ…」
フロルの話が終わった後、とりあえずの方針を決めた面々は、それぞれの仕事をこなすために動き始めた。当然ながらフロルは客なので、そんなことをさせるつもりはなかったのだが、
「ここまでお世話になりっぱなしで私だけなにもしないのは心苦しいです。よろしければ私にもお手伝いさせてください」
と、フロルが熱心に頼んできたので、その意気も買ってティアが台所などがある奥の方へ連れて行ったのだ。
「ええ、その…そっちでもいろいろ…その…失敗してしまって… ティアさんやエリさんに、休んでいるように言われてしまって…」
しゅんとしていたフロルが、さらに小さくなる。
「あー……」
そんなフロルを見て、太陽としてはそう言うしかない。なんとなくわかってはいたのだ。はっきり言ってフロルは家事関係のことなど、ほとんどやったことがないのだろう。それでもなにか手伝いたいという心根は賞賛すべきだが、実際に役に立つかどうかは別問題である。
「わかりました、それじゃこっちを手伝ってください」
太陽はほがらかに言うと、フロルについて来るくるように告げ、その場から歩き始める。
「え、あの、薪割りは…」
「あれはちょっとコツがいるんです。大の男でもすぐにはできませんよ。あまりコツとか技術とか関係ないことをしましょ」
少し困惑気味ながらも小走りについて来るフロルを肩越しに振り向いて、少し歩調をゆるめながら太陽は言う。だが、また気を使わせてしまったと感じたフロルは、うつむきがちに太陽の背中を見ながら、申し訳なさそうに謝ってきた。
「すいません…やっぱりお仕事のお邪魔をしてしまって…」
「気にしないでください、薪割りは急ぎの仕事じゃないですから」
そんなフロルを真実気にしてない口調で慰めながら、太陽としては彼女に対して別のことを気にしていた。
「しかしこの人、正真正銘、本物のお姫さまなんだよなあ… いくら本人がやりたいって言ってるからって、本当に手伝わせちゃっていいのかな…?」
「はいぃっ!? キコラ領の領主さまの娘ぇっ!?」
「はい。私、キコラの領主であるカール・ソルト・フランク・カールソンの娘になります」
客間でのフロルの話。「王子さまを捜している」と告げたフロルが自分の身分を正確にあらわにした時、他の三人はひっくり返らんばかりに驚いた。
この国は、王族、貴族、自由民(庶民)、解放奴隷、奴隷という身分制度になっている。王族や貴族と一口に言ってもその中でさらに上下があり、貴族の中でも領主といえば、王族に次いで最上位にあたるのだ。自由民である太陽たちにしてみれば雲上人である。
「そうか、フロルさんの名字、どうも聞き覚えがあると思ったら、キコラの領主さまの名前、カールソン公爵だったわ…」
思わず口をあんぐり開けながら、ティアが感心したようにもあきれたようにも聞こえる口調で言う。
キコラ領は太陽たちの住むコイラス領の北に位置する、この国に六つしかない自治領の一つである。領主には徴税権や警察権、司法権、軍事権が許されており、領内においては「王」と称しても差し支えないほどだ。その娘ともなれば領内では当然「王女」であり、領外においても「準王族」として遇され、「姫」と敬称付きで呼ばれるのが常識であった。つまりフロルは「フローレンス姫」であり、本物の「お姫さま」なのだ。
「はぁ~~……」
驚きと衝撃から、太陽もティアもエリも、しばらく呆然とフロルを凝視する。三人とも「本物のお姫さま」を見るのは初めてで、つい礼を失して見つめてしまったのだ。
「あ、あの……」
そんな三人の視線に、フロルが恥ずかしそうに、居心地悪そうにもじもじするのを見て、三人も我に返り、これも気まずそうに居住まいを正す。
「あー……えーっと、その、大変失礼しました。フロル……いえ、フローレンス姫さま」
と、少々申し訳なさそうに太陽が頭を下げる。知らなかったこととはいえ雲上人であるフロルに、いろいろ馴れ馴れしくしてしまったことを詫びているのである。ティアやエリも、さすがに気まずさを覚えていた。いくらおてんば娘とはいえ、身分の上下に対する感覚は、この国この時代の人間である以上、心に刻み込まれている。
そんな三人を見てフロルはあわてて顔の前で両手を振る。
「そ、そんな、やめてください。私の方がみなさんにお世話になってるのに、そんな風にされると困ってしまいます」
「でも……」
「本当にお願いします。私、自分が役立たずだってことわかっていますから……」
恐縮していたフロルが、どこか自己嫌悪を感じさせる口調でうつむく。その様子に太陽たち三人は「あれ?」という感覚と、「これは…」という感情を覚えた。前者は貴人に見られるであろう権高さが感じられなかったこと、後者はどこかおとぎ話にあらわれる、やさしくいたいけなお姫さまを思い出したことに対してだ。
その中でティアだけは、フロルの自己嫌悪にかすかに訝しさを覚えたが、それについてはなにも言わなかった。
「えっと……それじゃせめて今までどおり、『フロルさん』でいいですか?」
やや困惑を残しながらも太陽はそう提案し、フロルは承諾する。
「はい、もちろんです。でも呼び捨てでも私は構いませんが…」
「いやいやいや、そこまではさすがに。このくらいで勘弁してもらえると。な、姉ちゃん、エリ」
ど庶民育ちの太陽としては、貴人と接したこと自体がなく、かといってあまり砕け過ぎてもなにか怖いし、付き合い方がつかめなくて困ってしまうのだ。ごく常識的な礼儀や敬語で済むなら、それが一番ありがたい。
「……まあそうね」
「異議なし。そのあたりでいい、フロルさん?」
「……わかりました、みなさんがそうおっしゃるなら」
エリはどこかまだわだかまりを持ったままながらうなずき、ティアも賛成する。そう言われてはフロルも反対することはできなかった。
「で、そのお姫さまがどうして追われて? もしかしてなにかまずいことでも…?」
驚きが落ち着いて、ようやく本題である。ティアもさすがに表情を引き締めた尋ね、他の二人も身を乗り出す。ティアとしては太陽はともかく、エリには席をはずさせたいところだが、おそらく聞きはしないだろう。それはエリをのけ者にしようというわけではなく、もしかしたら危険なことになるかもしれないと考えたからだ。
「え、ええ、その……それが……」
その三人に、フロルは少々話しづらそうに口を開いた。