第一章 お姫さま拾った 3
板張りの廊下も少女にとってはめずらしく、ソックス越しに感じるその感触に興味を覚えていたが、ほどなく目的の部屋に着いた。
「どうぞ。そこのテーブルのとこ、適当に座って」
玄関の扉と同じ引き戸だが、紙で出来ている扉(襖)をすっと開けたエリは、少女に中に入るようにうながす。
「はい、ありがとうございます」
めずらしい家屋の様子への好奇心から少し余裕が出来たのか、少女の口調は普段どおりに戻ってきた。だが勧められて入った室内に、また困惑する。
「あの、座るといってもどこに…?」
その部屋には椅子がなかったのだ。若草色の床に大きなテーブルが置かれているが、そのテーブルの背も低く、彼女の膝に届くかどうかという高さである。よく見ると若草色の床は何枚かのプレート(畳)で構成されていて、材質は板でも石でもなく、なにやら草のいい匂いもしていた。
「床に直接。ちょっと待って、座布団敷くから」
困惑気味の少女にややつっけんどんに応じながら、エリは部屋の中にある襖(押入れ)を開けて、中から座布団を三枚取り出してくると、その一枚をテーブルの向こう側、あと二枚をこちら側に敷き、
「そっち座って」
と、一枚の方を少女に勧め、自分は向かい合って二枚並べたうちの一枚に、足を畳んで(正座)座る。
それを見た少女はまだ困惑を残したままながら、勧められるままエリと向かい合って座布団に正座して座ろうとした。靴を脱いで上がるのと同様、「ここではそう」なのだと考えたのだ。が、慣れない座り方に、いきなり足が痛み出す。
「………っ」
声まではあげないが、顔は苦痛にゆがんだ。それをチラリと見ながらも、エリはそのことにはなにも言わず、いきなり彼女にとって最重要なことを尋ねた。
「で、あんたと太陽って、どんな関係なの?」
「え?」
だが足の痛みに耐えるのに精神力のかなりの部分を使っていた少女の耳には届かず、つい訊き返してしまう。
「だ、だから、あんたとあんたを連れてきた男の関係よ! そ、その……なに、つきあってたり…するの…?」
ここまでの不機嫌さの勢いのまま尋ねたことを訊き返され、一瞬我に返ったエリはボッと赤面し、それでも再度訊き返すが、最後の方はぼそぼそといった感じになってしまう。そして少女の方も足の痛みと戦っているため、いささか言葉が足りない返事になってしまった。
「か、関係と言いましても…ついさっきまで抱かれていただけで…」
「だ、抱かれて!? しかもついさっき!?」
少女の、予想を遥かに上回るショッキングな返答に、思わず両手をテーブルにバンッと突きながら前に乗り出してしまうエリ。さっきまで赤かった顔色は真っ青になっている。
「あ、あ、あ、あんたそんな……それマジ!? ホントのこと!?」
「え、ええ… それよりその…この座り方…とても苦しいのですが…」
少女がつらそうに足を崩していいか遠まわしに尋ねるが、今度はエリの方が聞いてない。半ば放心状態になり、目は少女の身体を見ている。
(そんな…そんな…ついさっきって…ついさっきって…ついさっきアイツがこの娘を…いやさっきって、もしかしたらさっきだけじゃなくてこれまでも何度も…そんな…そんなそんな……)
視界に入る、標準より少し大きめの少女の胸に、標準よりかなり小さめな胸にコンプレックスを持っているエリの脳内ループが加速し、放心していた頭も徐々に沸騰してくる。青ざめていた顔が、怒りとそれ以外の感情で赤くなり始めた時、元凶がやってきた。
「お待たせしました。あ、なんだよエリ、お茶くらい出せよな。たしかヨウカンもあったはず……」
「太陽ーーーー!!!!」
焚き木を置いて手を洗ってから客間に入ってきた太陽の頭めがけて、エリはいきなり蹴りを放つ。それは素人のものではなく、充分以上に修練を積んだ者が繰り出す蹴りだった。
「どわっ!」
だがそれを、太陽は間一髪でよけてみせる。本当に間一髪で、髪の毛が数本、宙を舞う。
「いきなりなにすんだエリ!」
「うるさいうるさいうるさい! あんたなんか問答無用で死刑よ! おとなしくあたしに蹴り殺されろーー!!」
しかし頭に血が昇ったエリは、太陽の言うことをまったく聞かず、連続連発で蹴りを繰り出してくる。それは鋭いだけでなく、回し蹴り、直蹴り、踵落とし、脛蹴りと種類も豊富で、普通の人間ならあっという間にぶっ倒されている代物だった。
だが太陽は幸か不幸か普通の人間ではなく、なんとかエリの理不尽攻撃をぎりぎりでよけ続ける。
「どわっ! わっ! ちょっ! ちょっと待てコラ! エリ! なんだ、いったいなんなんだ!」
「うるさいって言ってんでしょ! なによ、あたしに黙ってこんな娘と! どうせあんたも胸が大きい方がいいんでしょ! そうなの、そうなのね。あたしの胸がちっちゃいのがそんなに気に入らないかーー!!」
「訳のわからんことを言うなーー!!」
嫉妬と怒りと錯乱とにコンプレックスが混ざり、涙目になってきたエリは、部屋の中を逃げ回る太陽を追い、本気で両足を交互に振り回し、蹴りまくる。
太陽はそれを必死でよけつづけるが、驚くべきことにというか奇妙なことに、彼らは部屋の壁や調度品を一切壊していなかった。これは意識してのことではなく、長年の躾の賜物である。ではこの二人にそういう躾をしたのは誰か。彼らの両親ということは当然あるのだが、もう一人、この二人の上に君臨する人物がいた。
「バコーン!」と音がした。人間が人間を叩いた音だ。が、叩かれたのは太陽ではなくエリの方だった。
「あいたーッ!」
と、悲鳴をあげて叩かれた頭を両手で抱え、畳の上にしゃがみこむエリ。そのエリをあきれたように見下ろすのは、加害者の女性だった。エリの攻撃がやみ、それでも反射的に安全圏である部屋の隅まで逃げていた太陽が、その女性を見る。
「あ、姉ちゃん。助かったぁ…」
「姉ちゃんじゃないわよ。なにやってんの、あんたたち。ここで騒ぐなって子供の頃にあたしに散々叱られたの忘れた? それとももっぺんお仕置きする?」
あきれ顔のまま二人を見やる女性は、太陽より五歳ほど年長のようだ。弟より少し低いだけの、女性としては高めの身長。すらっとした肢体に無駄な肉はついておらず、しなやかな女豹を思わせる。髪は黒に近いブラウンで、肩の辺りで切りそろえてあった。目の色も髪の色と同じ。そしてそれらは整った顔立ちと相まって、見る者に彼女の意志の強さを感じさせていた。
「お、おれは今日は全然悪くないぞ。客間に入ってきたおれを、エリが突然襲ってきたんだ」
そして忙しい両親に代わって太陽 (とエリ)を実際に教育してきたのはこの姉であり、それだけに二人はこの姉に頭が上がらず、こんな時はただただ平身低頭するのみなのだ。
だがこの日のエリは少し違った。太陽の言い訳(というか事実)を聞くと、パッと顔を上げて噛みついてくる。
「なに言ってんのよ! あんたが全部悪いんでしょ!」
「なにがだよ! おれがなにしたって言うんだよ!」
「したじゃない! その娘と、あ、あ、あ、あんな…あんな…」
「その娘?」
経験からの萎縮より乙女心が勝ったエリの言うことに、姉は部屋の中にもう一人いることに初めて気づいた。その娘がとんでもない美少女であることにも驚いたが、なにやら苦しそうな表情でもじもじしていることにも訝しさを覚える。それが正座に苦しんでいるとすぐにはわからなかったが、あの大騒ぎの中でただこうして座っていたとは、それだけでもなんだか尋常な娘ではなさそうだ。
「ねえ、あの娘だれ……」
少女が自分に気づいていない(それもすごいが)こともあり、彼女に声をかける前に太陽とエリに確認しようとした姉だったが、
「なによ! だから結局あんたも胸が大きい方がいいってことでしょ!」
「なんの話をしてるんだお前は!?」
「なにって決まってんでしょ! あんたがスケベでバカで恥知らずでエッチでバカで女たらしでスケベでどうしようもないって話よ!」
「訳のわからん話でそこまで人をおとしめるな! あとスケベとバカを二回言うな!」
「大事なことだから繰り返したのよ! そんなこともわかんないなんてバカは五回くらい言わなきゃダメね! このバカバカバカバカバカバカ……」
「おい五回どころじゃねえぞ! そんならお前はアホだろが! このアホアホアホアホアホアホ……」
「なによ! このバカアホバカアホバカアホバカアホ……!」
「なんだと! このバカアホマヌケバカアホマヌケバカアホマヌケバカアホマヌケ……!」
と、ますます訳のわからないことになっていて、取り付く島もなかった。そして少女は相変わらず顔をしかめてウンウンうなりながらうねうねと動きつづけていて、その光景に姉はあきれながらこうつぶやくことしかできなかった。
「何このカオス……」




