第一章 お姫さま拾った 1
「よっこいせっと」
秋の山の中。いささかじじむさい掛け声と共に集めてまとめた焚き木を背負ったのは、十七歳の少年だった。
中肉中背と言っていい体格で、黒い髪と黒い目はこの国では少しめずらしいかもしれないが、その他にはさほど目立つところは見られない。だがある程度の重さのある焚き木を軽々と背負うところといい、そのままバランスを崩すことなく、しかもまるで平地を行くように坂道を歩いて降りていくところは、見る人が見ればなにか体術を心得ていることがわかる。
ここは大陸西部。エウロ大陸と呼ばれる地域の南にあるユリシアという国の南東に位置するコイラス領である。領内では港町であるネイチアが最も栄えた街になるが、ここはそこから少し離れたシロノエという田舎になる。季節は春が終わり、夏の入り口までもうすぐという頃であった。
初夏の新緑まではまだ少し間がある森の中を歩く少年の表情はのんびりとしていて、過ごしやすい季節を歓迎しているのがよくわかる。
「このままずっと春が続かないかなあ」
特に夏を嫌っているわけではないが、どちらかといえば夏や冬のような極端な季節より、春や秋のように心身ともにゆるめられる季節が好きなのは性格なのだろう。
のんびりとした表情で、のんびりとした歩調のまま歩いていた彼の足が止まった。道脇の茂みから、ガサリと音がしたのだ。なにか動物らしい。彼の表情も少し締まった。このあたりには猛獣というべき動物はさほどいないが、熊がいるのだ。この時季は冬眠後で一番危険な時季である。しかし熊にしては茂みの動きは小さく、あるいは猪や狸あたりかもしれない。少年は警戒心は解かず、いつでも逃げられる位置に体重を移し……そして飛び出してきた動物を見て、呆気に取られた。
「ぷぁ…っ」
それが出てきた動物の鳴き声だった。手入れの行き届いた長い銀髪と、傷一つなさそうな珠のような白い肌を持つ彼と同年代とおぼしい少女。抱きしめると折れてしまいそうに華奢な身体はパンツルックで活動的だが、高価そうなのは一目でわかる服装に包まれている。顔立ちはやわらかに整った美しいもので、にじみ出る上品さは生まれと育ちをよくあらわしていた。
要するに誰もが考えるお嬢さま、あるいはお姫さまそのものの少女だったのだ。
あまりに意外な物が飛び出してきたことに驚いていた少年は、少女が道にペタンと座り込んでしまったことにも驚いて我に返り、やや戸惑いながらも急いで駆け寄ると、片膝をついて声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
突然声をかけられて、一瞬びくりとした少女だったが、少年がこの土地の人間で、特に害意がなさそうなのを感じると、ほっとした表情になった。
「はい、ありがとうございます。枝とか葉っぱとかにさえぎられながら走ってたのに、急に抵抗がなくなってしまったからつんのめってしまって…」
少年を見上げてにっこりと笑いながら答える少女の口調はどこか穏やかなもので、今と同じ季節、春を思わせる。そしてよく見ると、服には枝の引っかき傷があり、髪には葉がくっついていたりして、かなり茂みの中を走っていたこともわかる。そこで少年はようやく気がついた。なぜこの子はこんなところから飛び出してきたんだろう。
「あの、なんであんなとこを走ってたんですか?」
「はい。実は私、追われていまして… 無我夢中で逃げてたらいつの間にかあんなところを…」
「追われてる? 熊かなにかですか?」
意外な返答に、少年はさっきまで自分が考えていたことを思い出して緊張する。だが次の彼女の返答は、またしても意外なものだった。
「いいえ、熊じゃなくて人間です」
「人間?」
少年がいぶかしげに訊き返したとき、またしても茂みから音がした。だがそれは少女の時とは数も大きさもまったく違い、そして飛び出して来た時の様子も違っていた。
あらわれたのは男が三人。三十歳前後で、全員が屈強そうな体格をしており、どうも普通の男とは思えない雰囲気もたずさえている。腰には短刀が差されていて、一瞬山賊かなにかの類かとも思えるが、それとも違う。
「さあ、どうぞこちらへ」
男の一人が少年の方へチラリと目をやるが、無視して少女に手を伸ばす。一見彼女に礼儀を守っているように見えるが、それもどこか違うように少年には感じられた。その証拠に少女はほとんど反射的に少年の背後に隠れてしまう。表情にはどこか逃げ出したいという感情がが浮かんでおり、焚き木越しにそれを見た少年は、男たちが少女の連れではないことを知った。
「さあ、早く。これ以上手をわずらわさないで」
避けられた男がやや苛立ちを見せつつさらに少女に手を伸ばす。と、少年はその手をつかんで止める。
「なんだ、放せ」
まったく無視していた少年にようやく目を向けた男が、苛立ちを増した口調で言う。が、少年はほとんど動じた風を見せず、やや困惑を乗せた声音で返事をする。
「えっと……その、すいません。事情はよくわからないんですが…」
「わからないのなら余計な口を挟むな」
と、少年の手を振り払おうとする。そこでようやく男は顔色をわずかに変えた。つかまれた手がまったく動かないのだ。
「ええ、ぼくもそう思わないでもないんですけど… その、行きたいですか?」
男の手をつかんだまま、少年は少女に振り向いて尋ねる。少女は当然のように首を横に強く振った。それを見て少年はもう一度男たちに向きなおる。
「どうも事情もはっきりしませんし、ここは一つ見逃してください。彼女の話を聞いて、あなたたちの話も聞いて、それからにしましょ」
少年の、理性的なのか場違いなのかわからない提案に、男たちが激昂しそうになった刹那、少年はつかんでいた手を放し、男を他の二人の方へ突き飛ばす。あまりに意外で虚を突かれた三人は、倒れはしないまでもたたらを踏んでバランスを崩す。少年は、その隙を見逃さなかった。
「いきますよ」
「え? …きゃっ」
と、少年は少女に短く言うと、状況の変化について行ききれない彼女を抱き上げ、一気に坂を駆け下りはじめた。そのスピードは背にかなりの数の焚き木、腕に人ひとりを抱き上げた人間のものとは思えない速さで、男たちが一瞬呆気に取られたほどだった。
そして我に返って追い始めた男たちは、無駄とか出遅れとかいう言葉の意味を体感することとなった。