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太陽の拳  作者: 文叔
第二章 お姫さまの家出の事情
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第二章 お姫さまの家出の事情 8

 二人で二つ(一人は半個)の桶を持って、太陽とフロルは次の仕事場所へ到着した。

「ここは……」

「道場です。ここでぼくらは拳法の稽古をしているんですよ。さ、どうぞ」

 そこは住居に隣接する、やはり壮和風の木製の建物だった。太陽は一度桶を置くと、引き戸を開けてフロルを招き入れた。そこそこの広さだが何十人も入れるほどではない。せいぜい十数人というところであろう。板張りで物はほとんど置かれておらず、すっきりしている。

「お邪魔いたします…」

 太陽たちの家に入ったときと同じように、見慣れない内装に少しきょろきょろとしながら、フロルは中に入っていった。だが中に入る時に自然に靴を脱ぐところを見ると、この短時間で多少なりともこの家の習慣に慣れたらしい。



 太陽は桶を道場の入り口に置くと、まずは奥に祭られている神棚に拍手かしわでを打ち頭を下げ、その後、隣りの部屋に置いてあった雑巾を二枚持ってきた。

「はい、これを水につけて絞ってください」

 と、フロルに雑巾を一枚渡し、例を見せるように自分の雑巾を桶の水につけ、絞る。

「はい…」

 それを見たフロルも同じように雑巾を水につけ絞り始めるが、今ひとつ慣れてないのか力が足りないのかうまくできない。それを横目に見ていた太陽だが、あまり手を貸すと返ってフロルが気にするだろうし、このくらいは平気だろうと黙っている。

「フロルさんはゆっくりでいいですからね」

 と言い置くと、太陽は四つんばいになって床を走るように拭きはじめた。

「は、はい」

 ドドドド……といった感じで床掃除を始める太陽に少し驚きながら、なんとか雑巾を絞り終えたフロルも彼と同じ姿勢で床を掃除しはじめた。が、そのスピードはやはり遅い。

「ゆっくりでいいですからね。きれいにすることを第一に考えてください」

「はい、わかりました」

 そのフロルを見ながら、太陽はもう一度言い彼女も素直に答えた。手際が悪くとも、これなら家事や薪割りと違って成果が出せることが、フロルに安堵を与えているらしい。ゆっくりとした動きながら、きちんと板張りの床を拭いてゆくフロルに、太陽もホッと息をついた。



「あの、タイヨウさん…じゃなくて、太…ヨウ… えっと…」

 時々雑巾を桶の水につけて汚れを落とし、絞ってまた床を拭く。水につけて絞る時にフロルは太陽になにか話しかけようとするが、彼の名前の発音に少し困ってしまう。どうしてもティアやエリのようにうまく「太陽」と言えず、「タイヨウ」というイントネーションになってしまうのだ。

「気にしないで『タイヨウ』で構いませんよ。『太陽』ってのは壮和語の発音で、ユリシア語の発音と違って少し言いにくいですから」

「いえ、人様の名前を間違えて呼ぶのは失礼になりますから、すぐに言えるようになります。でも『タイヨウ』って壮和語だったんですか。なにか意味があるんですか?」

 生真面目に答え、また床を拭きはじめたフロルが尋ねる。

「ええ、壮和語で太陽はお日様のことですよ。今日も空に明るく照ってます」

「そうなんですか。あれ? でもたしかソレイユって……」

「よくご存知ですね。ソレイユも太陽の意味です。グァニ語で」

 グァニはユリシアの西方に位置する隣国である。

「はい、私もグァニ語は少し話せますので…」

「そうだったんですか。我が家は祖先がグァニの方から移住してきたみたいで、名字にその名残が残ってるんですよね。おれの名前は他の人がつけてくれたんですけど、はからずも太陽が二つ並んでしまいました」

 床を、走る速度で拭きながら、歩く速度で拭いているフロルに太陽は照れくさそうに言う。



「いえ、よくお似合いだと思います。太陽……さん、とても明るくて力強い方ですから」

「そう言ってもらえるとうれしいなあ。あとで姉ちゃんとエリにも言ってやってください。あの二人に虐待されながら生きてますから、おれは」

 太陽は笑いながらフロルとすれ違う。

「そうなのですか? 私にはみなさんとても仲がよろしく見えますよ」

「いやいや、フロルさんの前だから猫かぶってるんですよ二人とも。普段はもう陰険だわ暴力屋だわ怠け者だわ毒舌家だわ。きっとあのまま嫁の貰い手もなく……ぐべっ」

 ここぞとばかりに二人の悪口を並べていた太陽が変な声をあげて潰れる。その声に驚いたフロルも掃除の手を止めて振り向いた。と、そこにはティアに頭を踏み潰されている太陽がいた。

「あんたこそ陰口なんてずいぶん男らしくないじゃない。それにあたし猫なんてかぶってないわよ? フロルさんの前でこんなこともできちゃうんだから」

 ティアは少しわざと陰険に笑いながら、ぐりぐりと太陽の頭を足の裏で踏みつける。

「ええい、やめい! おれだって陰口じゃないわい! 本人の前でもいつも言ってんだからな」

太陽は「でぇい!」とばかりにそれを跳ね除けて顔を上げると、姉を見上げながら怒鳴った。

「女の悪口を自慢してどうすんのよ」

「普通、女は男の頭を踏んづけたりしません」

「あたしは普通じゃないからいいのよ。普通よりずっといい女だから」

「ユリシアでのいい女の定義はいったいいつから変わったんだ」

「少なくともあたしが生まれた頃には今の定義になってたわね」

「おれはそんなの知らないぞ」

「流行に乗り遅れるとはさすが朴念仁。あたしの弟とは思えないわね」

「そういうのって流行なのか?」

「当たり前じゃない。原始時代の女らしさが今でも通用すると思う?」

「例が極端だっちゅうの。だいたい今の姉ちゃんよりは原始時代の女の方がしとやかだったかも……どわっ! いきなり蹴りをかますな、蹴りを!」

「常在戦場。これ武道家の基本」

「せめて戦場を選ばせてくれ…」

 と、そこでくすくすと笑い声が聞こえ、本格ドツキ漫才をしていた姉弟はそちらを向く。当然、それはフロルの笑い声である。床にぺたんと座り、手で口を抑えながら、それでもこらえきれないようにくすくすと笑っていたが、姉弟の視線に気づくとあわてて笑いを収めて頭を下げる。



「ご、ごめんなさい、笑ったりして」

「いいのよ、気にしないで。太陽の顔がおもしろいのは今に始まったことじゃないから」

「おれの顔じゃないだろ、フロルさんが笑ってたの」

「自分がおもしろい顔ってのは自覚してんのね、あんたも」

「いえ、そんなことありません。太陽さんはとても素敵な顔立ちをなさってますよ」

 また漫才を始め、姉の毒舌に太陽が言い返そうとした時、当のフロルがにこにこしながら言ってきた。それがあまりに無垢むくなものだったせいで、一瞬二人とも詰まり、太陽は見る見る顔を赤くする。

「……なに赤くなってんのよ」

 そんな弟を目ざとく見つけたティアは、指で太陽の頭を軽くつつく。

「な、なってねえよ別に! だいたい世辞だってわかってるし!」

「お世辞じゃないですよ。太陽さんはとても素敵です」

 照れ隠しに姉を怒鳴る太陽に、フロルがこれまた無垢な表情で追い討ちをかけてきた。

「あ……え……あ……ありがとうございます…」

「こんちはー!」

 それを受けてさらに真っ赤になった太陽が、なんとか礼を言ったところで、子供が三人ばかり走りこんできた。近所に住む子供たちで、道場の門下生である。今日は彼らに拳法を教える日なのだ。

 が、その彼らもフロルを見て動きが止まる。自覚はできないまでも彼女の高貴さは感じ取れるし、なによりちょっと見かけないほどのきれいなお姉さんである。子供特有の人見知り+見とれて動きが止まってしまうのも、当然の反応だった。



「お、おう、そうか、もうそんな時間か。よーしお前ら用意しとけー。おれはこれ片づけてくるから」

 その三人のおかげで我に返れた太陽は、赤面したまま立ち上がると、桶を持って庭に出た。それを見たフロルも「あ、私も…」と立ち上がって彼を追い、その背後ではティアが子供たちに「お客さんよ」とフロルについて簡単に説明している。

 背中でそれを聞きながら、近くに来てさっきと同じように桶を半個持つフロルを、太陽は少し意識した。

「……お姫さまってのは、やっぱり違うんだなあ」

 そんなことを考えていた太陽の動きがピタリと止まる。表情も赤面は消え、厳しいものに変わっていた。

「どうかなさいましたか、太陽さん?」

 違う方向を見ているためその表情が見えないフロルは、急に立ち止まった彼を不思議そうに見上げるが、太陽は答えない。さらにフロルにはわからないが、太陽は同じ姿勢のままながら、どの方向からどんな攻撃をされても対応してフロルを守れるように、重心や精神、態勢を戦闘用に変えた。

「…………」

 微風が木の枝をかすかにゆらし、その音だけが小さく空気を震わせる。それはフロルにとってはただの空気の流れだが、太陽には違う匂いや波動を伝えてきていた。

 その波動がふっと消えた。

「…………」

 それでも太陽はしばらく戦闘態勢を解かなかったが、完全に安全だと確認すると、体重を通常の位置に戻す。

「あの……どうかなさいましたか?」

 黙ったまま立ち尽くす太陽に、さすがにいぶかしさを覚えたフロルが心配そうに尋ねてくるが、太陽は表情を戻して笑顔で応じる。

「なんでもないですよ。あそこにめずらしい虫がいたんでちょっと見とれてしまって。フロルさんは虫が嫌いかもしれないなと思って教えなかったんです」

「そうだったんですか。そうですね、ちょっと苦手かもしれません」

 太陽の言うことを疑いもなく受け容れたフロルは、少し苦笑しながら答えた。そのフロルに笑みを見せ、二人で桶を運びながら、太陽は心につぶやいていた。

「ちょっとばっかし、洒落にならない状況になっちゃったかもしれないな…」

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