第二章 お姫さまの家出の事情 7
「ロバート国王陛下は即位と同時に王妃さまをお迎えなさいました。陛下が第四王子時代にご婚約なさっていた方で、メンビル伯爵のご息女ということはみなさまもご存知かと思います」
とフロルに言われた三人だが、最年長者はうなずきつつも、下の二人は「えーっと…」という顔をしている。上流階級の話題にそれほど興味がないというのもあるが、十二年前といえば太陽は五歳、エリは三歳である。即位と同時の結婚は国中で相当話題にはなったが、彼らにそれを覚えていろというのは酷な話だろう。
メンビル伯爵家は名門といってよかったが、現在はかなり凋落した家である。だが政争に加わって勢力を回復することを求めず、優良な炭鉱を保持していたこともあって経済的に苦労をすることもなかったため、そのまま穏やかに「田舎の貴族」を楽しんでいた家であった。
歴代の当主もおとなしい者が多く、また教育熱心な人も多かったため、家中から学者があらわれることもめずらしくなかった。それだけでなく地元に学校を建てるなど庶民の教育にも力を入れており、当代の伯爵も歴代の当主と同様の施策を繰り返す人となりである。
そんな父を持つ娘だけに王妃も自分の分をわきまえる女性で、王子との結婚も静かに迎え入れていた。
末席の王子と共に控えめに生きていくつもりだったのが意外な形で王妃となってしまったわけだが、それでも賢妻ぶりは変わらず、子も二男二女と四人も儲け、王家の安泰に貢献している。
「そんなにできた奥さんを持ってるっていうのに、他に女を作って子供を産ませたわけ?」
不敬にあたるだけにさすがに口にはしないが、表情でそう言うエリにフロルは少し困った笑みを見せる。
「これは陛下がご婚約なさる前の話ですから。それに陛下は王族としては身辺は清潔な方ですし、現在は心から王妃さまを慈しんでおられます。なにより隠し子の件はただの噂にすぎません」
「でもフロル……さんは、その噂を元に家出してきたのよね? それにその噂がどうしてフロルさんの事情に関係してくるの? それも結婚とかなんとか」
フロルに対して、なぜか含むところが消せないエリは、彼女の名前を少し言いよどみ、ややつんけんしたものを語調に残しつつ、当然の疑問を口にする。なぜ国王の隠し子がフロルの領地の微妙な政治問題に関係するのだろうか。
それを受けたフロルは、少し寂しそうな笑みを見せた。
「私がその方と一緒になり、その方に我が家に入っていただければ、王族と我が家に強い結びつきができます。私の父と我が家にです。グンバル家ではなく。そうなればグンバルどのも簡単には我が家に口出しするわけにはいかなくなります」
「なるほどそういうことか… でもその噂だと、仮に陛下にお子さんがいらっしゃるとしても、男か女かもわからないじゃない。それに、いいの? フロルさん、そんな顔も見たことがない上にどんな性格してるのかもわからない相手と結婚だなんて…」
ロバート王の隠し子が実在するとしても女子であればフロルと結婚などできるはずもない。それに男であったとしても、フロルはそんな結婚を望んでいるのであろうか。同じ女、特にまだ結婚に憧れを持つエリには釈然としないものがある。
エリのその問いに、フロルは同じ表情で応じる。
「私たちは好きな相手と結婚できる方がめずらしいですから。家のために結婚をするのは、ある意味当然のことです。それに私が求めたところで、お相手の方が私と一緒になってくださるかもわかりませんし、そちらの方が心配です」
「そりゃああたしたちだって家や親の意向をまったく無視して結婚っていうのは難しい時もあるけどさ。でもそれにしたって……ところでなんでさっきから黙ってんのよ、太陽、ティア姉」
釈然としない思いのまま腕を組んで難しい顔をしていたエリが、ふと気づいたように黙ったままの幼なじみ姉弟を見た。と、ティアも太陽もやや不自然な無表情をしており、エリはいぶかしさを覚える。そのエリの声に二人は我に返ったような表情をした。
「え? い、いやべつになんでもないわよ。そう、フロルさんそんな事情があったの」
「そ、そうか。でもそんな雲をつかむような話を元に旅なんて大変だなあ」
我に返りつつも、やはりどこか少しおかしい姉弟にエリのいぶかしさは消えないが、それでもさほどこだわらずすぐに忘れた。
「ええ。ですが困難だからといってあきらめるわけにはいきません。私がローゼさまにしてさしあげられることは、これしかないのですから」
事の難しさは重々承知しているフロルだったが、それでも敬愛するローゼと自分たちの家の幸福と安泰のためには為さねばならないこと。そこには高貴な家に生まれた者にしか作れない、深く強い意志がにじんでいた。