①熱狂的なジャパンコールの中で(試合終了10分前の攻防・前半)
時計は78分(後半38分)過ぎ。
ジャパン29−南アフリカ代表32、得点差は僅かに3点。
ジャパンが南ア代表スプリングボクスを倒すアップセットへの期待に、スタジアムは熱狂的なジャパン、ジャパンのコール。
エディージョーンズHCが試合前に語っていた旧約聖書のダビデとゴリアテの一戦が再現されるのか。
羊飼いのダビデに擬せられたジャパンが、猛然と歴戦の勇者ゴリアテことスプリングボクス相手に牙を剥く。
時間 78’16” スコア【29-32】
ジャパンの連続攻撃19フェーズ目は、ウィング山田の果敢な突破からできたラックが起点だった。
もう、南アのゴールラインは目前に迫っていた。
ゴール前5メートルライン手前で、日和佐は左右を確認し、ショートサイドの左後方、マイケル・ブロードハーストに落ち着いてパスを出す。
パスを受けたブロードハーストは左翼寄り5メートルライン付近で、内側から切れ込んできたフルバック五郎丸歩にパスを出し、五郎丸はゴールライン左隅へトライを沈めに行く。
当然、南アフリカも3人の選手が、この日、絶好調の五郎丸をマークしていた。
真っ先にタックルに入ったコーニー・ウェストハイゼンは身を挺して、間一髪左腕一本で五郎丸のボールのグラウンディングを阻止する。
しかし、マレ・サウ、アマナキら後続の日本選手に押さえつけられ、ゴールライン上に置いた左腕が抜けないまま、ノットロールアウェイを宣告される。だが、コーニーの反則が無ければ、好調の五郎丸に、この日2本目のトライを許していただろう。
コーニーの捨て身のプレーで、ジャパンの連続攻撃は19で途絶えた。
ジェローム・ガルセス主審は試合を止めると、先に与えていた注意通り、コーニー・ウェストハイゼンにイエローカード(シンビン=10分間の出場停止)を出す。
ブーイングの中、役目を果たしたウェストハイゼンは憮然としてベンチに戻る。残り時間を考えると、ここから、南アは試合終了まで14人で戦わなければならない。
しかし、スプリングボクスの面々に疲労感はあっても、悲壮感はなかった。
このまま、残り2分、ゴール前5メートルでジャパンのボールを奪えば、いつもどおりの勝ちである。
最悪のシナリオは、ジャパンの突進に対して反則を犯してしまうことで、それで日本のペナルティゴールが決まると、32-32の引き分けとなる。
ここまで、スプリングボクスはジャパンから4トライを挙げ、勝点ボーナスを1点加点しているので、勝てば勝点は5。
引き分けでも勝点3で、2トライで引き分けのジャパンの勝点2と差はつけられる。アフリカ王者の面目は辛うじて保たれる。
しかし許されるのはここまで。強豪スコットランド戦を控えて、敗戦などあってはならない。
強豪スプリングボクスは、ワールドカップ最高勝率を誇っており、勝率0割4分5厘のジャパンとは比較にならない。
最近、確かにチームは不調だが、スプリングボクスがアジア枠のジャパンに負けることはありえない。否、あってはならないのだ。
時間 78’54” スコア【29-32】
ジャパンに与えられたゴール前5メートルラインでのペナルティをどうするか。
タッチに蹴りだしてラインアウトモールからトライを目指すのか、スクラムを選択してスクラムトライを目指すのか。それとも、ペナルティキックで同点を狙うのか。
ペナルティキックで同点にするという甘い誘惑に駆られる。
身体の大きな南アフリカ代表相手に、トライラインを超えられるのか。
しかし、今日の日本代表フォワード陣は強気だった。
立川がボールをタッチに蹴りだし、ラインアウトプレイを選択する。
セットプレイからモールトライで逆転を目指すことを選択したのだ。
6分前、南アは同じようなジャパンゴール前5メートルのペナルティで、タッチに蹴りだしてラインアウトモールでトライを目指すことも出来た。
しかも、この試合、ジャパンはモールだけは完全に南アを止めきれておらず、ジャパンの息の根を止めるトライを目指すことも出来たはずだった。
同じような状況だったが、ジャパンはペナルティキックの3点の誘惑に駆られることはなかった。
同点引き分けでは、勝率0割4分5厘の日本ラグビーの歴史は変わらない。
日本代表フィフティーンの思いは主将のリーチ・マイケルから、今、山田の交代で入ったニュージーランド生まれの関西弁、花園大学出身のカーン・ヘスケスまで変わるところはない。
時間 78’55” スコア【29-32】
イエローカードが出たことでディフェンスラインに穴ができないように、南アのチームの支柱、ビクター・マットフィールドはチームメイトに声をかけて回る。
この試合のジャパンのラインアウト8回中相手に奪われたのは1回のみ、強豪相手に獲得率は極めて良好だった。
ラインアウトボールを投げ入れるのは堀江翔太の交代で入ったフッカーの木津武志。
まっすぐに入れたロングボールは見事にマイケル・ブロードハーストがキャッチし、小気味良くリーチマイケルにパスが渡る。
ラインアウトモールが形成される。ルールでは、モールは2回止まると審判から「ユーズ・イット」の声が掛かり、ボールをパス出ししなければならない。
エベン・エツベス、ビクター・マットフィールド、スカルク・バーガーなどの南アのフォワード陣メンバーは、簡単にはジャパンのモールを前に進ませてはくれない。
しかし、接点付近のシヤ・コリシが抱え込まれ、ボールの位置の確認に手間取る南ア相手に、バックスからヘスケス、田村、マレ・サウらがモールに加わり、ジリジリと右にドライブ気味にモールが動き出す。
モールの左の一部が崩れながら、5メートルラインの内側を一歩、また、一歩、ジャパンの13人モールが勝利に向かって突き進む。
このまま、ゴールラインに楕円形のボールをグラウンディングさせれば、ジャパン悲願の24年ぶりのワールドカップ勝利。そして、エディ・ジョーンズの言っていた「歴史を変える」ジャイアント・キリングの達成である。
南アは、このピンチにトレバー・ニャカネ、ストラウス、シヤ・コリシらフォワード陣に加え、ブライアン・ハバナらが、ゴール前でモールコラプシングの反則覚悟で日本のトライを阻止しにくる。
しかし、力強くジャパンウェイを突き進んだモールは、南アのゴールラインになだれ込んだ。
モールを後ろから支えていた田村優が右手を挙げトライを意味する人差し指を突き立てる。
それを見たアマナキ・レレイ・マフィ、マイケル・ブロードハースト、稲垣啓太らがそれに続く。
ただ、密集の中で誰もジャパンのトライは確認できていない。
時間 79’25” スコア【29-32】
両チームの選手20人近くが折り重なって倒れている状況に、ジェローム・ガルセス主審の笛が鳴る。
この笛をトライと勘違いしたのか、スタジアムからは歓喜の声も上がる。
しかし、主審の笛はトライの長い笛ではなく、ゲームを止めるときの短いものだった。
長い笛でないのは、両チームの選手の表情から見て取れる。ジェローム・ガルセス主審はテレビジョンマッチオフィシャルに判断を委ねる。
日本代表ベンチからは、既に試合から引いたスクラムハーフの田中、フッカーの堀江、プロップの三上、畠山、ロックの大野均、ナンバーエイトのツイ、ウイングの山田が戦況を見守っている。
それだけではない。ジャパンのリザーブに入れなかったアイブス・ジャスティンや伊藤鐘史らがベンチに降りてきている。
ふつうでは許されないことだが、歴史的な試合になるかもと会場警備が気を利かせたのだろう。
既に、ブライトン・コミュニティ・スタジアムの熱気は、最高潮に達していた。
熱狂と喧騒の中にいる観客と比べると、幾分、ベンチは冷静に見えるが、勝利に向かって同じジャパンウェイを突き進んでいるのは間違いない。
テレビジョン・マッチ・オフィシャルの判定が主審に伝えられる。
「ジェローム、丿ー、ゼア、イズ、ナッシング、クリア、アットオール(ジェローム主審、まったく確認ができない)、イッツ、ゴナ、ビー、スクラム、5メーターバック、レッドボール(5メートルバックしてジャパンボールスクラムで開始するべきだ)」
2分ほど時計を止めたテレビジョン・マッチ・オフィシャルの判定でも、ボールが確実にグラウンディングしたか分からなかった。
ゴール前5メートルラインでのスクラムの前に、イエローカードを喰らったウェストハイゼン選手がスクラム最前列のプロップだったため、安全確保のため特例で既に退いたプロップのテンダイ・ムタワリラ選手がトレバー・ニャカネとの交代で入る。
そして、トレバーニャカネの代わりに同じく後半早々に交代で退いたプロップのヤニー・デュプレシーを入れて、シヤ・コリシが特例交代で退場する。
南アフリカは、特例交代をうまく利用することで、テンダイ・ムタワリラとヤニー・デュプレシーの両プロップを戦列復帰させることに成功するが、二人の顔に余裕の色はなかった。
時間 79’25” スコア【29-32】
クラウチ、バインド、セットの掛け声で、ジャパンボールのゴール前5mスクラムで試合が再開される。
スクラムトライを狙う日本に対して、軽いペナルティは覚悟の上で防戦する南ア。
スクラムが安定すると、日和佐が、この日、最後のプレーとなるかも知れないボールをスクラムの中に投じる。
プロップ木津の足に掻き込まれたボールが、日本フォワードの足の隙間から、少しボールが見えた瞬間だった。
南アのスクラムハーフ、フーリー・デュプレアが、半ば意図的に、強引なボール奪取に出るがこれはラックからボールが完全に出ておらず、認められない。
すかさず、ペナルティーの笛が鳴った。後半40分は既に経過し、ロスタイムに入っていた。
ジャパンよ、ここまでよくやった。このまま、ペナルティキックによる同点で手を打とう。
スプリングボクス司令塔フーリー・デュプレアからの提案のようにも聞こえた。