プロローグ
「朝だよー」
おっとりした声が、遠くから聞こえる。
耳に刺さらない、柔らかくて、甘い声。多分、起こす気は無いんだろうな。
「早くー、起きてよー、クーラ」
ゆさゆさと揺さぶられる。その力はあまりにも弱くて、あまりにも優しい。多分猫と比べても変わらないぐらい。
「ふあぁ……今日学校休む?」
いっそ休んでしまいたい。このオフトンの温もりに一生浸っていたい。頬をつつく、すべすべの細い指がとてもくすぐったく感じて、もぞもぞと身体をよじる。しばらくもぞもぞしていると、乗っかっていた物体がバランスを崩し、寝っ転がるような体勢になった。
「ふみゅ………僕も眠い〜……」
布団に、新しい温もりを感じた。モゾモゾと何かが入って来る。私より少し大きくて、私より細い。少し悔しい。ダイエットしようかな……やめた。
「やっぱり僕も寝る………」
小さな寝息が、すーすーと聞こえてきた。やっぱりこのまま寝ちゃおう。それが多分一番いい。一番それが幸せなんだから、その選択肢をとって何が悪い。入って来た何かを軽く抱きしめ、もう一度寝る体勢に入った。
「起こしに来た人が、なんで布団入ってんの?」
日常は、気持ち良さそうな寝顔と、やさしい目覚ましの声から始まった。
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「あ、メル。おはよ〜」
「おっせぇよ、ケイ。遅刻すっぞ」
ケイの挨拶を無愛想に返すのは、エプロン姿のメル。
茶髪の小4で、この家の料理係。
最初の頃はエプロンを恥ずかしがって、
「く…………殺せ…!!」
とか言っていたけど、今じゃなかなか似合っている。ネットに流したらいい金になりそうだ。
この間は学校の出し物で、主役の姫を演じたらしい。見れなくてとても残念だ。絶対可愛かっただろうに。
………あぁ、そうだ。お約束を言わないとね。
だ が 男 だ 。
「えへへ〜、ごめん。ちょっと寝ちゃってた」
「お前クー姉を起こしに行ったよな?」
行動と結果の矛盾に、すかさずメルが突っ込む。でもこんなことは、ケイに限ればよくあることだ。結構な頻度で、何かを食べながら寝たり、どこか抜けた行動をする。
本人は自覚がないようだが、それ故にタチが悪い。可愛いから構わないけどさ。
「まぁいいや。早く飯食えよ。マジで遅刻すんぞ」
「うん。………いただきます」
いつの間にかケイが席についていて、朝食を食べている。
私も、慌ててイスに座った。
「うん、やっぱり美味しいね。毎日、メルの作った味噌汁が飲みたい」
「お前それ意味わかって言ってんの?」
なんでメルが知ってるかも不思議だよ。お前小4だろ。味噌汁をすすりながら、心の中で叫ぶ。美味い。
あ、知らない人ように言っとくと、「結婚して下さい」って言うメッセージだから、みんなもクラスの女子に片っ端から言うとリア充になれないよ。現実を見ろ。
「…………?」
半笑いで、ケイが首をかしげる。
こう言う動作は、激しく母性本能をくすぐられる。クラスの女子がケイを「天使」とか呼んでたのも少し分かる気がした。ヤベェかわいい。撫でたい。
「…なんつー顔してんだ?早よ食え。冷める。」
「そんな顔してたかな…」
メルに神妙な顔で言われ、少し落ち込む。
あぁ、ご飯美味しい。やっぱこの国最高。好きだ。結婚したい。
「コロコロ表情変わって、変な奴だな」
メルに笑いながら言われた。
でも、それを聞いても私の心は落ち込まなかった。
この国に来てから、表情が明るくなった。
明るくなったというか、レパートリーが増えた。
もちろんそれは私だけじゃない。ケイも、メルだってそうだ。この国は、とても平和で、退屈で、でもそれがとっても楽しい。
でも、この日常はいつか崩れるかもしれない。そんなギリギリで成り立っているんだ。
「そういやクー姉、あの話だけど…」
「あぁ…もう来てるの?」
数ヶ月前、世界中である動きが起こり、私たちはそれに対抗するために、ある物を、ある人に注文した。
「おう、今日中に届くらしいから、今日は学校休んでそっち行く」
「分かった。でもゲームはやりすぎないようにね」
「ん、なんの話…?」
ケイが混乱している。そう言えば、前にこの話をした時、ケイはソファーで寝息を立てていた。
…口にポッキーを咥えながら。
「説明すると長くなっちゃうけど、要するに色んなところから敵が来たから、みんなで頑張ろうって言う話。がんばろーおー」
ちゃんと話すと、かつて戦争や紛争で活躍し、今では引退し、平穏な日々を送っている元傭兵。
つまり私達のような存在を狩ろうと言う動きが、世界中で起きている。世界中と言うとすごい強そうだが、多分来るのは数十人程度のはずだ。………数十人程度のはずだ。多分。
「ん…。がんばろ〜」
何も気合いの入っていないケイの掛け声に、苦笑する。多分何にも分かってない。
まぁいいや。最悪、私とメルでどうにかしよう。
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「ごちそうさまー」
この国特有の挨拶的なアレをする。食材と作った人に感謝し、手を合わせる。とてもいい文化だ。
「クー…早く行こ……」
「うん。ハンカチ持った?ティッシュは?」
「持ったよ〜」
「お前はおかんか……」
あまりにも日常的な会話に、メルが呆れる。
やっぱり平和だ。気が抜けるほど。そしてそれは、ただの油断なのかもしれない。
でも、それでいい。
油断して、失敗して、守って、笑って、そういう日常を生きていこう。
最後の戦いから、今日でちょうど一年。
徐々に不穏な空気も出て来たが、きっと大丈夫だ。そんな根拠なんてない自信が、なぜか心地よく感じた。
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そろそろプロローグっぽくいこうか。
この物語は、何かを作る物語じゃない。
全てを壊し、全てを捨てて手に入れた、この日常を壊させない物語。守る物語だ。
過去を背負い、傷を背負い、それでもこの国で「日常」を生きると決意した、私達の物語。
それじゃあ、最後に決め台詞。
この世界に、正義はない。
ただ、それ以外の何かで溢れている、そんな世界の物語。