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其ノ四

 この頃、大友宗麟は丹生島の臼杵城を居城としていた。

 攻めにくき天然の要塞と呼ばれた城だが、宗麟の私的な住居は別に城外の館にあった。

 耶蘇教に傾倒する彼はこの年初め、奈多八幡宮の娘である正室を離縁し、自ら臼杵城を出て、新しい後妻との生活を始めたのである。

 夫婦間の宗教論争が離縁の最大の原因だった。

 祝言を挙げてより三十年程が経過し、多くの子供に恵まれたが、宗麟は自らと自らが信じる耶蘇教を苛烈に攻撃する妻に耐え兼ね、彼女の侍女であった慎ましやかな女性の手を取り別離の道を選んだのである。

 元来、言動の奔放な宗麟だが、これには親族・家中が大騒ぎとなった。

 正室・奈多の方があわや自害、という事態にまで発展し、宗麟と奈多の方との間に産まれた子らも、宗麟に考え直すよう言葉を尽くしたが、宗麟の意思は変わらなかった。


 そうした大友家の内部事情、言わば醜聞を、明らかに部外者である桐峰に滔々と語って聴かせ、角隈石宗は最後にこう締め括った。


「まあ、困ったことじゃ」


 にかっと笑う。言葉通り困ったように見えない。

 体躯は衣の上からでも剛健と知れ、剃った頭はてらっと光り、表情は溌剌としてそこらの若者なら投げ飛ばせそうなくらい元気で闊達だ。


 臼杵城に近接する位置に建てられた角隈石宗宅で、桐峰と明那は、石宗の世間話、もとい大友家の大事を邪気の無い笑顔で聴かされぽかんとしていた。

 石宗の招きに預かり、博多から臼杵に着いて早々である。

 初震姫と五鶯太、夷空たちとは行動を別にしている。


「なんやの、それ。そんなんが、大名やってんの?九州探題?とかお偉いさんなん?」

「九州探題もなあ、金に物を言わせた買官(ばいかん)ゆえ」

 けろっとまた、言いにくいことを言う。

 石宗は主家を主家とも思わぬ態度だ。

「とにかく大殿(宗麟)は女漁り好きの女狂いでもあられて、道を大殿が歩けば人妻でも隠せと民にまで恐れられる程で」

 主家の恥部披露は尽きない。軍師がこれで良いのだろうか。

「え?は?もう吊るして皮剥いだらどないやの」

 醒めた明那の顔は真面目で、宗麟に対する軽蔑が如実に出ている。

「ははは、威勢の良い娘御よ!」

「やめえ、頭撫でるのやめえやっ」

 傍から見れば大柄の獣と、それに構われ可愛がられるのを鬱陶しがる赤毛の猫のような構図。

「仲が良いなあ」

 些かずれた感想を述べる桐峰。

 すると明那がくあっと目を剥いた。

「あたしはこんなじーさんは好かんわ!寝言言うなや、桐峰!」

 猫がシャー、と威嚇するようだ。

「は。うむ?申し訳なかった」

 怒った女には、その次第に関わらず、まずは謝れ。

 小野家の家訓である。

 ゆえに桐峰も素直に詫びた。

 大友家にも同じ家訓があれば、宗麟夫婦が破局に至ることもなかったかもしれない。

「大体、なんでうちらが博多の彼の花屋にいるて判ったんや?爺さん」

「爺さん呼ばわりは如何な儂とて切ない。石宗と呼んでくれ」

石宗翁(せきしゅうおう)。俺も明那殿と同じことをお尋ねしたい。文によればこちらに参った折、仔細を詳らかにしてくださるとのお話であった筈」

 石宗の軽口を流し、桐峰が真顔で切り出した。

 濡れ縁の外には真っ青な空に入道雲が湧いている。

 寺の本堂に酷似した、変わった造りの母屋の一室。

 桐峰たちの座すところは影に入り、汗が滴る程の暑気の猛攻から逃れている。

 石宗も態度を改めた。

「うむ。その約定であった。醜聞をあえてお主らに聴かせたは、いずれは知れることであるからよ。左様な大殿であっても、儂はお救いしたい。何からであると思われる、桐峰殿」

 言わずとも解ろう、と、その鋭い双眸が光っていた。

「―――――『鬼室』」

「然り」

 にい、と石宗が唇の両端を上げる。

「あの、九品とか申す坊主が『鬼室』を持ち込んでより、大殿の気鬱の乱れが激しゅうなった。しかもあ奴め、同紋衆(大友氏と同じ(あんず)の葉の家紋使用を許された家臣団)・他紋衆を問わず大友家に忠誠を誓う家臣たちに叛意があるとまことしやかに嘯き、島津との戦にけしかけようとする。大殿の心の間隙を突き、実に言葉巧みにな。加えて赤震尼と言う胡散臭い女が勧める妖しげな神水を、大殿は魅入られたように飲み続けておられる。儂はあ奴らには嫌われておるゆえ、大殿からも煙たがられてしまう有り様じゃ。桐峰殿。お主が吉野で逢うた臥千上人はな、儂の友垣(ともがき)よ。あれからお主の話は聴いた」

 思わぬ名前が思わぬ場所で出た。

「では、石宗翁も陰陽師であられるのか?」

「おう。嗜むぞ?」

 この時代、軍師と陰陽師は切っても切れない。兼任する場合もあった。

「ああ、それで…、加持祈祷の為のこの部屋の設えなのだな」

 桐峰たちが今座るのは、本堂であれば外陣。

 奥の内陣の両側には余間。

 いつでも護摩壇が設けられる。

 職分に沿った自邸という訳だ。

「臥千からの話だけでは心許無いと思うておったのだがな。……哀れなる菊池の御霊、お主が慰撫した手腕を知り、これは使えると思うたわ」

 これを聴いた桐峰は驚く。

「なぜそれを知っておいでなのだ?」

 明那にしかしていない話だ。

「式神は人型や獣ばかりでないということじゃ」

 石宗が片目を瞑って見せる。

「お主の大太刀…。人ならぬ身にも存在が知れ渡っておるぞ。朱赤の、清き光が千里経ても知れる程じゃ。吉野の姫神の加護受けしその大太刀を持って、『鬼室』を破却し、大殿に誤った道を歩ませんとする怪僧・九品めを斬ってくれ。この石宗に出来ることなら何でも致そう。どうか、後生の頼みじゃ――――――――――」


 地位も名もある見るからに剛毅な男が、一介の御師に頭を下げる。


「元より。俺は『鬼室』を無に帰す為にここまで参った。九品とやらが進んで『鬼室』の呪いを広めさせようとしているのであれば、斬るも止む無し」

 明瞭簡潔な桐峰の言に石宗が頭を上げる。

 桐峰の迷い無い答えに、事の重大さを理解しているのか、石宗にはまだ測りかねたのだ。

「…九品もただでは殺されまい。牙を剥こうぞ」

 低く言い添える。

「石宗翁はこの一命を賭す心、試しておいでか。御師は神官とて戦働きも致す。戦場に死を覚悟するは常にて。敵と決めた者住まうは戦場も同じ。お解りか」


 石宗は自分より一回り以上は若い桐峰を、感じ入ったように凝視した。


「―――――――得心した。お主を侮った非礼、許されよ」

「石宗翁は、主家が大事なのだな」

 謝罪を退けるように笑みを含んだ声音で、桐峰が言った。

 その声には石宗の忠心を好ましく思い、称える色があった。


 二人の遣り取りを見ていた明那は、いつもこんな感じだと思う。

 桐峰は直面した人間の背負う重荷を迂回せず、共に背負おうとする。

 相手がそのことを恩義と感じ謝しても、何の事はないとふんわり笑う。

 春風のように。


 だが、幾ら腕の立つ剣客であろうと、いつまでも無敗を誇れるとは限らない。

 名を残す程の武芸者でも、老年まで生き永らえた者が何人いるか。

 ましてや今回は九国を治めると言われた程の、大友家の暗部の膿を出せ、と依頼されたのだ。

(桐峰、死ぬかもしれへんの?)

 両の拳を握る明那には気付かず、桐峰が石宗に問う。

「石宗翁と意を同じくする家中の方は、他におられぬのか」

「おる。戸次道雪(べっきどうせつ)

三宿老(さんしゅくろう)の一人か。心強い」

 戸次道雪。現代では立花道雪の名のほうが知られている。

 臼杵鑑速(うすきあきはや)吉弘鑑理(よしひろあきまさ)と並び、豊州三老(ほうしゅうさんろう)とも称せられる、大友家随一の忠臣だ。

 ルイス・フロイスの書簡にも「最も武勇あり優秀な大将である」との記述が残っている。

 落雷に遭って以降、足が不自由となったが、何と彼はその後も輿に乗って出陣を続けたのだ。

 陣扇で輿の縁を叩きながら、道雪が「エイト―、エイト―」と叫ぶと、配下もまた音頭を取りながら敵陣に猛進する。

 戦の中にあって連続した勇ましい大声は味方を助け、敵を挫く。それだけで驚異的な武器となったのである。


「まあ落雷に遭うても死なん磊落な男よ!うぁははははあ!!」

 音の似た「落雷」と「磊落」を並べて遊び、石宗は一人で笑っている。

 明那は別の意味で不安になって、桐峰の袖を引いた。

「なあ、大丈夫か、このじーさん」

「大丈夫であろう!」

 にこっ、と桐峰は朗らかに返す。

 石宗の事が気に入ったらしい。不思議を知る同士、通じるところもあるのだろうか。

 憂いがちな顔を見せる事も多い桐峰だが、時々子供のように無心の笑みになる。

 その笑みを向けられると、異を唱えるのは桐峰の晴れやかな気持ちに水を差すようで、明那はそれ以上何も言えなくなるのだ。

 この時代、男の笑顔を可愛いと思い、惹かれるのは自分でも妙だと思うのだが。

「夕刻までは館内にて寛がれよ。湯も用意させよう。夕餉は心尽くし、もてなさせていただくゆえ、臼杵の幸を楽しみにしておられると良い」

「あ、俺は、硬い骨などが苦手なのだが…」

 桐峰の申し出に、明那は額に手を突き、石宗はきょとんとした。

「いやその…、鯛の骨なんかは硬いだろう?喉に刺さるとすごく痛いし…」

 気まずそうに目を泳がせながらごにょごにょ言う桐峰に、「斬るも止む無し」と言い切った凛々しさの面影は無い。

 石宗が噴き出し、大笑した。

「これはしたり!頼もしき偉丈夫かと思いきや、姫御前のような物言いかな。良かろう、良かろう、厨には、特に言うて聴かせておこうぞ」


 恥ずかしいこと言うなや、と目線で訴える明那に。

 だって言わないと解らないじゃないか、と桐峰も同じく目線で応じた。


 日本全国津々浦々、どこであろうとご飯を美味しく楽しく頂く。

 桐峰の信条は、命懸けの大任を請け負ったあとでも変わることはない。


 石宗に妻はなく、家に住まうのも彼と家臣、侍女や下男などのみのようだ。

 供された風呂は広く、今の季節らしく桃の葉が浮いていた。

 子供のあせもを予防するとも聴くが、桃は破邪に通じる。

 陰陽師でもある石宗が重んじても何ら不思議は無い。

 桐峰は湯に疲れを流し込むように、息を吐きながら、淡白い湯煙に顔を晒した。

 清しい香りに、宿命を果たせと励まされている気がする。



 夕餉の席は母屋に設けられた。

 運ばれてくる膳には烏賊や蛸、鯉の刺身、雉の汁物、豆腐の揚げ物に干し筍が納まり、桐峰の相好が思いっきり緩んだ。

 場所柄、やはり海の幸は新鮮だ。刺身なので骨を怖がる必要も無い。

 烏賊はとろりと舌に甘く、柔軟に食まれる。

 蛸の独特の歯応えと触感と来たら。

 そして酒は清酒だ。

 さすがは大友家の重臣、羽振りが良い。

 石宗も内陣を背に上座に座り、侍女の酌で重ねて盃を干している。

 見た目の印象通り、酒豪であるらしい。

 桐峰の横にも侍女がつき、明那の視線が少々痛くなる。理由は解らない。


 やっと涼しい風が吹き始めた日暮れ時だった。

 侍女たちは揃って月草(露草)色の小袖に銀糸が二筋程縫い込まれた小袖を着ている。

 顔立ちは似通い、もっと言うなら生の気配に乏しい。

 「月草の」は「うつろふ」、「仮の命」などに掛かる枕詞だったなと思い出した桐峰は、彼女らが、臥千上人の庵で見た巫女のように式神ではないかと推測した。

 目に清かで涼しげな仮初めの女たち。

 この季節に、なぜかきんと冷えていた清酒の不思議も陰陽術の成せる業か。

 それらの思考から出た桐峰の結論。


(…陰陽道って良いな!)


 神道も良いけど陰陽道も良い。

 お腹一杯美味しい物が食べられるならどんな宗教でも良い。

 ご馳走をもりもり食べながら、現金にそう思った。

 砂糖饅頭と南蛮渡来と言うカステイラがまた美味で、歓喜に震える舌と胃袋の求めるまま頬張っていた桐峰は、途中で石宗に「あ~、もうそのへんにしてくれぬか?」と待ったを掛けられてちょっと恥じ入った。


 そうして夜も更け、明那と共に客室にあてがわれた離れに引き上げようとした桐峰を、石宗が引き留めた。

「桐峰殿。ちと内密の話があるゆえ、今しばし残ってくれぬか?」

「―――――――承知した」

 『鬼室』に関しての秘事かもしれない。

 桐峰の目配せに頷いた明那は、先に離れへ向かった。

 明那の前では話にならなかったのが幸いだったが、首尾よく九品を討ち『鬼室』を破却出来たとして、そのあとの問題がある。

 宗麟の怒りに触れ、桐峰こそが討たれるかもしれないのだ。例え石宗や道雪が庇ってくれたとしても、未だ九国に大きな影響力を持つ宗麟に本気で討伐軍を出されれば逃げ切れるものではない。その際には明那だけでも吉野に帰し、自分は大人しく縛に就くか自害する。

 桐峰はそれも考えに入れた上で石宗の依頼を引き受けたが、明那には告げにくいものがあった。怒られるのは良いが、万一泣かれでもしたら困る。



 果たして膳を持って侍女たちも退出した母屋に、石宗が出して来た物は。

 重々しくごてごてと何か色々貼り付いた木の箱に、それを背負う縄が二本ついている―――――端的に言うなら奇怪で珍妙な物だった。

「何これ」

 思わず呟いてしまう。

 しかし石宗はよくぞ訊いてくれたと言わんばかりに頷き、説明を始めた。

 得々と。

「これはだな、桐峰殿。オルゲル(オルゴール)と言うもので、何とこの、右手のこの棒を回すと楽の音が流れるのだ!これは南蛮渡来の物を見て儂が独自に陰陽術も駆使して創り上げた物で、背中におぶって聴きたい時に楽が聴けるという優れ物じゃ」

「おぶっては棒に手が届かないのではないか?」

「身体を柔らかくすれば良いわ!何ぞそのくらい」

「…重そうに見えるんだが」

「何、手弱女(たおやめ)を背負うと思えば良いわ!何ぞそのくらい」

「俺に売りたいのか」

「二貫(三十万円くらい)でどうじゃっ」

「たっか!!信長か!」

 織田信長が堺の会合宗に矢銭(軍資金)三万貫を出せと吹っかけた話は有名だ。

 石宗が気分を害した顔になる。

「何を申すか。これは純然たる商いじゃ。儂の血と汗と涙が籠められておるのだぞ?」

「もっと益のある物を作られよ!」

 言って桐峰は立ち上がろうとする。

 だが石宗は追い縋る。

「待て待て、他にもあるのだ、な?もそっと、もそっと、聴いてゆけ、」

 老人の猫撫で声は、正直気持ち悪い。

「いやいやいや、」

「春画が現のように浮き上がる掛け軸などはどうじゃ、ぐふふふふ、お主とて男、嫌いではなかろう?これも儂の陰陽術を駆使して生み出した逸品で今なら何と、三貫じゃ!」

「高くなってる!し、要らないっ」

「何を申す、友垣と思わばこその破格の値じゃぞ?」


 いつ友垣になったっけ?

 桐峰はそう考えた。そして数刻前の考えを撤回した。


(陰陽道って良くない!)


 このようにして桐峰は夜な夜な、石宗の精力的な押し売りに悩まされることとなった。

 男色がまかり通っていた時代である。

 桐峰は、中身は多少とぼけているが、顔立ちは整った美形だ。

 毎晩、石宗に引き留められる桐峰に、彼らがもしや「わりない仲」になったのではあるまいか、と邪推した明那も、桐峰の愚痴を聴いては同情するしかなかった。

 滞在先の主である石宗に、露骨に無碍な態度も取りにくい。

 それに加え桐峰の人の好さがあり、石宗の暴走を止められる者は無い。


 そんな破天荒で押しの強い石宗であったが、陰陽道だけでなく天文学と軍術に通じ、彼に諸学の教えを請いに邸を訪ねる者も少なくなかった。

 桐峰と明那がいる離れの濡れ縁からも、厨の向こうに見える門をくぐる、客と思しき若武者の姿を眺めることが出来る。女子供にも教えているらしいから驚く。

「あのじーさん、変人なんか偉人なんかよう解らんわ」

 首を捻る明那に桐峰は厳かに、きっぱりと言った。

「石宗翁は、変人で偉人なのだ」

「…ああ」

 矛盾しているようだが真理かもしれない。

「だからこそ余計に始末に負えんのだ…。今晩も石宗翁に無理強いされるかと思うと俺は、俺は…、」

「誤解を招く物言いやな」

「商売のいろはも値の相場も無視して吹っかけてくるのだぞ、訳の解らぬ物ばかりを!もう帰りたいっ」

「おい、『鬼室』はどないすんねん」

「解ってる!解ってるけど、言うだけ言わせてくれ!!もう出雲に帰る!!」

 じーわじーわと桐峰の叫びに和すように蝉が鳴く。

 ちゅんちゅん、と雀が愛らしく地面の何かをついばんでいる。

 鳩や中鷺、鴉が夏の青空を舞い、世は如何にも平和に見える。


 長閑で和やかで、しかし間も無く夥しい血が流れることを知る者は知っている。

 騒乱を望む魔物がいることも。


 この春、宗麟の息子である大友家当主・義統は日向国に六万の軍勢を率いて遠征し、大友家に叛いて島津氏に靡いた延岡(のべおか)の領主を討った。

 山口の毛利と同様、南九州の島津氏は、いずれは雌雄を決さねばならぬであろう大友の宿敵と言える存在だった。

 父・宗麟の影響を過剰に受け、自らも耶蘇教を熱く信仰する義統は、日向の寺社の破却を命じ、これは実行された。

 ここに見られるような宗教妄信による蛮行は、当時珍しいことではなかった。

 仏教徒にしろ耶蘇教信者にしろ、その過激な者に至っては、互いに命を奪わんばかりに攻撃し合ったことが記録にも残っている。


 熱心な八幡信者である母・奈多の方と熱心な耶蘇教信者の間に産まれた、義統を始めとする子供たちこそが哀れであった。

 特に優柔不断な気質の義統は、耶蘇教を攻撃する母の言に従うかと思えば、それを過ちと糾弾する父の言に従う。


 あちこちに腰が定まらず意志薄弱な義統を当主に掲げた大友家の前途は、ここにおいて既に翳りを見せ始めていたのだ。


 その翳りを助長させるように宗麟の周囲に蠢く赤震尼や九品らの存在をこそ、角隈石宗や戸次道雪らは危うしと見ていた。


 その危うさを、桐峰の目に晒すべく石宗は動いた。

 宗麟と桐峰の対面の機会を作ったのである。

 長月初め、盛夏の一日。


 朝からうだるような暑さだった。体内の血が凝りねばつくような。

 前触れも無く石宗が離れを訪れた。

「桐峰殿」

 声を掛けた途端、板張りから桐峰の身が跳び上がったように見えた。

「買わん!何っにも買わないからっ!!」

「………」

 反射的に悲鳴を上げた桐峰に、石宗は日頃の行いを少しばかり悔い改めた。

 ごほん、と咳払いをする。

「…そうではなくてだな。登城の支度をされよ」

「―――――登城?」

「然り。大殿にお目に掛かるのじゃ」


 桐峰の面持ちが慎重に改まる。


「…俺のような身分の者が拝謁出来るのか?」

「儂が話をつけた。ゆえにはよう、これに着替えよ」

 二藍(ふたあい)色(現代の紺青色に近い)の、優美な精好織(せいごうおり)(緻密に織られた絹織物)の直垂(ひたたれ)など一式を差し出される。

 侍烏帽子(さむらいえぼし)までついている。

 一角の領主並の装いだ。

「…支度はあたしが手伝う」

 明那が真剣な顔で名乗り出てくれた。



(海の中にある城)

 それが桐峰の臼杵城に対する印象だった。

 府内(大分市)にある大友館には公文所(くもんじょ)(政務処理の役所)や記録所、遠侍(とおざむらい)(守衛所)までが設置されてあると聴いたが、臼杵城にそこまでの政治機能は備えられていないように見える。余所者の目にどこまで真の姿が見抜けるものか解らないが。

 だが天然の要塞。

 ぽつりとして。

 宗麟はこの臼杵丹生島の風景に心を寄せたのだと石宗が話していた。

 君主の孤独を桐峰は思った。


 石宗の邸にいる時より、心無し海鳴りが大きく聴こえる。



 四方が何畳あるか解らぬ程の板張りの広間に入り、平伏した桐峰の鼻腔を、爛れた果実のような芳香が突いた。

 否。芳香と言うには狂った甘さだ。甘美すら通り越して人を堕落させるような。


 自身も正装した石宗が言上する。


「出雲国杵築大社が御師、小野四朗桐峰、まかり越しましてございます」


「お久しゅう、角隈殿」


 答えたのは蠱惑的にも艶めかしい女の声だった。

 宗麟に先んじて声を掛けた、僭越な行為を咎める声は一つも上がらない。

 桐峰の抱く違和感がじりりと膨らむ。


「とうに御隠居遊ばされたとばかり思うておりましたものを。斯様な端者をご太守殿にお目に掛けようとは如何なる心算であられるか」

「…良い。赤震尼。わしが許したのよ。角隈にたってと頼まれての…。嘗ての師の頼みを無碍にするのも心地が悪い…」


 詰問する女を止めたのは嗄れて、どこか茫洋とした声だった。

 女の声がぴたりと静まる。けれど沈黙には微かな不服の色合いがあった。

「面を上げい、小野とやら」

 次いで掛けられた声に、桐峰は礼を失さない具合の速さを心掛けながら顔を上げた。


 一段高い上座に在るのは、痩せさらばえた壮年の男だった。いや、老人に見える。それも溌剌とした石宗などよりも高齢の。

 肌はくすみ、目は淀み。


(これが大友宗麟―――――――)


 九国の傑物と謳われた男とは到底、思えない。

 そしてその横に侍る、滴る色香の顕現のような尼僧。

(…赤震尼…か)

 赤き双眼の不吉な光が、桐峰を冷たく見据えている。


「ほう…。娘のような初々しい顔立ちではないか。惜しいのう、くく、」


 下卑た声音で宗麟が桐峰を揶揄し、手に持つ茶碗の中身を呷った。

 小ぢんまりとして黒く、赤い油滴が吹いている。

 ――――――――『鬼室』だ。

 どくん、と胸の鼓動が鳴る。

 獲物を見極めた狩人のように、桐峰は直感した。

「ああ、足りぬ、足りぬぞ、赤震尼…」

 『鬼室』を振り回し、宗麟が駄々っ子のように催促している。

 茶碗を損じかねない勢いである。

「母上、わたしが」

 動きかけた赤震尼を制したのは、宗麟の右手より颯爽と現れた僧侶だった。手にギヤマンの水差しを持っている。首には僧籍に似つかわしくない刺青が見える。

(母上?)

 美麗な顔立ちは確かに赤震尼にも通じるが、見かけから推し量られる年齢が合わない。

「息災でおられたか、九品殿」

 石宗の呼びかけは、自分に彼の僧侶が九品であると知らしめる為のものだと桐峰は悟った。

 あれを討ってくれよと再び頼み入る、石宗の声ならぬ声が聴こえる。

「はい。恙なく」

 九品が笑うと毒の花が開くようだ。事実、彼の口調には毒があった。

 息災で残念だったなと言う―――――――――。


挿絵(By みてみん)


 豊後に巣食う魑魅魍魎たちの姿を、桐峰は確かに捉えた。




「凶相なり」


 臼杵城内にあてがわれた私室に引き揚げた赤震尼が、艶やかな唇をそよがせて呟いた。

 声音は麗しくも険しい。

「小野桐峰ですか」

 九品の問いかけに頷く。

 薄い若草の敷布の上にしとやかに腰を下ろしてから断言する。

「あれはわたしたちの宿願を阻む者です」

 九品はその前に端座し、神妙に赤震尼の言葉に耳を傾けている。

「儂の言うた通りでございましょう、赤震尼様」

 部屋の隅に控えていた次郎五郎が、どこか得意げに胸を逸らす。彼は配下を使い、甥である橋姫を殺害したのが桐峰であると突き止めていた。情による仇討など念頭には無い。ただ、自らの駒を潰され迷惑を蒙ったことを業腹に思っていた。一方的な私怨である。

「そのようですね……」

 次郎五郎の言を受け、赤震尼が物思う風情さえ艶然としている。

「消えてもらえば良いのです」

 花を手折れば良いとでも言うような優しげな口調で、九品が剣呑なことを言った。

 ふ、と赤震尼が微笑する。

 艶やかに艶やかに。赤い瞳が妖しく煌めく。

「―――――どう思います?八楼…いえ、次郎五郎殿」


 それは問いかけの形をした命令だった。

 次郎五郎は生唾を吞んだ。

「…承知しました。必ずや、お二方のご期待に添いますよって」




 臼杵城の廊下を歩きながら、桐峰も石宗も無言だったが、やがて石宗が口を開いた。


「酷い在り様であろう…」

「…阿片か?」


 宗麟の醜態は、桐峰に阿片の中毒者を彷彿させた。

 桐峰の問いに石宗は婉曲な形で応じた。

「あれらの跳梁跋扈を許したは、我ら家臣の落ち度よ。嗤われても致し方なし」

「南蛮交易の恐ろしさだな」

 桐峰もまた、別の視点から石宗をそれとなく慰めた。

 豪胆な男が二人、猛暑の日に、背筋を凍らせるような戦慄を覚えていた。

 僧衣を纏った化け物二匹。

 赤震尼の赤い双眸。

(奴らは人外だ)


 石宗が廊下を踏み鳴らすのを止める。

 桐峰も止まった。


 庭の松の常緑が見える。

 ぎらぎらとした太陽と青空の下。

 常に変わらぬ葉の色が永久に通じるゆえ、めでたしとされる松だが。


「島津との戦は、避けられまい………」


 石宗の呟きには諦観の念が籠っていた。

(もしや石宗殿は―――――――)


 この軍師は己の死をも覚悟しているのかもしれない、と桐峰は思った。

 桐峰に依頼するだけで自らは安閑としている積りなど元より無いのだ。

 信念に燃え上がり、尽きても悔やまぬであろう魂の焔が見える。




 月光の少ない夜、桐峰は丹生島の浜辺を散策していた。

 臼杵城築城の後、商工業者の移住などにより賑わうようになった臼杵も、夜は静かな顔を見せる。

 現大友家当主・大友義統は府内の大友館に在り、表向き、大友の政の中心はそちらとなっている。しかし実際は度々、臼杵の宗麟の指示を仰ぐ頼りなさ。

 博多で抱いた大友家の舵取りに対する桐峰の印象は間違っていなかったようだが、嬉しくもない。

 治世が不安定ということは即ち、領民の暮らしも不安定となるからである。



 遠い海面に目を向けるときらきらとささやかに光っている。

 儚い月でも光はある。


 しかし眼下に伸びるは影――――――――。

 桐峰は大太刀・丹生を鞘走らせて円月刀(えんげつとう)の刃を受け止めた。

 闇にぱっと火花が散って煌めく。


(早速、釣られてくれたか)


 赤震尼たちが桐峰に向けた敵愾心から、いずれ行動を起こすだろうと思っていた。

 宵のそぞろ歩きは、趣を愛でるのが目的ではなかったのだ。

 狙いは海辺での〝釣り〟。


 仄暗くて相手の顔も定かではないが、体格や気配などから察して男。


「なんや、一撃で仕留めさせてくれんのかいな」


 和泉の訛りが強い物言いには、落胆より「楽しめる」という愉悦のほうが強く感じられた。

(一撃で、か)

 これでも山陰などでは『斬り峰』とうんざりする程に名が通っているのだが。

「お前に俺を襲えと命じたのは誰だ。赤震尼か?九品か?」

「なんのことやら―――――――!!」

 円月刀が旋回するのを桐峰はかわす。踵の背が瞬時に砂の堤を築く。

 薙刀にも似た中国古代のこの武器は、間合いが長い。丹生にも匹敵する。

 元倭寇である次郎五郎ならではの武器だった。

 刃を打ち合わせては、互いに間合いを測る。

 宵闇に斬撃が歌い、火花が舞っては消え舞っては消え。

 視界が不自由な中での戦いには、桐峰も慣れている。

 但し、砂に足を取られる不自由は桐峰のほうが不利。

 砂地での戦いに詳しい次郎五郎は周到にも裸足だった。

 よろめきもせず、素の足裏でしっかと砂を蹴立てることが出来るのだ。


 だがそんな戦局にも関わらず、桐峰の胸は躍り、高揚していた。


(面白い。粗いが、荒い。刃に覇気がある)


 品行方正な武人とは異なる味わいの戦いに、剣客としての興が乗る。

 笑んでしまいそうになるくらい。

 相手の右脇腹に入れた丹生を右上に斬り上げる。

(浅いな)

 丹生の切っ先が届いたと同時に、向こうが身体を引いたのだ。

 態勢を戻す暇を与えず、更に追い、刺突を繰り出そうとする。

(―――――っ)

 その時、桐峰の草履が砂に滑った。

 今度は次郎五郎にとっての好機到来だった。

「死にさらせあああああああ」

 ぎらつく円月刀が桐峰を喰らおうとする。


 刹那。


 刃が桐峰に噛みつく手前で次郎五郎が止まった。

「あ……、…なんでや…」

 彼の肥えた腹からにょきりと生えたのは赤く染まった山刀。

 次郎五郎が倒れゆく後ろに、歯を食い縛って山刀を引き抜く明那の姿があった。

 朧でも見慣れた相手なら判る。

 細い肩で大きく息をしている。


「明那殿…なぜ、」

 桐峰もまた、彼女に尋ねた。

 もう離れで眠っている刻限だとばかり考えていたのに。

 明那の瞳が、暗い中でも獣のようにきらりと光って見えた気がした。山刀の切っ先にも似て綺麗だ、と桐峰は場違いな事を思った。

「恩を返す為に来た。…そう言うた筈やで」

 言葉は強気だが声は震えている。

 桐峰は顔を歪めた。

「明那殿が、人の血を流す必要など無いものを」

 相手の善悪を問わず、人を殺せば手は血に塗れる。

「あたしは桐峰を襲うてた獣を屠っただけや」

「莫迦な――――――――」

「初めてやない!人を斬ったんは、前にもある!なんやこのくらい、」


 自分のほうが斬られた心地で、桐峰は明那の小柄な身体を包み込んだ。

 悲鳴のように言い募る明那の頬は濡れ、背が震えている。

 小さな手負いの獣を拾った童のように成す術無く、桐峰は低く呻いた。


「すまなかった。すまなかった。俺が悪かった…。すまなかった…」


 潮騒と明那の泣き声を聴きながら、ひたすらずっと詫び続けた。

 鼻を突く潮の香が涙の匂いのように思えた。



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