リーンズ=ケイル -後編-
「お帰り、葬儀屋」
ただいま、とは言えなかった。
彼女の笑顔はあまりに痛々しかったから。
「ロデオは、泣かなかったぞ」
何故か口をついて出たのは、カナリア殺しのときのこと。
そういえば、リーンズにはちゃんと話していなかった。あのときから、まともに顔を見てすらいなかった。
「ロデオはただ、カナリアの話を聞いていた。聞くともなしにな」
何故だろうな……いつの間にか、俺とリーンズは[情報屋]と[葬儀屋]というただそれだけの関係になってしまった。
リーンズにとって[孤児くん]だった俺は、ブラインが死んだその日、葬儀屋になった。
「……カナリアは、俺の妹だったらしい」
俺が言ったその事実に、リーンズは目を丸くする。自分でもわからない。何故こんなことを話し始めたのだろう……
「今日はやけに饒舌だね」
カナリアと俺の関係を聞き終えるなり、リーンズは言った。
ーー確かに、普段より俺の口数は多かった。
誤魔化すためだ。
「俺は、後悔したから」
そう、後悔を。
リーンズは目を見張る。それもそうだろう。俺は生まれてこのかた、後悔なんてしたことはなかったのだから。
親に捨てられたことも、ブラインに拾われたことも、葬儀屋になったこともーーリーンズと出会ったことも。
一般に正しいと言えることを成してきたわけではないことは自分でもわかっている。けれども、俺は俺が望んで歩いてきた道を悔いることはなかった。その道は少なくとも俺が確かに信じて選んできた道だ。
弔うことは正しいのだと。
人でないものをーー人でなくなったものを弔うことは正しいのだと。
でもーー
「俺は、後悔したんだ……カナリアを殺したことを」
迷った。
「少し、混乱しているのかもしれない。家族なんて言葉すら忘れていたというのに、妹を殺したことに動揺するとは思っていなかった
いや、違う……俺は、ロデオの顔を見て、後悔したんだ……」
迷ったんだ。
「いつもなら泣いてしまうあいつがーーあいつから、表情が消え失せて……消えていくカナリアを、凍った目で見つめていた」
あの凍りついた翡翠色の瞳を見た瞬間、俺の中で[確かだったはずのもの]ががらがらと崩れたのだ。
「きっと、何も思うことができなかったのだろう……それほどまでに傷ついたのかと思い知らされた。そしてーー怖いと思ったんだ」
迷いから生まれた恐怖。
俺は揺らぐ自分の信念が怖かった。
それ以上に
「苦しみに耐え兼ねてロデオが死ぬかもしれない。そう思ったとき、俺は怖くなった。ーーあいつが死ぬのは嫌だ、と」
そう、だ。
俺は、笑顔が見たくてやっていた弔いが、笑顔を奪っていくのが怖かった。
俺の信念に共感してくれた唯ひとりの人が、そのせいで死んでしまうのが怖かったんだ。
「ただ謝ることしかできなかった。俺がカナリアを殺したせいだ。それでもそれが俺の役目なんだと、少し言い訳をしながら……」
罪を認めたくないだけなんだ。
「キミは薄情だね」
リーンズがぽつりと言った。
「ローくんにばかり謝って、血を分けた妹には何もなしって……身勝手なんじゃないの?」
リーンズの言葉は辛辣だったが、否定する気は起こらなかった。
全く、そのとおりだ。
「そうだな」
わかっている。あの[道化殺し]がただの人殺しだったことくらい。
「俺は、勝手な人間だ」
[モルモット]の依頼にしたって、他の依頼にしたってそうだ。経緯はどうあれ、元は人だったものたちだ。
「それでも俺は人間だ。人間かどうか……それが俺にとって、命の価値の判断基準だった。そうやって、割り切って生きてきた。
人間だから生きているべきーーこれが絶対の価値だと信じて疑わなかった」
人でなくなった人間など、生きている価値はない。
いつからか、そういう理由で仕事をしていた。ーー違うだろう? 最初、俺は
「でも今はーー人間であろうとなかろうと、他のものを思いやれないやつにこそ、生きている価値なんてないのかもしれない。そう思う……」
ロデオはこんな思いを抱えながら、[人殺し]を続けてきたのだ、と考えるとやるせない……
それは頭の片隅では確信めいたものを持っていた。俺はわかっていたんだ。
それを知りながら、[人殺し]を続けた俺は……
俺の独白を聞いたリーンズは、泣きそうな顔をしていた。……やはり、俺は笑顔にできないらしい。
ならばせめて、と話だけでも聞こうと、水を差し向けた。
「お前はどう思うんだ?」
夕焼け色の瞳が揺れる。ヘアバンドで上げてもなおその長さが目立つ淡い若草色の前髪がその夕焼けを隠してしまう。
「……ローくんは、いい子だよ」
ゆっくりと口を開く。
「今まで、何も言わずにちゃんと人殺し《しごと》をして……辛いのを表に出しすぎないよう必死で……ちゃんと人の痛みをわかってる、殺し屋としてはかなり変わった子だと思ったよ」
朱色のヘアバンドを若草色が完全に覆う。
「それでもって、脆い子だと思ったよ。辛い事実を突き付けられて、壊れそうになって……でも、ローくんには……支えてくれる友達がいた。だから、強いなって……」
俺は夕焼け色を覗き込もうとして、視線を外した。白い頬を伝うものがあったのだ。
「……あはは」
なのに、リーンズからこぼれたのは、笑いだった。
「なんだろうね? これ。ボクにこんな資格、ないのにね。可笑しいね。はははっ」
やめろよ。
俺が見たいのは、そんな笑顔じゃない。
そんな笑い方じゃない。やめてくれ。
乾いた笑いが、静かな街に響いた。
ひとしきり笑うと、リーンズは顔を上げた。ーー頬を伝っていたものの筋が残っている。
若草色から夕焼けが垣間見えた。
夜闇に飲まれそうな色の夕焼けが。
俺を真っ直ぐ捉え、彼女は問う。
「ねぇ、葬儀屋。キミにとって、ボクはどんな存在?」
ーー唐突な問いかけに、俺は狐につままれる。
何を言っているんだろう?
わかりきったことではないか。
「友人、だな」
出会ったときからそうだったじゃないか。
「……え?」
「友人だ」
目を丸くするリーンズにもう一度繰り返した。
リーンズはその意味を噛みしめるようにじっくり間を置いた後、再び笑う。
「ははは、どんな冗談だい? キミにしては随分と気が利いてるじゃないか」
「冗談だと思うか?」
違うだろう?
お前はあの花をくれたじゃないか。
「キミにあげるよ」
あの笑顔を向けてくれたときにはもう、俺はそうだと思っていたんだ。
変わらず、ずっと一緒にオレンジの花を、リーンズの瞳と同じ夕焼け色を見ていたかった。だから、俺は葬儀屋になったんだ。
彼女の頬を再び伝うものがあった。今度はそれを直視し、疑問を呟く。
「何を泣いている?」
「え……ボク、泣いてる……?」
「ああ……」
無自覚、だったらしい。
……やはり、俺がリーンズを笑顔にするなんて、無理なのだろうか。
「きみは誰かを笑わせたいと思ったことはないのかい?」
ふと、道化の言葉が蘇る。
あのときは、忘れていた、オレンジの花の思い出。
そうか。
俺は一つ思いつき、ポケットからハンカチを取り出した。全く膨らみのないところから十枚ほどのハンカチが現れる。
色とりどりの無地のハンカチ。[人形殺し]のとき、俺が報酬として選んだものだ。
「……なんでそんなに持ってるんだよ?」
やや呆れ気味のリーンズに軽く説明する。
「以前、教えてもらったちょっとした手品だ。教えてもらったときは万国旗だったが。ハンカチは[人形殺し]の報酬だ」
「ふーん……って、そういうことじゃなくて」
「誰かが泣いているとき、こうするのが一番だと」
誰かを笑わせたいとき、こうするのが一番だと。
「道化が教えてくれたんだ。
ちっぽけな手品だけど、ちっぽけだから笑ってくれるんだ、と。……笑ってくれるだけで充分だ、と」
はっ、とリーンズが目を見開く。
ーー伝わった、だろうか。
俺は、リーンズに笑ってほしいんだ。
だからあのとき、すぐに道化を殺せなかった。
だからあのとき、やり方を訊いた。人を笑わせる、ちっぽけな手品を。
握っていた手をリーンズの前に出す。
きょとんとした表情で見つめるリーンズ。そこで、その手を開いた。
ぽん。
そんな音を立てて、三輪の花が現れた。
「な、なんで仇花?」
リーンズは自分の瞳と同じ夕焼け色の花を見つめて言った。
仇花ーーリーンズはこの花をそう呼ぶ。ブラインの仇をとった花だから、と。
違う、と俺はずっと思っていた。
「リーンズ=ケイルの花束だ」
俺はそう訂正した。
この花は誰かのために何かを殺すような、そんな残酷な花ではない。確かに毒を持っているが、そうさせたのは人間だ。この花に罪はない。
この花は、人を弔う花だ。だから、もっと優しい名前を……そう思ってつけた名だ。
「え、この花、そういう名前なの? っていうか、花束って……」
おそらく、リーンズも俺がこれを受け取ったときと同じことを思ったのだろう。
たった三輪。
あいつはだから三輪と言った。
「お前と、俺とーーロデオの分だ」
「……! ローくんの……?」
「そうだ」
俺は便箋を取り出し、花束と一緒に渡す。
「あ、そうだ……葬儀屋さん、これもリンさんに渡しておいてください」
花束と一緒にロデオから預かった便箋だ。
中身を見るなどという無粋な真似はさすがにしていないが、便箋を開いて読むリーンズの姿に、そこそこ内容が気になる。
「……ローくん……」
リーンズは俺に便箋を差し出す。
便箋にはこうあった。
「リンさんと出会えてよかったです」
「ありがとうございました」
たった二言。
ただそれだけ。
リーンズはその場に崩れた。
夕焼け空に雨が降る。
俺はそっと視線を外し、言った。
「……この花がリーンズ=ケイルというのは」
覚えているだろうか。
あの日のことを、リーンズは。
「見かけない花だね。キミにあげるよ」
「科学的な法則や、新種の生物が発見されると、発見者の名がつけられることがあるだろう? それと同じだ」
「え?」
「この花を見つけたのは、お前なんだ」
リーンズが視線を宙にさまよわせる。
「……そうだっけ」
「ああ。お前が俺に言ったんだ」
「綺麗な夕日のオレンジ色だ」
俺は夕焼け色を真っ直ぐ見据える。
「そのときから、俺はずっとお前を友人だと思っている。……かえのきかない、友人だ」
リーンズの夕焼け色がしばらく俺を見つめた。ほどなくして、その色をリーンズの手が覆う。はは、とこぼれる声があった。
口元が、微笑んでいた。
「……やっと笑ったな」
「キミがおかしいんだよ……全く」
やっと、笑わせることができた。
この笑顔が見たかったんだ。
「……リーンズ=ケイルの花束、なんていくらなんでも直球すぎるよ」
「そうか? お前と俺とロデオの三人が絆で結ばれて在り続ける、という意味になっていいと思うが」
「じゃあ花言葉は[絆]にでもするかい?」
「そうだな」
話がそれていくのを感じていた。リーンズがそらしているのだ。
別に、かまわなかった。
リーンズが笑ってくれたから、それで充分だ。
ここまで来るのに、俺は随分と迷ったな……
でも、リーンズのためになら
「……お前と一緒になら、道に迷うのもいいかもしれないな」
「ん? 葬儀屋、何か言った?」
夕焼け色が振り向いた。俺はいや、と濁して答える。
ふーん、と呟いて再び背を向けるリーンズ。
しかし、小さく
「ボクもだよ」
そんな声が、確かに返ってきた。
オレンジ色の花が揺れる。
轍の跡に轢かれた花の、種が芽吹いて花開く。
そんな季節が過ぎていく。
これは、夏の終わりの物語ーー
 




