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リーンズ=ケイル -前編-

 ロデオはある日を境に、[空の街]から姿を消した。

 俺の、せいだ。

 俺が、あの少女をーーカナリアを、殺したからだ。


 カナリアは[歌わない鳥]と呼ばれた少女で、ロデオの最初の殺しの標的だった。

 しかし、ロデオは同じ年頃の少女を手にかけることができず、現場を偽装して、彼女を逃がしたという。依頼人は全くそれに気づかなかったようだが。


 それから十年近く経った今、再び[カナリア殺し]の依頼がロデオの元にやってきたのだ。

 俺といくつかの仕事をともにしたことで、だんだんと殺しという仕事から離れていたロデオを見、喜んでいたリーンズは、何を思ったか、その依頼をロデオに伝えたのだ。


「カナリアを殺して」


 電話口でロデオにそう言った彼女の声は、やけに冷たかった。

 どういう巡り合わせか、そのときロデオの側に、カナリアがいた。

 カナリアは一方的なリーンズに怒鳴った。

「そこまで言うのなら、[葬儀屋]に頼みなさい!!」

 電話はそこで切れた。

 カナリアという少女、彼女の口から出た俺の名ーーそこから、一つの予想が生まれ、俺はリーンズに声をかけた。

「俺が行こう」

 リーンズは泣きそうな顔だった。

 彼女を残していくのは気がかりだったが、俺は街を出た。


 俺は捨て子だった。

 ブラインはそう教えた。けれど、あるとき、更に詳しい話を聞かせてくれた。


「お前は、女系一族の長男坊として生まれた。ところが、女系一族は、その長男坊を生まれて間もなく捨てた。……男だったからだ。

 代々、その一族の当主は女だった。当主となる娘より先に生まれた男は、捨てる慣わしなんだと。

 で、そのとき、捨てたはいいが、それ以降の子は十年近く待っても生まれない。焦った一族は捨てた息子を探す。ところがその息子は、厄介な殺し屋に拾われていたんだな。

 殺し屋の男は、一年待って、それでも娘が生まれなかったなら、息子を返そうという条件を出した。

 するとどうだろう。ほどなくして、現当主が娘を身籠った。……その一族は晴れて息子を忘れましたとさ。

 余談だが、生まれた娘は類いまれなる歌の力を持っているらしくてな、[カナリア]と名付けられたそうだ」


 言うまでもなく、その息子とは俺のことだ。つまり、生まれた娘は俺の妹、ということになる。

 カナリアが、俺のことを知っているとしたら。ーー俺も、彼女に会わねばならないだろう。


 予想していたとおり、カナリアは俺を知っていた。

 その事実とともに、彼女は更なる真実を告げた。

「私はもう、死んでいるのです」

 ロデオに助けられたものの、傷が深く、死んだのだ、と。

「カラスさん、泣かないでください。私は嬉しかったのです」

 ロデオの頬にそっと触れて、カナリアは言った。

「私は死んだことで[人外]になれた。……これで、[葬儀屋]に……兄に殺してもらえる。それが、嬉しかった」

 カナリアは、私を殺してください、と俺を見た。

「……わかった」

 俺は、カナリアに歩み寄った。

 そこに、ロデオが立ちはだかる。

「……なんのつもりだ」

「カナリアは、僕が守る……! もう二度と、殺させるもんか……」

 碧の瞳は決意に満ちていた。

 俺は、ロデオと戦った。

 ロデオは強かった。それもそうだろう。彼の殺刃鬼の名は伊達ではない。

 俺は、勝つ気はなかった。狙いはただ一つーー

「ロデオ、すまない……」

 カナリアのために必死に戦うロデオに、そう言わずにはいられなかった。

 俺はカナリアが望んだとおり、俺の手で彼女の命を摘み取らなかったのだ。

 ロデオのナイフを受け流し、わざとーーカナリアに当たるように、避けた。


 ありがとう。

 カナリアは俺にも、ロデオにもそう残して消えた。

 ロデオは、泣かなかった。

 それが、恐ろしかった。

 ひどく、熱のない目をしていたから。

何か、言わなくては。

 そうは思えど、言葉が出ずーー俺は、いつも自分が言っていることをただ繰り返した。

「俺は、葬儀屋だから、ただ人でないものを弔うんだ……」

 弔うだって?

 俺は、自分の手を見下ろした。

 弔花を摘んでいない。

 それで、どう弔うと?


 俺は、馬鹿だ……


 気がつくと、ロデオはいなくなっていた。


 その日から、ロデオの姿を見ていない。

 リーンズは意気消沈し、仕事も手につかなくなっている。

リーンズの仕事場である[広場]には、誰もいない。俺しか行かない。

 リーンズは仕事を渡すだけで、他は一切喋らない。俺も何も話さなかった。何を話したらいいか、わからなかった。


 無力感ばかりが俺を苛む。


 リーンズが、ナイフで自らを切り刻もうとしていたことがあったのをふと思い出す。

 確かあれは、ロデオの壮絶な出生をリーンズがカーネーションとともにロデオに明かした後のことだ。そのときもロデオがめっきり来なくなっていた。

 俺はリーンズがやろうとしていることに気づき、止めに入ろうとした。 しかし、俺より先にリーンズに駆け寄る人影があった。

「リンさん、何やってるんですか!?」

 ロデオだった。

「死ぬつもりだったんですか!?」

「だって、ボクにはもう、生きている意味なんて……ローくんに、酷いことを……」


 なんで、気づかなかった?

 なんで、励ましてやれなかった?

 ずっと側にいたのに。

 今も、何故あいつの側に俺はいない?

 あいつを支えなきゃいけないのは、俺のはずなのに。

 何故見ていることしかできない……?

 ロデオの励ましに、リーンズが立ち直っていく。

 俺は、眺めているだけ。

 俺にできたのは、それだけ。

 俺にはリーンズを笑顔にできない……


 ロデオと会えたことで、笑顔を取り戻した彼女ーー思い出すことさえ辛い、己の力のなさを思い出し、俺はたまらずその場から逃げ出した。


 俺は、あいつの笑顔が見たかった。

 そのために、葬儀屋になったはずだった……のに。

 俺は、何をやっている……


 俺は、[空の街]を出た。

 俺にはリーンズを救えない。

 俺は葬儀屋であることすら危うい。

 花を。

 オレンジ色の弔花を。

 探そう。

 探さなくては。

 あれまでをもなくせば、俺は存在意義を失う。

 探さなくては。

 夏の終わりに咲き散る花を。

 オレンジを。


 彼女と同じ、夕焼け色を。

 何故だろう?

 今が時期のはずなのに、あの花が見つからない。

 何故……?


 俺は、彷徨さまよい歩いた。


 そして見つける。

 路上に咲く、一輪の夕焼けを。

 俺はそれを摘み取ろうと、近づいた。


 ふと、かつてロデオに言ったことを思い出す。


「花を摘み取る俺たちは、ただでさえ人間より先の短い花を殺すんだ。ーー花の命を摘み取っているんだ」


 気づいていなかった。


「花の命は儚いものなんだよーー」


 誰かがそう、囁いた気がした。

 俺がその声に一瞬だけ花から目を反らしたそのとき。

 ひゅんっ

 俺を掠めて風が凪ぐ。直後、どがっという何かが壁にぶつかったような音が隣であった。衝撃が僅かに俺をよろめかせる。

 見ると、自動車が民家のコンクリートの塀に突っ込んでいた。自爆事故だ。コンクリートの塀も、元々脆かったのか、崩れていく。何の冗談でもなく、目と鼻の先で起こった出来事に思考が滞る。

 その中は無人だった。 いくら車体の前面が潰れているとはいえ、それくらいはわかった。幸い、怪我人はいないようだ。俺も風を感じた頬に微かな痛みを覚えた以外は何ともない。

 俺のことはどうでもいい。

 俺にとって、遥かに気がかりなのは。

「花……」

 夕焼け色を探す。

 目の前にあったはずの、その色。その花。

 ーー今、目の前にあるのは無人の事故車両。崩れかけたコンクリートの塀。

 花があったのは。


 ちょうど、車輪の下だったように思う。


 俺にとって、あの花は。

 ーーブラインを弔うための弔花。俺は毎年この時期に、ブラインのための花を摘み、ブラインの墓にまく。あの日のように。


 俺にとって、あの花は。

 ーー誰かを弔うための花。俺が俺である唯一の証。あの花を弔花として扱う。それは俺が成したことだ。


 俺にとって、あの花は。

 ーー大切な、思い出の欠片なんだーー


「見ない花だね。なんていうんだろ?」

 自分の瞳によく似た花を手にし、彼女は言った。

「そだ。ーーキミにあげるよ」

 受け取った俺を見て、彼女はーー


 彼女は、笑ったんだ。


 だからーー


 だから…………



 俺は、再び彷徨さまよい歩いた。

 当てなどない。

 俺の目的は変わっていない。ーーあの花を探すこと。それだけだ。

 夏はもう終わろうとしている。あの花の季節が、終わろうとしている。

 見つけなくては。


 歩いて、歩いて。

 もうあの街にどうやって戻ったらいいのかわからなくなるほど歩いて。

 俺は、信じられないものを目にした。


 そこにあったのは、一面のオレンジ色。

 日の沈む海のような夕焼けの世界。

 ここは、どこだ?

 これまで見つからなかったことからは想像も及ばなかった事態に混乱する。

 全て、あの弔花の花畑。

 この花を目的に来たのだから、摘めばいい。

 そうは思えど、何かが引っ掛かり、俺は躊躇う。


「花の命は儚いものなんだよ」


 先刻、聞こえた言葉が蘇る。

 車輪の下に消えた花。

 あの言葉に疑問を抱いた俺が振り向いた瞬間にはもう、消え去っていた花。

 わかっていたはずだった。

 自分で言ったのだ。

 花を手折ることは、花の命を奪うことだと。

 それなのに、俺は疑問を抱いた。

 人間の手で簡単に摘み取れる命を[儚い]と断じる声に。


 気づいていなかったのだ。

 知ってはいるが、理解していなかったことに。

 だから俺は、あの花を見殺しにすることしかできなかった。


 そんな俺の前に広がる一面の花。……何の皮肉だろうか。

 花が呪っているのだろうか。いつも躊躇いなく摘み取るくせに、さっきは摘み取りもせずに見殺しにしたくせに。今更手折ることに何を躊躇う? ーーそんな怨嗟が聞こえてくるような、眩しすぎる花畑。

 そんな考えが過る一方で、俺はその夕焼け色に優しさを感じていた。ーー彼女の笑った瞳と、重なるから。


 …………

 …………

 …………


 時が経つ。

 俺は一面のオレンジ色に、少しずつ、心をほどいていった。

 ようやく、一輪目に手をかけたときだった。

「……葬儀屋さん」

 信じられない声がした。

 花に落としていた視線を上げると、そこには陽光を紡いだような金糸の髪と森を思わせる翡翠色の瞳があった。

「ロデオ……?」

 俺はその名を呼んだ。すると彼はお久しぶりです、と答え、丁寧に頭を下げた。

「どうしてここにって思いますか? ……そうなるでしょうね」

 ロデオは俺の考えていることを見事に言い当て、苦笑いして続けた。

「葬儀屋さんは、わからないのに、入れたんですね。……ここは、[刻止まりの丘《closed door》]と呼ばれています。ある超能力者が作り出した空間です」

 超能力者、という一言で、なんとなくロデオがいることに納得した。

 ロデオの説明は続く。

「[空の街]を生活空間とするなら、ここは、安らぎのための空間でしょう。……ここでは空間に入った人物が最も望むものを見ることができるんです」

 最も望むもの……なるほど、それで俺にはオレンジの花畑が見えるのか。

「でも、葬儀屋さんの様子からすると、呼び寄せられたみたいですね。呼ぶのに大分苦労したようですが」

「呼んだ? 誰が?」

「この空間が、です」

 俺に答え、補足していく。

「癒しが必要な人のためにこの空間があります。けれど、必要なのに、ここに入って来られない人がたまにいるんです。……ここは、隔離された空間だから、ある条件を満たした人でないと」

 条件……?

「その条件を、俺は満たしていなかった、のか?」

「……はい」

 ロデオは寂しげに頷いた。

「ここには[過去に取り戻したい何かがある]人しか入れないんです。しかも、[それを今も追い求めている]人じゃないといけない……」

 なるほど。確かに、これまでの俺ではその条件を満たせていない。

 ブラインの死ーー俺はその前から様々な死に触れすぎて、感覚が鈍っていたかもしれない。

 実妹のカナリアや、家族ーー生まれてすぐ捨てられた俺には、関心が持てない存在だった。あれだけ俺を思ってくれていたカナリアの死にさえ、俺はさしたる感情を抱かなかった。

 元々、薄情なのだ。本当に、情が薄い。人ではないにしろ、何かを殺しているのだから、そういった感情が擦りきれてしまったのだろう。

 弔うことを生業にしているため、殊更[死]に関しては割り切った考えをしている。死んだものもう決して戻らない……と。

 戻らないとわかりきっていても求める、などという熱情的な考え方は、どうしても俺にはできない。

 だとすると……

「……さっきの事故は、この空間が仕組んだことなのか?」

「正しくは、この空間の保持者が、ですかね」

 ロデオは寂しげな笑顔のまま、続けた。

「葬儀屋さんが、この花をとても大切にしているのは知っていました。僕が教えたんです。……残酷なものを見せて、ごめんなさい……」

 ロデオは深く頭を垂れた。さらさらと金糸の前髪が目元に落ちる。

「……いいんだ。やっと、見つけられた」

「……まやかし、だとしてもですか?」

 ロデオの一言に、やはりな、と息を吐く。

 もう戻らない時間を見せるーーそれがこの空間の力。

 超能力は非現実的であっても、本当の現実を覆すことはできない。

 時間を巻き戻すことなど、できはしないのだ……

 だから、この空間に映る全ては幻。二度と、手では掴めない。そんなものだからこの空間に映る。

 望んでいたものがようやく見つかった、と歓喜した矢先に幻だと知る。ーーこれがどれほど残酷なことだろうか。

 ロデオはそれを詫びているのだ。これはロデオの能力ではないのに。ーー彼らしい。

 けれど、ふと違和感に気づく。

「お前、さっきこの花を、と言ったよな? ……お前には、何が見えているんだ?」

 訊くと、ロデオはにこやかな笑顔になった。

「お察しのとおりです。……貴方と同じものを見ています」

「何故……」

 驚きを禁じ得なかった。

 ロデオの話では、この空間はその中にいる人物が[取り戻したい何かがある]ときにそれを見ることができるというもののはずだ。[取り戻したい何か]なんて、人それぞれだろう。……少なくとも、俺とロデオのそれは違うと思っていた。

 ロデオが失ったものは多すぎる。

 真っ当な人生、家族、逃げ場、そしてーーカナリア。戻りたい時間なんてごまんとあるはずなのに。ーー何故彼が、俺と同じものを見ている?

「僕も、葬儀屋さんとそう変わらない人間なんですよ」

 薄情なんです、と言った。

「僕が初めて殺した人は、僕の母さんだと聞きました。母さんの体を自らの刃で切り裂いて生まれてきた、と。だから、僕は人として最底辺にいるんです。それが多くを望むなんて、強欲にも程があります。……こんな風に考えているから、僕はこの空間になかなか適応できなかったんでしょう」

 まさか。

「お前も、あの事故を見たのか……?」

 俺の問いにロデオは静かな笑みを浮かべるだけだった。

「……僕は、葬儀屋さん……貴方のようになりたいんです」

「俺の?」

 突拍子のない一言に、俺はぽかんとしてしまう。

「誰かを笑顔にするために、花を摘む……そんな、貴方のように」

 だから、とロデオは俺の前に握っていたオレンジの花を差し出す。

 花は三輪。根元が赤いリボンで結わえてある。

「……これは?」

「花束です」

「三輪なのに、か?」

「三輪だから、です」

 花を一つ一つ、優しく指差す。

「僕と、リンさんと……葬儀屋さんの分です」

 俺は弾かれたようにロデオを見た。

「あ、大丈夫ですよ。この花は幻じゃありません。ちゃんと、僕が摘んだものです」

 どこかずれたことを言いながら慌てるロデオに俺は思わず笑みをこぼした。

「リーンズに、渡しておく」

 そう言って受け取った。

「リンさんに、ですか?」

 不思議そうな視線を送ってくるロデオに、俺は答えた。

「お前からの贈り物だと知れば、あいつだって喜ぶ」

「違いますよ」

 ロデオが珍しく反論した。

「葬儀屋さんが渡すから、喜ぶんです」


 俺が花を摘むのは、何のためだっただろう?

 人を弔うため。

 いや、それ以上にーー


「キミにあげるよ」


 あの笑顔が忘れられなかったからーー


 一面のこのオレンジは、幻。

 けれど、手したオレンジは、ちゃんと、そこにあるーー



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