葬儀屋 -前編-
これは、夏の終わりの物語ーー
夏の終わりに咲く、オレンジ色の花。
名もない花は、花弁に毒を宿し、ありとあらゆる命を奪う、心無き花だ。
しかし、俺にとっては、大切な人の命を弔う、弔花だった。
俺には名前がない。
敢えて言うなら[葬儀屋]だ。これは俺の役職名で、誰もが俺を呼ぶときはこの呼び名を使う。
俺は捨て子だったらしい。今はもういない先代の[葬儀屋]、ブラインにそう教えられた。
ブラインは殺しを生業とする男だった。地図上は存在しないこの[空の街]でも一目置かれた凄腕の殺し屋。人格破綻者と言われるほど、殺しを快楽とし、また、人を死に追いやることも好んだ。
そんな男が、何の気まぐれか「育てる」と拾ってきたのが、細く薄暗い路地に打ち捨てられた赤子の俺だったという。
ブラインは俺を拾ってから、人殺しをやめた。代わり、人ではないものを殺すようになった。奇妙な依頼ばかりだが、意外と需要はあるようで、暮らしには困らなかった。
人ではないものーー例えば、動物。よくあったのは、薬品開発の試験体となった動物の処理だ。既に虫の息のモルモットや、薬品の副作用で凶暴化した猫、亜種化したラットなど、様々だ。
毒花を刈ってほしい、などというものもあった。ブラインは楽しそうにこなしていた。
これが、葬儀屋の仕事だ。
俺は人を殺さないブラインを尊敬していた。他の生き物は殺すけれど、人は決して殺さない。 そんな彼の行動に、強い信念を感じていた。
対象が人でなくても、何かを殺すときのブラインにはどこか狂気じみたものがあったが。
ブラインは俺に名前をつけなかった。
「なんで呼び名をつけないのさ」
ブラインがいた頃は当然俺はまだ[葬儀屋]ではなく、呼び名は何もなかった。
ブラインが俺を育てているのは[空の街]においては誰もが知る事実であったため、ブラインにそんなことを訊いた者がいた。
「名前なんてつけたら、愛着がついちまう」
「へえ、ブラインも意外と人間らしいとこ、あるんだねぇ」
ブラインの返答にからかうような声色で返したのは、俺と同じ年の頃の少女だった。
彼女の名はリーンズ=ケイル。[情報屋]のリーンズとして、[空の街]で名を馳せている。
俺と同じくらいの年ながら、彼女は大人と、しかも殺し屋たちと対等に渡り合っていた。
色素の薄い中途半端な長さの前髪を少し褪せた朱色のヘアバンドで上げている彼女は活発そうな印象だ。
そんな彼女が夕焼けのようなオレンジ色の瞳で、しばらく俺を眺め回す。同じ年頃の子供が珍しいのはわかるが、そうじろじろと見られると、あまりいい気はしない。
しかし、次の一言でそんな気分は完全に払拭された。
「ねぇ、ボク、キミのこと[孤児くん]って呼ぶよ」
驚いた。
人の顔をじろじろ見て、何を考えているのかと思えば。まさか呼び名を考えていたとは。 あまりにも安直な呼び名だったが、当時の俺はひどく感動した。結構冷めた返事をしたが、頭がぼーっとしていたことをよく覚えている。多分、感動のためだ。
彼女は唯一無二の友だった。彼女がどう思っているかは知らないが、俺にとってはそうだ。
周りに同年代の子供がいないからか、よく俺のところに来て、話しかけてきた。
あの日も、彼女は声をかけてくれた。
俺は、ブラインの[葬儀屋]の仕事によく付き添った。
付き添い、といっても、俺のやることといえば、仕事の[後片付け]くらいなものだ。それも大抵は依頼人側がやってくれる。
となると、本当に俺はついていくだけ。
それはそれで別に何の問題もないのだが、あるとき、あまりに退屈で、俺は近くに咲いていた花を摘んで、ブラインが依頼をこなした仕事場にばらまいた。
突然現れた、やけに眩しいオレンジ色の花弁に、ブラインは最初、目を丸くした。
俺がやったことに気づき、ブラインは柔らかく目を細めて笑った。
「弔花とは、気が利いているじゃないか」
「……?」
弔花。弔いの花。
当然、俺にはそこまで深い考えはなかった。けれども、ブラインの視線につられて自分が花をまいた先を見たーー
鮮やかなオレンジに抱かれて眠る獣たち。
人間の勝手な都合で理不尽に生を断たれた動物たちが、オレンジ色の海の中で、安らぎを得たように見えたのだ。
これが、弔うということ……
俺は自然と理解したその事実に、静かな感動と憧憬を覚えた。
それから、俺はブラインと仕事に行く前には弔花摘みをするようになった。
オレンジ色のその花は、俺と同じで名前がない。夏の終わりに咲く花だ。
その時期以外はなかなか見つけられない。 咲いていないわけではないらしいが、やはり、時期は夏の終わりなのだろう。
それでも俺は、欠かさず弔花を摘んだ。
あの日。
あの日も、ブラインと仕事に行く前に、弔花を摘んでいた。
「何してるんだい?」
リーンズが興味深げに訊いてきた。
「花を摘んでいるんだ」
「へえ? またなんで?」
「……弔花なんだ。……ブラインの仕事は生き物を殺す。だから、殺されたものたちを弔わなきゃならない」
独白めいた俺の説明を、リーンズは黙って聞いていてくれた。
「……弔花摘みは、俺の役目だ」
たった今、思いついたばかりの台詞。
それが何故か、すんなりと心に浸透した。
これは、俺の役目。
そうだと、何故か確信できた。
信念、なのかもしれない。
そう思ったら、何か嬉しかった。
リーンズも楽しげに笑っていた。
その日の仕事は人工生命体を殺してほしいというものだった。
葬儀屋の仕事としては、ごくありふれた依頼だ。
だから、ブラインが死ぬなんて、思いもしなかった。
ブラインは食われて死んだ。殺すはずだった人工生命体に殺された。
遺伝子操作によって強化された脚力でブラインの喉元に飛びつき、過剰発達した前歯がいとも容易くブラインの首の皮を噛みちぎる様は非現実的で、俺にはあまり理解できなかった。
俺がそれを現実と理解したのは、ブラインが力なく倒れ、動かなくなったときだった。しかしながら、どくどくと流れていく赤い液体には、やはり現実味を感じられなかった。
呆然と状況を眺めるだけの俺など、いくらでも殺せたはずだ。にも拘らず、何故か彼らは俺を襲わなかった。
どうやら、ひらひらと舞い落ちるオレンジ色の花弁の方が気になったようだ。俺は思い切り花をまいた。
ブラインの遺体にかかるように。
これが俺にできる、精一杯の弔いだ。
オレンジの花がブラインに降り注ぐのをしばらく眺めていた。すると、ほどなくして、その上をラットが埋め尽くした。
灰色の海。わさわさと静かでそこはかとなく不気味な音を立てて群がるラット。
ラットは我先にと言わんばかりにオレンジの花弁を貪った。貪りついでにブラインの体も食らっているのだろう。くちゃくちゃ、かりかりと嫌な音がする。
変化は唐突に起きた。
花を貪っていたラットたちが、ざわめき始めたのだ。苦しげな鳴き声は不快この上ない。けれども、俺はさして気にしなかった。 何故なら、その鳴き声はすぐに止んだからだ。
蠢いていた灰色の海が静まる。不気味な静寂。
俺はラットが悉く全て死滅したのを知った。
何故だろう、と不思議に思いながら、灰色の海にオレンジの花をばらまいた。
ふわり、と土の香りが漂う。
鉄臭いのも、消えてしまえばいいのに、と思いつつ、俺はラットとブラインを土に埋めた。
夏の終わりのことだった。
[空の街]の人々はブラインが死んだと聞き、それぞれ衝撃を受けたようだ。
意外と需要の高かった[葬儀屋]の仕事を果たして誰がやるか、ということで揉めた。
集う殺し屋たちは[人を殺す]ということにポリシーを持っている。故に人を殺さない葬儀屋の仕事はあまり好まれない。
そこで俺が言った。
「俺が葬儀屋になる」
その言葉に誰よりも驚いたのは、リーンズだった。
「キミがわざわざこっち側に来る必要はない」
リーンズは何か不安げだった。
「……大丈夫だ。俺は人を殺さない。……ただ、死に逝くものたちを弔うだけだ」
そう言って、オレンジの花を握りしめた。
ラットたちの死因は毒だったらしい。
俺が摘んだオレンジ色のあの花が、花弁に毒を持っていたのだ。 それを知ったリーンズはオレンジの花を[仇花]と呼んだ。
ブラインの仇を討ってくれた花だから、と。
葬儀屋になってからも俺のすることは変わらなかった。
弔花摘み。
オレンジ色の花を手折り、死に逝くものたちに供えるだけ。
生を失ったものたちをオレンジ色の海に沈め、俺はその魂が安らぎを得ることを祈った。
俺の元には人殺しの依頼は来なかった。
ブラインが葬儀屋だったときは、時折あったのだ。[実験動物の成れの果て]だと称して、人を殺させようとする依頼が。
ブラインはそんなとき、依頼をこなしながらも、依頼人も殺していたという。ーーリーンズに聞いた話だが。
だからか、と納得した。ブラインが俺を連れて行かないときがあった。それがそういう依頼を受けたときだったのだろう。ブラインは決して俺の前では人殺しはしなかったから。
「キミがわざわざこっち側に来る必要はない」
リーンズの言葉を反芻する。
もしかしたら、ブラインもそう思っていたのかもしれない。だから、俺には[人殺しの自分]を見せなかったのだ、きっと。ーー真意を知ることは、もうできないが。
俺のところに人殺しの依頼が来ないのは、仕事を仲介しているリーンズの意図があるのだろう。悲しげなあの台詞が何度も蘇る。キミがわざわざこっち側に来る必要はないーー
大丈夫だ、と俺は答えたけれど、何もかもが思い通りに運ぶわけではない。
苦く、その事実を噛みしめることになるのに、そう暇はなかった。
[人殺しの依頼]がとうとう俺の元にもやってきた。
「道化を殺してほしい」
依頼人の男は端的にそう言った。
道化は人か? などとは訊かなかった。写真を見せられたから。
背はあまり高くなさそうな、ずんぐりとした体型の男だ。髪は赤茶けていて、顔は絵に描いたようなピエロの化粧をしている。原色系統で揃えられた衣装に似合わない深緑色のぼろぼろのシルクハットを持っていた。
「……これが?」
「安心しろ。こいつはもはや人でなしだ……人と名乗っていい資格などない」
「……何故?」
男はちらりと俺を見た。苛立ちがありありと現れている。
「生憎と俺には人にしか見えない。言ったはずだ。俺は人外専門だと。理由も話せないなら、他を当たれ。そう……最近名を馳せている[殺刃鬼《the edge of crow》]にでも頼めばいい」
そうは言ったものの、それで引きさがるわけもないことをなんとなくわかっていた。この仕事を繋いだのはリーンズだ。人殺しであるということを知りながら、俺に回した理由を知りたかった。
「やつはかつて、ある街の統治者だった」
男が静かに語り始めた。
「人々は貧しく、飢えて、苦しんでいたよ。そこかしこに死にそうな民がいるのに、やつはそれを気にも留めず、私腹を肥やしていた」
よくある話だ。
「ある日、やつは強国の口車に乗せられて、儲けのために戦争に民を参加させようとした」
逆らえば、強制的に徴兵されたという。男だろうと女だろうと、見境なく、戦争に駆り出した。
「以前から不満を募らせていた民は、やつばかりが肥えていく姿に我慢ならず、団結した。クーデターさ。面白いようにやつの牙城は崩れた。やつを殺そうと、人々は武器を手に向かっていった。……そこにやつはいなかった」
統治者の屋敷はもぬけの殻だったらしい。
「殺す気でいた民は怒り狂ったさ。何年も何年も血眼になってやつを探した」
「……そして見つけた」
俺がぽつりと紡いだ言葉に男は深く頷いた。
「ああ、ようやくだ。ようやくなのだ。私はやつの首を手土産に私はやっと、故郷に帰れる!!」
高揚する男をよそに、俺は冷静に考えた。
何故リーンズは俺にこの依頼を回したのだろう? ーーそれが結局わからないままだ。
「これで、納得いただけましたか?」
「ああ……しかし、わざわざ殺し屋に頼まなくとも、自分でやればいいんじゃないのか?」
俺の言葉に、男は自分の腕を晒した。……枯れ木のような細くて歪な腕だった。
男は特に何も説明しなかったが、おそらく飢えのせいでそうなったのだ、というのは容易に想像できた。
「この手で人が殺せると?」
……確かに。とてもそんな力が残っているようには見えなかった。
疑問の全てが解消されたわけではないが、俺は仕事を受けることにした。
あとは会って、俺が決める。
道化は誰も見ていないにも拘らず、ずっと芸を披露し続けている。
「さあさあ、よーくご覧ください。この帽子、中には何もありません。ところが、この白いハンカチを入れて……」
シルクハットから見事、白い鳩が出てくる。けれど、歓声はない。誰一人として、道化を見ていないからだ。なんと虚しい大道芸だろう。 俺は何も言わず、ただじっと見ていた。
すると、あちらの方が俺に気づき、声をかけてきた。
「そこのきみ、何か、浮かない顔をしていますね」
「……浮かない?」
思わず聞き返す。道化は答えず、左手をひらひらさせてから、ぐっと握り、前に突き出した。
どこから取り出したのか、色とりどりのハンカチを出し、右手で左手の中に詰める。左手の下側から少しはみ出たハンカチをおどけた仕草でひょい、と中に押し込む。そして、俺にアイコンタクトし、三つ数えた。
道化は左手を開かず、右手で今度は下から中のものを抜く。現れたのはハンカチではなく、万国旗だった。
しかし、最後の一つの旗だけ破けてしまう。 道化はそれを見、口をへの字に曲げて肩を竦めた。
しばし、青い星が塗られた灰色の目が俺の様子を伺う。俺は何の反応もできなかった。
「うーん、失敗。人を笑わせるには、これが一番だと思ったんだけどなあ……」
「……俺を笑わせたかったのか?」
「きみに限らず、みんなが笑ってくれたらいいと思っているよ」
とても私腹を肥やすために民を戦争に差し向けた人物とは思えない発言だった。
「……それで、道化を?」
「ああ。ちょっと聞いてくれないかい?」
俺は黙って頷いた。