第一章#7 『いつだって、きみのため』
「さてと……君は一体、どこから来たのかな?ん??」
茅と呼ばれる、愛らしく、大きな両目を見開いて、まるでアニメの萌えキャラと呼ばれる様な素振りで首を傾けながら、小さな少女(幼女?)は、柊奏にそう問いかけた。
「どこって‥‥えー‥‥と‥‥」
奏は言い淀んだ。
答えは「学校の屋上」としか返答のしようがが無いのだが、そもそもまともに事実を答えるべき問いなのかも判断がつかなかった上に、先程まで自分がいた屋上も、とても現実味を帯びた場所ではなかった事と、下階に続くはずのドアを開けると見たことも無い部屋に続いていたのだから、ここでの答えは【自分の知る常識の範囲内の答え】を口に出す事自体が、どうにも間違っているように思えたからだ。
「この部屋は何なのか。」
「君達は誰なのか。」
「自分の指の間を伝った、あの蒼白い光は何なのか。」
「ここは、どこなのか。」
「‥‥‥奏を、知らないか。」
飲み込めない中でも、聞きたいことは頭の中を駆け巡った。
理解できない境遇であっても、夕陽に照らされた、時の動かないあの屋上で一人きりだった先程の状況よりは、自分の理解できる言語を話す者が、自分の他にも同じ空間にいるだけで、こんなにも安堵するものかと奏は感じていた。
綾國は椅子に浅く腰掛け、脚を組み、頬杖を付き、顎を引いて奏を見た。
頭の形に沿って、綺麗に下へ流れる深紅の長髪は、この薄暗い部屋の暖炉から漏れる光に煌めき、炎の揺らめきに合わせて、影になったり、透けていたり、まるで彼の髪自体が燃えている様だった。
「君も、現実世界で一度死んだんだね?」
茅が問いかける。
「の、はずだったのに、気が付いたら屋上にいたんだ。僕一人で。」
奏は、問いかけに続くように答えた。
「間違いなく、お前は一度死んだ。ただ、俗に言う転生を受け、再びこの世に生を受けたんだ」
綾國は先程まで付いていた頬杖を解き、肘掛けに両腕をのせながら言った。
浅く腰かけたままのその姿勢は、より彼の威圧を引き立てたが、顎を引いたまま、上目遣いに近い形で奏を見るその眼に、敵意や悪意が無いことは奏にもわかった。
「異世界に転生された。と聞けば、さながらライトノベルの主人公の様に何かしらの宿命を知らず知らずの内に負っている、と考えがちだが、そんな事は一つもない。この世界で何をしようとお前の勝手だ。」
綾國は続ける。
「まずは、お前が置かれた状況から説明してやる。」
「まず、お前がいるこの場所、ここはこの世界‥‥お前の知る地球上の何処かではないこの世界の、南の端だ。俺はここで茅とお前のような転生者に、この世界を理解させる説明をする役を担っている。」
「お前が死んだのが、現実世界として、さっきまでいたあの場所は、例えるなら現実世界と異世界の入口だ。そして、ここは異世界への窓口の様な感覚でいればいい。」
その説明はなんとなく分かりやすい。と奏は思った。
が、同時に疑念も生まれ、そのまま疑問を綾國に問いかけた。
「あの夕陽の屋上を【入口】と例えていたけど、僕は現実世界で死んだんだよね?なら、入口は一方通行で、窓口に来た僕はこの異世界でしか生きられないのか?」
「半分は正解だ。少し説明から逸れるが、そもそも、この異世界に転生される者は、二通りの順序を辿ってくる。一つはお前の様に【自ら入口の扉を開けてくる者】、もう一つは【そもそも入口に拠らずに、直接ここにくる者】だ。この世界に転生される者の大半は、圧倒的に後者が多い」
「入口を通る人と、飛ばす人、明確に違いがあるのか?」
この時点で奏は、少数の経験を経てここに来た側だと自身でも理解はできていた。ただ、なぜ自分がそっち側なのか、と言う原因はもちろんわかるはずもなかった。
「今回は、真面目におしえるのねぇー。さっきのあの子にも真面目に教えてあげればよかったのにぃ」
口を挟んだのは茅だ。
彼女は綾國の膝の上に収まりながら、彼の顔を見上げるような体制でそう言った。
「ま、綾國がこの子に説明する理由も、わからなくはないけどね」
こちらをみた茅の大きな瞳は、奏の全てを見透かすように奥深く煌めいて、容姿に似つかわしくない程唇が厭らしく潤めいていた。
奏は、その瞳と唇から目が離せなかった。
右の指先から溶けるような、暖かい感覚が肩に上ってくる。
先程まで収まっていた奏の指は、掌は、腕は、ドアノブを捻ったときよりも強く蒼白く輝き、白く淡い靄を纏っていた。
「茅、止めろ。無理な調律をするな」
綾國は、特段感情もない様な口調で茅を制止しようとした。
「嫌だ。だってこの子、綾とおんなじなんでしょ?綾の前に、試したい。」
奏は、目の前に座る二人の会話を聞きながら、茅が自分の何かに干渉しようとしている。自分の腕はそれに反応している。とはっきりわかった。
この腕の蒼白い流線と光は、別段痛みを伴うものでも無かった為、奏は冷静に状況を判断できたが、今自身の身に起こっているこれらの現象が、何を意味し、何を引き起こすのかまではわからず、興味よりも恐怖を感じていた。
「茅、いい加減にしろ」
「嫌だ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥茅‥‥」
再三に渡る制止の言葉の後、綾國はこれ以上は【言って聞かない】と判断したのか、明らかに目付きを変える。
深紅の瞳が、深紅の髪が、まるで燃えている様に、その温度を上げるように紅から、煌めく白混じりにみるみる移り変わっていく。
風の無いこの部屋で、小さくゆらゆらと髪を揺らめかせ、綾國は明らかに【何かを発動】した。
「茅」
彼は、小さく、ただ、力強く一言放った。
膝に座って奏を見つめていた茅は、まるでイタズラをした後に父親に怒られる前のような素振りでゆっくりと視線を綾國に移した。
その瞬間だった。
「んぁ‥‥‥‥っ‥‥あぁっ!!」
喘ぐ少女の体は、ビクッと綾國の身体の上で細かく跳ねて、全身をくねらせていた。
ほんのその一間、綾國の何らかの行為により、茅はぐったりと息遣い荒く、恍惚とした顔をし、彼に身体を預けていた。意識も少し曖昧なようにも見える。
綾國の眼と髪は、元の深紅にゆっくりと戻り、同時に奏の腕からも光は失われていった。
「悪かったな」
彼は、奏に向かって一言だけそう言った。
彼の指先は、茅の髪をゆっくりと撫でていた。まるで、あやす様に。