第一章#4『いつだって、いまだって』
槇奏はどうしたものかと、色々な事が心の中で折り重なって、言い表せない心情ではあったが、
詰まる所、悪い気分では無かったのでとりあえず笑顔で振る舞った。
『可愛らしい』が当てはまる、見立ては小学生だと言われれば万人が納得するであろう容姿だが、
無邪気な子供の動きに合わせてはためく袖も、襟も、まるで着崩れすることもなく、
ピッタリと少女に合っていた。
世の女性が焦がれて、どれだけ手入れしても中々手にいれる事が難しい、
柔らかな動きと艶を兼ね備えた髪は、まるで踊る様に彼女の回りを波打っていた。
茅と呼ばれる少女は、ベッドに腰掛ける奏の太股を座布団に、脚をパタパタとこいでいた。
置き所の無くなった腕は、小さな彼女を後ろから包み込む様な形になっていたが、
これも茅が望むように、自分の手を弄ばせていたが故の帰着点で、
嬉しそうに抱き抱えられた体勢に甘んじて奏の腕の中で遊んでいた。
と、言うよりはじゃれた猫のようにあちらこちらに擦り寄っていた。
どうやらあどけなさの残る少女は、そこを随分と気に入ったらしく、居心地の良さを堪能していた。
槇奏の向かい、胡座をかけるのではないかと思える大きな木造の椅子に、浅く腰掛け、脚を組み、ふんぞりがえる少年。
捉え方によってはコチラを見下してるように見えなくも無いのだが、綾(と呼べば怒られるみたいだが・・・)、本名を綾國と
名乗る彼のそういった態度も、受け取り側からしてみると、
茅程ではないが、やはりまだ幼さの残る年齢に見える為、どうにも憎めない。
そんな風に感じていた彼女の心情を読み取ったのか、綾國は、赤黒く伸びた髪の隙間から、同じく赤い瞳を細くして、睨み付けていた―――――――――――――――
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「まあ、どれだけ説明したって全部は理解出来ないと思うが、」
綾國はそう言って切り出した。
私を見る目付きと横柄な態度から想像出来る物言いとは裏腹に、
別段嫌味ったらしい口調でも無く、淡々とそう言って組んでいた脚を解いた。
「まずはっきりとしといてやる。お前は間違いなく一度死んだ。これは間違いない」
やはり死んだのか。
いや、まあしかし、あれで死んでないと言うのも可笑しな話なのだが・・・・・・
しかし、『死んだ』とはっきり言われるとわかっていてもちょっと込み上げて来るものも無くはない。
「泣きたきゃ泣け。此処に来る奴は大体皆そうやって泣くんだ。・・・・・・まあ、そうじゃない奴も中にはいるが・・・」
私は少し鼻を啜った。
泣くに至らなかったのは、やはりこのリアルじゃない状況を感じているのが、凄くリアルな自分で、
突き付けられた現実を非現実が塗り潰しているからだろう。
お腹の辺りに、柔らかい頬を擦り付け、十分に甘える茅の艶やかな髪を撫でた。
腕の中で赤子がぐずるように、少し眠たげな少女に対し、
『どうして初対面の少女がこんなにも私になつき、甘えられるのか』
と言う事も気にはなったが、
綾國の言葉遊びに気が付けない程動揺してはいなかった。
「今の話だと・・・死んだら皆、ここに来る様に聞こえたんだけど・・・」
「皆じゃない。だったら世界中至る所で亡くなった奴が此処に来たら、お前と話してる時間だけでこの部屋は破裂する位溢れちまう。」
「いいか。今から3つ大事な事を言う。この3つをまず信じて受け止めろ。理解しろ。それが出来たら、まともな話が出来る様になる。」
私は、そう言って指を三本立てる彼を見た。
この些か、核心を付くタイミングで、
茅が私の対したことのない2つの膨らみに大変興味を持ち、鷲掴みにしてほぐす遊びを覚えてしまった。
なんと言うか、わざとやっているのか、
ちょっと・・・・・・ちょっと、イケナイ感じの手付きなのがまた困る。
「茅」
「だって。綾が真剣な話ばっかりするから、緊張をほぐそうと思って。」
茅はロッククライミングさながら掴んだ部分は離さずに、首だけを綾國に向けていた。
その顔は、屈託の無い笑顔だった。
「ならちゃんと緊張をほぐせ。あと俺は綾國だ。」
「・・・・・・・・・・・・まぁた。またまたぁー。そんなしかめっ面で怒ってるフリしてぇ。ほーら。ほら。見て!柔らかい柔らかい!!」
ほーら。ほら。で、
揉んで。下から寄せて。という手の動きに合わせてながら、茅は綾國を見て明らかに優越感を抱いた笑顔を振り撒いていた。
「茅」
綾國は肘掛けに手を付き、立ち上がろうとしていた。
さながら想像の付く行動といえば、
不詳とは言え、見たところ多感期なこの少年の、誰もが持つ欲求を、私の身体を使って推し量って遊んでやろうと目論む、
この悪戯好きで純粋向くな少女を
被害者(と言うか、とばっちり?)を受ける私から引き剥がそうとしているのだろう。
「ちょ、ちょっと・・・茅ちゃん」
綾國が行動に出た事を皮切りに、話の続きが気になっていた私も、思わず制止を呼び掛けようとすると、
茅は綾國から視線を戻し、私に向かって上目使いで、張り付いた様な笑顔を見せた。
それが、『様な』では無く、
『張り付いた』に気が付くには、少し遅かった。
茅は、今まで遊ぶ様にまさぐっていた手に急に力を込め、指に伝わる繊細さが、自分の胸の曲線をなぞる度に、
『そういう意図』が感じられた。
触れた先から熱を感じるその指が、服の上から巧妙に下着の線に沿って行く。
私は、茅の指が
次に探している目的の答えがこの時点でわかった。
わかったからこそ、自分で茅の手を掴み、無理矢理離した。
そこを突かれると、溢れでてしまうのが解ったからだ。
それ位、身体が、熱い。
「おねぇさん」
膝の上で私に両手を掴まれたまま、茅は言う。
その表情は、笑顔だった。
笑顔ではあったが、何の感情もない。そういう顔をしておけば良いと、言わんばかりの顔だ。
「今・・・感じてたんでしょ。
気持ちよかったんでしょ。―――――――――――――――――――――――――――――ねぇ。おねぇさん・・・・・・」
茅は、急に太股の上に立ち上がり、目線の高さを合わせると、
掴まれたままの腕など全く気にもせず、
私に向かって寄りかかった。
艶のある髪が、私の鼻にかかる。
私の耳をその小さな唇でくわえて、吸った。
全身が熱い。
誰よりも小さく、誰よりも妖艶な彼女は私に吐息のかかる小さな声で耳打ちした。
「ねぇ。おねぇさん。気持ちよかったんでしょ?
正直に言ってよ。ねぇ――――――――――――――――
―――――――――――――――――――一体、誰の事、考えてたの?」
顔が、熱い。
全部、全部この子には見透かされていたとわかった瞬間、
私は全身が痺れた様に敏感になった。
―――――――――――――――――――――――――奏―――――――――――――――――――――
「でも、あたし、そういう想いも嫌いじゃないかな。」
茅は、耳元でそう囁いた。
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「お前・・・・・・・・・」
椅子から離れ、距離を縮めていた綾國から、驚嘆の声が漏れていた。
いつの間にか掴むのを止め、見透かされ、恥ずかしさのあまり、顔を両手で覆っていた
槇奏の左手の甲、五本の痣の内の1つ。
人差し指と中指の付け根から伸びるそれが、
蒼白く、はっきりと、その回りを照す程に光輝いていた。
今は、奏から離れ、隣に、
ベッドの上に立つ茅は、うっすらと眼を細めて、
まるで、一番『良かった』のは自分であるかの様に、恍惚とした顔だった。
その唇は、桃色の煌めきを魅せていた。
「綾」
綾國はなにも答えなかったが、ゆっくりと茅に近づいた。
少年の深紅の瞳もまた、色素が薄くなり、
それはまるで、
目の前に立つ少女の唇を映す鏡の様な色だった。