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帰郷3

「なんだ、ラキはまだ拗ねておるのか」


 カストレイア流道場の主、ジェクト・カストレイアに連れられて母屋の居間に案内されると、そこにはすでに昼食が用意されていた。ルクトはいわば突然の来客だったはずなのだが、用意されている食事は品目も多くなかなかに豪華である。ただそこに、先に母屋に引っ込んだはずのラキアの姿がない。


「はい。それが、お部屋に引き篭もっちゃって……」


 苦笑気味にそう応じたのは、ルクトの見知らぬ女性だった。おっとりとした雰囲気の女性で、年の頃はルクトの少し上と言ったところだろうか。身のこなしを見る限りでは、武芸者ではないように思われた。


「あとで、ラキアさんのお部屋に食事を運んでおきます」


「構わん、放っておけ。腹が減れば出てくる」


 そっけなくそう言うとジェクトはさっさと自分の席につき、ルクトにも席を勧める。それからハタと気がついたように顔上げ、先程の女性のほうに視線を向けた。


「そういえば、ルクトにはまだクレハのことを紹介していなかったな」


 ほれルドガー、ちゃんと紹介しろ、とジェクトは息子をせっついた。父にそう言われたルドガーは少し恥ずかしそうな笑みを浮かべると、クレハと呼ばれた女性の隣に立ってルクトのほうに顔を向けた。


「あー、えーっと……。ルクト、こちらは私の妻のクレハだ」


「クレハと申します。よろしくお願いしますね」


 三年ほど前に結婚した、とルドガーは言う。その時には、ルクトはすでにカーラルヒスに留学していたので知らなくて当然だ。


「どうも。ルクト・オクスです。こちらの道場に世話になっていました」


「ルクトは十五で免許皆伝を取ってね。天才と呼ぶ声もあったくらいだ」


 ルドガーにそう紹介されると、ルクトは曖昧に笑った。確かに彼は同門の中ではずば抜けて早く免許皆伝を取った。だがルクト自身、自分が天才だなどと思ったことは一度もない。その上長命種(メトセラ)の戦いを間近で見たせいか、ここ最近の彼の自己評価は下がる傾向にあった。


 料理が全てテーブルの上に並べられると、台所で忙しく料理を作っていたジェクトの妻のジーラもやって来て、それぞれが自分の席に着き昼食が始まった。話題の中心は、やはりルクトのカーラルヒスでの留学生活についてだ。


「それじゃあ、ルクトはソロで迷宮(ダンジョン)攻略をしていたのか!?」


「ええ、まあ。そうですね」


 ルクトが肯定すると、ルドガーは「信じられない」という顔をした。迷宮攻略をソロでするというのは、普通であれば有り得ない。ルドガーはもちろん〈プライベート・ルーム〉のことは知っている。だから荷物や寝泊りについて問題が無いことはわかるが、しかし戦力的には不足もいいところだ。普通であれば最低でも三人で戦うところを、常に一人で戦わなければならないのだから。


「それは……、危険なのではありませんか?」


「そうだ、危険すぎる」


 クレハの心配そうな声に、ルドガーの非難の混じった声が続く。彼はさらに非難の言葉を続けようとしたが、それを遮ったのは父であるジェクトだった。


「学園側、いや決めたのは武芸科長だったか。その方にとっても苦渋の決断だったのだろうな」


 ルクト・オクスと組めばラクに遠征ができる。普通であれば歓迎すべきことだ。だが、ノートルベル学園は教育機関。ルクト・オクスがいなければ、〈プライベート・ルーム〉がなければまともに遠征できないような半端者を卒業させるわけにはいかないのだ。彼は教師ではないが、道場の主として人にモノを教えている立場のジェクトにはそういう考え方は理解しやすいものだった。


「いや……、しかし……」


「大丈夫ですよ。危なくなったらすぐに逃げていますから」


 まだ不満が残っているらしいルドガーに、ルクトは苦笑を浮かべながらそう言った。心配してくれているのは分かるから、その心遣いは素直に嬉しい。だが、現にこうして五体満足でやっているのだ。心配のし過ぎはかえって萎縮してしまうような気がした。


「恐らくだが、武芸科長も善後策は考えていたはずだ」


 例えば、ルクトがソロでやっているために六年間で卒業要件を満たせそうにない場合、すでに要件を満たしたパーティーか、あるいは学園の外部から選んだプロのハンターたちと組ませて遠征をさせる。それくらいのことは考えていたはずだ、とジェクトは言う。


「まあ、それも無駄になったようだがな」


 要件はすでに達成しているのだろう、とジェクトが面白がるようにしてルクトのほうを見た。それに対してルクトは怪訝な顔をしながら頷く。言っていないのにどうして、と思っているのだ。


「なに、達成していないのなら愚痴の一つでも言うだろうと思っただけだ」


 そう言ってジェクトは笑った。道場で門下生たちに稽古を付けているときには決して見せない顔だ。ルクトもそう何度も見たことはなく、門下生たちの中には一度も見たことのない者もいるに違いない。


「それはそうと。久しぶりにラキと立ち合ってみてどうだった?」


 カーラルヒスでの話が一段落つき、ジェクトが話題を変える。ラキアのことを聞くジェクトは当たり前に父親の顔をしていたが、同時に道場の師範としての顔もしているように見えた。


「腕は上がったと思います。まともに打ち合いを続けたら、よくて五分かな。ただ、相変わらず駆け引きは下手ですね」


「やはりそう思うか」


 少しだけ渋い顔をしてジェクトはそう言った。そしてルドガーも小さく頷いている。普段からラキアを見ている彼らは、ルクトが指摘したことをやはり感じていたらしい。


「ラキは確かに腕が立つ。だが腕が立つゆえに、大抵の相手は力押しで倒せてしまう」


 ジェクトは娘のことをそう評した。ラキアは十八のときに免許皆伝を取ったが、これは異例の速度だ。そんな彼女に道場で勝てるのは、師範のジェクトか長兄のアシュレイくらい。ただ、この二人の場合は年が離れ経験量も違うので、負けたとしてもラキアはそう強く悔しがらない。もっと精進せねば、と思うだけだ。


「まあ、モンスターを相手にするだけなら、それでも構わないと思いますけどね」


 ルクトの言うとおり、モンスターを相手にするだけなら駆け引きの技術は必要ない。駆け引きが必要になるのは対人戦だ。そしてハンターの主な敵がモンスターであることを考えれば、駆け引きを覚える優先順位は自然と低くなる。


「対人戦を想定しなくてもよいのなら、な」


 ジェクトは苦い声でそう言った。実際のところ、迷宮の中であっても対人戦は起こり得る。つまり〈横取り〉だ。あるパーティーが強奪を目的として別のパーティーを襲うのである。迷宮の中に法は存在しない。極端に言えば、そこは力が全ての無法地帯なのだ。


 そして多くの場合、襲った側は相手を全滅させる。迷宮の中は無法地帯とはいえ、外はそうではない。悪事が露見すれば都市で暮らしにくくなるだろう。だから全ての口を封じるのである。


 パーティー同士が殺しあう事態というのはそうそう起こるものではない。だが決して無視していい可能性ではないのだ。むしろ一度殺し合いになれば、人間はモンスターなどより遥かに厄介で悪意に満ちた存在である。


 だからこそ対人戦での駆け引きというのはある程度学んでおく必要があるのだが、ラキアの場合、それが最低限のレベルにすら達していないのである。ジェクトやルドガーが危惧を抱いているのは、どうやらその辺りのことらしい。


「ルクトは昔から上手かったよな。そういう駆け引きは」


「スレていたからな。可愛げのない子供だった」


「あーはいはい。悪かったですね、可愛げがなくて」


 意地の悪い笑みを浮かべるジェクトとルドガーに対し、ルクトはなげやりな態度で応じた。ただ、彼らの言う通り留学する前の自分は焦っていたようにルクトは思う。早く一人前になって金を稼ぎたい、という気持ちが強かった。


「表情が柔らかくなった」


 留学して正解だったな、とジェクトは穏やかに笑った。その姿を見てルクトはふと思う。留学する前はそんな事まったく考えたこともなかったのだけれど、もし自分に父親代わりと言える人がいるとすれば、それはジェクトのことなのではないだろうか、と。もちろんそんな事、気恥ずかしくて口には出さなかったけれど。



▽▲▽▲▽▲▽



「もう少し話をしないか」


 昼食の後、ジェクトはそう言ってルクトを私室に誘った。彼の部屋は決して広くはないが、不要なものが何も置かれていないためすっきりとしている。質実剛健を好むジェクトらしい部屋だった。お茶を運んできたクレハが下がると、ジェクトはおもむろに口を開く。


「留学は、あと何年残っている?」


「武術科は六年制なので、あと二年ですね」


 ルクトがそう答えると、ジェクトは「そうか」とだけ呟き少しだけ考える仕草を見せた。そしてさらに「留学が終わったらどうするつもりだ」と問いかける。


「どう、とは?」


「つまり、そのままカーラルヒスに居残るつもりなのか、それとも帰ってくるつもりがあるのか、と言う意味だ」


 ジェクトの言葉が少しだけ鋭くなる。〈プライベート・ルーム〉を持つルクトならば、カーラルヒスのギルドは目の色を変えて彼を勧誘するだろう。もしかしたら都市国家自体も勧誘に動くかもしれない。そうでなくとも優秀なハンターであれば一人でも多く欲しいと言うのが都市国家の本音だ。


「今は、帰ってくるつもりでいます」


 あくまで「今は」である。言葉にすればたったの二年だが、ルクトの主観からすれば随分先のことのように思えてしまう。そんな先のことなど明確には決められない、というのが正直なところだ。


 いや、もともとのことを言えば、留学が終わったらヴェミスに帰ってくるつもりだったのだ。それが多少なりとも揺らいできたのは、カーラルヒスの居心地がいいからに他ならない。カーラルヒスの武芸者獲得戦略は地味に効果的なのだ。


「ふむ、そうか……」


 ルクトの答えを聞くと、ジェクトは再び考え込むようにして顎先を指でなでる。そして少し躊躇う様子を見せながら口を開いた。


「……実は、な。お前さえよければだが、ラキと婚約する気はないか?」


「……え、あ、はい? こ、婚約? 誰と? 誰が?」


「お前と、ラキアが、だ」


 突然の話題に頭が付いていかないルクトに、ジェクトはゆっくりと言い聞かせるようにしてそう言った。「婚約」という言葉を彼は使ったが、それはつまり将来的には結婚すると言う意味だ。


「……なんで、突然そんな話を……」


「突然、ではないな。お前が免許皆伝を取ったときから考えてはいた」


 誰にも話しはしなかったがな、とジェクトは苦笑気味に付け加えた。そういう話をするのは二人がもう少し成長してからと思っていたら、その前にルクトがカーラルヒスに留学してしまって話をする機会がなかったのだろう。


 さらに言えば、ジェクトがルクトに目を付け始めたのは彼が入門して頭角を現し始めてすぐ。その頃ルクトはまだ〈プライベート・ルーム〉を発現させてはいなかったから、純粋に刀術の腕だけを勘案してのことだ。ジェクトには先見の明があった、と言えるかもしれない。


「私としては、ラキと二人で師範代として道場に出てきてくれれば、と思っている」


 師範代と言うのはつまり教える立場になるということだ。カストレイア流の道場では、〈師範〉を名乗るのは主一人だけだが、その他に何人かの師範代が門下生たちを指導しているのだ。


「師範代と言われても……。正直、なにをどう教えればいいのか……」


 ルクトは、自分は教えるのが下手だと思っている。理論的に研究して刀術を習得してきた訳ではないからだ。彼はどちらかと言うと感覚を優先させるタイプで、そういう自分の感覚を人に伝えるのは苦手だった。そもそもルクトの感覚が相手にとっても正しいのか、それさえも分からないのだ。


「教えるのはルドガーに任せておけばよい」


 不安を口にするルクトに、ジェクトは穏やかに笑いながらそう言った。ルドガーは腕が立つとはいえない。妹のラキアと立ち合えば、恐らく十回中八回は負けるだろう。「才能がない」と自分で認めているルドガーは、しかしだからこそ苦労し工夫を重ねながらカストレイア流を習得してきた。そしてその経験は教える立場になったとき、非常に役に立つものなのだ。


 またルドガー自身、人に物を教えるのが上手い人だった。ルクトも入門したての頃はよくお世話になったものだ。彼が例外的とも言える早さで免許皆伝を取れたのは、ルドガーが基礎的なことを分かりやすく教えてくれたことが大きな要因だ。


 それに門下生たちを直接的に指導するのは師範の仕事だ。師範代たちに期待されているのは門下生との立ち合いの相手である。それで、それらの師範代たちはほとんどがギルドにも所属している、いわゆる掛け持ちの状態で、空いた時間に顔を出すと言うのがほとんどだった。


 ちなみに長兄であるアシュレイは道場を継がないし、ジェクトにも継がせる気はなかった。いや、最初はやはり長男である彼に継がせようと思ってはいた。だが、アシュレイが免許皆伝を取る頃には「そんな無謀なことはとうの昔に諦めていた」という。


 アシュレイは確かに腕の立つ男だ。留学する前、ルクトは彼にほとんど勝てなかったし、また今でも十回立ち合いをして四回勝てればいいほうだろう。だが、アシュレイはルクト以上に天才肌の感覚派で、彼の教え方ときたら「ガッといってグッとしてズバッとやる」と言った感じなのだ。当然、凡人にはさっぱり理解できない。


 現在、アシュレイはどこのギルドにも属していないフリーのパーティーを率いて迷宮攻略を行っている。なお、複数のギルドが熱心に勧誘していると言うから、相当に優秀なのだろう。


 閑話休題。話を元に戻そう。


 つまり、ジェクトは決してルクトを道場に縛り付けようと思っているわけではないのだ。その能力を生かし、ギルドで活躍すればいいと思っている。そしてそのような優秀なハンターならば娘の婿として申し分ない。それにルクトとラキアは同じ道場で学んだ幼馴染なのだ。まさにあつらえたような二人と言えるだろう。そして結婚した後は、孫でも連れて嫁の実家でもある道場にちょくちょく顔を出してくれれば言うことはない。


「……このこと、メリアージュには?」


「何も。というより、あの方はこういう話には口を挟むまい」


 その言葉に、ルクトは「確かに」と内心で大きく頷いた。むしろ彼女ならば「嫁くらい自分で探せ!」くらいのことは言いそうである。


「……今すぐに返事が欲しいわけではない。二週間程度はこちらにいるのだろう? その間に考えてみて欲しい」


 ジェクトの言葉にルクトは無言で頷いた。それから、ふと気になったことを尋ねる。


「……それで、あの、ラキのほうは……?」


「まだ話してはおらぬ。だが、問題あるまい」


 父親であるジェクトはそう言い切った。その顔は自信に溢れていたが、しかしどこか苦笑しているようにも見えた。


「ただ正直なところ、ラキを嫁に、という話は多い」


 武芸者の社会は狭いからな、とジェクトは淡々とそう言った。つまり、いつまでも返事を待っていることは出来ない、ということだ。実際、ジェクトはさらにこう続けた。


「この二週間とは言わないが、せめて留学が終わる二年後までには明確な答えが欲しい」


 二年後であれば、ルクトと同い年のラキアは二十二になる。武芸者の適齢期としてはギリギリのところだ。ジェクトも父親として娘をいき遅れにはしたくないのだろう。


 ルクトが無言で頷くと、ジェクトのほうも安堵したように一つ頷いた。それから二人は揃って部屋の出入り口のほうを見る。扉の向こうに人の気配を感じたのだ。


「父上、こちらにルクトがいると聞いたのですが……」


 聞き間違えるはずもなく、それはラキアの声だった。



▽▲▽▲▽▲▽



 木刀を振り始めたのがさていつの頃だったのか、ラキアは覚えていない。それくらい物心付く前から木刀を振るい道場に通っていた。いや、通っていたと言うよりは遊んでいたと言うべきなのだろうけれど。ともかくそれくらいラキアにとって刀術というのは生まれたときから生活の一部だったのだ。


 ルクトがカストレイア流の道場に通うようになったのは、彼が十歳のときである。ラキアも同い年で、そのせいか一緒に鍛錬をすることが多かった。


 最初はラキアのほうが強かった。それはもう圧倒的に強かった。なにしろ年季が違う。当然だ。しかしルクトが道場に通い始めて二年が過ぎる頃には、もう追いつかれていた。そして彼が十五で免許皆伝を取ったとき、ラキアはもうどうしようもなく追い抜かれてしまったのである。


 悔しかった。負けたと思った。ルクトが免許皆伝を取った喜ばしいはずのその日の夜、ラキアは一人部屋で悔し涙を流していた。


 勝ちたい。いや、勝つ。絶対に勝ってみせる。


 その決意を固めた矢先、しかしルクトはカーラルヒスに留学してしまう。正直、勝ち逃げされたと思った。


『わたしも留学させてください!』


 ラキアはそう頼んだが、しかし父であるジェクトは許可を出そうとはしなかった。免許皆伝を取っていない、というのがその理由だった。その中途半端な状態で修行を放り出すことは、父としても師範としても許せることではなかったのだ。


 以来四年、ラキアはいない人間の背中を追いかけ続けてきた。追いつくために必死で木刀を振るい、来る日も来る日も鍛錬に明け暮れた。その甲斐もあってか、ルクトから遅れること二年と数ヶ月。ついにラキアも免許皆伝を取ったのである。そのとき彼女は十八歳。十分に誇ることが出来る、異例の早さだった。


 だがそれでも。二年と数ヶ月遅れたというのは、ラキアの中でしこりになった。ある種の劣等感と言い換えてもいい。免許皆伝と言う大きな区切りで二年遅れた、というのはある試合で負けたこと以上に明確で分かりやすい差だ。その差を、他ならぬラキア本人が一番気にしていた。


 さらに免許皆伝を取った後も、ラキアはルクトの背中を追うことになる。カストレイア流には〈深理〉というものがある。「理を深める」と書いて〈深理〉だ。簡単に言えば、これはカストレイア流の技の一つを自分用にアレンジすると言うことだ。また他の流派の使えそうな技を〈深理〉にしたり、ごく稀にだがまったく新しい技を生み出したりする者もいた。そしてそれらの深理は記録として残され、後進たちが己が糧としていくのである。


 ただ、免許皆伝を取った全員が自分の深理を持っていたわけではない。むしろ半分近い人数が過去の深理を参考にして使っている。ただ、それが悪いわけではない。記録にしか残っていない技を再現するのはなかなか大変なことだし、そうやって再現された先人の技を間近で見ることは門下生たちにとっても得るものが大きい。


 さてラキアだ。ラキアも免許皆伝を取った一人として深理を決めなければならない。だがすぐにコレといったものは思いつかなかった。父であるジェクトに相談してみたが彼は「自分で決めるように」としか言わない。とはいえ深理とは元来そういうもの。自分で理を深めなければならないのだ。


 なかなか自分の深理を決められないラキアは、手始めにまずは過去の深理の中から一つ習得してみようと思った。深理はなにも一つだけと決められているわけではないのだ。そしてラキアが取り組んだものこそ、ルクトの深理である〈瞬気法〉だったのである。


 瞬気法は、一言で言ってしまえば抜刀術のブースト法だ。まず太刀に込める烈とは別に鞘にも烈を込めておく。そして抜刀する瞬間に鞘の烈を太刀に押し込み、通常より多くの烈を一撃に乗せるのである。


 原理としては単純だ。しかし単純だから習得も簡単、というわけではない。少なくともラキアは瞬気法の習得に散々苦労させられた。いや、過去形で語るのはまだ早い。彼女は瞬気法を使えるようにはなったが、しかし完全にはほど遠く、今後も修練が必要なのだから。当然、自分の深理についてはまだ着手もしていない状態だ。


 そして瞬気法の習得に苦労している頃から、ラキアのルクトへの気持ちが少しずつ変化してきた。ラキア本人が自覚しているかは別として、周りの人間からすればその変化は明らかだった。


 ラキアにとってルクトは、これまでずっと好敵手(ライバル)だった。勝ちたい相手で、負けたくない相手で、追いつかなければならない相手だったのだ。それが、瞬気法の習得で手こずったことで、ある種の敬意を抱き始めたのである。


 勝ちたい。負けたくない。追いつきたい。ラキアのその気持ちに偽りはない。ただ、焦燥は感じなくなったように見える。もっともやはりそれを本人が自覚しているかは別だが。


 認めることができた、と言えば一番近いだろうか。そして下世話なことを言えば、ルクトは男でラキアは女だ。気持ちが、少なくともその一部が、恋愛感情に置き換わったとしても、特に不思議なことではなかった。三度繰り返すが、本人がそれを自覚しているかは別である。


 さて、そんなふうにラキアの気持ちが変化した頃、ルクトが予定外の帰省をした。道場に来ていた彼を見つけたラキアは、これこそ僥倖といわんばかりに立ち合いを挑む。そして三度立ち合いをし、三度負けた。


 悔しかった。悔しくて仕方がなかった。最後の礼だけはかろうじてしたが、その後は目を合わせる事すらせずに部屋に引き篭もってしまった。我ながら子供っぽくてみっともない、とラキアは思うがあの時はもうどうしようもなかったのだ。


 ベッドの上でうつ伏せになり、枕に顔を沈めて涙を流す。なぜ自分が泣いているのか、ラキア自身もよく分からない。悔し涙だとは思うが、しかし悔しさは泣いているうちに薄れてしまった。なのに涙は止まらない。


「なにやってんだろ、私……」


 ひとしきり泣き終えると、ラキアは自嘲気味にそう呟いた。ただ、思う存分泣いたおかげで随分とすっきりしたように感じる。泣き疲れたせいか身体は少し重かったが、しかし頭と心は軽かった。


 きっと酷い顔をしているに違いない。そう思ったラキアはまずは顔を洗った。顔を洗うと今度は途端にお腹が空いてくる。


「あ、ラキアさん。もういいんですか?」


 ラキアが台所に顔を出すと、それを見つけたクレハがそう声をかけた。クレハに悪気はないのだろう。それどころか善意でそう言っているはずだ。だがラキアにしてみれば子供っぽく部屋に引き篭もって泣いていたことを抉られたように感じてしまう。


「うん、まあ」


 心の中でさっきまでとは違う涙を流しながら、ラキアは表面上は平静を保ってそう答えた。それに対しクレハは「そう」と穏やかに微笑むだけ。その微笑を見ていると何もかも見透かされているようで、ラキアは居心地悪げに目を逸らした。


「それで、あの、なにか食べるもの……」


「あるわよ。今出すから、座って待っていて」


 クレハに促されてラキアは席に着いた。そしてラキアの目の前にクレハは手際良く料理を並べていく。もちろん、それらは昼食の残りだ。ただ残り物とはいえ、それらの料理はいつもの昼食より遥かに豪華だった。


「あの、義姉さん? 何かあったの?」


「ええ、ルクト君がね、ご飯を食べて行ったのよ」


 それを聞くとラキアは少しだけ顔をしかめた。三度の立ち合いで全敗した後、一緒に食事をする。その時どんな顔をすればいいのか、ラキアにはちょっと分からなかった。そうなると部屋に引き篭もっていたのは正解だったかも、などとも考えてしまう。もっとも、その情けない思考にまたへこんでしまうが。


「……ルクトは、もう帰ったの?」


「ううん。今はお義父さんと部屋で話をしているわ」


 それを聞くと、ラキアの食べるスピードが少しだけ速くなった。それを見たクレハはクスリと微笑んだ。だがかきこむ様にして遅い昼食を食べているラキアは、それには気づかなかっただろう。


「後片付けはわたしがしておくわ」


 ラキアが食べ終わると、クレハはそう声をかける。ラキアは一瞬躊躇う様子を見せたが、しかしすぐにクレハに片付けを頼むと食事をしていた部屋を後にした。その背中をクレハはやはり微笑を浮かべて見送った。


 父であるジェクトの部屋の前に来ると、中から二人分の声が聞こえた。なにを話しているのかは聞き取れないが、どうやらルクトはまだ部屋の中にいるらしい。


「父上、こちらにルクトがいると聞いたのですが……」


 そう声をかけると、中から「入れ」と返事があった。部屋の中に入ると、思ったとおりそこにはルクトがいた。


「それで、何のようだ?」


 ジェクトがラキアにそう尋ねる。だが尋ねられたラキアは言葉を詰まらせた。よくよく考えてみればただ来てみただけで、話をしなければならない用事はなかった。


「あ~、ええっと……。そ、そう! ルクト! 最後のアレはなんだ!?」


 何とか話題を探すラキアの脳裏に浮かんだのは、三本目の立ち合いの最後にルクトが見せた異常な加速だった。さっきまで気にもしていなかったのだが、こうして口に出してみるとアレは不可解だったと思う。


「ほう、アレか。アレはワシも気になっていた」


 そう言ってジェクトもルクトのほうに視線を向ける。一瞬のことだったので周りで見ていた門下生たちは気がつかなかったかもしれないが、あの時のルクトの速度は迷宮の外で出せるものではなかった。ラキアはもしかしたら詐術の類ではないかとも思っていたのだが、ジェクトもそう言うのであれば本当に加速していたのだろう。ならば何らかの仕掛けがあってしかるべきである。


「ああ、アレは練気法っていうんだ」


 若干苦笑しながら、ルクトはそう種を明かした。練気法とはルクトがカーラルヒスのレイシン流道場で学んだ技法で、闘術の威力などを底上げするための、一種のブースト法であるという。


「お前の、もう一つの深理ということか」


「まあ、そうですね」


 実際のところ、練気法を習い始めた当初からルクトにコレをカストレイア流で言うところの深理にするという意識はなかったのだが、それは言わぬが華だろう。


「つまり、その練気法を使えばマナの濃度に関係なく闘術の威力を上げることが出来るんだな?」


「そうなるな」


「教えてくれ!」


 目を輝かせながらラキアはルクトに迫った。もちろん、自分の知らない技を使われて負けた悔しさはある。だが、今はそれよりも練気法の持つ可能性のほうに期待が膨らんだ。


 練気法を覚えれば父であるジェクトや長兄のアシュレイに勝てる。どちらもラキアがまだ及ばぬと認めざるを得ない二人だ。だが練気法を学べばその二人にも勝てるかもしれない。そう思うと、ラキアは身体がうずくのを感じた。


 だがルクトの答えはそっけない。彼はただ一言「無理」とだけ答えた。その理由は教える時間がないからだという。練気法は確かに有用な技法だが、それだけに複雑で難易度が高く、自分がヴェミスにいる間にちゃんと教えて伝えることはできない、とルクトは言った。


「……じゃあ、私もカーラルヒスに留学する」


 練気法を覚えるために。ノートルベル学園に入学するわけじゃないから、留学というよりは武者修行と言ったほうが正しいかもしれない。


「おいおい、本気か?」


 ルクトは呆れたような声を出す。他の都市に武者修行に行くというのは、言葉で言うほど簡単なことではない。ましてカーラルヒスにはカストレイア流の道場はないのだ。つまりヴェミスを離れている間は、今のように刀術の鍛錬はできないと思ったほうがいい。


「ふむ……、それもいいかも知れんな」


 だが、意外なことにジェクトは武者修行に前向きな反応を示した。ラキアは免許皆伝を取っているから、刀術の鍛錬もある程度ならば一人で出来る。それにカーラルヒスには同門のルクトもいるから、時々立ち合いをすることもできるだろう。また練気法というヴェミスにはない技法を覚えて持ち帰ってくることは、この都市全体にとっても益になるはずだ。ジェクトはそんなふうに言った。


(くっ……! このおっさん、婚約話を進めようとしてやがるな……!)


 ルクトのほうに視線を向け面白がるようにして笑うジェクトを見て、彼はそう確信する。実際に婚約と言う形になるかは別としても、カーラルヒスに行っている間に二人の関係が進展すればいい、くらいのことは考えているはずだ。


「それじゃあ、父上……!」


「うむ。行く気があるならば行って来い」


 金はなんとかしてやろう、とジェクトは頼もしく請け負った。ラキアは頬を上気させ目を輝かせながら勢いよく頷く。その様子をルクトは半ば以上呆然としながら見ているしかなかった。


 ルクトの留学の四年目。こうして思いがけず同門の幼馴染がカーラルヒスに武者修行に来ることになったのである。


というわけで。幕間の「帰郷」でした。


ようやく、ようやくヒロイン(候補)の登場ですwwww

さてこれからどうなるのか。生暖かく見守ってやってください。

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