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帰郷2

 これはルクトの独断と偏見だが、太刀というのは技術を必要とする武器だと彼は思っている。そしてそんなルクトの主張を肯定するかのように、彼が修めるカストレイア流刀術はヴェミスにおいて技巧派の武門として知られていた。


 しかしながら武芸者は一般的に技術よりも力を重視する。これは集気法と身体能力強化があるからだろう。マナさえ潤沢にあれば力の増幅は比較的容易だ。そして力が増幅されれば必然的に一撃の威力も増して、それだけ素早く容易にモンスターを倒すことが出来るようになる。


 ただし誤解の無いように言っておくが、これはきちんと闘術を習っている者についての話である。つまりある程度の技術を修めた上で、どちらかと言えば力を重視する、という話なのだ。「技術と力。どちらが大切か」と問われれば、大抵の武芸者は「両方とも大切」と答えるに決まっている。


 さて、そのような傾向は当然得物の選択にも反映される。よって、武芸者の使う武器は「太刀より剣」というのが一般的だ。


 そのため、カストレイア流の武門は由緒正しき歴史はあれど、規模としてはそこそこ大きな中堅と言った程度だ。そしてその規模は構える道場の立地と規模に直結する。


 カストレイア流の道場があるのはヴェミスの都市の郊外だ。ヴェミスの正門とそこから伸びる街道とは反対の位置にあり、そのため落ち着いた農牧的な雰囲気のある場所だった。ちなみにルクトが住んでいる場所からは多少距離があって歩く必要があり、通っていた当時はそれを面倒に思うこともあった。


 ただ、道場の敷地は広い。正面の門から入ると、目の前には大きな道場がある。そしてその右手には道場主の家族が暮らす母屋があり、屋根の付いた渡り廊下で道場と繋がっている。さらに道場の左手には屋外の鍛錬場も整備されており、天気がよければ稽古は基本的にこちらで行っている。


 敷地の広さだけで言えば、カストレイア流の道場はヴェミスでも屈指の広さを持っている。ただ、前述したとおり立地がよくない。大手と呼ばれるような武門はこの規模の道場は都市の市街地に構えているもので、つまりはそれが大手と中堅の“差”なのだ。


 さてそんな広い敷地の周りは、壁ではなく柵と植木で囲まれている。植木の中には季節に応じて甘い果実をつけるものもあり、通っていた頃はルクトも稽古の後でよく食べたものだ。そして皮や種を食べっ放しにして怒られていた。


 ほぼ四年ぶりにヴェミスに帰ってきた次の日。ルクトは自分が通っていたカストレイア流の道場に足を向けていた。カーラルヒスに留学するまでの五年間、来る日も来る日もここで木刀を振るっていたものだ。そのせいか道場の正門を見ると、懐かしくも恥ずかしい記憶が思い起こされルクトは苦笑した。


 道場に近づくにつれ、そこから威勢のいい声が聞こえてくる。その声に、ルクトは少しだけ頬を緩めた。時間は経ってもこの喧騒は変わらない。


 正門をくぐるとルクトは迷わず道場に入った。道場に上がる際にルクトは靴を脱ぐ。室内の稽古は裸足で、というのがカストレイア流のやり方なのだ。夏場はそれでもいいのだが、冬になると裸足では足が冷たくて仕方が無い。それで門下生たちはみんな必死に集気法を使って身体を温めていたのだが、今思えばそれが狙いだったのかもしれない。


 威勢のいい声は相変わらず響いているが、道場の中は人気が無く閑散としている。天候のいいこの季節は、道場ではなく外の鍛錬場が使われているのだ。声もそちらから響いてくる。


 ただ、まったく人がいないわけではない。外の鍛錬場に面した縁側に一人の男が腰掛けている。年齢は五十代の半ば。ただ、髪の毛に白いものが混じっているせいで実年齢より少し上に見えた。


(老けたな……)


 失礼かもしれないと思いつつも、ルクトは内心でそう考えた。白髪が混じり始めたのが最大の原因だろう。もともと灰色っぽい髪の毛をしていた人だが、ルクトが留学する前はまだ白髪は生えていなかった。ただ、弟子たちの動きを観察するその目の輝きに衰えは感じられない。


「ご無沙汰しております、師範。お久しぶりです」


 男の背中から少し離れた位置に立つと、ルクトはそう言って頭を下げた。男の名前はジェクト・カストレイア。この道場の現在の主である。ルクトがカストレイア流を教わったのも主にジェクトからで、彼にとっては師匠とも呼べる存在だ。ただ、ルクトは一貫して彼のことは「師範」と呼んでいた。


「む、ルクトか? いつこちらに帰ってきた?」


 特に気配を消してはいなかったから、ジェクトも誰か後ろにいることは気づいていただろう。だが、それがカーラルヒスに留学しているはずのルクトであると分かると、少なからず驚いた様子であった。


「昨日の夕方、こっちに。二週間程度はこちらにいるつもりです」


「そうか……」


 そう言うとジェクトは視線を鍛錬場の弟子たちのほうに戻した。その顔は何か考えているようにも見えたし、先程までのように弟子たちを観察しているだけのようにも見えた。


「知らない顔が増えましたね」


 ルクトが鍛錬場に視線を向けると、彼がカーラルヒスへ行った後に入門したのであろう、見知らぬ顔が幾つもあった。


「まあな。良かれ悪しかれ、時がたてば人は入れ替わる」


 そう言うジェクトの声は少し悲しげだった。もしかしたら、この四年の間に迷宮(ダンジョン)攻略で命を落とした門下生がいたのかもしれない。だがそれは、ハンターである以上必ず起こり得る不測の事態だ。


「ところで、ラキにはもう会ったのか?」


「いえ。母屋には寄らず、まっすぐこちらに来たので。今、いるんですか?」


「うむ。ちょうど昨日、遠征から帰ってきた」


 今日は家にいるはずだ、とジェクトは言う。ちょうどその時、母屋と繋がる渡り廊下のほうから足音が聞こえ、道場に若い女が一人飛び込んできた。


「父上! 稽古を付けて頂きたいのですが……!?」


 現れた女の名はラキア・カストレイアという。ジェクトの末娘で、年はルクトと同じ。そのため彼が留学する前は一緒に切磋琢磨し、よく手合わせもしたものである。ルクトにとっては数少ない幼馴染の一人だ。


 うなじが隠れるくらいの長さのショートヘアは父親と同じ灰色だが、彼女のほうが張りと艶があり日の当たるところでは銀色にも見える。瞳は黒のようだが、よく見ると深い藍色だ。釣り目で、容姿が整っているせいもあってか、どこかキツめの印象を与える。


 さてその釣り目が、父の傍に立つルクトを見つけて大きく見開かれる。ルクトは留学しているノートルベル学園を卒業するまでヴェミスに帰ってくるつもりは無かったし、周りの人間もそのつもりだった。だから今回の帰郷はまったくの想定外で、彼がここにいるとは思わなかったのだろう。


「ルクト!? なんでお前がここにいる!?」


「ちょっと伝手を頼って、な。二週間くらいはこっちにいるつもりだ」


 セイルと〈バルムンク〉のことはぼかしてルクトはそう答えた。ラキアは「そうか」とだけ呟くと少しだけ考え込むようにして口を閉じた。その様子に、ルクトは諦めにも似た予感を覚える。


「ちょうどいい。ルクト、久しぶりに立ち合え」


 四年間の修行の成果を見せてやる、とラキアは好戦的な笑みを浮かべた。それを見てルクトは苦笑しながら肩をすくめる。こう言い出した彼女が決して引かないのは、四年前の時点で骨身にしみていた。


「……師範に稽古を付けてもらうんじゃないのか?」


「お前と立ち合いをした方がいい稽古になるからな」


 ささやかな抵抗も握りつぶされ、ルクトはもう一度苦笑した。父親であるジェクトのほうに視線をやると、彼は面白そうに笑うだけ。どうやらこの立ち合いを止める気はなさそうだ。


「分かった分かった。やるよ」


 そう言ってルクトはおどけたように両手を上げた。その様子はさほど嫌がっているようには見えない。もともと、道場に顔を出すことにしたときからこうなりそうな気はしていたのだ。


 立ち合いは全部で三本することになった。うち一本は〈抜刀重ね〉という、カストレイア流独自の形式で行われる。


 ジェクトが鍛錬場で稽古をしている門下生たちに声をかけると、彼らは木刀を振るうのを止めてルクトとラキアの立ち合いのために場所を空けてくれた。迷惑そうにしているものはいない。皆、多かれ少なかれこの降って湧いたイベントに興味を示していた。


 彼らが興味を持っているのは、ただ単にこれから立ち合いが行われるからではない。その立ち合いをする片方がラキアだからだ。道場主であるジェクトの娘として彼女の知名度は高い。だがその知名度が決して親の七光りではないほどに、彼女は道場でも屈指の実力者なのだ。当然、すでに免許皆伝も取っている。


 加えて、ルクトが知らない顔がいるとはいえ、鍛錬場には顔見知りも当然いる。つまり、十五歳でカストレイア流の免許皆伝を取ったルクト・オクスを知っている者たちだ。


 ルクトとラキア。互いに高い実力を持った者同士が立ち合いをする。同じ流派を学ぶ者たちがその立ち合いに興味を示さないわけが無かった。


「一本目は〈抜刀重ね〉でいいのか?」


 ルクトがそう尋ねると、ラキアはご機嫌な様子で頷いた。〈抜刀重ね〉とは一言で言ってしまえば抜刀術(カストレイア流では〈抜刀閃〉と呼んでいる)の打ち合いである。カストレイア流では抜刀術が大きなウエイトを占めており、そのためこのような形式の立ち合いが生まれたのだろう。


 ただし、この立ち合いではお互いの間合いはかなり開いていて、太刀の刃がそれぞれに届くことはない。ただ刃と刃を打ち合わせより鋭く速いほうが勝つ、という形式の立ち合いなのだ。ただ、引き分けで終わることも多い。ちなみに、抜刀術の性質上鞘がないとやりにくいので、〈抜刀重ね〉では木刀ではなく刃を潰した模擬刀が使われる。


 道場に用意されている剣帯を腰に巻き模擬刀を吊るすと、ルクトとラキアは外の鍛錬場に出た。そして衆人環視のなか、鍛錬場の真ん中で互いに適当な距離を取って向かい合う。


「互いに礼」


 二人から少し離れたところに立つ審判役の男がそういうと、ルクトとラキアはそれぞれ頭を下げて一礼する。ちなみにこの審判役はラキアの兄で、名前はルドガー・カストレイアという。


「構え」


 ルドガーの言葉を合図に、二人が腰を落として抜刀術の構えを取る。先程までざわめきが残っていた周りの野次馬も、この時点で水を打ったように静かになった。ピリピリとした、気持ちのよい緊張感が鍛錬場を満たす。


「始め!」


 開始の合図が響いても、二人は微動だにしなかった。〈抜刀重ね〉はその性質上、ただの一撃で決着が付く。そのため最初は互いに動かず、探り合いになるのが常だった。


 抜刀術の構えのまま、ルクトは正面のラキアを見据える。そしてそれはラキアも同じで、自然と二人の視線は擦れ不可視の火花を散らした。


(相変わらず、だな……)


 表面上は無表情なまま、ルクトは内心で苦笑した。「目は口ほどにものを言う」というが、ラキアの場合、勝気が目に表れすぎている。四年ぶりにあった幼馴染はその分やはり大人になっていたが、瞳に表れる勝気な輝きだけはなにも変わっていないように思えた。


(…………来る!)


 ラキアの瞳が好戦的に光る。彼女が動く合図だ。こういうところも四年前と少しも変わっていない。


 集気法を使い、烈によって動体視力が強化された視界の中、ラキアが動く。〈抜刀重ね〉では立ち合う二人がほぼ同時に動くのが普通だ。そうしないと上手い具合に刃がかみ合わないのだ。


 しかし今回、ルクトは一瞬だけラキアに遅れて動いた。一瞬とはいえこれは武芸者同士の立ち合い。それは、ラキアはもちろん周りで見ている門下生たちにもはっきりと分かる、明確な“遅れ”だ。


 勝負あった、の空気が一瞬だけ漂う。一撃で勝負が決まる〈抜刀重ね〉では、普通先に太刀を抜いたほうが有利なのだ。なぜならその方がより速く剣速を最高に持っていけるからである。


 ラキアも勝ったと思ったのだろう。彼女の顔に喜色が浮かぶ。しかしルクトは焦っていなかった。


 遅れた一瞬を使い、ルクトはラキアの太刀筋を見極める。〈抜刀重ね〉の基本は「より速く、より鋭く」だが、それ以外にも実はコツがある。例えば刃を合わせる位置や角度など、細かい要素ではあるがそれらは確かに勝敗を分ける要素に成りえるのだ。


 ルクトの太刀が鞘から放たれる。二振りの太刀はそれぞれ銀色の軌跡を描いて走り、そしてかみ合った。


 交錯は一瞬。ただし、太刀を振りぬいたのはルクトのほうだった。ラキアの太刀は彼女の手を離れ大きく弾き飛ばされている。


「そこまで!」


 呆然とした顔をするラキアを尻目にルドガーが決着を宣言する。彼はあえて勝者の名前を呼ぶことはしなかったが、しかしどちらが勝ったのかは一目瞭然だ。


 今の勝負は、周りで見物している門下生たちが目で追えないほど高速だったわけではない。彼らは距離をとって見物しているし、なによりここは迷宮(ダンジョン)の外。マナの濃度は薄く、そのため身体能力強化は低い水準で頭打ちになる。だから一撃で終わった立ち合いとはいえ、鍛錬場にいる全員がその一部始終を目撃していた。


 今回の立ち合い、先に動いたのはラキアだった。この時点で大半の人間は彼女が勝ったと思っていた。しかし、実際に勝ったのはルクトのほうだ。それはつまり、彼のほうが抜刀の速度が遥かに速く、しかも刃をかみ合わせる角度や位置も最適な位置だったということだ。そしてそれは、そんなことが出来るほど(こと抜刀術に関しては)、ルクトとラキアの間に技量の差があるということを意味している。


 ルクトが模擬刀を鞘に収める。その“チン”という音で、呆然としていたラキアが睨むようにして鋭い視線を彼に向けた。その目に宿るのは、憎しみではなく悔しさだ。


 二本目の立ち合いは模擬刀ではなく木刀を使って行われる。ルドガーの「構え」の合図でルクトとラキアはそれぞれ木刀を正面に構えた。ルクトが正面に見据えるラキアの瞳は、一本目のときよりも苛烈な戦意に満ちているように見えた。


 始め、の合図と同時にラキアが動く。身体能力強化を駆使して一息で間合いをつめ、低い姿勢から木刀を鋭く振るう。ルクトがそれを冷静に受けると、ラキアは足を止めず低い姿勢のまま彼の側面に回りこんだ。


 だがルクトもその動きを把握している。身体能力強化がぬるい水準でしか使えないのだからある意味当然だ。ラキアの動きを見極めながら、一撃一撃を丁寧に受けていく。


 ラキアとルクト。二人の動きは対照的だった。ラキアが動き回って激しく攻勢に出ているのに対し、ルクトは積極的には動かず守勢に徹している。だが、余裕があるように見えるのはルクトの方だった。攻めきれないラキアが苦い顔をするのに対し、ルクトは表情を変えず彼女の攻撃を冷たく見据えて捌いていく。


 ラキアは焦っていた。もともと彼女は守るよりは攻める方が好きで、素早く動き回りながら厳しく攻め立てるのが彼女のスタイルだ。いつの頃から、というわけではない。元来彼女はそういう性格で、自然と攻めに重きを置くスタイルになったのだ。


 だからこそ攻めて攻めて、それでも押し切れないと焦りが募ってくる。また、集気法で練っている烈には限りがあるから、いつまでも動いていられるわけではない。必ずどこかで限界が来る。そして激しく動いているラキアのほうが、より早く限界が来てしまうのだ。もちろん烈が切れたらまた集気法で補給すればいいのだが、そのための一瞬は明確な隙になってしまう。


 募る焦りがラキアの動きを雑にする。そして雑になった攻撃はことごとくルクトにかわされ弾かれ受け流される。結局、押し切ることは出来ず烈が切れたラキアは集気法を使うために一度下がることを余儀なくされた。


 その隙を見逃すルクトではない。下がるラキアに合わせて今度はルクトが前に出る。そして横から薙ぐようにして木刀を一閃。ラキアもそれに反応して攻撃を受け止め踏ん張るが、しかし彼女は烈がもうほとんどない状態。すぐに身体能力強化が切れてラキアの木刀は弾き飛ばされてしまった。


「そこまで!」


 審判役のルドガーが試合を止める。彼はやはり勝者の名前を呼びはしなかったが、しかし今回もどちらが勝ったのかは一目瞭然だった。


(攻めすぎなんだよな、ラキアは……)


 ラキアの腕はルクトから見てもなかなかのものだ。というより、二人の技量にそこまで大きな差はないとルクトは思っている。実際、四年ぶり立ち合ったラキアは以前よりも腕を上げていた。彼女の攻撃は記憶に残っている四年前のものより、遥かに鋭く速かった。


 では完勝ともいえる二度の立ち合いはどうなのかというと、それは簡単な駆け引きが出来るかどうかの差だとルクトは思っている。例えばラキアは攻めに重きを置く。だが、ついさっきまで攻めまくっていた人間がいきなり下がれば、それは「烈が切れた」と公言しているようなものなのだ。いわば自分の隙を大っぴらに見せびらかしているようなもので、これでは勝てないのも当たり前である。


 加えてルクトはラキアの戦い方をよく知っている。だから幾つかの対処法はすぐに思いついてしまうのだ。


(オレのほうは視野が広くなった、かな?)


 先程の立ち合いを思いだし、ルクトは自分の成長を実感する。ツバメのように素早く動き回るラキアを捕捉するのはなかなか大変なのだが、試合のなかでルクトは彼女の動きを追い続けることができた。そのおかげで全ての攻撃に対応できたのだ。カーラルヒスで遊んでいたわけではないが、こうして成長を実感できるのはやはり嬉しい。


「三本目、構え」


 ルドガーの声を合図に、ルクトとラキアは先程と同じようにお互い木刀を正面に構えて向かい合う。ルクトのほうは相変わらず感情を表に出さないが、ラキアは先程までにまして戦意をたぎらせていた。ただ、その奥には焦燥に似たものがあるようにも感じられる。


「始め!」


 ルドガーの合図が響くと、今度は二人同時に前に出た。二本目のときとは異なりルクトが能動的に動いたせいか、ラキアが一瞬だけ驚いたように目を見開く。だが、すぐに好戦的な笑みがその驚きに取って代わる。ようやく自分の得意な土俵に乗ってきた、と思ったのだろう。


 攻撃と回避に重きを置くカストレイア流の立ち合いらしく、ルクトとラキアはめまぐるしく動きながらそれぞれ木刀を振るう。二人の動きは激しくも滑らかで、ある種の演舞を見ているようですらあった。


 二人の戦い方は、実にカストレイア流らしいものだった。攻撃は可能な限り回避し、それが出来ないときだけ受け流すか、あるいは受け止める。そのため、二人の木刀は激しく振るわれているが、ぶつかり合うのは振るう回数の半分程度でしかない。


 まさに完成されたカストレイア流の立ち合いと言っていい。それほどまでにルクトとラキアの立ち合いはレベルが高く、その技の冴えには目を見張るものがあった。周りで見物する門下生たちからも感嘆のため息が洩れる。


(……ふう。ちょっと一息)


 激しく切り結んでいたルクトとラキアの二人が互いに離れて間合いをとる。二人とも烈が切れてきたのだ。今回は同じ程度の運動量で動き回っていたため、ほぼ同時に烈が切れたのである。


 集気法を使い烈を補給しながら、ルクトはラキアの様子を観察する。同じく烈を補給している彼女は楽しげだった。自分のスタイルで同格の相手と切り結べるのが楽しくて仕方がないのだろう。


(やっぱりラキは腕を上げたな……。ちょっと押され気味だ)


 傍から見ている分には互角の戦いに見えたかもしれない。しかし実際のところ、ごくわずかではあるがルクトのほうが劣勢だった。五分とわずかな劣勢を行ったり来たり繰り返していた、というのがルクトの印象である。


 技量の差、ではない。強いて言うのなら好みの問題だ。簡単に言えばラキアのほうが乗っているのである。


(でもまあ、そろそろ、かな……)


 そろそろ、終わらせる。少なくとも、そのために動く。


 真正面からの切り結ぶのはラキアの土俵。その土俵で戦えば彼女のほうが多少なりとも有利になるのは最初から分かっていたことだ。それでもあえてラキアの得意なスタイルに付き合ったのは、一言で言ってしまえば“慣れさせるため”だ。


 距離を取り烈の補給を終えた二人が、まるで示し合わせたかのようにほぼ同時に前に出る。あと数歩でお互いの間合いに入るその瞬間、ルクトは速度を上げて残りの間合いを一気に潰した。


 喉元に突きつけられた木刀を見てラキアが目を見開く。まるで反応できなかった。そういう顔だ。恐らく見えてはいたのだろう。だがそれでも反応できなかった。それはラキアがルクトの速度に慣れてしまっていたからだ。


 迷宮の外では身体能力強化は低い水準で頭打ちになる。つまり、その部分に関して言えば熟練者と素人で大きな差はうまれ得ない。だからラキアの最高速度はルクトの最高速度でもあったはずなのだ。


 ラキアは限界ギリギリの速度で動いていたし、ルクトもそれに合わせていた。つまり二人の速度はもうこれ以上あがりようがなかったはずなのだ。そしてなにより、ラキアはこの速度に慣れてしまっていた。


 しかし、ルクトが突然速度を上げる。ラキアにしてみれば完全に虚をつかれた形だ。そして見えていたのに反応できないという、屈辱的な負け方をしてしまった。


「そこまで!」


 ルドガーの声が響くとルクトは木刀を引いた。ラキアのほうを見ると、彼女は唇を噛み悔しさに顔を歪ませている。ルクトはもちろん兄のルドガーも気がついていたはずだが、彼は妹に声をかけることはせず、ただ「礼!」と声を上げて二人の立ち合いを終わらせた。


「…………っ」


 互いに一礼し顔を上げると、ラキアは顔を背けたまま一言も喋らず鍛錬場から走り去った。その後姿をルクトは苦笑しながら見送る。ああいう負けず嫌いなところも、四年前と少しも変わっていない。


「やれやれ、ああいう所はラキもまだまだ子供だな」


 苦笑する声にルクトが振り返ると、そこにいたのは審判役をしていたルドガーだった。彼はルクトにとっても兄のような存在で、道場に通い始めの頃は親身になって指導をしてくれたものである。


「相変わらずの負けず嫌いですね、ラキは」


「…………やれやれ。どうやらルクトもまだまだ子供のようだ」


 そう言ってルドガーは嘆息し首を振った。訳の分からないルクトが「どういうことです?」と聞いても、彼は「自分で考えるように」としか答えない。ただルドガーはどこか楽しげな、というか出来の悪い弟をからかうかのような笑みを浮かべていたので、ルクトは「きっとロクでもないことなのだろう」と思った。


「それより、時間があるなら昼食でも食べていかないか?」


 紹介したい人もいる、とルドガーは言う。メリアージュからも「ゆっくりして来い」と言われているので、ルクトはすぐに頷いた。


「お昼までまだ時間があるが、どうする?」


「身体を動かして腹をすかせておきますよ」


 ルクトがそう答えると、ルドガーは「そうか」とだけ言って母屋のほうに足を向けた。ルクトを昼食に誘ったことを伝えに言ったのだろう。


「よう、ルクト! 腕を上げたじゃないか!」


 ルドガーが離れると、回りで見物していた門下生たちが寄って来て話しかける。一番最初に声をかけてきたのは、顔見知りの門下生だ。


 瞬く間にルクトの周りに人だかりができた。どうやら彼は新しい門下生たちにも受け入れられたようである。ラキアと立ち合い、そして勝ったのがよかったのだろう。道場に通う門下生たちにとって腕が立つかどうかは、人物判断の重要な要素なのだ。


「こらー! 稽古に戻れー!」


 鍛錬場の真ん中で話し込む彼らに、道場の縁側に座るジェクトが声をかける。その声で門下生たちは首をすくめながら稽古に戻っていく。


 ルクトもまた懐かしい鍛錬場で木刀を振るう。さらに何人かとは手合わせも行った。カーラルヒスで自己鍛錬に手を抜いていたつもりは無い。だが、同門は一人もいなかったので、こういう手合わせは久しぶりだった。


 やがて時間は過ぎ、午前の稽古が終わる。ルクトは汗を流し、〈プライベート・ルーム〉のなかで着替えを済ませると、ジェクトの後について母屋に向かうのだった。


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