帰郷1
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「昨日は、本当に悪かったね」
アーカーシャ帝国の地方都市ベトエイムから強行軍で日帰りした次の日の朝。寝坊したルクトが遅い朝食を食べていると、紅茶を片手に持った男がそう言いながらテーブルを挟んで彼の前に座った。
輝く金髪に青い目。一八〇センチを超える均衡の取れた立派な身体。そして年齢不詳ながらも、人の目を惹き付けずにはいない甘い顔立ち。800年以上の時を生きる長命種、セイルハルト・クーレンズだ。彼もルクトと同じく、昨日は強行軍でベトエイムから日帰りしたのだが、その疲れは少しも残っていないらしい。
「……別にセイルさんが悪いわけじゃないでしょう」
ベトエイムでは、ルクトが騎士団に拘束されるという事件が起こった。その容疑は「禁制品の密輸」。しかしその容疑はでっち上げられたもので、本当の理由は総督のワルター・ギースがルクトの個人能力〈プライベート・ルーム〉に興味を持ち、彼の身柄を欲したためであった。だから誰が一番悪いのかといえば、容疑をでっち上げてまでルクトを拘束させたワルターが一番悪い。むしろセイルは助けてくれた側である。
「まあ、そうなんだけどね」
セイルが責任を感じているのは、ベトエイムという都市についてや、自分がレジスタンスを支援していることについて、ルクトにほとんど何も説明していなかった点だ。説明されていたなら事態が好転していたかは分からないが、しかし「どうせ一泊で帰る」という油断があったのも事実だ。
その油断のせいで危機に陥るのがセイル自身であれば別に良い。どうとでも切り抜けて見せる自信が彼にはある。だが事情を説明せずに連れて来たルクトを危険にさらした、というのはセイルにとって痛恨事だった。
「まあ、とにかく悪かったよ。報酬には色を付けさせてもらう」
「……そういうことでしたら」
きっとセイルなりにきちんとけじめを付けたいのだろう。報酬が増えるのであればむしろ歓迎するべきことで、ルクトはセイルの謝罪を受け入れた。これにて昨日の問題は終わりである。
「それで、今後のことなんだけど……」
セイルが言うには、ルクトに頼みたいような荷物運びの仕事はひとまずもうないらしい。つまり御役御免だ。そうなると拘束期間であった八月の残り、日数にして二十日弱の予定が空くことになる。
「その間、君はどうしたい?」
気楽な調子でセイルはルクトにそう尋ねた。このままカーラルヒスに帰っても良いし、八月いっぱいエグゼリオにいてもいい。どこか行きたい場所があるなら、〈バルムンク〉で送ってくれると言う。無論、帰りも含めて。
「……それじゃあ、ちょっとお願いがあるんですけど……」
少し考えてからルクトは口を開くと、彼のお願いをセイルは二つ返事で了承した。これでルクトの、八月の残りの予定が決まった。
▽▲▽▲▽▲▽
(だいたい丸四年ぶり、か……)
生まれ故郷である都市国家ヴェミスの街を歩きながら、ルクトはある種の感慨深さを覚え胸の中でそう呟いた。街並みはほとんど変わっていない。道行く人々も顔見知りが多く、ルクトは先程から色々な人たちに声をかけられていた。
ルクトがセイルにしたお願い。それが、この帰省だった。カーラルヒスとヴェミスの間は、そう簡単に行き来ができる距離ではない。そのため、カーラルヒスのノートルベル学園に留学してから、ルクトはこれまで一度も帰省しなかった。帰省すれば、往復だけで夏休みがつぶれてしまうからだ。
そこでセイルの個人能力〈バルムンク〉である。空を駆けるその能力で、ルクトはエグゼリオからヴェミス(正確には近くの森の中)まで送ってもらったのだ。また帰りも〈バルムンク〉でカーラルヒスまで送ってもらうことになっている。
『それじゃあ、また二週間後に』
『はい、おねがいします。……ところでセイルさんは寄っていかないんですか?』
『いや~あっはっはっはっは。じゃ、メリアージュによろしくね』
そう言うが早いか、セイルは素早く〈バルムンク〉に跨り飛び去ってしまった。ヴェミスに着いたのは空が赤くなり始めた時間帯で、すぐに折り返してエグゼリオに向かっても着く前に真っ暗になってしまうはずだ。
ただ、その辺りの事についてルクトは何も心配していない。飛べないほどに暗くなればどこかで適当に野宿をするだろうし、あるいは夜通し飛んでそのままエグゼリオへ向かうのかもしれない。まあ、なんにせよセイルなら大丈夫であろう。
ちなみに、仕事の報酬もすでに受け取っている。契約どおりに1000万シクと、「色を付ける」と言ってくれていた分として、レアメタルの一種であるヒヒイロカネのインゴットを幾つか貰った。量っていないので正確な重さは分からないが、太刀ならば三本は打てそうな量である。
『現金がいいのならそうするけど……』
それだとメリアージュの懐が温かくなるだけだしねぇ、とセイルは笑っていた。確かにお金を貰ってもそれは借金の返済に回されるだけでルクトの手元には残らない。それならば今後彼の役に立つように、ということでヒヒイロカネのインゴットを選んだのだろう。
『太刀を打つならヒヒイロカネが一番いい、って言われているんだ』
セイルはそう説明した。ちなみに剣ならばオリハルコンが最も良いとされている。「ではアダマンダイトは?」とルクトは思ったが、武器にするのであればヒヒイロカネやオリハルコンの方が優秀なのだと言う。
『値段は一番高いから、勘違いしている人も多いんだ』
そう言ってセイルは笑った。アダマンダイトの最大の特徴は、精神感応性ともいうべき性質である。この性質を持っているからこそ、アダマンダイトは魔導神経の主な素材になっているのだ。前述の二つに比べると値段はアダマンダイトのほうが圧倒的に高いのだが、それは需要量が多いためなのだろう。ちなみに武器の素材として使うのであれば、ダマスカス鋼より少し上、という程度らしい。
結局、ルクトは現金ではなくヒヒイロカネのインゴットを貰った。恐らくだが、純ヒヒイロカネ製の太刀を普通に買おうとしたら最低でも1000万シクはするだろう。それを考えれば、インゴットの状態であっても十分に価値がある。いざとなれば換金すればいいのだし。
『まあ、インゴットをどうするかは君に任せるよ。ご自由に』
ルクトがなにを考えていたのか、セイルは察していたのだろう。苦笑しながらそう言った。ただ、ルクトも貰ったインゴットをすぐに換金する気などない。すぐにではないにしても、いずれはこれで太刀を一本仕立てたいと思っている。それまでは死蔵することになるだろう。勿体無い気もするが、別に腐るわけでもない。保管場所も〈プライベート・ルーム〉の中に放り込んでおけばいいだけ。邪魔になるわけでもなかった。
『あとはコレだね』
そう言ってセイルがルクトに手渡したのは、エグゼリオの位置が記された地図と、その方位を指し示す魔道具の羅針盤だった。〈プライベート・ルーム〉もあわせれば、これでルクトは一人でもエグゼリオまで行くことができる。
『いつでもおいで。力になるよ』
セイルはそう言っていたが、彼の思惑の中にはルクト・オクスという人材の確保も含まれていたのかもしれない。もっとも、ルクトは長命種ではないので、そこまで熱心に欲しいと思っているわけではないのだろう。
閑話休題。話をヴェミスの街に戻そう。
セイルと別れたルクトは、一人ヴェミスの街を歩く。色々と顔を出したい場所はあるが、時刻はすでに夕方。なので、それは明日以降にまわすとして今日はまっすぐ家に帰るつもりだった。声をかけてくる人の中には「寄っていけ」と言ってくれる人もいたが、全て後日改めてということにした。
(そういえば土産が何もないな……)
当初の予定ではヴェミスに帰ってくるつもりはなかった。エグゼリオに行って、そのままカーラルヒスに戻るつもりだったのだ。それが、時間が空いたことでヴェミスに帰省できることになった。それはそれで良かったと思っているのだが、もともと帰るつもりがなかったせいで土産の類は何も準備してこなかったのである。
(ま、しょうがないか……)
まさかこれから、カーラルヒスまで土産を買いに行くわけにもいかない。それにカーラルヒスの土産といっても、すぐに「コレだ」というものが思いつかない。カーラルヒスで一番有名なのはやはりノートルベル学園で、そこの卒業証書を貰ってくるのが一番の土産であろう。もっとも、そのためにはあと二年必要だが。
大通りからわき道に入ると、行き交う人の数が減り、また風景の生活感が強くなる。日々の生活の様式はヴェミスもカーラルヒスも大差がない。だからここにあるのはある種見慣れた光景なのだが、それでもルクトは懐かしさを覚える。見慣れた街並みというのは、やはりそれだけで特別なものらしい。
わき道からさらに裏通りに入っていく。今ルクトが歩いている道は、メリアージュに出逢ったあの夜、借金取りに追われて走った道だが特にトラウマを感じることはない。というか、いちいちトラウマを感じていたらルクトは家から一歩も外に出られなかっただろう。
ただメリアージュに拾われて一、二年の頃は、夜にこの通りに出るとあの時の記憶がフラッシュバックすることが多々あった。そんなときは決まってメリアージュが傍にいてくれたもので、今となっては恥ずかしい思い出だ。
止めどなく思い出してしまうアレやコレやに少しだけ顔をしかめながら、ルクトは慣れた足取りで入り組んだ路地を歩いていく。そして目立たない一軒の家(もしかしたら店と呼ぶべきなのかもしれないが)に入った。
「変わらないな、ここも……」
四年前と変わらず人気のない玄関に、ルクトは苦笑しながらそう呟いた。ここがかの黒鉄屋だと言って、はたして信じる人はいるのだろうか。
「おや、誰かと思えばルクトかえ?」
店の奥から人影が現れる。白磁のように白く滑らかな肌と上質な漆器のように濡れ羽色に輝く長い髪。夏だからか、着ている濃紺のドレスはノースリーブだ。
言うまでもなくこの店の主、黒鉄屋のメリアージュである。少し髪が伸びたように見えるが、それ以外彼女は四年前と少しも変わっていなかった。ただこうやって向かい合うと、ほんの少しだが違和感を覚える。
「ふふ、やはり大きくなったのう」
目を細めて優しい微笑を浮かべるメリアージュの言葉で、ルクトはその違和感の原因を知る。身長だ。四年前にヴェミスを出立したとき、ルクトとメリアージュの身長はほぼ同じだった。それがこの四年間でルクトの身長が伸び、今では彼のほうが背が高くなっている。向かい合ったときの視点の違いが、違和感の正体だったのだ。
「まあね。持って行った服は、もう全部着られなくなっちゃったよ」
おかげで痛い出費だったよ、とルクトは大げさに嘆いて見せる。それを聞くと、メリアージュは細い指を口元に当てて楽しげに笑った。
「それが成長するということじゃよ」
そう言うとメリアージュは滑らかな足取りでルクトに近づき、そして腕を伸ばし彼の頭を抱くようにして引き寄せた。
「お帰り、ルクト」
すぐ耳元でメリアージュの柔らかい声がした。あまりにも自然に抱き寄せられたせいか、一瞬だけルクトは呆けて戸惑ったような顔をする。しかしすぐに動揺は去り、彼はごく自然に言葉をつむぐ。
「…………ただいま、メリアージュ」
▽▲▽▲▽▲▽
ルクトとメリアージュは向かい合って座っている。そして二人が挟んで座るテーブルには美味しそうな料理が並べられていた。
トマトとバジルの冷製パスタに青カビのチーズを生ハムで包んだもの。季節の野菜をふんだんに使い特製のドレッシングをかけたサラダに、ポークソテーのフルーツソースがけ。スープはシンプルに卵スープで、後はパンが用意されている。まだ出されてはいないがデザートも用意されており、旬の白桃を使ったコンポートだ。
パンは美味しいと評判の店から買ってきたものだが、それ以外は全てメリアージュのお手製である。もちろんルクトも手伝ったが。ちなみにメリアージュは料理を作る際、邪魔になるからと言って長い髪の毛を後ろでまとめポニーテールにしていた。
『飲むのであろう?』
そう尋ねるメリアージュの手には、ワイングラスが二つ。ルクトは頷いて答えたが、実は彼がヴェミスでお酒を飲むのはこれが初めてだ。留学する前は主に年齢的な理由でメリアージュが飲ませてくれなかったのである。
そんな彼女が、今では当たり前に「飲むか?」と尋ねてくる。そのことに、ルクトは妙なくすぐったさを感じた。もちろん顔には出さないようにしたが、果たして上手くいったかどうか。
「……そういえば、エグゼリオでシードルさんに会ったよ」
ルクトがそう言うと、メリアージュが傾けていたワイングラスが一瞬だけ止まった。動揺、である。ごく小さな反応だったが、ルクトにもそれと分かったのだ。メリアージュにしては大きな反応、というべきだろう。
「……そうか。アレも元気にしておったかえ?」
何事もなかったかのように赤ワインを優雅に口に含みながらメリアージュはそう尋ねた。とはいえ、セイル相手に「長命種に『元気か』と尋ねるのは無意味だ」と言っていたのは他ならぬ彼女である。もっとも、それをルクトが知る由もないが。
「うん、元気にセイルさんをコキ使っていたよ」
「そうか、相変わらずじゃな」
そう言ってワイングラスをテーブルの上に戻したメリアージュの口元には、うっすらと楽しげな笑みが浮かんでいた。
「あの二人は昔からあんな感じだったの?」
「ん? ああ、違う違う。そういう意味ではない」
ルクトの勘違いをメリアージュは笑って否定する。それから少しだけ視線を上にあげ、ここではないどこか、今ではないいつかを想いながら口を開いた。
「相変わらず、セイルの奴は狸じゃ」
ワケがわからずルクトが首をかしげていると、メリアージュは視線を戻してパスタを自分の皿に取り分ける。そしてそれを食べながらルクトが知りたがっていることを説明し始めた。
「シードルは長命種で、たしかにそれにふさわしい実力を持っておる。だが、アレは自力で長命種に成りおおせたわけではないのじゃ」
先天的な、つまり生まれながらの長命種は存在しない。全ての長命種は後天的にそうなるのだ。それを進化と呼ぶべきかは分からないが、成長、しかも劇的な成長であることは確かだ。
「長命種は長命種同士、決して大きくはないがコミュニティーを持っておる。そしてそのコミュニティーの中で、自力で長命種に成れなかった者は一段低く見られるのじゃ」
全てがそうではないがそういうふうに見る者は少なからずおる、とメリアージュは言った。ということは、シードルは長命種たちのコミュニティー、つまり繋がりのなかで格下に見られる場合がある、ということだ。
「だが、シードルは優れた事務能力を持っておる。そしてその能力はエグゼリオの都市建設という一大事業において必要不可欠なものじゃ」
エグゼリオの都市建設のために、シードルは欠かすことのできない人材だ。しかしそのプロジェクトに参加する長命種の中には、格下(と思っている)のシードルからあれこれと指示を出されるのを嫌がる者も出てくるだろう。
「そこでセイルがシードルに用意した役回りこそが、『セイルハルト・クーレンズを唯一制御可能なお守り役』という立場、なのじゃろうな」
セイルハルト・クーレンズという人物は、長命種のコミュニティーの中でも際立った存在なのだそうだ。それは生きてきた時間の長さや彼自身の能力、加えて顔の広さなどに由来する存在の大きさである。そんな彼だからこそエグゼリオを、長命種の都市を造るという途方もない計画を立て、そして実行に移すことができたのだ。彼が立案者でなければ、この計画は動き出すことすらなかったに違いない。
しかしだからと言ってセイルがいれば計画を成功させられるわけではない。むしろ、〈バルムンク〉という機動力に優れた能力を持つ以上、必然的に彼は外回りの仕事が多くなるだろう。となれば、彼がいない間エグゼリオに残って仕事を監督する者が必要になる。
それがシードルなのだ。そして彼女が侮られないようにするため、「シードルならばセイルの手綱を取って仕事をさせられる」という評価を人為的に作り上げて箔をつけた。セイルとシードルの両者を良く知る立場のメリアージュはそう推測している。
「シードルさんは、そのことを……」
「気がついてはおらぬじゃろうな。アレは確かに優秀じゃが一つのことしか目に入らぬきらいがある」
都市建設のことで頭が一杯でセイルの思惑には気がついていないはず、とメリアージュは言った。そしてそれさえも、恐らくはセイルの思惑のうちであると彼女は言う。これは深慮遠謀と言うべきなのか。畏れよりも呆れを感じるルクトは、たぶん違うのだろうなと思った。
「もっとも、自分が仕事をしたくないというのもあるのじゃろうが……。まあ、何食わぬ顔でそういう事をする。アレはそういう男じゃ」
だからこそメリアージュはセイルのことを「狸」と評したのかもしれない。彼との付き合いはまだ短いが、ルクトにもそういえば思い当たる節がある。
「ベトエイムに行った時も、色々目的を隠していたみたいだったけど……」
セイルがルクトを連れアーカーシャ帝国の地方都市ベトエイムに行ったとき、当初彼はその目的を「魔石を売るため」と説明していた。もちろんそれは嘘ではなく本当のことだったが、しかしそれが目的の全てではなかった。
セイルには複数の目的があった。レジスタンス〈ベトエイム解放戦線〉にアダマンダイトのインゴットを供給すること。そして大量の魔石を売却することでその値段を下げ、レジスタンスが魔石を手に入れやすくすることも織り込み済みだったように思う。
「別に隠していたわけではあるまい。お主には関係ないことだから話さずにおいた。それだけではないのかえ?」
情報や知識は多く持っていればいるほどよい、とセイルは考えていない。知らずにいたほうが、無関係なままでいたほうがよいこともある、というのが彼の考え方だ。そしてメリアージュもどちらかと言うとそちらよりの考え方をしている。もしかしたら長命種として長く生きているとそういうふうに考えるようになるのかもしれない。
「そうかもしれないけど……。けど、せめて帝国が腐っているってことくらいは教えて欲しかったよ」
そうと分かっていればそれなりに警戒をした。そして警戒していれば総督のワルターに捕まることもなかったのに、とルクトは愚痴る。
「総督に捕まった? どういうことじゃ?」
ルクトの言葉を聞きとがめ、メリアージュの表情が少しだけ険しくなる。そしてルクトからベトエイムでの顛末を聞くと、彼女は大きく息をついて嘆息した。
「そうかえ……。そんな事がのう……」
そう言ってメリアージュは小さく頭を振った。それから少しの間何かしらを考え込むと、彼女は食卓の上に手をかざす。すると、かざした手のひらの上で〈闇〉が踊り回転しながら凝縮していく。闇を生み出し操るメリアージュの個人能力〈闇語り〉の力である。
「これを持っておくとよい」
そう言ってメリアージュがルクトに渡したのは、光沢のある黒い石のようなものだった。今目の前で見た通り、〈闇語り〉の力を押し固めたものだ。あえて言うならば、魔石からマナを抽出した後に残る黒石に似ている。手にとって見ると、見た目どおりに硬く程ほどの重さがあった。
「これは?」
「おぬしの方から妾に連絡を取りたいとき、それを砕いて使うが良い」
ただし使えるのは一度限り。だから滅多なことでは使うな、とメリアージュは釘を刺した。ふ~ん、と生返事をするとルクトは礼を言ってからその“黒い石”をズボンのポケットにねじ込んだ。後で〈プライベート・ルーム〉の中に入れて保管しておけばいいだろう。ちなみにこの場で砕いてみたい欲求にかられたが、さすがにそれは自重した。
「しかし、そうかえ……。帝国はそこまで腐っておったか……」
メリアージュはどこか悲しむようにしてそう言った。それを見て、ルクトは彼女がセイルの弟子であったことを思い出した。
「メリアージュは、帝国にいたことが……?」
「……ああ、ある。帝都で随分長いこと暮らしたものじゃ……」
当時を思い出しているのか、メリアージュは目を瞑り穏やかな笑みを浮かべてそう言った。セイルハルト・クーレンズはアーカーシャ帝国建国の三英雄の一人にして、〈アーカーシャの守護騎士〉と呼ばれていた男だ。当然、その当時の彼の活動の拠点は帝都アーカーシャであり、そんな彼の弟子であれば一緒に帝都で生活していたとしても不思議ではない。
「…………っ」
口を開きかけたルクトは、しかし何も言えずに口を噤む。メリアージュはこれまで自分のこと、特に過去の話を積極的にはしてこなかった。そんな彼女に対しこの話題でさらに質問を続けていいのか、ルクトは戸惑ったのだ。
「……妾が長命種であることは、すでに聞いておるのであろう?」
「……ああ、セイルさんから聞いた」
そうかえ、と呟いてメリアージュはワイングラスを手に取った。そして軽く揺らして中の赤ワインを躍らせ、その香りを楽しむ。ワインを飲み干しグラスをテーブルに戻すと、少なからず萎縮しているルクトに彼女は柔らかい笑みを向けた。
「いずれ時が来れば、妾の過去のことも教えてやろう」
あまり立派な話ではないがな、と彼女にしては珍しくメリアージュは自嘲気味に笑った。
セイルはメリアージュのことを「家出娘」と言っていた。立派ではないというのは、あるいはそのあたりの事情のことなのかもしれない。
「分かった。じゃあ、いずれ適当な時に」
「うむ。いずれ適当な時に、な……」
しばしの沈黙の後、話題が切り替わる。久しぶりに二人で食べる夕食の時間は穏やかに過ぎていった。
▽▲▽▲▽▲▽
ちなみに。少し後のこと。
「そういえば、セイルから報酬は貰ったのかえ?」
「うん、1000万シク」
「では、後でよいのでキリキリ吐き出すように」
「……りょーかい」
――――借金残高は、あと6000万シク。