エグゼリオの守護騎士13
程よく冷たい石の床の上、甲高い音を立てて鉄格子が閉じられ、足音が遠ざかるのを確認すると、ルクト・オクスは薄く目を開けた。そして視線だけ動かして、今いる場所が間違いなく地下牢であることを確認する。
その次は身体の確認だ。先程ベトエイム総督のワルター・ギースに酷く踏みつけられたり蹴られたりしたが、しかしルクトの身体に残るダメージは小さい。集気法を使って烈を練り、身体能力強化を使っていたからだ。こうしておけば、相手が武芸者でない限り大きなダメージを受けることはない。
(最初の一発は油断したなぁ……)
ワルターに殴り倒された、あの一発である。あの一発だけは身体能力強化が間に合わず、まともにくらってしまった。修行が足りない、とルクトは場違いと思いつつも自戒した。
(身体のダメージは問題ない。あとは……)
ルクトが少しだけ腕を動かすと、ジャラリ、と硬質な音がした。今彼は後ろ手に手枷を付けられているのだ。ただ、足のほうに違和感はない。足枷は付けられていないようだ。
(ま、これくらいなら問題はないか……)
手枷を外す方法にはアテがある。だが、今すぐに外すつもりはなかった。外すのはここから逃げる直前だ。
牢の決して高くはない天井の近くには小さな鉄格子つきの窓があり、そこから夕方の赤い光が差し込んでいる。つまり今はまだ明るい。脱獄するのは、もっと暗くなってからだ。
(少し、寝るか……)
大事無いとはいえ、やはり身体にダメージは残っている。今は回復が先決と思い、ルクトは目を閉じた。これが真冬であれば寒くて眠ってなどいられなかったのだろうが、今は暑い夏の盛り。地下牢は涼しく、むしろ快適だった。ただし、あくまでも気温の面では。
(臭いな、ここは……)
やはり地下牢は、快適とは言いがたい。
▽▲▽▲▽▲▽
硬い石畳の上、軽いうめき声を上げてルクトは目を覚ました。目を開けると、地下牢は真っ暗になっていた。ただ、月が出ているのか窓から淡い光が差し込んでおり、なにも見渡せないほどに暗くはない。鉄格子越しに通路のほうを確認すると、遠くに松明と思しき明かりが灯っている。ただ、人の気配はない。
(好都合……、かな)
月明かりの中、ルクトはゆっくりと身体を起こし、石畳の上で胡坐をかく。そして集気法を使って烈を練ると、その烈を手枷の鎖の付け根に集中させた。
目を薄く閉じて意識を集中する。そして練気法を使い、鎖の付け根に集中させた烈を動かし、弾く。それを何度か繰り返すと、“ピキン!”と甲高い音を立てて鎖の付け根が変形した。あとは力任せに壊して外すだけだ。手枷自体はまだついているし鎖もジャラジャラとして邪魔だが、ひとまずコレで両腕は自由になった。
「さて、次は……」
ゆっくりと立ち上がると、ルクトは地下牢の天井近くに設けられた、鉄格子の付いた窓に目を向けた。そして軽くジャンプして窓の鉄格子を掴むと、壁に足をつけて身体を安定させる。
窓それ自体は、人が一人何とか通り抜けられる程度の幅はある。だが、鉄格子がはめられているため、実際に外に出せるのは腕の一本がせいぜいだ。普通に考えれば、ここから脱獄することなど不可能だ。
しかし、ルクトにとっては腕一本が外に出れば十分だった。右手と両足で身体を支え、彼は左手を鉄格子の間から外に出す。そして指を“パチン!”と鳴らして〈ゲート〉を開いた。
外に〈ゲート〉を一つ開くとルクトは窓からおり、今度は牢の中でもう一つ〈ゲート〉を開いた。彼はその〈ゲート〉を通って〈プライベート・ルーム〉の中に入り、そしてそこに開いているもう一つの〈ゲート〉から外に出る。そこはもう、地下牢の外である。
〈ゲート〉と〈プライベート・ルーム〉を使った、擬似的な瞬間移動である。地道に能力を検証してきた成果が、ここへ来て役立った形だ。
外へ出たルクトは、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。そんな彼に、声をかける人影が一つ。
「やあ、ルクト君。お勤めご苦労様」
人が近くにいると思ってはいなかったルクトは盛大にむせた。そして咳き込み涙目になりながら声のした方に視線を向ける。さも当たり前と言わんばかりの様子でそこにいたのは、やはりというかセイルハルト・クーレンズ。一緒にベトエイムにまで来た、ルクトにとっては雇い主に当たる男である。
「……なんでここに……?」
「そりゃもちろん、君を助けに」
「じゃあ、ちゃんと助けてくださいよ……」
セイルは助けに来たと言うが、ルクトは完全に自力で脱獄した。いつからここにいたのかは知らないが、助けに来たと言うのであればそれらしく手伝ってくれてもいいだろうに、とルクトは思う。
「いやあ、面白そうなことをしていたからね」
ちょっと見学さ、とセイルは悪びれもせずにそう言った。ルクトのジト目も彼の鉄壁の笑顔に跳ね返される。ため息をつき、それでも何か文句を言ってやろうとルクトが口を開きかけると、「それにしても」とセイルが機先を制した。
「いつまでもこんなところでのん気に話していていいのかい?」
お客さんが来てるよ、とセイルが地面すれすれの高さについている地下牢の窓、のさらにその奥を指差す。そこには見回りに来たのであろう、明かりを持った衛士が一人、あんぐりと口をあけて二人のことを見上げていた。
微妙な空気が流れる。いたたまれなくなったルクトが引きつったぎこちない笑みを浮かべながら手を振ると、衛士は二人を指差して大声を上げた。
「だ、脱獄だ!?」
言うが早いか、衛士は踵を返して走っていく。どこへ行くかは分からないが、なにをしに行くかは考えるまでもなく明白である。
「に、逃げましょう、セイルさん!」
「そうだねぇ、逃げようか」
切羽詰った様子のルクトと、どこまでものんびりとしているセイル。そんな対照的な二人は、建物の壁に背を向けて走り出した。どこへ向かって、というわけではない。ひとまず動かなければ、ということしかルクトの頭の中にはなかった。
腰ほどの高さの植木を跳び越えると、そこは石畳を敷き詰めた広場になっていた。恐らくは衛士や騎士の鍛錬場であろう。結構な広さがある。そしてその奥には高い城壁がそびえ立っていた。
(城壁……! どうする……!?)
総督府の建物の中では銅鑼が激しく打ち鳴らされており、そのけたたましい音はルクトの耳にも届いている。当初のルクトの予定では、こっそりと抜け出すつもりだった。時間さえあれば城壁を越えることも出来るだろうと思っていたのだ。だが、こうも早く見つかってしまい、その目論見は早くも崩れてしまっている。
建物から鍛錬場に通じる扉が開かれ、魔道甲冑を装備した騎士たちが次々に出てくる。脱獄が発覚したのはつい先程。忌々しいくらいに展開が早い。どうやら練度は高いようだ、とセイルは後ろを振り返りながら内心で評価を下した。
「ルクト君、そんなに焦らなくても大丈夫だよ」
セイルが前を向くと、そこには走るルクトの背中がある。彼が焦っているのは一目瞭然だ。とはいえ、これは普通の反応でもある。普通の武芸者は魔道甲冑を装備した騎士に対してなす術がない。追いつかれれば終わりなのだ。焦って当然である。
セイルの声を聞いて閃くものがあったのか、一心不乱に走っていたルクトが猛然と振り返る。そして喜色の浮かぶ声で叫んだ。
「セイルさん、〈バルムンク〉!」
正解、とセイルは胸のうちで呟いた。天駆ける天馬は、この状況から逃げ出すのに最善の手段だ。セイルはもちろん最初から気がついていたが、ルクトが動きたそうにしていたので付き合ってみたのである。
足を止め、迫ってくる騎士たちを気にして急く様子を見せるルクトに苦笑しながら、セイルは白き天馬〈バルムンク〉を呼び出す。先にルクトを乗せると、セイルは〈バルムンク〉の首筋を軽く叩く。それを合図にして〈バルムンク〉は空へと駆け上がり、そして鍛錬場が見渡せる高さで旋回し待機した。
「セイルさん!?」
白き天馬に跨るルクトは思わず声を上げた。彼はすでに鍛錬場の上空にいて安全圏にまで離脱しているが、しかしセイルは地上に残ったままだったからだ。
いや、彼がどうなるとは思わない。最悪、城壁を突き破るなりして外へ逃げることは可能だろう。しかしなぜ、彼はそこに残ったのか。
「ルクト君! 僕はこれから人を殺す! 見たくなければ目を瞑っていなさい!」
上空で待機するルクトに向かってセイルは声を張り上げた。つまり、これから騎士たち相手に一戦やらかす、と彼は言っているのだ。当然ルクトは「なぜ」と思ったが、セイルの鋭い目つきと有無を言わせぬ口調に押し黙る。
ルクトを助ける、という目的はすでに達成されている。それでもセイルがここで戦うことを決めた理由。それは彼自身のアーカーシャ帝国と言う国への責任とけじめのためだった。そしてその同じ理由で彼はレジスタンス〈ベトエイム解放戦線〉をこれまで援助してきたのだ。
ただこうして騒ぎを起こした以上、これから先は思うように援助も出来なくなるだろう。だからここで騎士団の力を削いでおき、それをもって彼らへの最後の支援とする。そういう理由もセイルの中にはあった。
「『人を殺す』だと? 武器も持たずにふざけた事を」
逃げるそぶりも見せずに悠然と立つセイルを、完全装備の騎士たちが取り囲む。その数、三十余。普通に考えるならば絶望的な戦力差だ。
いや、確かに彼らの間には絶望的な戦力差がある。ただし、騎士たちが強者なのではない。絶対的にして圧倒的な強者であるのは、彼らの前に無手で立つただ一人の男。
「――――〈ジークフリード〉」
セイルがその言葉を口にした瞬間、夜の暗い鍛錬場に眩しい光が輝いた。離れた上空にいるルクトでさえ思わず手で目を庇ったのだ。直近にいた騎士たちは視界が光に埋め尽くされて利かなくなったに違いない。
光が収まったとき、そこにいたのは一人の「騎士」だった。全身を隙間なく覆う甲冑は優美にして流麗。一個の芸術品でありながら、しかし見た者はそれが実用品であるとすぐに分かるだろう。その白銀の甲冑は黄金色の光を淡く放ち、夜の暗がりの中、月明かりに照らされるその姿は、神々しくまた神秘的だった。
今セイルが手に持っている武器は白銀の槍だけ。〈キメラ〉の特異体と戦ったときに持っていた盾も腰間にあった剣もない。恐らく必要ないと判断して出さなかったのだろう。
鍛錬場の上空、〈バルムンク〉に跨って下の様子を見ていたルクトは思わず唾を飲み込んだ。セイルの本気を感じ取ったのだ。自分が戦うわけでも、まして危険が及ぶわけでもないのに、彼は緊張で身体を硬くした。
しかし、そんな彼以上に大きな反応を示し、動揺した者たちがいた。セイルを囲む騎士たちである。
「天駆ける天馬……。黄金色に輝く白銀の鎧……! ま、まさか、貴方は……!!」
――――〈アーカーシャの守護騎士〉。
騎士たちが次々に口にするその単語を聞いて、フルフェイスの冑の下、セイルは悲しげに目を伏せた。その様子はもちろん外からは見えない。何かを堪えるように一瞬だけ目を瞑ると、セイルは猛然と攻撃を開始した。
そこから先の光景は、ルクトにとってまるで夢でも見ているかのようだった。白銀の槍が神速で振るわれるたびに、騎士たちが装備する魔道甲冑がまるで紙切れか何かのように切り裂かれ貫かれ、そして赤い血が流れていく。
魔道甲冑とは人類が持つ最強の力である。極端なことを言えば、この力のおかげで人類はこの世界に生息圏を持っているのだ。「絶対に敗れることはない」と少なくとも普通の都市住民たちは思っているし、「絶対に敗れてはならない」と都市政府の人間たちは思っている。
普通であれば、魔道甲冑はその信頼に十全応えることが出来ただろう。魔道甲冑はその全ての装備が魔装具、つまり武器としての魔道具だ。攻撃力・防御力ともに、普通の甲冑とは比べ物にならない。
その人類の武力的切り札が、しかしたった一人の相手に蹴散らされていく。見方によっては、その光景は人類がこの世界から駆逐されていく、まさにその様子とも言える。ただセイルにその意図はないし、彼が今考えていることもまた別のことだった。
騎士団が使っている魔道甲冑とセイルの〈ジークフリード〉は、どこか似通ったデザインをしている。それは偶然ではない。なぜなら、アーカーシャ帝国の魔道甲冑のデザインの出所は、元を辿れば〈ジークフリード〉に行き着くからだ。
『セイル様、僕、魔道甲冑を作りたいんです! セイル様の〈ジークフリード〉みたいな魔道甲冑を!』
淡々と、まるでつまらない作業を繰り返すかのように騎士団を蹴散らしていくセイル。そんな彼の脳裏に甦るのは、遥か昔の記憶だ。まだ年若い見習いの魔道技師に乞われ〈ジークフリード〉を見せてあげたとき、彼は目を輝かせて自分の夢を語ったものだ。その目の輝きは、あの時代のアーカーシャの輝きそのものだった。
(埒もない……)
セイルは苦い思いを胸の中だけでそう言葉にした。輝きを失ったことは確かに苦い。だが輝きを失っていくその時に、自分が何もしなかったことこそが、一番苦い。
『セイル様みたいに〈守護騎士〉と呼ばれるにふさわしい、アーカーシャを守って守護する、そんな魔道甲冑を僕は作りたいんです!』
そう願った魔道技師は自分の夢をかなえた。そしてその夢の果ては、今セイルの目の前に弱々しく立ちはだかっている。恐怖に染められた叫び声と共に突き出された突撃槍の切っ先を、セイルは避けるのではなく左手で掴み、そして握りつぶした。
「なぜです!? 建国の三英雄の一人にして〈アーカーシャの守護騎士〉とまで呼ばれた貴方が、なぜ!?」
「…………大切なものを汚されたくないと願うのは、人として当然のはずだ」
答えるつもりはなかった。そんな資格などもう自分にはない、とセイルは思っているのだから。その資格は、遥か昔に捨ててしまった。今更動くには、もう全てが遅すぎる。
息を呑み、さらに言葉を続けようとする騎士を無視してセイルは槍を振るった。足をすくわれ鍛錬場の石畳の上に仰向けに倒れた騎士の胸元に、狙いたがわず白銀の槍が吸い込まれていく。
「……我々は……、帝国に、栄光を……」
「そんなこと、望んではいなかったよ。レイドもジフも」
また余計なことを言ってしまった、とセイルは冑の下で顔をしかめた。だがそれでも言わずにはいられなかった。あの二人が願っていたアーカーシャの姿は、決して今の帝国ではなかったのだから。
それからしばらくして、完全装備の騎士三十人あまりは全て駆逐された。戦場となった鍛錬場の石畳は赤く染められている。その中に一人立つセイルには、しかし何の汚れもついていない。まるで〈ジークフリード〉が汚されることを拒否しているかのようだ。
セイルは総督府のほうへと目を向ける。騎士が集まっているのだろう。気配はあったが、しかし出てくる様子はない。怖気づいた、というのは酷だろう。出て行ったところで勝てる見込みなどないのだから。
潰しておこうかとセイルは考え、しかし首を振った。レジスタンスへの援護ももう十分であろう。これ以上はただの八つ当たりにしかならない。
上空で待機していた〈バルムンク〉を地上に降ろす。むせ返るような血の臭いに、ルクトは思わず顔をしかめた。
「セイルさん……」
騎士の一人が叫んだ「建国の三英雄の一人」や「〈アーカーシャの守護騎士〉」という言葉はルクトの耳にも届いていた。それで思わずセイルに声をかけたルクトだが、しかしなにを言えばいいのか分からず言葉が続かない。
「お待たせ。嫌なものを見せてしまったね」
さあ行こう、と言ってセイルは〈バルムンク〉に跨りその腹を軽く蹴って合図をした。すぐさま〈バルムンク〉は空へと駆け上がり、鍛錬場が、総督府が、そしてベトエイムが遠く小さくなっていく。
月が照らす空の中、ルクトは一つ息をついた。〈バルムンク〉に乗って飛ぶ夜空は幻想的で、どこか現実離れしているように感じられる。そのせいか、今日一日の出来事がまるで夢だったかのようにルクトには思えた。
「……僕にはね、昔、二人の親友がいたんだ」
個人能力を解除したセイルが、静かにそんなことを話し始める。その二人の親友の名は、アルクレイド・アーカーシャとジフニス・ボルニ。ともにアーカーシャ帝国建国の三英雄の一人として数えられている。
「アーカーシャの都市建設は僕たちが中心になってやっていたんだけど、その中でもレイドがリーダーみたいな感じでね。だから都市の名前は〈アーカーシャ〉になったんだ」
当時のことを思い出したのか、セイルは苦笑気味に笑う。
「アルクレイドのことを、ジフは『アルク』って呼んでいたし、僕は『レイド』って呼んでいた。二人で話しかけるたびに『どっちかに統一しろ』って文句を言われたもんだよ」
だけどあれは絶対に本人も面白がっていたね、とそう言ってセイルは笑った。だがその笑みはすぐに消える。数秒の沈黙の後、セイルは再び口を開いた。
「…………アーカーシャ帝国が今みたいな形になった原因は、少なくともその一端は僕にあるんだ」
アーカーシャ帝国の征服と支配を支えているのは、一言で言ってしまえば「力」である。そしてこの「力」とは、おもに魔道甲冑のことを指す。つまり帝国は他と比べ、保有している魔道甲冑の数が圧倒的に多いのである。
地方都市のベトエイムでさえ、魔道甲冑は二〇〇体も配備されていた。これは平均的な都市国家の二倍である。帝都アーカーシャにいたっては「帝都に衛士はいない」とまで言われている。つまり全員が騎士で、一〇〇〇体規模の魔道甲冑を保有しているのだ。
「少し話は違うけど、魔道甲冑と普通の魔装具はどう違うと思う?」
「え、違うんですか?」
「そりゃそうだよ。ただの魔装具ならもっと数があっていいはずだろう?」
セイルにそう言われ、ルクトは改めて考えてみた。魔道甲冑の特徴や普通の魔装具との差。そういうものを頭の中で並べて整理していく。
「……魔道甲冑は全身を覆うもの、という点ですか?」
「半分正解。五〇点」
ルクトの言ったとおり、魔道甲冑は全身を覆うものだ。二つ以上の魔装具を一度に動かすことも珍しくない。そして、それゆえにより感覚的な制御が必要になる。つまり、例えば加速しようと思ったときに、それに関係する装備が連動して動いてもらわなければ困る、ということだ。
「それぞれの魔装具は連動させるために〈魔導神経線〉と呼ばれる、細い糸状の金属で繋がっている。この魔導神経線は特殊な合金なんだけど、その主成分がアダマンダイトなんだ」
だがアダマンダイトのドロップ量は少ない。そしてこれこそが魔導甲冑の数をなかなか揃えられない最大の理由だった。素材がなければ道具は作れない。自明の理である。
余談になるが、アダマンダイトの価格が高止まりしているのも同じ理由である。魔導甲冑を作るために欠かせないアダマンダイトは戦略物資という位置づけであり、そのため都市国家政府が意図的に値段を釣り上げて買い取っているのだ。
「逆を言えば、アダマンダイトさえあれば魔導甲冑の数を揃えることはさほど難しくない」
「じゃあ、もしかして……」
ルクトの脳裏に、カーラルヒスのカデルハイト商会での光景が甦る。あの時、彼は大量のアダマンダイトインゴットを積み上げて見せた。そしてルクトの予想を肯定するかのように、セイルは一つ頷いて言葉を続けた。
「そう。アーカーシャに大量のアダマンダイトを供給していたのは、他ならぬこの僕なのさ」
長命種であるセイルは、長い期間にわたってアーカーシャを拠点にして迷宮攻略を行っていた。〈バルムンク〉の機動性を駆使して迷宮に潜る彼は、普通では決してたどり着けないような深い階層で日常的に狩りをしており、その結果希少なドロップアイテムを数多くアーカーシャに供給していたのだ。そして彼が供給する希少な資源の一つが、他ならぬアダマンダイトだったのである。
「政治的なことに関わりたくなかった僕は、逃げるように迷宮に潜っていたからね……」
そう言ってセイルは自嘲気味に笑った。彼が言うには、自分がアーカーシャにいたときに確保したアダマンダイトインゴットの備蓄はまだ残っているはずで、一体どれだけの戦果を上げたのかルクトは呆れるのを通り越して空恐ろしく感じた。
そうやって過剰なまでのアダマンダイトを手に入れたアーカーシャは、魔導甲冑を量産し軍備を整えていく。その力は、初めは身を守るためのものだった。しかしその力が他の都市を侵略するために使われるようになるまでに、そう長い時間はかからなかった。
「そして、その行き着いた先はご覧の有様さ」
アーカーシャは帝国と成り、他の都市を差別し虐げて支配している。さらに最近では内部の腐敗も目立つようになってきた。容疑をでっち上げてルクトを拘束させた総督のワルターなど、腐敗の典型的な例と言えるだろう。
「アーカーシャ帝国はね、組織としてもう限界に来ているんだと僕は思う」
だがそれでも。自分の手で帝国を倒してしまうことは、どうしてもセイルには出来なかった。能力的な問題ではない。感情的な問題だ。親友たちとの思い出が甦ってくるたびに、どうしても自分から動くことを躊躇してしまう。アーカーシャが道をたがえてしまったと思ったその時に動けなかったのも、それと同じ理由だ。それで結局レジスタンスの支援なんてことをやっている、とセイルは自嘲した。
「……実はね、ルクト君には申し訳ないと思うのと同時に、感謝もしているんだ」
それは先程のことだ、とセイルは言う。まさについ先程、セイルは自分から能動的にアーカーシャ帝国の騎士団と戦った。それは今までになかったことだ。自分の中でなにか一つケリを付けられたように思い、そのきっかけとなったルクトにセイルは感謝していた。
「オレは捕まって逃げただけですけど……」
「それでも、君がいなければやっぱり僕は何もしなかっただろうからね」
今更だけど少しは吹っ切れたように思う、とセイルは言った。その時の彼の顔は、月明かりに照らされ晴々としていた。
(そうだ……。エグゼリオをもう少し大きくしてみようか……)
アーカーシャ帝国はそろそろ限界だ。そう遠くない未来、各地の地方都市で独立運動が頻発するだろう。これは各地のレジスタンスを支援してきたセイルの、肌で感じている予感だ。
そうなれば帝国は内戦状態になる。良かれ悪かれ国は割れるだろう。そしてその時、都市を捨てて逃げなければならなくなる人々も出てくるはずだ。
そういう難民たちを一部でも受け入れられるように。エグゼリオと言う都市をもう少し大きくしておこう。セイルはそう思った。
あの日見た夢の続きを追えるとは思わない。いや、セイルが二人の親友と共にアーカーシャに託した夢は確かに一度叶ったのだ。だが夢が叶って世界が終わるわけではない。夢が叶っても世界は続く。ただそれだけのことだ。
だがそれでも。長く生きていれば夢を忘れずにいることはできる。あるいはそれこそが、長命種となった自分にあの二人が願うことでないだろうか。セイルはそう思った。
というわけで。「エグゼリオの守護騎士」、いかがでしたでしょうか?
タイトルからも分かるように、今回は主にセイルの話でした。長命種の設定自体は話の最初期からあったので、早く表に出したいな、とは思っていました。
ただ、一学生のルクトと関わらせるには接点があまりなく。色々考えてこういう話にしてみました。
さて、次のお話は幕間です。とはいえ、話の時系列はこのすぐ後の話。
本当はこの幕間も含めて「守護騎士」のつもりだったんですが、セイルがほとんど出てこない話に成りそうなので分割してみました。
お楽しみに。