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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第九話 エグゼリオの守護騎士
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エグゼリオの守護騎士11

 ――――アーカーシャ帝国、地方都市ベトエイム。


 その都市は、外見だけ見れば普通の都市だった。迷宮(ダンジョン)を有する都市で、そこを中心にして街が広がっており、そして街を守るようにして城壁がある。郊外には畑地が広がり、その中に建物が点在していた。基本的な都市のあり方としては、カーラルヒスやヴェミスと同じと言える。


 だがこのベトエイムはカーラルヒスやヴェミスとは異なっている。どう異なっているかは、ただ一言「地方都市」という言葉で説明することができた。


 つまり、ベトエイムは独立した主権を持っていないのである。主権を持ち支配を行っているのはアーカーシャ帝国、いや、あえて言うのであれば帝都アーカーシャなのだ。アーカーシャによって征服・併合されたかつての都市国家。それが、地方都市ベトエイムなのだ。一番高い建物の天辺には赤地に三本の剣が描かれた旗、つまりアーカーシャ帝国の旗が翻っている。


 アーカーシャ帝国の支配は、一言で言ってしまえば「差別」だ。帝国に住む臣民はその生まれによって身分が定められており、その身分ごとに定められた特権と義務により彼らは明確に「差別」されているのである。


 帝国における市民階級は三つに分かれている。帝都アーカーシャで生まれ育った人々は帝都市民。大公領で生まれ育った人々は一等市民。そして地方都市で生まれ育った人々は二等市民となっている。ただこれは大雑把な分け方で、実際にはもっと細かい規定がある。例えば、両親が帝都市民であれば生まれ育ったのが地方都市であっても、子供は帝都市民として数えられる。


 帝都市民と一等市民の間には、それほど大きな差はない。「皇室に入る(つまり嫁入りか婿入りする)者は帝都市民以上の身分でなければならない」という規定が最大の差だが、これには「どこかの家に養子に入って帝都市民権を得る」という裏技がある。それにただの一般市民が皇室に入ることは滅多にない。それゆえこの二者に限って言えば、おおよそ公平な関係と言えるだろう。


 だが、二等市民となると話は違ってくる。二等市民と言うのは地方都市の住民、つまり被征服民なのだ。それゆえ帝都や一等の市民たちには、「彼らは自分たちより下である」という意識が強い。


 例えば二等市民が帝都市民を殴った場合、その二等市民はまず間違いなく重罪に問われる。だが逆の場合、帝都市民がなんらかの罪に問われることはほとんどない。さすがに殺してしまうと無罪放免というわけには行かないが、それでも多くの場合は罰金刑で片が付く。ちなみに二等市民が帝都市民を殺害した場合、本人は極刑、その家族は投獄され強制労働に服することになる。


 法務官の恣意的な判断で、帝都市民や一等市民が優遇されることなど日常茶飯事である。だがそれ以上に深刻なのは、それらの差別的な規定が明文化されていることだ。つまりこの国における大小さまざまな差別は、法によって定められた国是なのである。


 唯一救いがあるとすれば、それはこの世界において都市間の人の移動が盛んではないことだ。つまり地方都市にいる帝都市民の数はさほど多くなく、そのことが差別の表面化する機会を減らしている。


 とはいえ地方都市と二等市民が差別されているのは事実だ。そしてこれから向かうベトエイムも、そんな地方都市の一つである。


「さて、ここからは歩くよ」


 セイルはベトエイムに程近い森の中に降り立つと、そう言って〈バルムンク〉を消した。そしてわざわざ荷物を持ち、森からすぐ近くを通る街道に出て歩くことおよそ三十分。二人はベトエイムの正門に到着した。


 ベトエイムの正門は混雑しているわけではなかったが、外から中に入ろうとする人々はそこで立ち止まりなにやら手続きをしているように見えた。ルクトとセイルが正門に近づくと、すかさず門を守る衛士の一人が近づいてくる。


「二人か? 滞在許可証は持っているか?」


「いや、初めてなんです。持っていません」


 なんのことかよく分からないルクトが首をかしげる前に、セイルは気負いのない口調でそう言った。どうでもいいことだが、セイルが敬語を使うとルクトはどうにも違和感を覚えてしまう。近づいてきた衛士は一つ頷くと、二人を窓口の一つに案内した。


「知っていると思うが、規則だから説明するぞ」


 アーカーシャ帝国内の全ての都市では、外からやって来た人間が中に入ったり滞在したりするために滞在許可証が必要になっている。ちなみに滞在許可証は発行された都市でのみ有効で、つまりベトエイムの許可証はベトエイムでしか使えない。


 滞在許可証を持っていない場合、一人当たり一万シクの入国税を払って簡易版の滞在許可証を発行してもらう必要がある。簡易版の許可証だと、一週間だけ都市に滞在することができる。


 そしてさらなる滞在を望むのであれば、その一週間の間に滞在許可証を改めて発行してもらうのだ。なお、許可証は発行から一年間だけ有効であり、それ以上の期間滞在を望むのであれば、その都度更新しなければならない。犯罪歴などがある場合は更新を拒否されることもあり、その場合許可証の有効期限内に都市外に退去しなければならなくなる。


「それで、お前たちは何の用でベトエイムまで来たんだ?」


「修行のためです。二人とも武芸者なんです」


「そうすると、〈ボルポルト〉から来たのか?」


 衛士の問いかけをセイルは笑顔で首肯した。後で聞いた話だが、ボルポルトとはベトエイムの隣の都市で迷宮を保有していないそうだ。だから迷宮に潜って修行するため、ベトエイムにはボルポルトから多くの武芸者が訪れる。


(……というか、なんでそんな嘘を……?)


 ルクトは内心で首をひねった。セイルとルクトの二人は、ボルポルトから武芸の修行のために来たわけではない。エグゼリオという新興都市から魔石を売りに来たのだ。なぜそれを隠す必要があるのか、ルクトには思い当たる節がない。


「……で、お前たちの名前は?」


「僕はルーカス・ロウ。で、こっちが……」


「……ロイニクス・ハーバンです」


 セイルが偽名を名乗ったのを見て、ルクトもとっさに偽名を名乗った。そして内心では警戒を高める。なんとなくきな臭いことになってきたような気がした。


「ルーカス・ロウとロイニクス・ハーバン、と……」


 衛士は告げられた名前を二枚の小さな木版にそれぞれ書き込む。そしてその木版をセイルが支払った二万シクと引き換えに二人に渡した。


「それが簡易滞在許可証だ。一週間の間、それがお前たちの身分証明書になる。一年用の許可証を発行するためにも必要になる。無くすなよ」


 渡された許可証には名前と日付、そして偽造を防ぐためであろう、印が押されていた。名前と日付が書き込まれた場所は微妙にへこんでいる。これはナイフか何かで削っているためだ。こうやって書き込んだ文字を消して再利用しているのであろう。


 簡易滞在許可証を受け取り、セイルとルクトの二人はベトエイムに入る。正門からはまっすぐに大きな目抜き通りが伸びており、そこは人で溢れていた。二人はその雑多な人ごみに紛れるようにして歩く。


「……そんな目で見ないでよ。ちゃんと説明するからさ」


 人ごみの中、セイルはルクトにだけ聞こえるように苦笑の混じった声でそう言った。そして「少し早いけどお昼にしようか」と言って、ちょうど目に入った飲食店に入った。セイルの言ったとおり昼食にはまだ早いせいか、客はほとんどおらず店の中はすいている。二人はすいている店内の、さらにその隅っこに席を取った。


 料理を注文し、そして運ばれてきたものを食べ始めて少しすると、セイルはまるで世間話でもするかのように話し始めた。


「……それで、さっきあんなことを言った理由だけどね。一つはエグゼリオの名前を出さないためで、もう一つは目立たないため」


 都市間を移動する人々というのは大抵の場合行商や交易、つまり商人が多い。しかし馬車も連れずたった二人でやって来るルクトとセイルは商人には見えない。そんな彼らがベトエイムに来る理由としては、「武芸者としての修行」というのが一番違和感が無いのだと言う。そしてその理由の信憑性を高めるため、出身都市をベトエイムの隣で迷宮を持っていないボルポルトにする。またこうすることでエグゼリオの名前を出すことをさけ、その存在を秘匿することができる。そう話すセイルの説明に、ひとまず矛盾は無い。


「……武芸者修行に来た人間が魔石を売っても大丈夫なんですか?」


「大丈夫だよ。売却するときに許可証の提示を求められるけど、それは簡易版で十分だしね」


 そもそも滞在許可証は都市住民と外から来た人間を区別するためのものであって、職種や目的は重要視されていないのだと言う。一年用の許可証であれば申請時に目的なども用紙に記入しなければいけないが、一週間の簡易版であれば名前だけでいい。恐らくだが、発行する側も手続きを煩雑にしたくないのだろう。


「……偽名を使ったのは何でなんですか?」


「ああ、僕ってばその筋では結構有名だからね。自意識過剰と言われるかもしれないけど、まあ、そういうことさ」


 まさか君まで偽名を使うとは思わなかったよ、とセイルは楽しげに笑う。それに対しルクトは、少し不貞腐れたような顔をして皿の上の厚切りベーコンにフォークを突き刺した。


「……それで、これからどうするんですか、“ルーカス”さん」


「そうだね、予定通り適当な商会に魔石を持ち込むとしよう。それで今日は宿を取って、明日の朝戻るとしようか」


 それでどうだい、“ロイニクス”君、と楽しげな笑みを浮かべたままセイルはルクトの嫌味をかわした。


「今日中に帰らないんですか?」


 そう言ってルクトはセイルに疑わしげな目を向けた。〈バルムンク〉の機動力ならば、今日中にエグゼリオに帰ることは十分に可能だ。だがセイルはベトエイムで一泊すると言う。


「今日くらい休ませてください」


 いや本当に、とセイルは椅子に座ったまま深々と頭を下げた。そのプライドもなにもあったものではない姿に、ルクトは思わず苦笑してしまう。結局、今日はベトエイムで宿を取ることになった。


 早目の昼食を食べ終わると、二人はその足で魔石を売却するべく商会へと向かった。ベトエイムにはもちろん複数の商会があるが、二人が選んだのは〈モルディオ商会〉だった。ベトエイムで三番目に大きな商会らしい。


 商会で魔石の買取りを依頼すると、最初は職員からとても疑わしげな目を向けられた。買い取るべき魔石がどこにも見当たらないのだから当然だ。


 しかしその職員はすぐに驚愕することになった。ルクトとセイルが〈プライベート・ルーム〉から魔石を次々に運び出して積み上げていったのだ。


「…………便利な能力をお持ちなんですね…………」


 放心気味にそう呟いた職員を正気に戻し、魔石の買取額を査定してもらう。交渉の末、買取額は1500万シクとなった。金額としては大きいが、売った魔石の量と比べると決して高いというわけではない。適正価格というべきだろう。


「お支払いする金額が大きいので、用意するのに少々時間がかかります。それまでこちらでお待ちください」


 そういう職員に案内されたのは応接室と思われる一室だった。部屋の真ん中にテーブルが置かれ、それを囲むようにしてソファーが配置されている。壁には絵が飾られ、調度品の類も幾つか置かれていた。ただ一つ一つはいいものなのだろうが、全体的に統一感がなく、仰々しい雰囲気になっているように思われた。まあ、その辺りの自分の感覚はアテにはならないとルクトは自覚しているけれど。


「いやいや、この度は大変な量の魔石を持ち込んでいただき、まことにありがとうございました」


 二人がソファーに座って出されたお菓子をつまみながらお茶を飲んでいると、一人の男が部屋に入ってきた。年の頃は三十路の半ばから四十路といったところか。にこやかに笑ってはいるが、瞳にギラつく野心の色を隠しきれてはいないように見えた。


 男の名はクーゲル・モルディオ。つい最近この商会を継いだばかりの青二才です、と彼は謙遜して見せる。ただ、彼が本当に自分のことを青二才だと思っているのか、腹芸にまったく自信のないルクトでさえ疑問だった。


「……ところで、職員から聞いたのですが、なんでも便利な能力をお持ちだとか」


 しばらく他愛もない雑談をした後、クーゲルはそう切り出した。彼の目の輝きは、好奇心よりも野心に傾いているように見える。


「具体的にはどんな能力なんです? どのくらいの荷物を運ぶことができて、どんな制約があるんですか?」


 矢継ぎ早に質問するクーゲルに対しルクトは圧され気味になるが、それでも言葉を選んで答えていく。嘘はつかないが、しかし全てを正直に話すこともしない。そもそも武芸者にとって個人能力(パーソナル・アビリティ)とは秘匿すべき情報なのだ。ともすればパーティーメンバーにすら全てを明かさない事だってある。ならば、今さっき知り合ったばかりのクーゲルは言わずもがな、だ。


 そんなルクトに対してクーゲルは苛立った様子は見せなかったが、しかし彼はしつこいくらいに質問を重ねた。そのせいか、ルクトは最初話すつもりのなかったことまで話してしまう。ちなみにセイルはまったく助けてくれなかった。


「……少しくらい助けてくれてもいいじゃないですか」


 ようやくクーゲルの質問攻めから開放され魔石の代金を受け取って商会を後にすると、ルクトはセイルに恨みがましい目をむけ文句を言う。しかしセイルはどこ吹く風。いつも以上ににんまりとした笑みを浮かべている。


「ルクト君がハンターとして独り立ちしたら、ああいう押しの強い商人も相手にしなきゃいけないだろうからね。予行練習さ」


 何事も経験だよ、とセイルは嘯く。さらに「どうせ明日には帰るんだから、多少余計なことを喋ってしまっても問題ないよ」と付け加える。そこまで考えていたのかと、ルクトは感心すればいいのか呆れればいいのか少し迷った。


 モルディオ商会を後にした二人は、次に今日泊まる宿を探す。幸いにも、というべきか。宿はすぐに見つかった。〈渡り鳥の宿木〉という名前で、どうということはない、普通の宿だ。


 ツインの部屋を借り、セイルとルクトはひとまず部屋に向かった。部屋は大して広くなく、二段ベッドと小さなテーブル、それと椅子が二つあるだけ。クローゼットはないが壁にハンガーが三つほどかけられている。


「僕はこれからちょっと外に出るつもりなんだけど、ルクト君はどうする?」


「……疲れたので休んでいます」


 二段ベッドの下にだらしなく寝転がりながらルクトはそう答えた。身体的な疲れはどうと言うことはないのだが、精神的に疲れたのか動こうという気にならない。押しの強い商人と言うのは苦手なタイプかもしれない、とルクトはどこか諦めの混じった感想を抱いた。


「分かった。じゃあ、お腹すいたら先にご飯食べていて」


 お金はもう払ってあるから、とセイルは付け足した。それはルクトも知っている。なにしろセイルは彼の目の前で宿屋の主人に10万シクの金貨を手渡し、釣銭は明日の朝チェックアウトするときに渡してくれ、と言ってあるのだ。ツインの部屋代は1万シクもしないはずで、つまり相当豪華な食事を頼めると考えていい。


「了解。高級酒を片っ端から空けておきます」


「はは、飲みすぎるとかえって辛いからほどほどにね」


 気楽な調子でセイルがそう応じたのは、もしかしたらこの宿に高級酒など置いていないことを知っていたからかもしれない。


 ベッドに寝転んだままのルクトに見送られ宿を出たセイルは人ごみに紛れて歩く。そして歩きながら徐々に気配を消していく。


 彼は自分の容姿が人目を惹くことを知っている。実際、先程までルクトと歩いていたときは常に誰かの視線を感じていた。ちなみに視線の主は女性がほとんどだ。だが気配を消せば人ごみの中をすり抜けるようにして歩く彼に、目を向ける者はいない。そこに、ともすれば目の前にいるというのに、それに気づかないのだ。闘術の中でも高等技術とされるものの一つである。


 そうやって人目を逃れたセイルは、表通りから少し入ったところにある小洒落たバーにたどり着く。ただ、入り口には「準備中」の看板。しかしセイルは躊躇うことなくドアノブに手をかけバーに入った。


「準備中ですよ、お客さん」


 中に入ると、初老のマスターがガラス製のタンブラーを磨きながらそう言った。しかしセイルはやはり躊躇うことなく店内に進み、図々しくもカウンターの席に座った。しかもマスターの目の前である。


「まあ、そう言わずに。ミルクを一杯貰えないかな?」


「準備中なんですけどねぇ……。それと、ウチは酒を出す店ですよ」


「ついでにイチゴとオレンジを混ぜて欲しい。マーマレードは甘すぎる」


「それは……、意外といい味になりそうですなぁ」


「明日の天気はどうかな?」


「さて。晴れてくれればいいとは思いますが……」


「畑の端の切り株の近くには空の籠一つ。子狐が悪戯をして困る」


「……お待ちしておりました、セイル様」


 そう言ってマスターは磨いていたタンブラーにミルクを入れるとセイルの前に置いた。ちなみにイチゴとオレンジは入っていない。そのミルクと引き換えにするように、セイルは鞄から包を取り出してマスターに渡す。


「はいこれ、いつもの」


「いつもありがとうございます。コレばっかりは金を積めば手に入るというものではありませんからな」


 セイルが片手で手渡したものをマスターは両手で受け取った。そして受け取った彼の体が少しだけふらつく。どうやら重いもののようだ。


 セイルがマスターに手渡したもの。それはアダマンダイトのインゴットである。それも普通に売れば億に届くであろうほどの量だ。受け取った包を、マスターはカウンターの奥の扉の向こうに片付けた。


「準備のほうは?」


「着々と。魔道甲冑(ソーリッド・アーマー)も四〇体程度用意できました。今日頂いた分があれば、もう十体程度は作れるかと」


 もしこの会話を都市の役人が聞いていたら、耳を疑ったことだろう。バーのマスターが四十体もの魔道甲冑を用意しており、近い将来には五〇体にまで増やせると言っているのだ。普通であれば世迷言と思い一笑に付して終わりだろう。だが、この話が本当だと分かれば卒倒するに違いない。


 平均的な都市国家が保有する魔道甲冑の数は、だいたい八〇から多くても一〇〇程度。つまり魔道甲冑五〇体という戦力は、ともすれば都市国家相手に戦争ができるような戦力なのだ。


 もちろん実際には魔道甲冑があれば戦争ができるわけではないが、しかし少なくとも都市国家以外が持っているような戦力ではない。まして都市の中で政府の管理外にこれだけの戦力があるというのは、極めて異常で危険な事態である。内乱が起こる前兆、と言っていい。


 実際、マスターは内乱を起こすつもりだった。いや、「彼が」というのは言葉が足りない。彼の所属する組織は、内乱を起こすつもりだった。その組織の名は〈ベトエイム解放戦線〉。ありていに言えば、レジスタンスだ。


「そっか。じゃあ、そろそろだね。総督府の戦力は?」


「魔道甲冑を装備する騎士が二〇〇に衛士が二〇〇〇、といったところでしょうか。ただ、衛士は全て地元の出身ですので……」


「総督と、その直属部隊である騎士団さえ何とかしてしまえば後はなびく、か……」


 マスターは静かに一つ頷いてセイルの言葉を首肯した。ベトエイム解放戦線の活動目的はアーカーシャ帝国からの独立だ。そのためには帝都から派遣されてきた総督を倒さねばならず、その障害として立ちはだかるのが騎士団なのだ。


 魔道甲冑五〇体では、騎士団とまともに戦うことはできない。だから同時多発的に暴動を起こすなりして戦力を分散させ、その隙に一点突破で総督の首を狙う。それがレジスタンスの基本的な戦略で、セイルもそれ以外ないだろうと思っている。そしてこの作戦ならば、魔道甲冑五〇体という戦力は十分すぎる。


 総督を倒すだけならば、もっと少ない戦力でも可能だろう。だから、問題はその後なのだ。ベトエイムで反乱が起こったとわかれば、帝国は必ずや鎮圧軍を差し向けてくる。それと戦い勝って初めて、ベトエイムは独立することができるのだ。魔道甲冑五〇体という一見過剰な戦力は、むしろそちらを意識したものと言っていい。


「セイル様がおられなければ、我々はここまで来ることはできませんでした」


 本当に感謝しております、とマスターは深々と頭を下げた。それに対してセイルは自虐的な笑みを浮かべる。


「感謝されるほどのことじゃないよ。僕は結局、自分で手を下そうとはしなかったんだから……」


「いえ、これは我々の問題。自らの力で勝ち取った自由でなければ、いずれまた誰かに奪われるだけでしょう」


 眩しい言葉だ、セイルは思った。そして眩しく感じるのは、口にした本人がその言葉を心から信じ、そして行動しているからだろう。自分はどうだっただろうかとセイルは思い、力なく笑うのをミルクを飲み干すことでごまかした。


「そうそう。まとまった量の魔石を卸しておいた。少しは値段も下がるだろうから、必要なら買っておくといい」


 意識して明るい声を出しながら、セイルはそう言った。魔道甲冑は魔装具、つまり武器としての魔道具だから、当然使うためには魔石が必要になる。


「それはそれは。どこの商会ですかな」


 モルディオ商会だ、とセイルが答えるとマスターは眉をひそめた。思いがけないその反応に、セイルは首をかしげる。


「あれ? あそこは確か生え抜きだったよね?」


 つまりベトエイムに昔からある地元の商会、と言う意味だ。モルディオ商会より大きなあとの二つは帝都アーカーシャに本店があり、そのため代々総督府と繋がりが深い。言ってみれば、ベトエイムの経済を支配するための尖兵、と言った位置づけなのだ。この二つの商会を富ませることはそのまま帝国の利になると言っていい。そのためセイルはモルディオ商会を選んだのだが、マスターの反応を見る限り多少なりとも問題があるようだ。


「あそこは最近、頭領(ドルチェ)が代替わりしたのですが……」


「うん。本人がそう言ってた」


「……その新しい頭領が、どうも総督に接近しているようなのです」


 あれま、セイルは呟いた。そうすると、あの魔石で上げた利益は全て総督への賄賂にでもなるのかもしれない。


「まあ、安く調達できるにこしたことはありません」


 後で人をやるとしましょう、とマスターは苦笑気味にそう言った。そんな彼に、やはりセイルも苦笑を見せる。


 ちょうどその時だった。カウンターの奥の扉が開き、そこから一人の若い男が現れた。そして彼はセイルに一礼すると、マスターに何事かを耳打ちする。それを聞いた瞬間、マスターの視線が鋭くなった。


「……セイル様、お泊りになられている宿は〈宿木〉ですかな?」


「うん、そう。あそこは君たちのお仲間だったよね?」


 セイルがそう答えると、マスターはさらに表情を厳しくした。そして今さっき知らされたばかりの情報を口にする。


「……どうやら、お連れ様が騎士団に拘束されたようです」


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