エグゼリオの守護騎士10
エグゼリオに着いたその日の夜、ルクト・オクスは仕事の依頼人であるセイルハルト・クーレンズの家で夕食をご馳走になった。ただし料理を作ったのはセイルではなく、秘書として彼をこき使っている(セイル談)シードル・エスカンシアールだった。
(美味しいし……、懐かしい……?)
シードルの料理を食べると、ルクトはそこはかとない懐かしさを覚えた。料理の味付けがメリアージュのそれに良く似ていたのだ。
「私に料理を教えてくれたのはメリアージュお姉様ですから」
その理由をシードルはそう説明し、嬉しそうに柔らかく微笑んだ。それから彼女は自分とメリアージュのことを話す。
「私とお姉様の関係を一言で言い表せば、姉妹弟子ということになるでしょうか」
メリアージュはセイルの弟子であり、そしてシードルも同じ師に師事した。男同士ならば兄弟弟子になるのだろうが、彼女たちはどちらも女なので“姉妹弟子”というわけだ。ちなみにシードルが「お姉様」と呼んでいることから分かるように、先にセイルの弟子になったのはメリアージュのほうである。
「もっとも、私がセイル様に弟子入りした時には、もうすでにお姉様は一人前になっておられましたけど」
だからお互いに切磋琢磨する関係というよりは、むしろシードルが一方的にメリアージュに世話になる関係だったと言う。
「お姉様には、本当に様々なことを教えていただきました」
当時のことを思い出しているのか、シードルはどこかうっとりとした口調でそう言った。一体どんなことを教えてもらったのか気になるが、賢明にもルクトはその疑問を飲み込んだ。なんだか、ロクでもない話を聞かされそうな気がしたのだ。
「そうそう。彼女のおかげで僕も楽ができたよ」
やはり当時のことを思い出しているのか、セイルはそう言って「うんうん」と頷いた。そんな彼を見るシードルの目は、先程までとはうって変わって冷ややかで呆れ混じりだ。
「そうですねぇ、セイル様は師匠のくせにそれらしいことはほとんどしていませんでしたものねぇ」
「いやいや、あれはメリアージュの修行でもあったんだよ」
物事は学ぶよりも教えるほうが難しいからね、と言ってセイルはシードルの嫌味をかわした。そして面白がるような視線を彼女に向けて、さらに言葉を続ける。
「それに、そのおかげで君もメリアージュと仲良くなれたんじゃないか。その点、感謝してくれてもいいよ?」
「……次から師の名前を聞かれたときは、『〈闇語り〉のメリアージュ』と答えます」
「それじゃあ、彼女のことを『お姉様』とは呼べなくなるね」
その指摘にシードルは「うっ……」と言葉を詰まらせると、少し拗ねたように視線を逸らして黙々と料理を食べ始めた。そんな彼女を微笑ましく一瞥すると、セイルは次にルクトのほうに視線を向けた。
「ルクト君はヴェミスでメリアージュと暮らしていたんだよね? よければその時の話を聞かせてくれないかい?」
気になって仕方がない様子の妹弟子もいることだし、と言ってセイルはシードルの方を見た。彼女は澄ました顔で食事を食べていたが、ついさっきの様子を知っていれば、それが取り繕った態度であることは明らかだ。内心聞きたくてウズウズしていることは、ルクトでも良く分かる。
「そんなに会いたいなら会いに行けばいいのに」
「セイル様がもう少し真面目に仕事をしてくだされば、その余裕も作れると思います」
からかうようなセイルの言葉に、シードルは努めて事務的な口調で答えた。だが彼に向けた視線は鋭く、そこには十分に彼女の感情が表れている。しかしセイルは大げさに肩をすくめただけで、一向に気にした様子は無い。
「いやいや、上が働きすぎると下はさらに働かないとだからね」
だからコレくらいでちょうどいいのさ、とセイルは嘯いた。シードルでなくとも、その言葉が仕事をサボるための方便であることは一目瞭然である。
「……上が働かないと、その分の仕事が下に降りてくるのですが」
つまりセイルが働かないとシードルの仕事が増える、と言う意味である。シードルの言葉には妙に実感が篭っていて、これまでの彼女の苦労が偲ばれた。
「まだ余裕がありそうだよね。いっそのこと君がリーダーになってみる?」
冗談とも本気とも取れない口調でセイルはそう言った。考えの読めない笑みを浮かべる彼に対し、シードルのほうは眉間にしわを寄せて顔をしかめた。
「ご冗談を。私ではエグゼリオの皆をまとめることはできません」
エグゼリオは長命種の都市。その住民たちをまとめるのは生半可なことではない。極端なことを言えば、彼らは短命種とは違ってそれぞれ一人でも生きていけるのだ。そのため長命種は基本的に個人主義で、悪く言えば我儘で我が強い者が多い。
そんな彼らをまとめ上げ都市建設という目標に向かわせることができるのは、セイルしかしない。800年以上という長命種の中でも桁外れの時間を生き、そして最強と呼ばれるだけの実力を持つ、セイルハルト・クーレンズしかいないのだ。
「じゃあ、もうしばらく秘書のままだね」
「もうしばらく苦労し続けるということですか……」
「いや~、あっはっはっはっは。じゃあルクト君、頑張って働いてくれているシードルにご褒美を」
ジト目で睨むシードルの視線を笑ってやり過ごし、セイルは盛大にそれていた話題を修正した。その、強引ながらもそれを感じさせない話術に、ルクトは呆れながらも感心する。800年と言う人生経験は伊達ではないらしい。
「そうですね……」
さてなにから話そうかと思いつつ。エグゼリオでの晩は穏やかに過ぎていった。
▽▲▽▲▽▲▽
「ルクト君、少しアーカーシャ帝国まで付き合ってくれないかい?」
エグゼリオに着いた次の日の朝、朝食を食べ終わりその後片付けを手伝っていると、セイルがルクトにそう声をかけた。
「……えっと、かまいませんけど、何をしに行くんですか?」
「魔石をね、売りに行きたいんだ」
昨日倉庫で山積みされていたのを見たように、エグゼリオでは現在魔石が大いに余っている。金属のインゴットやその他のドロップアイテムも大量に余っているが、こちらは将来的に需要が大きくなることが確実なので、今は在庫として積み上げていても問題は無い。
加えてドロップアイテムは魔石と違って望むものを狙って手に入れることはできない。欲しいものが欲しい時に手に入るとは限らず、そのため在庫を多めに抱えておくのは一般的な考え方だ。
だが魔石の場合、モンスターを倒せば確実に手に入る。そのためドロップに比べれば、ストックしておく必要性が低いのだ。もっとも、普通の都市であれば魔石もドロップも常に需要過多な状態なのだけど。
しかし今のエグゼリオでは完全に供給が需要を上回ってしまっている。セイルたちがマナの抽出機を仕入れてきたから需要は増えるだろうが、それでもまだ供給量のほうが多い。つまるところ、多すぎて邪魔になってきているのだ。
「魔石、使わないんですか?」
ルクトの問いかけに「まったく使わないわけじゃないけどね」とセイルは答えた。そもそも魔石を利用するために抽出機を仕入れてきたのだ。そして仕入れてきた抽出機はすでに使用を開始していて、昨日すでに空になっていたカートリッジにマナの充填が行われている。ただ、エグゼリオが保有する魔道具の絶対数が少ないせいか、魔石の在庫はほとんど減っていない。
「エグゼリオはまだ規模が小さいからね。コレくらいだと、魔道具を使うより個人能力を使ったほうが手っ取り早いことが多いんだ」
魔道具は誰にでも、いわば“力”を与えてくれる。だから人手が豊富で安定した労働力、悪く言えば代えの利く労働力が要求される普通の都市では、魔道具はきわめて有用な道具なのだ。
だがエグゼリオでは事情が異なる。人手は少ないが、その全員が“力”を持った長命種。彼らにしてみれば中途半端な魔道具を使うより、自分たちの個人能力をそれぞれの分野に合わせて使ったほうが効率的なのだ。
ただし、これはあくまでも「長命種だから」の話である。彼らは体内に濃密なマナを溜めておくことができ、そのおかげで迷宮の外であっても個人能力の力を十全に発揮できるのだ。短命種であれば魔道具を使ったほうが効率的だろう。
「まあそんなわけで魔石が大量に余っているわけ。邪魔なんだけど、捨てるのも勿体無いしねぇ……」
だから解決策としては売ってしまうのが一番いい。これまでも余っている魔石を売りに行こう、という話はあったそうだ。だが大量に輸送するための有効な手段がなく、そういう話が出るたびに流れていったという。
「そこで君の出番と言うわけさ、ルクト君!」
実にいい笑顔を浮かべながら、セイルはルクトの背中を叩いた。魔石を大量に輸送する手段なら〈プライベート・ルーム〉ほど適したものはないだろう。それに今はまだ仕事の拘束期間内。それが依頼人のオーダーならルクトに否やは無い。
セイルとルクトは魔石を〈プライベート・ルーム〉に積み込むため、昨日と同じ倉庫に向かう。そこで山積みになっている魔石を、空の木箱などに入れて〈プライベート・ルーム〉に運び込んでいく。だが魔石の量が多く使える容器がなくなってしまい、結局半分近くの量をバラのままで山積みすることになった。
「どうやら魔石の積み込みは終わったようですね」
倉庫に保管されていた魔石を全て〈プライベート・ルーム〉に運び入れ終わると、それを待っていたかのように出入り口のほうからシードルの声が響いた。彼女の表情は事務的で、ともすれば冷たくすら感じた。
「や、やあシードル。うん、魔石の積み込みは終わったよ」
それでこれから売りに行こうと思っているのだけどね、とセイルはどこか悪戯がバレた子供のような様子でそう言った。それを聞いた瞬間、シードルの視線がさらに鋭く、そして冷たくなる。
「セイル様。今日は一日お仕事の予定です」
留守にしていた間の仕事が溜まっていますので、シードルは無慈悲に(とセイルは勝手に思っている)宣告した。そしてさらに「外に出られるのでしたら、溜まった仕事を全て片付けてからにしてください」と付け加える。
「だけどね、ルクト君がエグゼリオにいてくれるのは一ヶ月だけだよ? その間に馬車馬のごとくこき使っておくべきじゃないかな」
「馬車馬のごとく働くのは、セイル様、貴方です」
そう言ってシードルは昨日と同じくセイルの耳を引っ張って彼を連れて行く。セイルが騒ぐが全て無視。それどころか「今日中に溜まった仕事を全て片付けてしまいましょう」と非情な(とセイルは勝手に思っている)宣言をした。
ルクトもセイルから助けを求められたが、しかし笑顔で激励の言葉をかけておく。もちろん冗談なのだろうが、馬車馬扱いされてイラッときていたのだ。
シードルに連れて行かれるセイルを笑顔で見送り、倉庫に一人残ってからルクトはふと気がつく。今日一日、予定がぽっかり空いてしまった。
「レイシンさんのところにでも行くかな……」
ルクトの言う「レイシンさん」とは、言うまでもなく〈練気法〉を教えるレイシン流の開祖その人である。レイシンが長命種でしかもエグゼリオにいるとはルクトも思ってもみなかったのだが、昨日ヴィフレンが紹介してくれた人たちのなかに彼がいたのだ。
レイシンの年の頃は五十代に入るか入らないか位に見えた。ただ、彼は長命種なので実年齢はその十倍近い可能性だってある。いずれにしても見た目どおりの年齢ではないだろう。いかにも「武人」と言った風貌と雰囲気をしており、最初は近寄りがたかったが練気法を習っていると告げるとそこから話が弾んだ。二人とも太刀を得手としていたのも、話が合った理由かもしれない。
レイシンが練気法を編み出したのは、彼がまだ短命種だった時分のことだという。ただ、彼はコレを技術の一つとしてしか考えておらず、練気法一つを持って〈レイシン流〉という流派を立ち上げるつもりはまったくなかった。
『レイシン流というものがあると知ったときは、驚くより先に呆れたものだ』
昨日は話したとき、レイシンは苦笑しつつそう言った。ちなみに、レイシン流を立ち上げたのはやはり彼の弟子たちで、使っていた得物もバラバラだった。だから彼らがレイシンから習っていたのは練気法だけで、そのことがもしかしたらレイシン流の形を決定付けたのかもしれない。
『そもそも私は、弟子たちが練気法を習得できるとは思っていなかったのだ。いや、習得するだけならできるだろうが、実戦で使えるレベルにはならないだろうと思っていた』
練気法とは練り上げた烈を体内で循環させ、それによって闘術の威力を底上げする技法だ。個人能力とはまったく関係の無い技術であり、そういう意味では確かに一般的な闘術の範疇に入っている。
しかし、その制御は非常に困難だ。全身に練気法をかけた状態では歩くことすらできない。これはルクトだけではなく、彼が通う道場の師範ですらそうだ。
しかし、レイシンは違う。彼は常に全身に練気法をかけ、さらに状況に応じて使い分けすらしながら戦う。それが彼のスタイルだった。
『もともと練気法は、私の個人能力を併用して使うことを想定した技術なのだ』
詳しいことは教えてくれなかったが、レイシンの個人能力は闘術の、いやマナの制御を補助してくれるものなのだという。だから練気法は自身の個人能力を前提としてレイシンが編み出した技術であり、そもそも彼以外が使うことは想定していないのである。
だがレイシンの弟子たちは、その練気法を実戦で使えるようになった。もちろん完全な形ではなく、「かける箇所を限定し、瞬間的に使う」という、いわば簡易版の練気法を編み出したのだ。現在ルクトが習っているのも、この方式である。
簡易版とはいえ、レイシンはそれをバカにしたりはしなかった。むしろ「感心した」という。自分しか使えなかったはずの技術を、難しいとはいえ普通に習得が可能な技術に昇華したのだ。それはとても偉大なことだ、と言ってレイシンは弟子たちの業績を称えた。
そんな話を、昨日紹介してもらった時にしたのだ。ルクトもまた練気法を習得していたおかげか、レイシンは随分と気さくに話を聞かせてくれた。そればかりか、エグゼリオにいる間、時間があれば稽古をつけてやるとまで言ってくれたのだ。
こんなチャンスを逃すわけには行かない。図らずも今日は一日時間が取れた。期待に浮き立つ心を抑えることもせず、ルクトは倉庫から飛び出していった。
▽▲▽▲▽▲▽
魔石を〈プライベート・ルーム〉に運び入れた次の日、朝食を食べ終わるとセイルとルクトは〈バルムンク〉に跨りアーカーシャ帝国を目指して飛び立った。シードルもそれを止めるような真似はせず、むしろ礼儀正しく一礼して二人を見送る。溜まっていた仕事が全て片付き、彼女の表情は実に晴れやかだ。
「本当に昨日一日で全部片付けたんですね……」
「はっはっは。僕が本気を出せばコレくらい」
自慢げにそう答えるセイルの声は、しかし少しかすれていた。きっと激務の疲れが残っているのだろう。どのような仕事がどれだけあったのかルクトは知らないが、普段からサボらずにやっていれば量はもっと少なかったのではないだろうか、と思ってしまう。そしてきっとシードルも同じ事を、恐らくはルクトよりも深刻に考えているのだろう。
「ルクト君のほうは、昨日はどうしていたんだい?」
昨日セイルはずっと仕事で、話をする機会は無かった。食事もシードルが執務室まで持っていくという徹底振りだ。時折執務室から衰弱しきったセイルが顔を出すのだが、その度にシードルが有無を言わさず室内に引き戻していた。その様子にルクトは呆れるのを通り越して戦慄を覚えたものだ。
「昨日は、レイシンさんから色々と稽古を付けてもらって……」
「ああ、そういえばルクト君は練気法を使うんだったね」
「その後、今度は刀術の話になって……」
練気法の訓練や応用について幾つかアドバイスを貰い、それを実際に練習したりした後、二人とも太刀を得手にしているからだろう。今度は刀術の話になった。話の流れでルクトはカストレイア流の技を幾つか見せたのだが、レイシンはそれらの技を全て初見で自分のものにしてしまったのだ。
さらに、それらの技の中にはルクトが編み出した〈瞬気法〉も含まれており、レイシンはこれも初見で完璧に使って見せた。しかも幾つかのアドバイスまでくれる始末で、ルクトのなけなしのプライドはボロボロである。
「才能の差をまざまざと見せ付けられた気がしましたよ……」
「はは、レイシンさんは武術バカだからねぇ……」
力なく笑うルクトに、セイルは苦笑で応じた。ただ、レイシンが初見でカストレイア流の技をものにできたのは、彼の個人能力によるところが大きい。まあ、個人能力も才能の範疇に含まれるのだろうけど。
「それで、今日はどこに行くんですか?」
「ん? アーカーシャ帝国だけど?」
「いえ、だからアーカーシャ帝国のどこに?」
アーカーシャ帝国はこの世界では珍しく、複数の都市を支配する国家だ。その首都である帝都アーカーシャは有名だが、逆にそれ以外の都市はあまり知られていない。
「ああ、〈ベトエイム〉だよ。」
帝国の端、つまり辺境に位置する都市で、そのおかげでエグゼリオからは最も近いのだという。昼前には着くよ、セイルは言った。もっとも、それは空を駆ける〈バルムンク〉があればこその話。エグゼリオがあるのは未開の森のど真ん中だから、普通に徒歩で行こうとした場合、どれくらいの時間がかかるのかルクトにはちょっと想像できない。
「かつては都市国家を名乗っていたけど……、170年くらい前からは〈地方都市〉と呼ばれている」
そう説明を付け足したセイルの声には、どこかやるせない苦さが含まれていた。