エグゼリオの守護騎士8
少年〈御伽噺〉は、生まれつき好奇心の強い子供だった。
「これはなに? あれはなに? どうして? なんで?」
彼の両親はもちろんその疑問の全てに答えられるわけではなかったが、しかし取り止めもない子供の好奇心を邪険にあしらったりはしなかった。可能な限り答えようとしたし、また分からなければそう答え、一緒に考えたりした。
成長するにつれて少年〈御伽噺〉の好奇心はさらに広がっていく。おぼろげながらも彼は将来その好奇心を満たせる職業に付きたいと思うようになっていた。そして後年、未知を追いかける職業の名が「学士」と呼ばれることを知る。
だがしかし、少年〈御伽噺〉の家は代々武芸者の、ハンターの家系であった。当然、両親は彼にその家業を継ぐように求め、そのための教育を彼に施そうとした。
これまた当然、というべきなのか。少年〈御伽噺〉は反発した。武芸者になるための教育というのは、つまり道場に放り込まれると言うこと。彼は身体を動かすことは好きだったが、それは好奇心を満たすために動き回るのが苦にならない、という意味。道場での武術的鍛錬とは種類が異なる。ありていに言えば、少年〈御伽噺〉は道場に通うよりも遊びたかった。
道場には行かないと言い張る少年〈御伽噺〉に対し、ついに両親(主に父親)が強硬手段に出た。まるで子猫のように我が子の首根っこを引っつかむと、そのまま部屋から引きずり出したのである。少年〈御伽噺〉の抵抗もなんのその。もとより武芸者として日々鍛錬をしている父親と「道場に行きたくない」と駄々をこねるもやしっ子では勝負になるはずもない。というより、子供が大人に太刀打ちできないのは当たり前の話である。
さて、腕や顔など様々な箇所に引っかき傷その他諸々をつけながら少年〈御伽噺〉の父親が向かったのは、しかし道場ではなかった。〈御伽噺〉にとっては幸運なことに、そしてセイル曰く「世界にとっては不幸なことに」、その日父親が彼を連れて行ったのは迷宮だったのである。
迷宮に足を踏み入れた瞬間、少年〈御伽噺〉は心を奪われた。それは彼の価値観を三六〇度変化させるほどの衝撃だった。
三六〇度変化したら一周して元通りではないか、と思うかもしれない。では、自分の首を三六〇度回転させてみてほしい。見える景色は同じかもしれない。だが、何かが決定的に違っているはずだ。
少年〈御伽噺〉が感じた衝撃は、そういう衝撃だったのである。取り憑かれた、と言ってもいい。一見すれば何も変わっていないように思えるだろう。しかしその瞬間、彼の中で何かが決定的に変わったのだ。
果てしなく広がるその空間は光源などないのにしかし十分に明るい。乱立する岩の柱、シャフト。縦横無尽に広がり走る白い床とモンスターの出現。そこはどこまでも摩訶不思議で飛びぬけて異質で、そしてこの上なく好奇心を刺激する場所だった。
――――知りたい……!
強烈な衝動が湧き上がってくるのを、少年〈御伽噺〉は身体の震えと共に感じた。知りたい。もっと知りたい。いや、全てを知りたい。
わき目もふらずに走り出した少年〈御伽噺〉を父親は慌てて止めた。不満げな顔をして睨みつけてくる我が子に彼はこう言った。
「迷宮に潜るためには、道場に通って強くならなければいけないんだ」
結果、その日から少年〈御伽噺〉は道場に通い始めた。父親の目論見どおりである。父親にハメられた、もとい上手く乗せられたことに少年〈御伽噺〉が気づくのは、彼が十代の半ばになってからのことなのだが、まあそれはそれでいいとして。
意外にも、というべきか。少年〈御伽噺〉は熱心に道場に通った。結果がきちんと付いてきたことも一因なのだろう。最初頑なに嫌がっていたわりには、彼にとって道場は気安い場所となった。
道場で相応の実力を身につけた少年〈御伽噺〉は、ついにパーティーを組んで迷宮攻略へと乗り出した。この頃になると、彼も周りのハンターたちが日々の糧を得るために迷宮に潜っていることを理解するようになっていた。
それが悪いことだとは思わない。むしろ、好奇心を満足させることが主たる目的で迷宮に潜る自分の方が異端なのだろう、と少年〈御伽噺〉は理解していた。ただ、理解したからと言って彼の目的が変わることはない。しかしその一方で、稼ぎ優先なパーティーの方針に異議を唱えることもしなかった。彼自身もまた収入が必要だったわけだし。
やがて彼はハンターとして頭角を現していく。ハンターとして独り立ちし生計を立てながらも、しかし〈御伽噺〉は自分のありようは学士だといって譲らなかった。それを聞くたび友人たちは、冗談だと思っていたのだろう、盛大に笑ったという。そしてまた、〈御伽噺〉自身もその勘違いを訂正しようとはしなかった。
その頃、彼は焦っていたのだ。迷宮について知れば知るほど、しかし分からないことが増えていく。全てを知りたいという、少年の頃からの欲求に変わりはない。だが、このままでは全てを解き明かす前に自分は死んでしまう。それだけは確実に分かっていた。
ついに彼はある実験を敢行する。実験の内容について、ここでは詳しくは書かない。ただ、彼の個人能力が関係していた、とだけ書いておく。いずれ詳しく述べる機会もあるだろう。
さて、その実験の結果、彼は長命種になった。短命種とは比べ物にならない長大な寿命を手に入れたのである。
彼は狂喜した。
「これで! 研究を続けることができる! 全てを解き明かすその日まで!!」
やがて生まれ故郷の都市を離れ、世界の各地を放浪しながら彼は研究と実験を続けた。その成果として幾つかの都市は栄え、幾つかの都市は滅んだ。そんなことを繰り返すうちに彼に二つ名がついた。その二つ名こそが〈御伽噺〉。その二つ名をいたく気に入った彼は、本名よりもむしろそちらを好んで使うようになり、そして現在に至る、というわけだ。
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この世界の理は一体どういうモノなのか君は考えたことがあるかね、と〈御伽噺〉はルクトのほうを見ながら問いかける。ただ、彼の瞳にルクトの姿は映っていない。
「私はね、世界の理とはつまり、幾重にも重なった檻のようなものだと考えている」
その檻の一つ一つが世界の理、つまり法則であり、檻の内側がその法則の支配する範囲ということになる。小さな檻は小さな範囲を支配し、それを超える範囲についてはさらにその外側の檻が支配的な影響力を持っているのだ。普通の人間がいるのは一番小さくて狭苦しい檻の中だよ、と〈御伽噺〉は大仰な身振りを交えながら話す。
「入れられている檻の内側が、その人にとっての世界の全てだ。観察でき、検証できる範囲の全てだ」
だが本当の世界はそんな狭苦しくてせせこましいものではない、と〈御伽噺〉は続けた。その口調は真剣で、彼の信念めいたものを感じさせる。
「檻の外側にはもっと広い、未知に溢れた世界が広がっている。ただし、檻の外側に行けるのは理を外れた者たちだけ」
例えば長命種、と言って〈御伽噺〉は右手の人差し指を立てる。彼の浮かべる笑みは深くなり、そしてどこか狂気が滲んでいるようにルクトには思えた。
「長命種は短命種の理から外れた存在だ。つまり、押し込められていた狭い檻を、一つ破った存在と言える」
強靭な肉体、長大な寿命、そして二つの個人能力。そのどれもが普通の人間、つまり短命種が持ち得ないものだ。だから長命種は、短命種とはまた「別の世界に住んでいる」、言い方を変えれば「別の法則によって支配されている」、と言える。
もっともまったく別の法則というわけではない、と〈御伽噺〉は言う。長命種と短命種は共通している部分も多い。身体の動かし方、ものを食べること、疲れれば眠ることや、笑うこと、泣くこと、怒ること、悲しむことなどなど。それらは同じ法則に支配されている、と言えるだろう。「だから短命種のころは気がつかずに無視していた法則が、長命種になると有効になる、と言うべきだ」と〈御伽噺〉はまとめた。
「……当たり前の話だが、人は“ある”と気づいていないものを調べることはできないし、また調べようとも思わない」
若干の苛立たしさを滲ませながら、〈御伽噺〉はそういう。それは彼自身が“ある”と気づけなかったことへの悔しさなのかもしれない。
「だから外側の檻を調べるためには、まずは内側の檻を破った存在が必要。そして、そういう存在こそが私の研究と観察の対象なのだよ」
長命種しかり、そして特異体しかり。長命種の場合は自分を含め数がそれなりにいるから調べやすいのだが、特異体はそもそも数が少なすぎてね、と〈御伽噺〉は嘯く。
「……それで、自分で合成したのか?」
「そうだよ。そうしなければ観察もおぼつかないからね」
セイルの鋭く刺すような視線を受けても〈御伽噺〉は芝居がかった態度を崩さない。それどころか悪びれもせずにそう答えた。そしてやはり大仰な仕草で「久しぶりの力作だったのにねぇ」と嘆いてみせる。
「ああ、それと。私が合成したのはあくまでもモンスターであって、捕まえておいた魔獣をそれに食わせることで特異体にした、と言ったほうがより正確だね」
右手の人差し指を立てて〈御伽噺〉は得意げにそう話す。そんな楽しそうな彼とは裏腹に、セイルとヴィフレンは苦い表情をしている。
「そんなことはどうでもいい」
「そうだね。本題はそっちじゃない」
言葉の解釈の差を、恐らくは意図的に無視して、〈御伽噺〉は自分の話を続ける。好き勝手に喋る〈御伽噺〉に、セイルは表情をさらに苦くした。
「長命種と特異体。同じく理を外れた存在だけど、当然まったくの同種ではない。ならば、新たに見せてくれる理の範囲が異なっているのもまた道理」
いやいや興味は尽きないね、と〈御伽噺〉は実に楽しげな表情を浮かべた。その目にはもうこの場の誰も映っていない。全てを置き去りにして自分の世界に没頭している。
「早く、その先を見てみたいものだよ……」
恍惚とした表情さえ浮かべ、誰にともなく〈御伽噺〉が呟いたその言葉。その言葉は小声だったにも関わらず、やけにはっきりとルクトの耳に届いた。
ゾクリ、とルクトは背筋に氷刃を差し込まれたかのような悪寒を感じた。原因は分かっている。狂気に圧されたのだ。〈御伽噺〉が持つ、その剝き出しの狂気に。
「……そういえば、そこのロロも特異体だったね。それも、魔獣から成りあがったタイプだったはず」
今度実験に協力してくれないかね、と〈御伽噺〉は白い巨狼のほうに視線を向けた。それに対しロロは低い唸り声を上げて威嚇し、ヴィフレンは厳しい表情を浮かべてロロを庇うようにしてその前に立つ。
「お断りじゃ。不埒なことを考えておるようなら、本当にこの場で消すぞ」
「はは、それは残念。まあ、気が変わったらいつでも言ってくれたまえ」
殺気立つヴィフレンとロロに対し、〈御伽噺〉はやはりその芝居がかった態度を崩さない。ただ、彼の傍に立つ灰色の髪の青年〈シャドー・レイヴン〉は〈御伽噺〉を守れるよう微妙に立ち位置を変えている。
セイルは〈ジークフリード〉を解除していないし、ヴィフレンとロロも〈御伽噺〉を警戒し敵意さえ示している。そんな剣呑な空気の中、しかし〈御伽噺〉はそれを歯牙にもかけず好き勝手に喋り続けた。聞かせると言うよりはもはや語ることそれ自体が目的のような様子で、聞かされている側は急速に嫌気が差してくる。だが、〈御伽噺〉はそれさえも気にせずに話し続けた。
「さて、それではそろそろお暇するとしようかね」
さんざん好きなだけ喋りつくして満足したのか、晴々とした表情を浮かべて〈御伽噺〉はそう言った。〈シャドー・レイヴン〉が無表情のまま軽く腰を折って礼をする。そして〈御伽噺〉は「それではね」とだけ言うとさっさとボロボロのローブを翻して去っていった。
「くっ…………!」
二人の姿は森の木々に紛れて見えなくなると、突然セイルが顔をゆがめて膝を突いた。先程まで発動していた〈ジークフリード〉はすでに解除されている。
「ど、どうしたんですか!?」
慌ててルクトが覗き込むと、セイルの顔は血の気が失せて蒼白になっていた。額にはうっすらと汗が滲んでいる。おそらくは冷や汗だろう。
「……ルクト君、魔石、持ってない?」
苦しげな様子を見せるセイルは、しかし気丈にも微笑みさえ浮かべてルクトにそう尋ねた。ルクトは咄嗟に、外法用に用意していた小さな魔石をセイルに手渡す。魔石を受け取ったセイルは目を瞑ってそれを握り締め、少しすると「ふう」と息を吐いて力を抜いた。
「ありがとう。少し楽になったよ」
そう言ってセイルは立ち上がった。ただ、顔色はまだ少し青白い。本調子ではなさそうだ。魔石を握り締めていた手を開くと、そこから黒石が零れ落ちる。つまりセイルは外法を使って魔石からマナを吸収したのだ。しかし外法に付きものの拒否反応を起こした様子はない。
「……一体、どうしたんですか?」
「マナをね、使いすぎたのさ」
少し自嘲気味にセイルはそう答えた。長命種は体内に濃密なマナを持っている。それはセイルが教えてくれたことだ。だがそのマナは自前で生成できるものではなく、外から補給しなければならない。つまり使用量が補給量を上回れば、体内に保有しているマナはどんどん減っていくのである。
「……で、減りすぎるとこのザマさ」
そう言ってセイルは苦笑を浮かべ肩をすくめた。〈御伽噺〉と対峙しているときは大丈夫そうだったが、それは痩せ我慢だと言う。
「ま、〈御伽噺〉は気づいていただろうね。長話も半分は僕に対する嫌がらせだろうし」
つまりマナの使いすぎで体調が良くなく、しかし〈御伽噺〉の手前隙を見せられないセイルの状況を十分に知った上で、その状態を長引かせるべく長話をしていった、というのだ。本当だとすれば、〈御伽噺〉は相当に性格が悪い。
「……ちなみに、残りの半分は?」
「自分が喋りたかっただけじゃない?」
セイルの予想を聞いてルクトは微妙な顔をした。なんにせよ、〈御伽噺〉がろくでもない人間であることは確かなようだ。
「……魔石、まだ要りますか?」
セイルの顔色はまだ良くない。きっとまだマナの補給が足りていないのだろう。ルクトの言葉にセイルはすぐに頷いた。
「そうだね。まだあるならお願いするよ」
一つ頷くとルクトは〈ゲート〉を開いて〈プライベート・ルーム〉の中に入った。そして外法用にストックしておいた小さな魔石を一包持ってくる。
結局、セイルは包の中の魔石を半分ほど消費して本調子に戻った。セイルの調子が戻ったことで、一行はまた再び走り出す。目指すエグゼリオまではまだ道半ば。彼らが去った後には、生々しい戦闘の跡だけが残った。
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森の中を〈御伽噺〉は機嫌よく歩く。合成し特異体にまで育てたあの〈キメラ〉を失ったのは痛かったが、しかし〈守護騎士〉セイルの戦いぶりを見ることができた。〈キメラ〉はまた合成すればいいが、〈守護騎士〉の戦いはそうそう見ることはできない。差し引きはむしろプラスだろう、と〈御伽噺〉は思っている。
「……しかし、あれが〈守護騎士〉の本気、ですか。話で聞いていたよりもすさまじい」
長命種最強という評価も間違ってはいませんね、と〈御伽噺〉の後ろを歩く〈シャドー・レイヴン〉は独白するようにそう言った。
「いや、あれは彼の本気でないよ」
確かにセイルが最も得意としている武器は槍だ。しかし〈ジークフリード〉の中で最大の攻撃力を持っているのは、槍ではなく腰間に下げていた剣のほうだと言う。ゆえにその剣を使わなかったあの戦いは、まだセイルの本気ではないと〈御伽噺〉は言った。
「ではなぜ使わなかったのでしょうか?」
「強すぎるからね。あそこで使っていたら、味方もろとも蒸発していただろうよ」
ともすれば我々もね、と〈御伽噺〉は振り返って意地の悪い笑みを見せた。彼は冗談を言っているわけではない。それが分かる〈シャドー・レイヴン〉は絶句し、背中に冷や汗を流した。確かにあの時〈守護騎士〉と戦っていたら、二人掛りであっても負けていたかもしれない。
「そういえば、一緒にいたルクト・オクス君。彼は一体どんな能力を持っているんだろうね?」
見たところルクト・オクスは短命種だった。そんな彼をセイルは一体何のようで連れていたのか。多少なりとも気になるところである。
「彼のことでしたら、少々見覚えがあります。以前、カーラルヒスの近くの森にいたときのことを覚えておられますか?」
「確か……、あの時は周りを学生たちがウロチョロしていたものだから、君に追い払ってもらったのだったね」
それは、オリエンテーリングのときのことである。
「あの時私は雄鹿に化けていましたが、その私に一太刀入れたのが彼でした」
「ああ、思い出した。それで網のようなものを被せられて身動きが取れなくなったのだったね」
「それをしたのはまた別の学生でしたが」
面白がるような〈御伽噺〉の話し方に、〈シャドー・レイヴン〉は少しだけ反発するような言い方をした。彼の中では、あれは痛恨事だったのかもしれない。
「しかし、ふむ……。長命種でもないただの学生が君に一太刀、ねぇ……」
なかなか面白いじゃないか、と〈御伽噺〉は笑う。
「もしかしたら彼は至れるかもしれないねぇ……」
長命種に、と〈御伽噺〉は狂気を滲ませながら笑った。
「ま、結局は器の問題だがね」
長命種になる者は放って置いたって勝手になる。逆になれない者はどれだけ手を貸してもなれない。それが〈御伽噺〉の持論だ。
「さて、次の実験の準備をしなければね。協力してくれよ、レイヴン」
「御意に」
御伽噺は続く。〈御伽噺〉の好奇心が満たされる、その日まで。
まだエグゼリオに着きません(笑)
でも今回はここまでです。
続きはまた気長にお待ちくださいませ。