エグゼリオの守護騎士6
木々がうっそうと生い茂る、人の手がまったく入っていない原生林。そこは何者も拒みはしないが、しかしまた歓迎もしていないようにルクト・オクスには思えた。ただ在るがままを受け入れるだけ。人の世の理が通じない、弱肉強食の世界である。
この世界においてルクトが強者であるのか、それは分からないが彼の同行者は間違いなく強者だ。超越者たる長命種のセイルハルト・クーレンズとヴィフレン・マーブル、そして白き巨狼のロロ。彼らがいるおかげなのか、一行が野獣や魔獣に襲われることはなかった。
ただし、だからと言って楽な道のりではない。踏み固められた道などあるはずもなく、三人と一匹は道なき道を進まなければならなかった。ある時は苔の生えた巨木の根を跳び越え、ある時は頭を出した岩を足場にして川を渡り、またある時は急峻な崖をほとんど這うようにして乗り越える。
「いや~、馬車でこの森を突っ切るのはまず無理だったね」
セイルはそう言ったが、ルートを選べばそれも可能だったかもしれない。ただ、必要とする時間は段違いだっただろうが。
日が傾き空が赤く染まると、一行は夜営の準備を始めた。まだ進めそうな気もするが、森の中は暗くなるのが早い。それはたとえ夏であっても変わらない。それに約一名、ルクト・オクスの体力がそろそろ限界だった。
もちろんルクトは移動する最中、ずっと集気法を使い身体能力強化を施していた。しかしだからと言って疲れないわけではない。普通に長距離を走る場合と同じく、ペースが速ければ当然その分疲れるのである。
だから彼が疲れ果てているのは、決して一日中走り続けたからではない。一日中走り続けるだけなら、これまで何度もやって来た。一日中、ハイペースで走り続けたからこそ、疲れ果てているのである。
その一方、同じペースで走り続けていたセイルとヴィフレンに疲れた様子はまるでない。その単純ながら明確な実力の差に、ルクトはもはや呆れる思いである。
「よし、ロロ。行ってよいぞ」
夜営する場所を決めると、ヴィフレンはそう言ってロロを森の中に放った。ロロもこれからお食事、つまり狩りだという。
「図体がでかい分、大食らいでのう! ワシらで用意するより自分で狩らせたほうが早いのじゃよ」
確かにあの巨体を満足させるだけのエサを用意するのは大変だろう。しかもロロは肉食。馬のように草を食べさせておけば良いわけではない。エサを持ってくるだけでも一苦労だ。旅の間中のエサを用意しようと思えば、〈プライベート・ルーム〉は肉でいっぱいになっていたかもしれない。
「まあ、鹿か熊でも食ってくるじゃろ!」
ロロのほうはそれでいいとして、次は人間の食事である。とはいえ旅の空の下。そう手の込んだものを作る気はない。湯を沸かして簡単なスープを作り、買っておいた保存用の硬いパンを浸しながら食べる。決して美味いものではないのだが、「空腹は最高の調味料」とはよく言ったもの。味を不満に思うこともなく、三人は夕食を食べ終えた。
「……そういえば、ちょっと聞いてみたいことがあるんですけど、いいですか?」
食後の後片付けも終わり、就寝するまでのしばしの時間。三人が談笑を楽しんでいると、ルクトがふとそんなことをいいだした。
「なにかな? ちなみにエグゼリオまでは、このペースだとあと六、七日と言ったところだと思うよ」
「それは思ったよりも近いような遠いような……。いえ、そういう事ではなくてですね……。実は学園の後輩が少し特殊な個人能力を覚醒しまして……」
そう言ってルクトが話したのは、二つ学年が下の後輩カルミ・マーフェスの個人能力〈サイネリア〉のことだ。〈サイネリア〉は厳密に言えば太刀ではなく、刀身部分だけがカルミの個人能力になる。青紫色の美しい刀身なのだが、最大の特徴は個人能力であるにもかかわらず実体化したまま、ということだ。
「〈遺産〉タイプ……」
ルクトから〈サイネリア〉の概要を聞いたセイルは、少し考え込んでから小声でそう呟いた。よく聞こえなかったルクトが聞き返そうとするが、それより早くセイルのほうが口を開いた。
「ルクト君は、〈アーカーシャ帝国〉って知ってる?」
「え、ええ……。名前くらいは聞いたことがありますが……」
アーカーシャ帝国とは、複数の都市を支配下に置く、この世界では珍しい「国」である。都市国家連盟アーベンシュタットはこのアーカーシャ帝国に対抗して生まれた存在で、位置関係としては連盟の東に帝国がある。ただ、隣り合っているわけではない。しかし、そのアーカーシャ帝国と〈サイネリア〉になんの関係があるのか。
「帝国の旗は、深紅の下地に〈三本剣〉。この三本の剣にはそれぞれ由来があって、建国に携わった三人の武芸者の個人能力なんだ」
建国と言ってもアーカーシャ帝国は最初から複数の都市を支配下に置いていたわけではない。だからここで言う「建国」とは帝都アーカーシャの建設を意味し、その三人の武芸者はその中心人物だったわけだ。
三本剣の名前は、それぞれ次の通りである。
聖剣〈エクスカリバー〉
魔剣〈デュランダル〉
宝剣〈クラウ・ソラス〉
「この内、魔剣〈デュランダル〉は今でも存在していて、皇帝の御佩剣になっているんだ」
「え……? でも、〈デュランダル〉は個人能力なんですよね? 模擬剣ってことですか?」
普通に考えればルクトの言うとおりだろう。個人能力は覚醒した本人にしか使えない、というのが基本だ。なにより建国に携わった人間ならばとっくの昔に死んでいるはずで、持ち主が死ねば個人能力も一緒に消えてなくなってしまうはずだ。
「普通は、ね。良くも悪くも〈デュランダル〉は普通じゃなかった」
持ち主が死んだ後も〈デュランダル〉は消えることなく遺った。そして遺ったばかりか、力を失ってただの剣になることもなく、烈を注げばその能力すらも使うことができたのである。
「これはとんでもないことだよ。〈デュランダル〉さえ持っていれば、自分のものと合わせて二つの個人能力を使えるんだから」
生唾を飲み込みながらルクトは頷いた。セイルの言うことは彼にも容易に理解できる。
「……で、〈デュランダル〉のように持ち主の死後も遺り続ける個人能力を、〈遺産〉タイプと帝国では呼んでいるんだ」
なるほど、とルクトは頷いた。しかし、それが〈サイネリア〉とどう関係があるのか。彼のその疑問に答えるように、セイルは口を開いて話を続ける。
「これは、長く生きている人間しかもう知らないことだと思うけど、〈デュランダル〉はね、実体化したままの個人能力だったんだ」
ルクトは息を呑んだ。顔を強張らせる彼に、セイルはその予感を肯定するかのように重々しく頷いた。
「……つまり〈サイネリア〉も〈遺産〉タイプの個人能力だと?」
「ま、あくまで『可能性としては』ってレベルだけどね」
本当に〈サイネリア〉が〈遺産〉タイプの個人能力かどうかは、持ち主であるカルミが実際に死ぬまではわからない。持ち主の死後に遺ってこその〈遺産〉タイプなのだから。
「……このことを後輩に話したほうがいいでしょうか?」
「止めておいたほうがいいじゃろ」
「そうだね。僕も止めといたほうがいいと思う」
意外にもヴィフレンとセイルはルクトの意見には否定的だった。自分の能力についてちゃんと知っておけば、いろいろと対策の立てようもあると思うのだが。
「下手にこのことが知れ渡ると、“確かめて”みたくなるヤツが出てくるからね」
それはつまり、カルミを殺して〈サイネリア〉が本当に〈遺産〉タイプの個人能力かどうか確かめる、ということだ。相手は学生。念入りに計画を練れば、捕まることなく事を達するのも不可能ではないだろう。
「いや、だったらなおのこと教えておくべきじゃ!?」
「教えたら、きっとその後輩は人間恐怖症になるよ?」
誰も彼もが〈サイネリア〉を狙う“敵”に見えてくる。親しい友人ですら疑わずにはいられないだろう。それくらい「個人能力がもう一つ使える」というのはとんでもないことなのだ。そして最終的には疑心暗鬼にかられて誰も信じられなくなる。
「一番良いのは、本人も含めて誰もなにも知らないという状況。幸いにして、〈遺産〉タイプについて詳しく知っている人間なんてほとんどいないからね」
知らなければ、無用な心配をする必要はないし、また邪な欲望が生まれることもない。それが最も平穏な状態だ、とセイルは言う。
「一度知ってしまえば、知らなかった頃には戻れない。情報は何でもかんでも知っていればいい、というものじゃないんだよ」
「いや、でも、オレがもう知っちゃいましたし……」
「う~ん、そうだねぇ……。そういう意味では、君が一番の危険人物かもね」
後輩を殺しちゃダメだよ、とセイルは冗談めかしつつも釘を刺す。ただ、彼の目は決して笑ってはいなかった。
「……しませんよ、そんなこと。あと、このことは誰にも話しません」
自分の失言が原因で後輩が殺されるとか、そんな事件が起こるのは嫌過ぎる。そのためにも〈遺産〉タイプの話はしないようにしよう、とルクトは心に決めた。
「そうだね、それがいい」
それに、あくまでも「可能性がある」というだけで確定ではない。カルミが死んだときに、〈サイネリア〉も一緒に消えてしまうことだって考えられるのだ。というより、そうなる可能性のほうが大きい、というのがセイルの見立てだ。
「む……。ロロが戻ってきたようじゃな」
話に区切りがついたころ、ちょうどよくロロが狩りから戻ってきた。その口の周りにはまだ赤いモノが残っている。それを見たルクトは、少しだけ頬を引きつらせた。
「じゃ、そろそろ寝ようか」
「あの、不寝番の順番はどうするんです?」
「え? いらないよ、そんなの」
ロロがいるから、とセイルとヴィフレンは声を揃えた。なんでも起きている彼らより寝ているロロのほうが危険探知能力が高いのだと言う。二人ですらそうなのだから、ルクトなどもはや問題外である。
「だから起きているだけ無駄」
セイルはそういうと、さっさと外套を下に敷いてその上に横になった。ヴィフレンも同じようにしたし、ルクトもそれに倣う。ロロに至ってはすでに寝入っている。
(なんだかなぁ……)
胸のうちでぼやきつつも、ルクトの意識は急速に低下していく。一日中走り続け疲れているのだ。火は消していないがそのうち消えるだろう。虫除けの魔道具も使っているから、うるさい虫に煩わされることもない。
こうして一日目が終わった。明日もまた、エグゼリオを目指すことになる。
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異変が起きたのは、カーラルヒスを出発してから三日目のことだった。前を走っていたロロが、突然足を止めたのである。それを見てヴィフレンとセイル、そしてルクトも足を止める。
「どうした、ロロ?」
前方を警戒する様子を見せるロロの頭を撫でながらヴィフレンが問いかける。恐らく彼の個人能力〈心話〉も使っているのだろう。そして、ややあってから彼は振り返ってセイルのほうに視線を向けた。
「前方を警戒しておる。どうやら、何かいるらしい」
そう話すヴィフレンの声にも警戒が滲んでいる。いつもは穏やかな彼の眼が、今は少し鋭くなっているように思えた。
「分かった。僕が先頭になる。気配を消して、警戒しながら付いて来て」
フォーメーションが変わる。セイルが先頭になり、その後ろにロロ、ルクトが続き、ヴィフレンが一番後ろに付いた。ルクトは言われたとおりに気配を消し、ロロの巨体に隠れるようにしながら前に進んだ。
そして五分ほど進んだところ、森の中、木がなくて日の光が降り注ぐ場所に、ソレはいた。
「…………!」
セイルが言葉を使わずに身振りで指し示したその先を見た瞬間、ルクトは思わず息を呑んだ。悲鳴を上げなかったのはあらかじめ警戒していたからだ。
そこにいたのは、翼を持つ三つ首の巨獣。豹柄の身体に、獅子と羊そして狼の頭がついている。胴体からは禍々しい黒い翼をはやし、尻尾は蛇だ。
これに該当する存在をルクトは知っている。〈キメラ〉と呼ばれるタイプのモンスターだ。
そう、モンスターである。このような存在が自然界にいてよいはずがない。しかしモンスターとは迷宮で出現する擬似生命体のはずだ。ここは迷宮の中ではない。なぜこんなところにモンスターがいるのか。
「〈特異体〉……」
日差しの中、何を警戒するでもなく寝入っている〈キメラ〉を刺激しないよう、小さな声でセイルがそう呟いた。その口調は苦い。
「特異体……?」
ルクトが小さな声で聞き返すと、セイルは頷いた。そして視線を〈キメラ〉から外すことなく特異体について説明する。
「そう。普通、モンスターは迷宮の中にしかいない。だけど、まだ人の手が入っていない未攻略の迷宮だと、ごく稀に外に出てくるモンスターがいるんだ」
ただ外に出てきただけであれば、その個体は一時間もせずにマナに還って消えてしまうので問題はない。
「だけど、消えるまでの間に動物、特に魔獣を喰らったモンスターは血肉を得て一個の生命体になるんだ。そうなると幾ら時間が経っても自然にマナに還る事はなくなる」
それが〈特異体〉。ちなみに逆の場合、つまりモンスターを野獣や魔獣が喰らった場合、その個体はより強力な力を得る。この場合も〈特異体〉と呼ばれる。後で聞いた話だが、ロロも特異体であるらしい。
元がモンスターの特異体の場合、生殖能力はない。だが、その分の本能が全て食欲に回ってしまったかのような、比類のない喰らうことへの貪欲さを見せるようになる。
種として、あるいは生命体として優秀であるかは別として、個々の個体を見た場合、特異体は非常に強靭な生命力を持っている。頭の半分を吹き飛ばされても死なないことなどザラだ。加えて極めて獰猛で気性が荒く、理不尽なまでに強力であることが多い。その戦闘能力は都市の武力的切り札〈魔道甲冑〉さえ歯牙にもかけないのだ。
まさしく、人類を踏みつけ食物連鎖の頂点に立つ存在なのである。
「そんなのがどうしてここに……!」
「可能性としては幾つか思いつくけど……。ま、それは後回しだね」
エグゼリオの近くにこんな厄介なモノを放置しておくわけにはいかない。コイツはここで倒す、とセイルは宣言した。
「……手伝ったほうがよいか?」
「いえ、僕一人でやります。ヴィフレンさんはルクト君をお願いします」
そう言うとセイルは屈んでいた姿勢から立ち上がり、〈キメラ〉が寝ている広場へと足を向けた。気配は消していたはずなのだが、セイルが歩き始めると〈キメラ〉は起き上がり、低い唸り声を上げて彼を威嚇する。〈キメラ〉が放つむき出しの敵意と殺意に、後ろで隠れているだけのルクトは心臓を鷲掴みにされたかのような錯覚を受けた。しかしそれを真正面から受けているはずのセイルに、臆した様子はまるで見られない。
「……〈ジークフリード〉!」
その言葉を口にした瞬間、セイルの身体は光に包まれた。力の発現。光が収まったとき、そこにいたのは一人の「騎士」だった。




