エグゼリオの守護騎士1
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黒鉄屋は金貸しである。つまり、金を貸して利息を取って儲ける商売だ。
そう、商売である。その知名度や手を伸ばす範囲の広さは規格外としても、商売であるという基本は揺るがない。であるならば、黒鉄屋のメリアージュは商人であると、少なくともその側面を持っていると言っていいだろう。
さて、都市間を行き来するキャラバン隊などの特殊な例を除き、商人であるならば商売のための拠点を持つものだ。つまり、店舗である。大きな商会などになれば店舗のほかにも、情報を集約したり指示を出したりするための本部や支部を設けることもあるだろう。
黒鉄屋も店を構えている。ただし、そこが店として機能しているのか、そもそも店主であるメリアージュにそこで商売をすると言う意識があるのか、はなはだ疑問である。
黒鉄屋があるのは裏路地の一角。その造りは一般の民家となんら変わりなく、その上看板を掲げることすらしていない。よい店舗の条件が「人目につきやすく、すぐにそれと分かる」ことであるとするならば、間違いなくその真逆を突き進んでいる。
『お金を借りに来た人はいないなぁ』
これはこの家で十歳から十五歳までの五年間を過ごした被保護者の証言である。金貸しにも関わらず、五年の間にお金を借りに来た人が一人もいないというのだから、これはもう「本当に営業しているのか」とかそういうレベルを超えている。
あえて言おう。黒鉄屋はちゃんと営業はしている。
そもそも黒鉄屋の営業範囲は広範であり、複数の都市にまたがっている。だが金を借りたりあるいは返したりするために、わざわざ他の都市からヴェミスにまでやって来るのは現実的ではない。
だからメリアージュはいつも“黒い鳥”を使って仕事をしている。そのため、わざわざ店舗に客を呼び込む必要がないのだ。というより、彼女自身に「店を構えている」という意識があるのかどうか、それさえも疑問である。ちなみに「ほとんど住居としてしか考えていない」というのが某被保護者の意見だ。
つまり何が言いたいのかと言えば、「黒鉄屋を訪れる人間は少ない」ということだ。決していないわけではない。金を借りに来る人間はほぼいないが、それ以外でメリアージュに用のある人間がやって来ることはあるのだ。
今まさに黒鉄屋を訪ねてきている客人も、金を借りに来たわけではなく、メリアージュ個人に用事のある者たちだった。
「久しぶりだね、メリアージュ。元気にしてた?」
応接室に通され、ソファーに座る二人の客人。ちなみに両名とも男性である。出された紅茶に手をつけ一息ついてから、片方の男がメリアージュに笑みを浮かべながら親しげに話しかけた。
「……元気も何も。妾たちがどういう存在であるのか、お主が最もよく知っておるじゃろうに、セイル」
呆れたようにそう答えるメリアージュ。最後に体調を崩したのはいつのことだったか。少なくともここ300年は風邪の一つもひいたことがない。ただ二日酔いで頭痛が酷く、朝起きられなかったことはある。なお酔い潰してくれた犯人は、何を隠そう目の前のこの男である。
男の名はセイルハルト・クーレンズ。輝く金髪に青い目をしていて、百八十センチを越えるであろう立派な背丈を持っている。そして、町を歩けば女たちが放ってはおかないであろう甘い顔立ちをしていた。ただ、同時に不思議な容貌でもあり、二十代と言われれば二十代、三十代と言われれば三十代、四十代と言われれば四十代に見えた。
「はは、まったくだね。ただ、それでもこういう時は『おかげさまで大事無く』と言っておくのが社交辞令というものだよ? メリアージュ」
「お主は相変わらずじゃな、セイル」
「変わろうと思ったってそう簡単には変われないよ、僕たちは。それは君も重々承知しているだろうに」
増えていくのは血肉にもならない希釈された経験と知識だけさ、とセイルはどこか達観したように言葉を続けた。メリアージュはその言葉に思うところがあるのか、少し苦い表情をして視線を逸らした。
「……それで、そちらの御仁はどなたじゃ?」
数瞬の沈黙の後、メリアージュはそう言って話題を変え、視線をセイルの隣に座っているもう一人の男のほうに向けた。
セイルの隣に座っているのは大男だ。三人がけのソファーの二人分を占領して座っている。手に持ったティーカップは普通のものなのだが、彼が持つとまるで玩具のように見えた。
身長は優に二メートルを超えているだろう。肩幅も広く、隣に座るセイルと比べると倍近くありそうだった。黒目黒髪はルクトと同じだが、髪の毛は彼よりずっと硬そうである。さらに伸ばして三つ編みにしてまとめてある。顔つきは厳しいが、表情が穏やかなおかげで雰囲気は柔らかい。少し浅黒い肌が特徴的だ。南のほうにはそういう肌の人も多いと聞くので、その辺りの出身なのかもしれない。
「ああ、彼は……」
「ワシはヴィフレン・マーブルという。よろしく頼む」
「僕らのご同輩だよ」
セイルの言葉に、メリアージュは「ほう」とだけ返した。彼が連れてきた以上ただの人間ではないと思っていたが、どうやら同類らしい。
「メリアージュじゃ。姓は捨てた。どうしても何か付けたければ、〈黒鉄屋〉か〈闇語り〉と呼ぶがよい」
メリアージュの言葉にヴィフレンと名乗った男は「うむ」と頷いた。
「それで、今日は何の用じゃ?」
セイルとヴィフレンはヴェミスの住人ではない。つまり二人ともわざわざ都市の外からメリアージュを訪ねてきたのである。それ相応の理由があってしかるべきであろう。
「……さっきから思っていたけど、似合ってないよ? その口調」
あと化粧も濃い、とセイルは思い出したかのように付け足した。
「な!?」
メリアージュが絶句する。ここまで好き勝手に言われたのは久しぶりで、言い返そうにも言葉が出てこない。そして彼女が言葉を失っている間に、セイルはさらに好き勝手に続ける。
「まあ君の場合、外見年齢が十六で止まっているから、口調と化粧で雰囲気出したいのは分かるけどさ」
「十七じゃ!」
思わず言い返すメリアージュ。それから彼女らしからぬうんざりした表情を浮かべて頭を抱える。そんな彼女に助け舟を出したのは、二人の会話に苦笑を浮かべたヴィフレンだった。
「セイル殿、あまり女子をからかうものではない」
「いや、だけど、ヴィフレンさんより確実に歳くってるよ?」
「……喧嘩売りに来たのなら買うぞえ?」
メリアージュがぞっとするほど低い声で最終通告を出した。ルクトであれば反射的に土下座するほどの威圧を放っている。だが生憎とセイルには通じなかったらしく、彼はただ肩をすくめてやり過ごした。
「まさか。僕と君が喧嘩したら、この都市が更地になっちゃうし」
まさかこんなところで都市崩壊の危機が回避されていたとは、住人たちは夢にも思うまい。ヴェミスは今日も、ひとまずは平和である。
「それで、用件だけどね。本命とついで、どっちから聞きたい?」
「…………では、ついでのほうから」
そこはかとない疲れを感じながら、メリアージュはそう答えた。その一方で雑談を楽しんだセイルは機嫌良さそうに笑みを浮かべている。
「最近、〈御伽噺〉について何か聞いていない?」
少しだけ口調を真剣なものにして、セイルはそう尋ねた。〈御伽噺〉とはとある武芸者の二つ名だ。無論本名は別にあるのだが、本人が二つ名で呼ばれることを好んでいるためそちらで呼ばれることが多かった。
「〈御伽噺〉? あの問題児がまた何かやらかしたのかえ?」
「いや、ここ最近は何かしでかしたという話は聞かない。ただ、アレが何もせず大人しくしているわけがないからね」
そろそろ何か始めるんじゃないかと思ってね、とセイルは言う。それを聞いてメリアージュも眉をひそめた。〈御伽噺〉は優秀な武芸者だが本人は学士を自任しており、そちらの方面での能力も高い。ただ彼は目的のためには手段を選ばず、また被害を気にしない。〈御伽噺〉の「実験」に巻き込まれて滅んだ都市もあるくらいだ。
「僕の情報網では足取りを追えなくてね。君のほうはどうかと思ったんだ」
複数の都市を股にかけて金貸しの商売をしているメリアージュは、同時に広範な情報網も構築している。この世界ではそれぞれの都市が自給自足をして自立し、またそのため閉鎖的な環境である。だから彼女のように複数の都市に及ぶ情報網を持っている人間はごく稀で、そのためメリアージュが持つ情報量というのは世界でも屈指のものだ。
「……いや、ここ最近はそれらしい噂も聞かぬな」
だが、そのメリアージュをしても〈御伽噺〉の最近の動向はまったく不明な状態だった。そしてそれには思い当たる理由がある。
「〈バック・ドア〉を助手にしてからは、アレは都市に留まる事をしなくなった。都市の外を拠点にしているのであれば、妾の情報網には引っ掛からぬよ」
情報と言うのは、当たり前の話だが人間が持っていたり発信したりするものだ。だから情報網の基点というのはどうしても多数の人間が集まるところ、つまり都市になる。そのせいか、都市の外側で起こっていることと言うのは極端に知り辛い。
今までであれば、〈御伽噺〉は迷宮を持つ都市を拠点にして自分の研究を行っていた。そのためその足取りは比較的掴みやすかったのだが、一人の助手が彼に協力するようになってからはその状況が大きく変わってしまった。
「〈バック・ドア〉のシャドー・レイヴンか……」
厄介な能力だよ、とセイルは大げさに嘆いた。ちなみに「シャドー・レイヴン」というのは偽名で、本名は別にある。ただ本人は常にこの名前を名乗っており、恐らく本名は捨てたつもりなのだろう。
「まったく、火に油を注ぐような個人能力だよ。〈バック・ドア〉もなんでわざわざ〈御伽噺〉と組むかな……」
二人の出会いは運命的に最悪だったとセイルは思っている。今までは都市に居ることが〈御伽噺〉にとって一種の枷になっていたが、〈バック・ドア〉によってその枷が解かれてしまった。問題児の行動範囲が広がってしまったのだ。ロクな事にならないと言う予感、いや確信がある。
「まあ、分からないものはしょうがない。僕は火の粉が降りかからなければそれでいいしね」
「火の粉で済めばよいがの」
メリアージュがそういうとセイルは露骨に顔をしかめた。その顔は「勘弁してくれ」と何よりも雄弁に叫んでいた。
「〈御伽噺〉のことはもう良かろう。それで、本命の用事はなんじゃ?」
分からないことをこれ以上話してもただの愚痴にしかならない。そう思ったメリアージュはこの話題を終わらせ、本命を話すように促した。
「本命、ね……。なんて言えばいいのかな……? う~ん、君を誘いに来た?」
「……よりを戻したいと言う話なら、今はお断りじゃ」
というかなぜ疑問系、という内心の思いは表に出さずメリアージュは出来る限りそっけなくそう答えた。しかしそれを聞いたセイルは油断なく目を光らせる。
「ほほう? では将来的には脈アリと?」
セイルが面白げにそういうと、メリアージュはしまったと言わんばかりに顔を背けた。そんな彼女の反応にセイルは少しだけ笑うと、すぐに表情を改めて本題の話に戻った。
「それはそれで魅力的だけどね。今日のお誘いは別件」
実は新しく都市を造っている。それに協力してもらいたい、とセイルは切り出した。都市の名前は〈エグゼリオ〉。「都市国家エグゼリオ、と見得を切るにはまだまだ規模が小さすぎるか」とセイルは笑う。
「前々から、まだ手がついていない迷宮は見つけてあったんだ。仲間も集まってきたから、本腰を入れて開発を、ね」
「仲間?」
「そ、三十人くらい集めた。しかも全員ご同輩」
「……それは、また……。世界征服でもする気かえ?」
その過剰戦力にメリアージュは呆れたような声を出した。少なくとも戦力的には世界征服も可能であろう。そもそも都市一つを滅ぼすだけなら、セイルがいれば事足りる。こと戦闘能力に限れば、彼は世界でも最高クラス。というより、彼以上の武芸者をメリアージュは知らない。そんなセイルがメリアージュ並みの武芸者を三十人率いる。冗談抜きで世界を滅ぼせそうな戦力である。
「まさか。そんな面倒臭い事はしないよ」
だが、セイルは笑ってその野望を否定した。おかげで今日も世界は平和である。
「ではなぜ都市なんぞ造る? そもそも、それだけの戦力がありながら、なぜわざわざさらに妾を誘う?」
「別に戦力が目当てで君を誘っているわけじゃない」
ではなぜ、とメリアージュがいぶかしげに言おうとした矢先、セイルの表情がフッと優しげにほころんだ。年長者特有の、人を安心させる微笑である。
「……一人で長く生きるのは、辛くないかい?」
「…………!」
穏やかにそう問いかけられ、メリアージュは言葉を失って顔を背けた。その顔には内心を見透かされた苦さと、もてあました苦しみがにじみ出ている。
「……確かに、僕たちは都市のなかで、人々のなかで生活している」
だけど彼らと僕たちじゃあ時間の流れ方が違う、とセイルは言葉を続けた。彼らは長い時間を老いもせずに生きていく。百年二百年という時間の中を、だ。しかし周りの人間は違う。普通の人間は、百年も生きずに皆死んでしまう。
「どれだけ親しくなっても、みんな僕たちより先に死んでいく。気が付けば、僕たちはいつも一人だ」
周りにどれだけの人間がいるのか。そんなことは本質的な問題ではない。時間という単位の中で、彼らは孤独になっていく。
「僕たちに寿命があるのかなんて知らないけどね、その孤独に耐えられず自ら命を絶った奴だっている」
セイルはそう言って遠い目をした。メリアージュよりはるかに長く生きている彼は、つまりそれだけ長い間孤独に耐え、また耐え切れなかった仲間を見てきたのだろう。
「で、そういうのも悲しいからね。仲間を集めて、僕たちのための都市を造ろうと思ったんだ」
「……ヴィフレン殿も?」
「うむ。擦り切れそうになっていたときに、セイル殿に誘われた次第じゃ」
ヴィフレンがそう答えると、メリアージュは何かを思案するように黙り込んだ。沈黙が空気を重くする。
「……というか、ヴィフレンさんは“殿”なんだ?」
僕は呼び捨てなのに、とセイルが芝居がかった仕草で泣き真似をする。それで重くなっていた空気が弛緩した。
「やかましい。日頃の行いの差じゃ」
「うわぁ、反論できないね。心当たりが多すぎて」
そういうセイルは開き直ったのか実にいい笑顔を浮かべていた。その笑顔を見てメリアージュとヴィフレンは苦笑する。反省の色は欠片もないが、実に彼らしいと思ったのだ。
「それで、どうする? ウチに来ない? シードルも喜ぶと思うよ」
「……あの娘もおるのか……」
メリアージュの顔が奇妙に歪む。喜んでいるような、しかし遠慮したいような。そんな顔である。
「そ、今は秘書としてこき使ってるよ。僕を」
「……逃げてきたな?」
「いやいや、そんなまさか。あっはっはっはっは」
わざとらしく笑うセイルに、メリアージュは呆れ混じりに視線を送る。それからため息をついて軽く頭を振り、それかかった話題を元に戻す。
「……今はまだ協力できぬ。ヴェミスとの契約期間が残っておるからの」
「そっか。なら仕方ないね」
メリアージュの返答にセイルはあっさりと退いた。もともとメリアージュを誘いに来たというか「都市を造っている」という話を彼女に伝えることそれ自体が目的だったのだろう。それにメリアージュも「今はまだ」と言っただけで、将来的には可能性を残している。もとより長い時間を生きる彼ら。ここで焦る意味も必要もない、ということだ。
「これを置いていくよ。気が向いたらいつでも来て」
そう言ってセイルは一巻きの地図と手のひらほどの大きさのコンパスをテーブルの上に置いた。彼が言うにはコンパスのほうは魔道具で、常に彼らが作っている都市の方角を指してくれるという。
「周りはまだ樹海だからね。これがないと確実に迷う」
そして樹海でサバイバルできる人でなければそのまま死に至る、と言うわけだ。いわば天然の防壁に守られているようなものである。
「まあ、受け取ってはおく」
「そうしておいて。じゃないとシードルに怒られる。……さて、話すことは話したし、もう行くよ」
他にもやることがあるんだ、と言ってセイルはすっかり冷めてしまった紅茶を一口で飲み干し立ち上がった。そしてヴィフレンもそれに続く。
「なんじゃ。ここへ来たのはついでかえ?」
「わざわざヴェミスに来たのは、君を誘うため、だよ。ただ、他にもやる事があるだけ」
「ほう? 一体何用じゃ?」
それは物資の調達である、とセイルは答えた。今はまだ三十人程度しかいないとはいえ、都市を(と言うより生活の拠点を)作ろうというのだ。さまざまな物が入り用になるのは想像に難くない。
「特に、立地が内陸だからね。塩は絶対に調達しないと」
「塩程度なら、お主一人で何往復もした方が早いであろうに」
セイルの個人能力を知っているメリアージュはそう言った。言ってから、別のある可能性に思い至る。
「……もしや、ヴィフレン殿は目付け役かえ?」
「うん、それもある」
即答したのは他でもないセイル自身だ。その横ではヴィフレンが苦笑を浮かべ、メリアージュはその開き直りに大いに呆れた。
「……ただ、今回はちょっと大きな物を頼まれてね。僕一人じゃ無理なわけ」
セイルの答えに、メリアージュは「なるほどの」と納得した。そしてそれから口元に手を当ててしばしの間考え込む。
「どうかした?」
「……実は、荷物運びに最適な人材がおる。紹介してやろうかえ?」
「へえ……。それは是非紹介して欲しいね」
セイルが面白そうに目を細め、今さっき立ち上がったソファーに座りなおす。ヴィフレンも何も言わずにそれに倣った。
「とりあえず、名前だけ先に教えてよ」
「名はルクト・オクス。今はカーラルヒスにおる。……妾の養い子じゃよ」