勤労学生の懐事情7
ダドウィンから新しい太刀を買った次の日、ルクトの寮室である403号室にとある珍客が訪れた。
コツコツコツ、という窓ガラスをつつくような音にルクトが目を上げると、窓の外に一羽のカラスがいた。いや、カラスのような、と言ったほうが正しいだろう。その鳥はまるで絵の具を塗りたくったかのように真っ黒で、近づいてみても羽毛の一つも見分けることができない。闇を押し固めて鳥の形を作ったかのような、そんな感じであった。
一見して不気味で不吉でさえあるその鳥を、ルクトは躊躇うことなく窓を開けて部屋のなかに招き入れた。黒い鳥、いや黒い鳥の形をした何かは、カラスなどがそうするように跳ねるようにしながら室内に入り、軽く羽ばたいて机の上に降り立つ。
部屋の中に入った“黒い鳥”は、特に暴れることもなく大人しくしている。小刻みに首を動かすその仕草は、本当に鳥にそっくりである。
窓を閉めたルクトは、椅子を引いて机の上に立つ“黒い鳥”と向かい合うようにして座る。先に口を開いたのは、なんと“黒い鳥”のほうだった。
「調子はどうじゃ、ルクトよ」
“黒い鳥”の口から聞こえてきたのは、メリアージュの声だった。この“黒い鳥”は彼女が個人能力によって作り出したものなのだ。ただメリアージュの個人能力について、ルクトは詳しいことは知らない。〈闇〉を操る能力だということは察しがついているが、それ以上の事については「まだ早い」といってメリアージュは教えてくれなかったのだ。
「ぼちぼち、かな」
「おぬしはいつも『ぼちぼち』じゃな」
楽しげな声を上げてメリアージュが笑った。しかしルクトの目の前の“黒い鳥”からはその声が聞こえてくるだけで、その姿を見ることはできない。ただ、彼女がどんな風に笑っているのか、ルクトは容易に想像することができた。
「はい、これが今月分」
扇で口元を隠しながら笑うメリアージュの姿を脳裏に思い浮かべながら、ルクトは金貨を三枚“黒い鳥”の前に並べた。
「なんじゃ、たったの30万シクかえ?」
「ちょっと大きな出費があったんだよ、今月は」
そうかえ、とメリアージュの声がしてから“黒い鳥”は目の前に置かれた金貨をついばんで丸呑みする。三枚の金貨はあっという間に“黒い鳥”の体内に消えていった。その様子をルクトは少し恨めしそうに見ていた。
月末に一回、こうしてメリアージュは“黒い鳥”を使って借金の取立てに来る。とはいえ毎回の返済額は特に定まってはおらず、ルクトが自分の懐具合と相談しながら決めていた。
加えて、お金が足りないときには借りることもできる。一、二度借りたこともあるのだが、“黒い鳥”が金貨を吐き出す光景はなかなかシュールだった。
「ところで大きな出費というと、装備でも新しくしたのかえ?」
“黒い鳥”は三枚の金貨を丸呑みしたあとも、すぐには飛び立たずメリアージュの声でそう聞いた。
「ああ、厄介なモンスターに出くわして太刀を駄目にした」
「ふむ、『厄介なモンスター』というと?」
ルクトは迷宮で出くわした巨人についてメリアージュに話す。最初はこん棒を装備していたこと。それを破壊したら黒い大剣を作り出したこと。その大剣がなかなか頑丈でちょっと無茶をしたら太刀が砕けてしまったこと。真っ二つにした黒い大剣が結構いい値段で引き取ってもらえたこと。でも新しい太刀を買ったのでお金がないこと。
「武器を作り出すモンスターか。なかなかレアなヤツにおうたものじゃな」
ひとしきり話を聞くと、メリアージュはそう言った。彼女の言う“レア”という評価からすると、あの巨人のようなタイプのモンスターは珍しいがまったく出ないものでもないらしい。
「普通は十五階層より下によく出現するのじゃが………」
さてさて運が良かったのか悪かったのか、とメリアージュの声は続いた。
「ところでルクトよ。そのモンスターにおうておぬしが考えたことを当ててやろうか?」
声音に意地悪な雰囲気を混ぜてメリアージュはそういった。今頃彼女はネコのように人懐っこくて、しかし妙に威圧感のある笑みを浮かべているに違いない。
「大方、『ああやって武器を作り出せればがっぽり稼げるのに』とか思ったのじゃろう?」
そういわれたルクトは無言のまま“黒い鳥”から視線をそらした。彼のその態度こそが、何が正解か雄弁に語っている。
「なんじゃ、図星かえ?」
相変わらず単純じゃなぁ、とメリアージュは声を上げて笑う。ルクトのほうは腕を組んで不機嫌な顔をしているのだが、彼女はかまわずに笑い続ける。
「………ルクトよ」
ひとしきり笑った後、メリアージュは優しげな声で再び話しかける。笑われたルクトのほうは「なんだよ」とぶっきらぼうに応えるが、“黒い鳥”を通して伝わる彼女の暖かな雰囲気は少しも揺らがない。
「元気そうでなによりじゃ」
「………そりゃどーも」
不機嫌そうにルクトはそう応えたが、それが照れ隠しであることは少し付き合いのある者ならばすぐに分ったであろう。五年の月日を一緒に過ごしたメリアージュならばなおのこと、であろう。
「他にはどんなことがあったのじゃ?」
「ああ、他には………」
促されるままにルクトはこの一ヶ月間にあったことを話す。メリアージュは時折相槌や茶々を入れながら彼の話を楽しそうに聞いている。
おかしな人だ、とルクトはメリアージュのことを思っている。そしてそれ以上に優しい人だと知っている。優しくなければどうして自分を助けたりなどするものか。
だからこそ、というのは変かもしれない。しかしそれがルクトの正直な気持ちでもある。時々、借金だけが自分とメリアージュを繋ぎ合わせているのではないか、と考えてしまうのだ。借金を返し終わったら、そこで自分とメリアージュの関係は終わってしまうのだろうか。そう考えると、少し怖くなる。
「………ルクトよ、どうかしたのかえ?」
「………いや、なんでもない」
どうやら余計なことを考えて話が止まってしまっていたらしい。ルクトは頭を振って雑念を追い出すと、話の続きを語り始めた。
借金を返し終わったあとのことを、メリアージュに聞いたことはない。そして聞くのが怖くない、といえば嘘になるだろう。
(まあ、今はまだいいか………)
いつもそう思ってしまうのだ。しかし多額の借金が残っているのもまた事実である。返し終わったあとのことより、どうやって返していくかを考えるべきであろう。
問題の先送りだと分っている。分っているが、ルクトはそのことに気づかない振りをするのだった。
――――借金残高は、あと1億4720万シク。
というわけで「勤労学生の懐事情」、いかがだったでしょうか。
今回の作品は、前作のように広い範囲に大風呂敷を広げる、ということはしないつもりです。
結構狭い範囲、カーラルヒスとその周辺くらいでのお話になる予定。
また前作の反省を生かして、なるべく主人公から目を離さずに話を付くって行きたいと思っています。
第二話については、完成し次第また一日一話ずつ投稿していくつもりです。気長にお付き合いくださいませ。