〈サイネリア〉
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今後もよろしくお願いします。
例えば、片腕の取れてしまった手作りの人形。例えば、擦り切れそうになった小さなリボン。例えば、町の片すみで見つけた小さな野花。例えば、例えば、例えば…………。
それらは、かつて宝物だったもの。かつては大切にしていたが、しかしいつの間にか自分の中で価値を失ってしまったもの。
それは、当然のことと言える。成長してものを知り、価値を知るようになれば、大切にするものの基準は自ずと上がっていく。そうして宝物はガラクタへと成り下がり、捨ててしまうことに、あるいは失ってしまうことに躊躇いを覚えなくなる。
それは悲劇なのだろうか。それとも喜劇なのだろうか。いや、きっとそのどちらにすることもないくらい、当たり前でつまらないことなのだろうと思う。
(いずれはこの太刀も、価値のないものになってしまうのかな……?)
ベッドの上に片膝を立て鞘に収まった太刀を抱きしめるようにして座りながら、カルミ・マーフェスはそんなことを思った。
彼女が持っている太刀は、決していいものとは言えない。素材は玉鋼。腕利きの鍛冶師が打ったものだから刃物としては優秀だが、迷宮攻略用の武器としては初心者向けである。目安としては、四階層のベースキャンプまでが限界だろう。出来ることならばそこに至る前に、次のランクの武器に買い換えたほうがよい。
つまり冷静に考えて、早い段階で買い換えるべき武器だ。こだわる必要などどこにもない、ただの安っぽい太刀である。
だがそれでも。カルミにとっては特別な太刀なのだ。
最初に手に入れた、自分だけの武器。それが特別である一番大きな理由だろう。大仰な言い方かもしれないが、「この太刀とずっと一緒に戦っていこう」と、カルミはそう思ったのである。
ただそれが無理であることくらい、カルミも理解している。潜る階層にあわせて装備を更新するのは、無事に帰還するための必須事項だ。そうでなくともハンターにとって武器は消耗品。使い続ければいずれ折れるなりして寿命を迎えるだろう。そうなれば嫌でも買い換えなければならないし、本当はそうなる前に買い換えなければならない。
それでも。大切にしているこの太刀がいずれ無価値になってしまうそのことが、なんとなく悲しく思えてしまう。そして無価値に思ってしまうその心の変化に、カルミは少しだけ怯えた。
▽▲▽▲▽▲▽
「やあぁ!!」
威勢のいい掛け声を上げながら、一人の少女が太刀を大上段から鋭く振り下ろす。振り下ろされた太刀は青いゼリー状のモンスター〈スライム〉をほとんど抵抗もなく切り裂く。形状を維持できなくなった〈スライム〉は液状になって迷宮の白い床の上に広がり、そしてマナとなって消えた。
自分の割り当て分を倒しても、カルミは気を抜かなかった。なぜなら出現した〈スライム〉は一体だけではなかったからだ。今もまだ、一緒に攻略をしているメンバーたちが他の〈スライム〉と戦闘を継続中である。カルミはゆっくりと太刀を正面に構え、必要に応じて加勢できるよう立ち位置を変えた。
ただ、加勢は必要ではなかった。他のメンバーたちも危なげなく残りの〈スライム〉を倒していく。怪我をした者もいない。上々の戦果だ。
「ふう……」
全部で四体の〈スライム〉を完全に倒したことを確認すると、カルミは一つ息を吐いて太刀を鞘に戻す。他のメンバーと目が合うと、自然に笑みがこぼれた。
「やったね!」
「うん、いい感じだ」
軽く言葉を交わし、それから魔石とドロップアイテムを回収する。現在カルミたちがいるのは一階層と二階層の境目くらいなので、魔石の大きさはたいしたことはなく換金しても二束三文にしかならないだろう。とはいえ、今は1シクでも収入が欲しいのでこんな魔石でも残らず回収する。
そしてドロップアイテム。階層が浅いせいもあるが、現状カルミたちの主な収入源になっているのは、魔石ではなくドロップアイテムのほうだ。ただ、モンスターを倒しても常にドロップアイテムを残してくれる訳ではないので、そこがちょっと悩みどころである。主に金銭的な理由で。
しかし、〈スライム〉の場合は少し事情が異なる。〈スライム〉は〈アクスティックゼリー〉と呼ばれるアイテムをほぼ確実にドロップすることで知られているのだ。
アクスティックゼリーは〈蒼絹〉と呼ばれる特殊な防刃繊維の原材料である。蒼絹製のシャツはハンターたちにとって必須とも言える装備であり、ルクトなども迷宮に潜る際はこれを愛用している。ただ、カルミら駆け出しのハンターに手が出せる値段ではない。
まあ、それはそれとして。つまりアクスティックゼリーには常に一定の需要があるわけで、そのため結構いい値段で換金してくれる。浅い階層で入手するほどオイシイドロップといえるだろう。また金属インゴットのドロップなどに比べれば非常に軽く、まだトロッコを用意していないカルミたちにはその点もありがたい。重いものを持って歩くのは大変なのだ。
回収したドロップと魔石をリュックサックの中に片付け、カルミら四人はさらに先の階層を目指す。まずは個人能力を覚醒させることが第一の目標だが、それがいつ覚醒するのかはっきりしたことは誰にも分からない。自然、迷宮に潜ると目標は場当たり的に「より深く潜ること」になる。
トロッコを用意しておらず、また正式なパーティーも組んでいないカルミら四人は、まだ泊りがけの遠征をしたことがない。攻略はいつも日帰りで、その場合の行動範囲は「三階層の一歩手前くらい」まで、と言われている。ただ、彼女たちはまだ自力でそこまで潜ったことはなく、ひとまずは「日帰り限界点」まで行くことが目標になっていた。
「ルクト先輩みたいにショートカットしていけば速いのにねぇ」
少々の不満が滲むその声にカルミは苦笑で応じた。四年のルクト・オクスがショートカットを駆使して迷宮攻略を行っていることは武術科において周知の事実である。ただし二年生は教官たちから、そしてカルミはルクト個人からも「ショートカットは危険だからするな」と釘を刺されていた。
ショートカットをすれば、たしかに短い時間で距離を稼ぐことができる。ただ、この「距離を稼ぐ」というのが曲者なのだ。
迷宮において下に潜ればもぐるほど、マナの濃度が高くなり、またモンスターが強くなる。ショートカットをすると、この変化が普通よりも大きくなることになる。
分不相応にマナの濃度が高い場所で集気法を使うと、〈外法〉を使った場合のように〈拒否反応〉を起こす場合がある。迷宮で〈拒否反応〉を起こしたら、命が大いに危険にさらされることぐらいすぐに想像がつく。
またモンスターが強くなるのも危険だ。攻略を続けていけばモンスターが強くなるのは当然だが、ショートカットをするとその上がり幅が大きくなるのだ。つまり体感としていきなり敵が強くなるわけで、こちらも大いに危険であるとすぐに分かる。
そもそも件のルクトだって、新しい階層に挑むときはショートカットをせずに地道に歩いて進むのだ。それに、どうせ将来的にショートカットはできなくなる。そう思って諦めるしかないだろう。
さて、ショートカットはせずにカルミら四人は迷宮を進む。恐らくはもう二階層に到達しているだろう。しばらく進むと、開けた広場が見えてきた。
四人は無言で頷きあい、集気法を使って烈を練る。「迷宮の広場はモンスターが出現しやすい」というのはよく知られた知識だ。そしてカルミたちもそのことは知っている。
烈を練り上げて準備が完了すると、彼らはもう一度頷きあった。そして広場に足を踏み入れる。彼らが広場に入るのとほぼ同時に、その中央に燐光を放ってマナが収束し始める。モンスターが出現する前兆だ。
「一体だ! 囲め!」
一人が興奮気味に声を上げ、それを合図に四人はそれぞれ位置についた。カルミもまた位置について太刀を構え、モンスターの出現に備える。
しかし、なかなかモンスターが出現しない。内心で焦り始めながら、カルミは収束し続けるマナを見据えた。
(長い……!)
カルミが焦るのには理由がある。迷宮で出現するモンスターは、たとえ同じ階層であっても強さが微妙に異なる。そしてその差の原因として注目されているのが、収束する、つまりモンスターを形作っているマナの量である。
少なければ弱く、多ければ強く。簡単に言えばそういうことだ。そして出現するまでに時間がかかると言うことは、それだけ多くのマナが収束しているということであり、そのため強力なモンスターが出現すると予想されるのだ。
ちなみにどれだけ強くとも残す魔石の大きさはやはり階層相当のもので、つまり稼ぎとしてはうまみがない。よって、プロのハンターたちのなかにはこういう場合無視してやり過ごしてしまうこともある。
(撤退する……?)
その選択肢がカルミの頭をよぎる。しかし言い出すことはできなかった。なぜなら彼女はリーダーではないからだ。いや、そもそもこのパーティーにはリーダーがいない。正式に申請しているわけではないので、まだ決めていなかったのだ。
そうこうしている内に、収束したマナが一際強い光を放ち、ついにモンスターが出現する。出現したモンスターの分類は〈スケルトン〉。動く骸骨、としか言いようのない形骸である。ただし、ただの〈スケルトン〉ではなかった。
「〈ヘキサ〉……!」
出現したモンスターの姿を見て、囲んでいた一人がうめき声を上げる。出現した〈スケルトン〉には腕が六本あったのだ。こういう、「基本的に人型だが、しかし人型を逸脱しているモンスター」というのは滅多に出現しないが手強い。これはハンターたちが経験則的に蓄積した知識だ。
正式名称〈スケルトン・ヘキサ〉、とでもいうべきか。長いのでここから先は〈ヘキサ〉とだけ記すことにする。
広場の真ん中に出現した〈ヘキサ〉は、六本の腕にそれぞれ武器を持っていた。上から順に剣・槍・剣。左右三本ずつ、まったく同じ装備だ。
出現したモンスターが予想外に〈ヘキサ〉だったせいか、囲んでいた四人は動けない。位置取りと数の上では彼らのほうが圧倒的に有利なのに、強者の風格を漂わせているのはあろうことか〈ヘキサ〉のほうだった。
「つ、強いわけねえって。まだ二階層だぞ!? ここは!」
「油断しないで! わたしたちにとっては最前線なんだから!!」
根拠のない楽観論をカルミは切り捨てた。相手を見くびって誰かが大きな怪我でもしたら、その瞬間にこのパーティーは崩壊する。そんな予感があった。
動けない人間側の事情を斟酌することもなく、〈ヘキサ〉が動く。身体ごと回転させて、リーチの長い槍を振り回す。カルミたち二年生はその切っ先を必死に避けた。
(撤退したい……! でもっ……)
乱暴に振り回される槍の切っ先を太刀でなんとか払いながら、カルミは撤退することを考える。だが、撤退するにはメンバーそれぞれの立ち位置が悪い。彼らは〈ヘキサ〉を囲むように陣取っている。そして囲むということは、それぞれが分散して孤立していると言うことでもある。合流しようにも〈ヘキサ〉がクルクルと回りながら出鱈目に動いているせいで、カルミたちは思うように集まれないでいた。
回りながら槍を振り回していた〈ヘキサ〉が足を止める。あれだけ回っていたのにフラつくそぶりも見せないのは、回す目もないからか。
「はあぁぁぁ!!」
足を止めた相手を見て好機と思ったのか、メンバーの一人が〈ヘキサ〉に切りかかる。それを見たカルミは舌打ちしたいのを堪え、一瞬遅れて前に出た。〈ヘキサ〉は一人で抑えられるような相手ではない。ここで動かなければ同級生は大怪我を負うか、悪くすれば命を落とすことになる。
(連携も満足に取れない……!)
焦りに苛立ちが混じる。自分たちではそれなりに上手く攻略を進めていると思っていたのだが、〈ヘキサ〉を前にして拙さばかりが露呈しているように思えた。
最初に飛び掛ったメンバーの攻撃が〈ヘキサ〉の剣によって弾かれる。体勢を崩したメンバーに〈ヘキサ〉が追撃を加えるその前に、今度はカルミが反対側から切りかかる。その攻撃を〈ヘキサ〉は軽くステップして回避した。
「くっ……!」
カルミがさらに前に出ようとしたとき、それを見越したかのように〈ヘキサ〉が槍を突き出した。その槍に太刀の刃を沿えて逸らしつつ、カルミは前に出た。
「槍を掴んで! 固定して!」
そう叫びながらカルミ自身も左手で槍を掴み、そして右手で太刀を振り下ろす。振り下ろされた太刀を〈ヘキサ〉は剣で受け止める。カルミの反対側でもメンバーの一人が同じようにして槍を掴み〈ヘキサ〉の動きを封じていた。あとの二人も攻撃に加わるが、さすがに〈ヘキサ〉は手数が多く、それらの攻撃も防いでしまう。
場が膠着する。先に限界が来たのは人間のほうだった。カルミの反対側で槍を押さえていたメンバーの烈が足りなくなり、補充のために集気法を使おうとした瞬間、力が緩んで〈ヘキサ〉を抑えられなくなったのだ。
力任せに身体を回転させ槍を振り回す〈ヘキサ〉。囲んでいた四人の人間はあえなく吹き飛ばされてしまう。床に身体を打ちつけたカルミが無理やりに立ち上がると、〈ヘキサ〉が彼女に向かって迫ってくるところだった。
「…………っ!」
ほとんど反射的に集気法を使い烈を補充する。〈ヘキサ〉は槍を交差させ、刺すというよりは押し込むかのような形でカルミに迫る。迷宮の広場に壁などない。押し込められれば、最後には落ちて死ぬことになる。
カルミは太刀を両手で構えると、上段から鋭く振り下ろす。〈ヘキサ〉はそれを、槍を交差させた交点で受け止めた。一人と一体の動きが止まる。動けない一人に対し、一体は交差させた槍の開きを広げながらゆっくりと前に進む。
「くぅ…………!」
ゆっくりと近づいてくる〈ヘキサ〉を正面に見据え、カルミは奥歯を強くかみ締めた。彼女の武器は太刀が一本だけだが、〈ヘキサ〉にはあと四本の剣が残っている。このまま距離を詰められて剣の間合いに入ったら、恐らくカルミは切り殺されて死ぬだろう。そして、さらに…………。
――――ピ、シィィ…………。
カルミの耳が不吉な音をとらえる。慌てて目の焦点を太刀に合わせると、その刀身にひびが入っていた。
「……っ!!?」
そのひびを見た瞬間、カルミを言いようのない衝撃が襲った。攻撃を受けたわけではない。腹の底に冷たくそして鈍く響く、「絶望」と言う名の衝撃だ。
(わたしは……、死ぬのか……?)
その可能性が現実味を増す。ゆっくりと迫ってくる〈ヘキサ〉が、ただのモンスターではなくまるで死神のように見えた。
――――カタカタカタカタカタ
ついに至近に迫った〈ヘキサ〉がカルミに顔を寄せ、カタカタと白い歯を鳴らした。相手は骸骨で表情筋が絶滅しているからそれで表情など変わるわけもない。骸骨はただ骸骨のままだ。
だがそれでも。カルミにははっきりと理解できた。悟ったと言ってもいい。コイツは自分を嗤っているのだ、と。もはや狩られるしか未来のない獲物を嘲笑っているのだ、と。直感的に分かってしまった。
「――ふざけるなっ!!」
湧き上がる怒気に任せてカルミは叫んだ。そして叫ぶと同時に四肢に力を入れなおす。しかし彼女の精神が立ち直っても、状況は変わらない。いや、むしろ徐々に悪くなっていると言うべきだろう。
間合いを詰められ、いつ何時に〈ヘキサ〉の持つ剣が振るわれるか分からない。太刀の刀身に走るひび割れは拡大する一方だ。
つまり〈ヘキサ〉が剣を一振りすればこの均衡は崩れる。また、そうでなくともそう時間もおかずに太刀が砕け、やはり均衡は崩れる。
それが分かっているのかいないのか。〈ヘキサ〉はただ歯をカタカタと鳴らして嗤うばかり。嗤う死神をカルミは睨みつけた。
悲鳴を上げるようにして太刀のひび割れが拡大していく。ピシリ、ピシリと断末魔の声に似た音を立てながら。
宝物だった。いや、今この瞬間でも宝物だ。そして命を預ける相棒でもある。その相棒が今まさに砕けて死のうとしている。
(ずっと一緒に戦おうと……)
そう誓った。果たされないと、かなわないと知りつつそれでも誓った。そして皮肉なことにその誓いは果たされようとしている。
それでもいいか、とそんな考えがカルミの頭をよぎったその時。
――――ピシッ
鋭い音を立てて、再び太刀に大きなひび割れが走る。その音が、カルミにはなぜか自分を叱責しているように思えた。
(そうだな……。わたしは、こんなところで死んでなんかいられない!)
もはやいつ砕けてもおかしくない太刀に力を込める。
(力を、貸してくれ!!)
ありったけの烈をひび割れた太刀に叩き込む。太刀の刀身が淡く輝く。ひび割れたせいで烈をうまく留めておけず漏れ出しているのだ。
もはや刹那の猶予もない。カルミはありったけの力を振り絞り、無理やりに太刀を振るった。
その瞬間、手応えが消失した。加えられる力に耐えかね、ついに太刀が砕けたのだ。太刀の破片がキラキラと飛び散る。そしてバランスを崩したカルミも前のめりに倒れていく。
(ああ、終わった……)
景色がゆっくりと流れていく。飛び散った太刀の破片に映る自分の顔がやたらとはっきり見えた。そしてカルミはゆっくりと目を閉じた。
膝をしたたか迷宮の床に打ち付ける。完全に倒れこみはしなかったが、しかしカルミは目を閉じたまま動こうとしない。膝立ちになり、目をつぶってうなだれる。まるで斬首をまつ罪人のようだった。
だがいつまで待っても処刑人の一振りはやってこない。不審に思ったカルミが目を開けるとそこには真ん中から真っ二つに切り裂かれ、今まさにマナへと還ろうとしている〈ヘキサ〉の姿があった。
(え……? 誰が……?)
理解が追いつかない。確かにカルミが振るった太刀は無念にも砕けてなにもなさなかったはずだ。では一体誰が〈ヘキサ〉を倒したのか。
「すごいよ、カルミ! 一人で倒しちゃうなんて!!」
興奮気味に駆け寄ってくるメンバー。何を言われているのか分からず、カルミは曖昧に首をかしげた。
そして、そのメンバーが決定的なことを告げる。
「それ、カルミの個人能力?」
メンバーが指差すその先にあったのは、カルミの握る太刀。青紫色に淡く輝く刀身を持つ、一振りの美しい太刀だった。
▽▲▽▲▽▲▽
「それで、強敵を倒したけどドロップがしょぼくて残念無念ってか?」
「ええ、まあ……。って、そうではなくて……」
「頑張っても報われないのは、迷宮のなかではよくあるぞ」
強力なモンスター〈スケルトン・ヘキサ〉が残したドロップアイテムは、持っていた六つの武器だった。ただ、四本の剣はただの鉄製で質もよくなく、二本の槍にいたっては切断されて使い物にならない。加えて魔石は二階層相当のもの。結局、買い取り価格は大した額にならず、死にかけたわりに報われない結果となった。
とはいえ、今カルミが先輩であるルクトに話したいのはそういうことではない。
「あの……、先輩?」
「分かってるよ」
不満げな顔を見せたカルミに、ルクトは苦笑する。そしてそのままカルミの持ってきた太刀を指差す。
「それか? お前の個人能力ってのは?」
「はい、そうなんですけど……」
「実体化したまま、か……」
ルクトの言葉にカルミは神妙な顔をして頷いた。ルクトはカルミの許可を得てから太刀を手に取り、そして鯉口を切って刀身を観察する。
刀身は淡い青紫色。金属と言うよりはガラスに近い印象を受ける。そしてなにより特徴的なことに、半透明で向こう側が透けて見えた。
明らかに人の手によって作られた太刀ではない。いや、似たようなものを作ることはできるのかもしれないが、それは実用品には成りえないだろう。だがこの太刀は紛れもない実用品。すでに〈ヘキサ〉を一刀の下に切り伏せ、その力を証明している。
「個人能力が覚醒したのは嬉しいんですけど、その、消せなくて……」
困惑の混じった苦笑を浮かべながら、カルミはそう言った。まだ名前は付けていないが、この青紫色の太刀は間違いなくカルミの個人能力だ。彼女の中にはその確たる確信がある。個人能力は一人前のハンターになるための第一歩であり、それが覚醒したことはカルミも純粋に嬉しいと思っている。だが覚醒した彼女の個人能力は、少々特殊なものであったようだ。
武器としての個人能力、というのは決して珍しくない。例えばセイヴィア・ルーニーの〈流星の戦鎚〉。あるいはアーカイン・ルードの〈反射する空色の盾〉。種類や能力は幅広いが、〈武器〉という個人能力はむしろ一般的とさえ言えた。
ただ、武器としての個人能力は「必要なときに実体化させ、それ以外のときは消しておく」というのが基本的な仕様になっている。でないと烈の消費が激しいのだとか。しかしカルミの個人能力であるこの青紫色の太刀はなぜか消えてくれず、こうして実体化したままになっている。もちろん、カルミが何か特別なことをしているわけではない。
「綺麗な太刀じゃないか」
半透明で青紫色に淡く輝く刀身を眺めながら、ルクトはそう感想を述べた。綺麗な太刀だとはカルミも思っている。そして、そういう太刀が自分の個人能力で誇らしくも思っている。
ただ、今カルミがルクトに相談したいのはそういうことではない。
「この太刀がなんで実体化したままなのか、それはオレにも分からない。というより、個人能力なんて分からないことのほうが多い」
ルクトはそう言いながら太刀を鞘に収めてカルミに返す。カルミは少しだけ不安そうな顔をして、受け取った太刀を大切に抱きしめる。そんな弟子ともいえない後輩の姿に、ルクトは少しだけ苦笑した。
「名前をつけてやるといい」
「……名前、ですか?」
カルミの言葉にルクトは頷いた。そして彼女の腕に抱かれた太刀に視線を向けながら言葉を続ける。
「なぜ実体化したままなのか、それは分からない。分かるとしたら、それはたぶんお前だけだ」
それはお前の個人能力なんだろう? とルクトは尋ねた。カルミは躊躇うことなく首を縦に振る。確かにこの青紫色の太刀は自分の個人能力である。彼女の中のその確信が揺らぐことはない。
「でも、わたし、理由なんて……」
分からない。分からないからこそ、カルミはルクトに相談に来たのだ。
「今は分からなくても、使い続けて能力が成長すれば分かるかもしれない」
個人能力は成長する。それは周知の事実だ。そして武器タイプの個人能力は、一般的に成長の幅が大きい。そして重要なこととして、その成長の方向性と言うのは持ち主から強い影響を受ける。大雑把に言えば、持ち主の望んだように成長するということだ。
「先輩も思い通りに能力を成長させていますしね……」
「ん? ああ、あれか……」
カルミの言葉にルクトはニヤリと笑った。真冬に行われた魔獣〈ベヒーモス〉の討伐作戦。その作戦にルクトは主に荷物運びとして協力し、さんざん働かされた。いや、働くのが嫌なわけではない。ただ、人が働いているというのに〈プライベート・ルーム〉の中でのんびり怠惰を謳歌しているヤツがいると、その不公平な労働配分に文句の一つも言いたくなるのだ。
その文句は主に報酬の要求という形で現れる。で、ルクトは作戦を指揮した騎士のルッグナード・モリスンにこんなことを言ってみたのである。
『お金は要らない。代わりに、〈ゲル〉が欲しい』
ゲルとは遊牧民が使う移動式住居だ。今回の討伐作戦ではこのゲルを〈プライベート・ルーム〉の中に設置し拠点として用いていたのである。ルクトはそのゲルが欲しいと言ったのだ。
これについてはルドも即答できず、後日可能かどうかを確認してから返事をする、ということになった。仮にダメだったとしても、その時は現金で報酬を貰えばいい。ただ、お金はこの先も稼げるが、ゲルはこの機会を逃したら恐らく手に入らない。この“家”があれば迷宮攻略と遠征がさらに快適になることは間違いなく、ルクトとしては是非とも欲しいところであった。
結論から言えば、報酬は彼の望みどおりにゲルになった。そのおかげで〈プライベート・ルーム〉の住居性能は著しく向上し、今や〈プライベート・ハウス〉とでも言うべきものになっている。随分と欲望にまみれた成長を遂げたものである。
念願かなってゲルを手に入れたルクトは、その中で思う存分ごろごろしてそこはかとない虚しさを味わったとか。
ちなみに、なぜカルミがそれを知っているのかと言うと、ルクトがそれまで使っていた休憩スペースを撤去するときに彼女に手伝わせたのだ。もっとも、そこで使用していた物のほとんどはゲルに運び入れられて現在も活躍中である。運び出したものと言えば、下に敷いていたすのこくらいだ。
「まあ、オレの話はいいよ」
ルクトの言うとおり。今は覚醒したカルミの個人能力についての話だ。話をそちらに戻すとしよう。
個人能力は持ち主が望んだように成長する。であるならば、成長した能力から自分が何を望んでいたのかを知ることもできるはずだ。
「ま、カルミの個人能力だ。どんな疑問があるにせよ、その答えはお前の中にしかないんじゃないのか」
「よく、分かりません……」
「だれも『それで正解です』なんて言ってくれない、いや、言えないってことさ」
納得できる理由など、時間をかけて自分で考えるしかない。いや、そもそも理由なんてものはまだ存在していなくて、これからカルミが自分で理由付けをしていかなければならないのかもしれない。ルクトはそう言った。
「だから名前をつけてやるといい」
名前をつけるということは、存在に方向性をあたえるということ、つまり願いを込めるということだ。自分の能力に何を求めるのか、あるいは何を求めたのか。付けられた名前はあやふやだったそれらに、一つの形を与えてくれるだろう。
「ま、長い付き合いになるんだ。よく考えて決めればいい」
「……はい、分かりました」
ルクトの言葉にカルミは頷いた。幾分不安が抜けたのか、彼女の表情は穏やかになっていた。ルクトの言葉のおかげ、というのは言いすぎだろう。不安を誰かに聞いてもらったことで少しは気持ちが落ち着いたに違いない。
「……先輩は、どう思っているんですか? 自分の個人能力について」
少し躊躇いがちにカルミはそう尋ねた。それに対しルクトは「そうだな……」と少し考えてからこう答えた。
「便利な能力だとは思っているよ」
面白味には欠けるけどな、とおどけるようにしてルクトは続けた。
「なにせ覚醒してからこのかた、広さ以外はほとんど成長していない」
育て甲斐のない能力だよ、とルクトは大げさに嘆いた。つい最近まで能力の検証を怠っていたことは完全に棚上げである。
「カルミの能力は成長幅が大きいだろうからな。その点はちょっとうらやましいよ」
「……成長させていけば、知りたかったことも分かるでしょうか?」
「たぶん、な」
ルクトとしてはそうとしか言いようがない。先ほども述べたが、理由や答えと言ったものはカルミの中にしか存在しない。そして最も重要なのは、カルミ自身がその理由や答えに納得できることなのである。
「名前、考えてみます」
すっきりとした顔でカルミはそう言った。その後二、三言葉を交わしてからカルミはルクトと別れた。最後にルクトから、ダドウィンに太刀を見せて柄や鍔、鞘などを調整してもらったほうがいい、と言われたので近いうちに行くつもりだ。バイトに行くとき一緒に持っていけばいいだろう。
青紫色の太刀につける名前を考えながらカルミは歩く。この先ずっと一緒に迷宮攻略をしていく相棒なのだから、やはりちゃんとした名前をつけてあげたいと思う。
(そっか……。ずっと一緒に戦えるんだ……!)
宝物だったあの太刀はもうない。砕けてしまった。だけど、代りにこの美しい太刀を残してくれたように思う。
この美しい太刀と、かけがえのない宝物と、ずっと一緒に戦っていこう。その決意と誓いをカルミは心のうちで固めた。
この少し後、カルミは自分の個人能力である青紫色の太刀に名前をつける。自分の好きな、そして刀身の色によく似た花の名前。
すなわち、護身刀〈サイネリア〉。
ただ後の世で、カルミの個人能力は人々から少しだけ違った名前で呼ばれることになる。
護神華刀〈サイネリア〉と。
ただそれはもう少し先のお話。
というわけで。カルミのお話、どうだったでしょうか。
今回は一話だけ短編です。次も短編になる予定。
どうぞお付き合いくださいませ。