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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第八話 獲物は寝て待て
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獲物は寝て待て5

「どうだ、来たか?」


「いえ、まだ全然」


 ガシャガシャと音を立てながらルドがルクトの隣に座る。小さく開けた監視窓からルクトは望遠鏡で外を見続けていた。視線は外さず、言葉だけルクトは返す。


「ほれ、茶を貰ってきた。冷めないうちに飲んじまえ」


「どーも」


 熱い紅茶の入ったカップをルドから受け取り、ルクトはそれを両手の手のひらで暖めた。火鉢のなかでは炭が真っ赤に焼けているが、それでも寒いことに変わりはない。暖かい飲み物はありがたかった。


「現われねぇな。せっかくエサも用意したってのによ」


 監視窓から離れたルクトの代りに、ルドがそこから外を眺める。ちなみに魔道甲冑の兜には遠視能力があり、そのため望遠鏡は必要ない。


 ルドが見据える先には、成人男性で一抱えほどもある樽が海岸の砂浜に置かれている。中身は塩漬けされた肉だ。


 山狩りから待ち伏せに作戦変更した翌日、五人はすぐに行動を開始した。海猫亭で用意してもらった朝食を食べると、すぐに衛士隊の隊舎に出向いて見張り小屋の材木や建てるための道具を受け取り〈プライベート・ルーム〉に放り込む。そして待ち合わせ場所でガイドの二人と合流し、〈ベヒーモス〉が度々目撃されている海岸へと向かった。


 ちなみにガイドの二人については、ひとまず一日だけは必ず雇うことにしておいたのだ。山狩りを続けるのであればそのまま雇い、やめるのであれば一日分の報酬を支払って解雇という形にする。そして山狩りはやめることにしたので、彼ら二人も今日でひとまずお役ごめんになる。


 ただ今日一日は雇っていることになるので、見張り小屋を建てる際には彼らにも手伝ってもらった。小屋と言っても本当に簡単なもので、「壁を並べて屋根をつけた箱」と言ったほうが適切に思える代物だった。当然、隙間風もよく吹き込み、火鉢があってもあまり効果があるようには思えない。本当に「ないよりはマシ」な状態であった。


 ただ簡単な作りだけあって見張り小屋は半日もかからずに完成。ガイドの二人はそれ以上何も仕事がないので報酬を受け取って家に帰り、ルクトらは小屋に篭って黙々と監視を続けている。


「ただ待っているだけってのは、やっぱりつまらんな」


「その上、目を離せないっていうのが難点ですよね」


 待ち伏せなのだから“待ち”が基本なのは当たり前だ。だが、ただ単に待っていれば良い訳ではない。あくまでも監視している必要があるのだ。そして監視を続けて、すでに一日が経過していた。


「他の動物は結構来るんだけどな……」


 塩漬け肉の匂いに誘われたのか、〈ベヒーモス〉以外の動物はたびたびやって来て樽にちょっかいを出す。まさか食わせてやるわけにもいかないので、その度に追い払わねばならず、それがまた気の抜けない原因の一つになっていた。


「あ~、酒が飲みてぇ……」


「酔っ払って満足に動けなくなりますよ?」


「アリーシャにも言われたさ、それは」


 もっとも、彼女の場合はもっと強い言葉を使っただろうが。それにルドだって本当に飲むつもりで「飲みたい」と言っているわけではない。要するに、暇なのだ。


 だが、その暇な時間も唐突に終わりを告げる。


「……おい、ルクト。ジョシュアとアリーシャ呼んで来い」


 緊張をはらんだルドの声。ルクトは咄嗟に監視窓に近づき、望遠鏡を覗き込んだ。


「……っ!」


 思わず息を呑む。そこにいたのは尋常ならざる気配を纏った巨大な熊。三メートル近い巨躯を持ち、肩幅は成人男性二人分もありそうである。手足の爪は鋭く、また口元からは凶悪な牙がのぞいていた。


「あれが……」


「ああ、間違いない。あれが〈ベヒーモス〉だ……」


 随分と距離が離れているにも関わらず、〈ベヒーモス〉の気配に圧されてルクトとルドは小声になった。魔獣かどうか分からないという話だったが、アレは間違いなく魔獣であろう。少なくともただの野生動物の気配ではない。〈ベヒーモス〉と名付けるにふさわしい個体だ。


「すぐに二人を呼んできます」


 ルクトの言葉にルドは視線を〈ベヒーモス〉から外さずに頷く。それを確認するより早く、ルクトは〈ゲート〉を開いて中に飛び込んだ。


 ゲルの扉を開け、ジュシュアとアリーシャに〈ベヒーモス〉が現れたことを告げる。二人はすぐに準備を整えるが、ルクトはそれより早く外に出て望遠鏡を手に再び監視窓に張り付いた。


 望遠鏡を覗き込むと、ちょうど〈ベヒーモス〉が樽を倒して中の塩漬け肉を食べ始めているところであった。樽は結構大きかったはずなのだが、〈ベヒーモス〉の巨体に比べると随分小さく見えた。


「ようし、いいぞ……。たらふく喰えよ……」


 塩漬け肉を喰らう〈ベヒーモス〉を見守りながらルドがそう呟く。その時ちょうど魔道甲冑を装備したジョシュアとアリーシャの二人が合流する。当たり前だが、ケイルの姿はない。彼は〈プライベート・ルーム〉の中で魔道甲冑のカートリッジを用意しているはずだ。最悪の場合、戦闘中であっても交換のためにそれを持って走らねばならない。


「ひとまずは順調、ですね……」


 ジョシュアの声にも緊張が混じる。四人が見守る中で、〈ベヒーモス〉は塩漬け肉を食べ続けている。


 ケイルが提案した作戦の第一段階は、〈ベヒーモス〉に塩漬け肉をたらふく喰わせることだ。とはいえ、肉に毒を仕込んでいるわけではない。野生動物、特に魔獣は鼻が利くことが多く、そのため毒を仕込むとエサに見向きもしないことが多いのだ。


 そして〈ベヒーモス〉が塩漬け肉を食べ終わる。ここで順調に第二段階に移行してくれるか、それが勝負の分かれ目だ。


 塩漬け肉を食べ終わった〈ベヒーモス〉は空になった樽の内側を舐めて余韻を楽しむと、のっそりと身体を起こしてゆっくりと歩き始めた。海へと向かって。


「まさかここまで上手くいくとは……」


 そんな呟きをもらすアリーシャの目の前で、〈ベヒーモス〉は海に口を突っ込んで海水を飲み始める。そして飲み続け、最後には浜辺に突っ伏して動かなくなってしまった。


「よし、行くぞ……!」


 〈ベヒーモス〉が動かなくなったことを確認すると、ルドは部下の二人に声をそうかけた。そして騎士の三人はそれぞれ得物を手に見張り小屋を出て行く。ルドは両手に一本ずつ突撃槍(ランス)を持ち、ジュシュアは突撃槍(ランス)と大盾を、そしてアリーシャはハルバートと大盾を構える。言うまでもなく、これらの装備はすべて魔装具、つまり武器としての魔道具である。


 ルドら三人は慎重に〈ベヒーモス〉との距離を詰めていく。〈ベヒーモス〉のほうも三人の接近に気がつき身を起こしたが、その動きはどうしようもなく緩慢でともすれば苦しそうに見えた。


 いや、実際苦しいのだろう。たらふく塩漬け肉を喰い、その後で海水をがぶ飲みしたのだ。今の〈ベヒーモス〉は腹一杯で、動きたくないと思っているはずだ。


 そして、その状況にもっていくことこそが、ケイルの作戦である。


 まず、塩漬け肉をエサにして〈ベヒーモス〉をおびき寄せる。塩漬け肉はあたりまえに塩分が多く、それを腹一杯に食べれば当然喉が渇く。喉が渇いた〈ベヒーモス〉は手じかにある水、つまり海水を飲む。だが、海水なんぞ幾ら飲んでも喉の渇きはいえない。逆に飲めば飲むほど喉が渇く。そして海水を飲みすぎた〈ベヒーモス〉は最後には動けなくなってしまう。そこへ出て行って討伐する、というのがケイルの作戦だった。


 そしてその作戦は見事にはまった。〈ベヒーモス〉は完全に動けなくなったわけではないが、その動きは明らかに鈍くなっている。討伐の難易度は段違いに下がったと言っていいだろう。


 突撃槍(ランス)を二本構えたルドが〈ベヒーモス〉の正面に陣取り、ジョシュアはその右手、アリーシャは左手のほうにつく。〈ベヒーモス〉を囲む位置取りだ。


 囲まれた〈ベヒーモス〉は唸り声を上げて三人を威嚇するが、その場から積極的に動こうとはしない。三人は隙を見せないようにしつつ、〈ベヒーモス〉にあわせて小刻みに立ち位置を変える。決して逃がさぬよう、そして隙を見逃さぬよう。


 そして、場が動く。


 ジャリ、と砂を鳴らしてルドが半歩前に出た。それを警戒したのか、〈ベヒーモス〉の視線がルドに固定され動きが止まる。


 その瞬間を見逃さず、ジョシュアとアリーシャが動いた。二人の狙いは揃って〈ベヒーモス〉の後ろ脚。ジョシュアの突撃槍(ランス)は左の太腿を貫通してその切っ先が砂浜に届き、アリーシャのハルバートは右の後ろ脚の付け根を深々とえぐっている。


「グルルルウウゥゥゥ!!!」


 上体を仰け反らせながら〈ベヒーモス〉が悲鳴を上げる。そのせいでまっすぐに伸びた首筋に、ルドは迷わず突撃槍(ランス)を突き刺しそして貫通させた。


 だが、驚くべきことにそれだけの傷を負っても〈ベヒーモス〉は絶命していなかった。それどころかゆっくりと身体を下げ、血を吐きながらも口をあけてその鋭い牙をルドに突き立てようとする。


 しかしその動きは、脅威となるにはあまりにも遅すぎた。大きく開けた〈ベヒーモス〉の口に、ルドはもう一本の突撃槍(ランス)を突き入れそして貫通させた。


 悲鳴すら上げることなく、今度こそ〈ベヒーモス〉は絶命した。二本の突撃槍(ランス)を引き抜きルドが後ろに下がると、支えを失った〈ベヒーモス〉の身体はそのまま砂浜へと倒れこんだ。


 流れ出る血が、砂浜を赤黒く染める。こうして、死闘と呼ぶにはあまりにもあっけなく、〈ベヒーモス〉は討ち果たされたのだった。



▽▲▽▲▽▲▽



 討ち取られた〈ベヒーモス〉の死骸は、場所が町の近くだったこともあってオーフェルの衛士隊の隊舎に運び込まれた。死骸とはいえ、その巨躯に秘められていた圧倒的な暴力を感じ取ったのだろう。それを見た衛士が何人も顔を青くしていた。そしてまた同時に、その強大な〈ベヒーモス〉をほぼ無傷で討伐した騎士の三人には惜しげもない賞賛が浴びせられたのである。


「あまりに楽すぎたせいでこそばゆいな」


 照れくさそうにルドはそう言った。とはいえ、彼はわざわざ命をかけて死闘を演じたいとは思わない。彼が求め、また求められているのは英雄譚などではなく、確実な任務の達成なのだから。


 腑分けが行われた結果、〈ベヒーモス〉はやはり魔獣であった。体内から見つかった魔石の大きさは、およそ十一階層相当のもの。魔石の大きさだけで魔獣の格が決まるわけではないが、それでも相当な大物である。四十年前の〈ベヘモス〉の体内から見つかった魔石がだいたい十二階層相当のものだったから、やはりそれ並みに強力な魔獣だったと考えていいだろう。


「いや~、あんなにうまく行くとは思わなかったねぇ」


 討伐された〈ベヒーモス〉の死骸を遠巻きに眺めながら、ケイルはそう呟いた。彼が提案した作戦のもとになったのは、以前に本で読んだ知識だ。ただそれは普通の熊を狩るための方法で、魔獣と思しき(魔獣だったわけだが)〈ベヒーモス〉にどこまで有効かは未知数だった。


『腹一杯になって動きが鈍れば御の字だ』


 ルドはそう言ってケイルの作戦を採用した。ただ、その時点ではあそこまで上手くいくのか、全員が半信半疑だったのは事実だ。


「よくあんな方法知ってましたね」


 そんなことを言いながらルクトがケイルの隣に立つ。カーラルヒスを出発してからのケイルの怠けぶりに、働きっぱなしルクトとしては言いたいことが山ほどある。だが〈ベヒーモス〉をああも簡単に討伐できたのは、間違いなくケイルの作戦のおかげである。今まで怠けていた分を補って余りある功績と言えるだろう。


「そうだねぇ、どんな知識も取り入れておくものってことかな」


 ケイルは苦笑しながらそう応じた。彼はもともと読書は好きだった。ただ今回役に立ったのは、彼の本職である魔道技師とはまったく関係のない分野の知識。勉強のためではなくただの娯楽として読んでいた本の知識が役に立つとは、人生分からないものだとケイルは思う。


「ま、おかげで仕事も随分楽になったからね。僕としては万々歳さ」


 おどけるようにしてケイルはそう言う。魔道技師である彼の今作戦における任務は魔道甲冑の整備と調整、場合によっては修理である。それらの仕事は魔道甲冑の損耗が激しいほど大変になる。


 逆を言えば、損耗さえしなければ彼の仕事は楽なのだ。そして今回、三人の騎士たちはほぼ無傷で、魔道甲冑もまったくと言っていいほど損耗していない。当然、ケイルの仕事はほんのわずかしか発生しなかった。


「武器や甲冑についた血を洗って、あとは簡単な整備をするだけ」


 いや~楽だねぇ、とケイルは満面の笑みを浮かべた。その笑みを見たとき、ルクトの脳裏に嫌な予感がひらめく。


「もしかして……、自分が怠けるためにあの作戦を提案したんですか!?」


「安全かつ確実に〈ベヒーモス〉を討伐できて、なおかつ装備の損耗も抑える。なんともまあ、スバラシイ作戦だろう?」


 ニンマリとした笑みを浮かべるケイルを見て、ルクトは疑念を確信に変えた。おそらくだが、ケイルは山狩りをしても〈ベヒーモス〉を発見できる可能性は低いと考えていたのだろう。発見できなければ、その間仕事のない魔道技師はのんびりと怠惰を謳歌することができる。


 そして、いざ作戦が山狩りから待ち伏せに変わったとき、魔道甲冑の損耗を避けるために一連の作戦を授ける。作戦は見事にはまり、魔道甲冑はほぼ無傷。ケイルの仕事も少なく抑えられる。


 ケイルが怠けるために全てが上手く回っている。そのことに気がついたルクトは慄然としたものを感じた。


「技師長からこの話を聞いたとき、ピーンときたんだ。『これは怠けられる』ってね」


「な、な、なな…………」


 言葉も出ないルクト。なにしろケイルの怠惰は彼の労働の上に成り立っている。


「さ~て、帰りもゆっくりできるかなぁ」


 珍しくよく晴れた、冬の日のことだった。


というわけで。「獲物は寝て待て」、いかがでしたでしょうか。


なんと魔道甲冑の戦闘ほぼ無し。楽しみにしてくださった方、申し訳ありません。


この話はもともと、幕間扱いで短編のはずだったんですけどね……。

いつの間にか長くなって、中編くらいになってしまいました(笑)

まあ、好きなようにかけたので、結構満足しています。


さて次は、本当に短編になる、予定です。

ただ、章の名前は変えません。なので、この章は短編集? みたいな感じでとらえていただけるとありがたいです。


あ、あとルクトの報酬ですが、次の話の中できちんと出す予定です。

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