獲物は寝て待て4
人影が三人分、雪を踏みしめて冬の山中を進む。そのうちの二人はごく普通の防寒具を身につけていたが、先頭を行く一人は明らかに毛色が違った。全身を一分の隙もなく覆うフルプレートを身につけ、大盾と突撃槍を装備している。装備している防具と武器全てが魔装具であり、つまり彼は〈魔道甲冑〉を装備する騎士だった。
三人は一列になって歩く。そして時折立ち止り、望遠鏡などを使って辺りを探索していた。彼らが探しているのは一匹の魔獣。非公式ではあるが〈ベヒーモス〉と名づけられた、最近オーフェルの塩田近くに出没している魔獣である。
いや、実際のところ〈ベヒーモス〉が本当に魔獣なのかはまだ分からない。ただ四十年ほど前にカーラルヒスに出没し甚大な被害をもたらした魔獣〈ベヘモス〉に良く似ていることから魔獣であると、しかも強力な魔獣であると想定してその討伐のために騎士が派遣されたのだ。
三名の騎士を中心とした討伐隊七名が〈ベヒーモス〉を探して山中に入り、今日で三日目になる。これまでに幾つか〈ベヒーモス〉のものと思しき形跡は見つかったが、しかし肝心の〈ベヒーモス〉の姿は一度も発見できていなかった。
「そろそろ時間だ。一度、ゲルに戻ろう」
先頭を歩いていた騎士、ジョシュア・カークが時間を確認しながらそういう。その言葉に頷き、ルクトは〈ゲート〉を開いた。
雪を払い落としてから〈ゲート〉をくぐって〈プライベート・ルーム〉の中に入る。気温は外とほぼ同じなのだが、中は完全な無風状態なのでその分いくらかかは暖かくなったようにも感じる。
とはいえ寒いことに変わりはなく、そんな場所で温む趣味もない。三人はすぐに〈プライベート・ルーム〉の中に設置されたゲルに飛び込んだ。ちなみにゲルの中は土足厳禁である。
「ふう、やはりここは暖かい」
ジョシュアが兜を脱ぎながらそういう。首から上をすべて覆うフルフェイスの冑の下に、ジョシュアはさらに目出し帽をかぶっていた。不審者じみて見えてしまうが、これを被っていないと冷たい金属の冑が直接肌にさわり、最悪張り付いたり凍傷になったりしてしまうのだそうだ。加えて言えば、単純に防寒の意味合いもある。
「よう、お疲れさん。なんか成果はあったか?」
腰をあげ、身支度を整えながら隊長のルッグナード・モリスンが問いかける。次に外に出て探索を行うのは彼なのだ。
「いえ、まったく。足跡すら発見できませんでした」
肩をすくめ、ジョシュアはそう答えた。彼の言うとおり、この一時間でめぼしい成果は何もなかった。というより、この三日間、というべきかもしれないが。
「そうか……。そろそろ何か考えなきゃならんかもしれんな……」
難しい顔をしながらルドが目出し帽をかぶる。大柄で厳つい顔つきの彼が目出し帽をかぶると、どうにも「山賊」という言葉が似合いすぎてしまう。
「今日なにも成果がなかったら、一度町に戻ったほうがいいかもしれませんね」
のんびりとした声でそう言ったのはケイル・クーリッジだった。そののんびりとした声と同様に、彼の姿勢も実にのんびりとしたものだ。寝袋にもぐり込んで横になり、頬杖をついている。
この三日間、ケイルは用を足すとき以外、まったく〈プライベート・ルーム〉の外に出ていない。なぜなら彼は魔道技師。魔道甲冑の整備と調整が仕事であり、〈ベヒーモス〉の探索はその範囲外なのだ。
とはいえ今までに一度も戦闘は発生しておらず、そのため簡単な整備を除けばケイルの仕事はまだ何もない状態である。それをいいことに彼はこの三日間、ごろごろだらだらと存分に怠惰を謳歌していた。そう、ルクトが交代することもできずに外で歩きっぱなしなのを尻目に。
ふわ~、とケイルが大口を開けてあくびをする。それを見たルクトは頬を強張らせた。
「そうだな、それも考えてみるか。……よし、行くぞ」
準備を整えたルドが目出し帽の上から冑をかぶりそう声をかける。交代するガイドの男も立ち上がり、二人はゲルの出入り口に向かった。が、もう一人、肝心のルクトが動かない。
「……ルクト? どうした? って、ああ……」
動こうとしないルクトをいぶかしみ声をかけたルドが、彼の視線の先にあるモノに気づいて呆れたような声をもらした。そこには寝袋にもぐり込んで横になり、全身で怠惰を表現するケイルがいる。
「おお、汝の名は御寝袋よ」
狙ったのかはたまた偶然か。ケイルの余計な一言。それを聴いた瞬間、ルクトはこめかみに青筋が浮かぶのを自覚した。
「語呂が悪いわ!! というかオレだって怠けたい!!」
「さー、行くぞ」
ルドは騒ぐルクトの首根っこを引っつかんで引きずりながらゲルの外へ。ゲルの中で待機するメンバーはそれを呆れつつも生温かく見送るのだった。
▽▲▽▲▽▲▽
「今日も成果はなし、か……」
三日目の夕食時、ルドはスープの中でふやけた干し肉を咀嚼しながらそう呟いた。それに答えるようにジョシュアが口を開く。
「影も姿もなし。お手上げ状態ですね」
「確かに……。しかも今日は途中から雪が降ったせいか、足跡すら発見できませんでした」
苦い声でそう続けたのはアリーシャ・ガーバリンだ。彼女の声には三日かけてもめぼしい成果を上げられていないことへの苛立ちが含まれていた。
「モリスン隊長、ここは一度町に戻ったほうがいいのでは?」
そう提案したのはケイルだ。彼は日中も同じことを提案していた。装備や食料などにまだ不安はない。だがこうも成果が上がらないと、一度町に戻るのもアリなように思えた。
「いいかげん寝すぎて寝疲れましたか?」
冷ややかにそう言ったのはルクトだ。自分が三日間さんざん雪山を歩き回っていた最中に、ケイルが暖かいゲルの中でごろごろと怠惰の限りを謳歌していたのがどうにも気に入らないらしい。
「いや、寝ようと思えばいつでも寝れる。気分の問題だ」
だが当のケイルにルクトの嫌味を斟酌する気はないらしく、逆に胸を張ってそう返す。ルクトの内心に怒りがこみ上げるが、しかし何を言っても無駄かと諦め深々とため息をついた。
「そうだな……、一度戻ってみるのも手か……」
ため息をつくルクトの様子に苦笑をもらしながらルドはそう考えた。
「ここからだとオーフェルの町までどのくらいかかる?」
「そうですなぁ……。ここからだと、半日くらいかかりますかなぁ」
ジョシュアに問われガイドの一人がそう答えた。三日かけて到達した場所から半日で戻れるといわれると何となく微妙な気分になる。それを察したのか、もう一人のガイドが口を挟んだ。
「あっちこっち探し回っておりますからなぁ。まっすぐ戻ればそのくらい、ということ」
笑いを含んだ声でそう言われ、ルクトは「それもそうか」と納得した。
「では隊長。半日で町まで戻り、残りの半日でなにか進展があったか情報を集める、ということでいいですか?」
「ま、そうすっかな」
アリーシャが大雑把な方針を提案すると、ルドはそれをあっさりと承認した。最後に残ったパンの一欠けをルドが口に放り込む。食事も終わった。後は寝るだけである。
さて次の日。昼過ぎにオーフェルの町に帰ってきた七人はそれぞれに別れた。騎士の三人は新しい情報がないか衛士隊のほうに顔を出しに行くという。ガイドの二人はこれまでの分の謝礼を受け取って家へと帰り、ケイルはゲルの中で魔道甲冑の整備を行う。まあさほど時間がかかるとも思えないので、すぐに終わらせてまたごろごろとしているのだろう、とルクトなどは思っている。
そのルクトはルドに頼まれてまた海猫亭に夕食の予約をしに行き、残った時間は適当に町をぶらついて潰した。途中、やはり整備を終わらせてごろごろしていたケイルをゲルの中から引っ張り出して付き合わせる。ぶつぶつと文句を言っていたが、「持ってきた防寒具を使わないともったいないか」と妙なことを呟いて付き合ってくれた。
さて日も暮れた夕刻。一足先に海猫亭に到着し、前と同じ五人がけのテーブルについたルクトとケイルはお預けをくらいながら騎士の三人を待っていた。テーブルにはすでに幾つかの料理が並べられ白い湯気が立っている。こうして並べられていると言うことは冷めても美味い料理なのかもしれないが、当然温かくても美味いはずだ。
(まあ、先に食べていてもいいんだろうけど……)
その程度のことでルドら三人がとやかく言うことはないだろう。ここ数日の付き合いだが、それくらいのことは分かるようになった。
「おお、待たせちまったか。悪いな」
味見くらい、と思い始めたころようやくルドら三人が海猫亭に現れた。三人がテーブルにつくとすかさず料理が運ばれてくる。さらに全員分のアルコールを注文してから五人は食事を食べ始めた。
しばしの間、五人は黙々と料理を食べ続けた。ここ数日、まずいとは言わないが簡単なものしか食べていなかったのだ。全員、手の込んだ料理に飢えていた。
「さて、全員食べながらでいいから聞いてくれ」
並べられた料理を半分ほど片付けた頃、ルドがそう切り出した。残りの四人は彼のほうに意識を向ける。言われたとおりに食べながら。
「これは衛士隊から聞いた話だが、俺たちが山に入っていた間にも〈ベヒーモス〉が目撃された。場所は例によって塩田の近くの海岸だ」
それを聞いたとき、ルクトは少しだけ苦い顔をした。町の近くに出没したのであれば、わざわざ山の中を探し回った意味がないように思えたからだ。ちなみに他の三人は顔色を変えなかった。ジョシュアとアリーシャはその話をすでに知っていたのだろう。ケイルは山狩りの最中存分に怠惰を謳歌できたので不満はないと見える。
「で、だ。山狩りしても成果があがらないから作戦変更だ。ヤツが出没するという海岸で待ち伏せる」
ルドの言葉に四人は頷いた。そして待ち伏せのために、海岸から少し離れた林の中に簡単な掘っ立て小屋を建て、そこを拠点にして海岸を監視するという。掘っ立て小屋についてはすでに衛士隊のほうに手配をしてあり、明日の朝、材木や道具を〈プライベート・ルーム〉に放り込んで海岸に向かうという。
「まあ、掘っ立て小屋って言ったって『風が防げれば御の字程度』のものでしかない。そこは期待するな」
というより、寝泊りのための拠点はすでにあるからそこまで立派なものは必要なかった、と言うべきだろう。
「監視につく順番はこれまでどおりで一時間ごとに交代。ケイルは中で待機だ」
了解、と簡潔に返事がかえされる。その反応に満足したようにルドは一つ頷く。
「移動しないんなら、オレも中に引っ込んでいていいですよね?」
ルクトが期待の混じる声でそう尋ねる。だが(ルクトの主観で)無慈悲にもルドは首を横に振った。
「ダメだ。お前さんが中に引き篭もってたら、〈ベヒーモス〉が現れたときに誰が〈ゲート〉を開けるんだ?」
うぐ、とルクトは言葉に詰まった。〈ベヒーモス〉に対し、魔道甲冑を装備した騎士三人を一度にぶつけることが今回の作戦の肝だ。仮に〈ベヒーモス〉が〈ベヘモス〉クラスであった場合、これができないと討伐自体が失敗する可能性が跳ね上がる。だから騎士三人が一度に監視につく必要はないが、いざ〈ベヒーモス〉が現れたときには全員が動ける状態でなければならないのだ。
そのためには、〈ゲート〉を開くことができるルクトが、常に外で監視を行っている必要がある。というより、彼一人が監視をしていれば、騎士の三人はゲルの中でまったりしていてもいいのだ。そうやって〈ベヒーモス〉が現れるまで体力を温存しておくのが、あるいは最善策かもしれないくらいだ。
ただ、それだとルクト一人の負担が大きすぎる。なので、騎士の三人も一人ずつ交代しながら監視につく、というのがルドの作戦だった。
「じゃあ、〈ゲート〉を開けっ放しにしておけば……!」
「迷宮の外で、最大でどれだけもつのか試してみたことはあるのか?」
それが分からなければ実戦で使うわけにはいかない、とルドは言った。彼の言うことは尤もだった。いざという時に〈ゲート〉が閉じていて中の騎士二人が出てこられなかった、というのでは困るのだ。
「火鉢くらいは用意させる。歩き回らなくて良い分、昨日までよりは楽さ」
「……へーい」
苦笑気味のルドに、ルクトは肩をがっくりと落としながら気の入らない返事をかえした。
「……それで、首尾よく〈ベヒーモス〉が現れたら即戦闘、ということですか?」
「そうなるな」
ケイルの質問にルドが答える。
「戦闘に関してなにか作戦は?」
「作戦と呼べるほどのものはないな。三人で囲み、逃さないようにしながら討伐。現状でいえるのはそれだけだ」
相手の実力が未知数な以上後は臨機応変にやるしかない、とルドは少しだけ苦い顔でそう言った。相手の手の内が分かっていれば作戦の立てようもあるが、〈ベヒーモス〉に関してはそれがまったくわからない。言い方は悪いが、とりあえず戦ってみるしかない状態なのだ。
「では、僕が作戦を一つ提案してもいいですか?」
「……何かいい案でもあるのか?」
「ええ。使い物になるかはルド隊長の判断に任せますけど」
「よし、聞かせてくれ」
当たり前だが、ケイルは戦闘に関しては門外漢だ。そんな彼が作戦を提案したいと言っても、普通の騎士であれば突っぱねたかもしれない。だが、ルドは嫌な顔一つすることなく、むしろ乗り気な様子を見せてケイルの「作戦」に耳を傾けた。