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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第八話 獲物は寝て待て
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獲物は寝て待て2

 さてなにをやらかしたのか、と心当たりを頭の中で探しながら一人の青年が武術科棟の廊下を歩いている。視界にかかる長くなってきた黒い前髪を鬱陶しげに払いながら、青年は武芸者らしく隙のない足取りで歩を進めた。


 身長は平均より少し高いくらい。身体の線が細いようにも見受けられるが、それは無駄な肉が一切ついていない事の証拠でもある。顔立ちは整っているが、取り立てて美形と言うわけでもない。


(いい加減切るか……)


 伸びてきた前髪の端っこをつまみながらルクトはそんなことを考える。もともと、髪型にこだわりはない。主に合同遠征に参加している女性ハンターたちから勧められて少し伸ばしては見たが、これ以上はどうにも鬱陶しかった。


 さて、そうこうしている内にも目的地が近づいてきた。ルクトが立ち止まったのは「武芸科長室」と銘打たれた扉の前。これまで何度か来たことはあるが、あまりいい記憶は残っていない。


(ま、悪い記憶でもないってのがせめても、か……?)


 そんなことを考えながらルクトは扉をノックし、学年と名前を告げた。すぐに中から「入れ」と返事がくる。


 失礼します、と断ってからルクトは部屋の中に入った。部屋の中には老人が一人。頭の髪の毛と伸ばした顎ひげはすべて真っ白で、顔には歳相応のシワが刻まれている。眼光は鋭いが、片目にかけたモノクルがそれを幾分和らげていた。ゆったりとしたローブをまとい、全体としては理知的な雰囲気を漂わせている。髪の毛が幾分薄くなったように感じるのは、老いのせいかはたまた気苦労のせいか。


 老人の名はゼファー・ブレイズソン。ノートルベル学園武術科の武芸科長だ。ちなみに学生たちからは「ゼファー爺さん」と呼ばれ親しまれている。


「急に呼び出してすまなかったの。遠慮せずに座ってくれ」


 勧められるままにルクトはソファーに腰掛ける。このソファーに座るのも慣れてしまったな、などと考えると妙な居心地の悪さを感じた。


「……それで、また何かやらかしましたかね? オレは」


「どうやら度々やらかしているという自覚はあるらしいのぅ」


 茶目っ気交じりとはいえ皮肉を返されて、ルクトは乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。彼こそがダントツでこの部屋のお世話になっている(しかも歴代のなかで)学生であることは客観的な事実であり、それゆえに反論のしようもない。唯一情状酌量の余地があるとすれば、問題を起こそうとして起こしているわけではないと言うことか。


「今回来てもらったのは、騎士団のほうから君に協力要請があったからじゃ」


 ルクトが乾いた笑みを浮かべたまま固まっていると、ゼファーはそれ以上若者いびりをすることもなく、彼を呼び出した用件に入った。


「騎士団から協力要請、ですか……?」


 騎士団といえば〈魔道甲冑(ソーリッド・アーマー)〉を装備する騎士たちの集団であり、都市国家の最高戦力とでも言うべきものだ。言うまでもなく公権力の側の存在であり、大抵のものは自分たちで用意することが可能だろう。そんな彼らがルクトにどんな協力を求めるというのか。


「実はオーフェルに魔獣が出たらしくての」


 そう言ってゼファーは騎士団のほうから聞いた事情をルクトに説明した。その内容はノルギスがルッグナードに話したものとほとんど変わりない。


「……話は分かりました。ようは、荷物運びのために〈プライベート・ルーム〉を使いたい、ってことでいいんですね?」


「まあ、そういうことじゃな。君は戦力としては数えられていないから、そこは安心してくれていい」


 実際に戦うことも期待されているかどうかは、ゼファーも念押しして確認したと言う。実際に魔獣と戦い討伐を行うのは魔道甲冑を装備した騎士の仕事。ルクトは完全な荷物運びの役回りだ。そして彼がそれに適した能力をもっているからこそ、学園側もこの話を了解したのだろう。


「……ですが、話を聞いた限りでは〈プライベート・ルーム〉の中で寝起きすることになりますよね? 正直、寝起きに適した能力ではないんですが……」


 ルクトの個人能力(パーソナル・アビリティ)である〈プライベート・ルーム〉は、ルクトがいる場所の、あるいは〈ゲート〉を開いた場所の影響を受ける。昼間なら中も明るくなるし、夜なら逆に暗くなる、と言った具合だ。


 そして気温もまた、同じように影響を受ける。迷宮(ダンジョン)の中であれば、気温は十五℃前後で一定だから、寝袋にもぐりこめば〈プライベート・ルーム〉のなかでも十分に寝泊りは可能である。


 だが、今回は真冬の野外だ。夜になれば氷点下など優に下回るだろう。そして〈プライベート・ルーム〉の中も同じくらいの温度になる。はたして寝袋程度で寝泊りは可能なのか、ルクトにはちょっと判断がつかない。ただ、やりたいとは思わなかった。


「テントも持ち込むし、大丈夫じゃろう」


「いや、テントって……」


 ルクトの不安げな顔を見て、ゼファーはそっと微笑をもらした。


「テントとは言っても、薄い布切れを張り合わせたものではないぞ。〈ゲル〉と言っての、北方の遊牧民が使っておる移動式の住居じゃ」


 当然ながら、北方はカーラルヒスよりも気候が厳しい。そういうところで生活している人々の住居だから、気密性が高く中で暖を取れば熱はあまり逃げない。〈プライベート・ルーム〉の中は基本的に無風なので、熱はさらに逃げないものと予想できる。持ち込むほかの物資はゲルの外に置いておけばいいので、スペース的な部分についても問題はないだろう。


 はっきり言って、物資さえ十分にあれば冬山だろうが一、二ヶ月余裕で篭っていられそうな気がした。


 ゼファーの説明を聞いてルクトは安堵の表情を見せた。雪山に入って歩き回り、さらにはそこで野営までした経験は彼にはない。いくら〈プライベート・ルーム〉があるとはいえ、少なくとも休む環境がある程度整っていないことにはついていける自信がなかったのだ。


「……分かりました。そういうことなら大丈夫そうですね」


「ならば……」


「ええ、協力させてもらいます」


 ルクトの返答にゼファーは「そうか」と言って頬を緩ませる。騎士団からは「絶対に了解を取り付けてくれ」とは言われていた。なので話がこじれることなくルクトが「参加する」と言ってくれたのはゼファーにとってもありがたかった。


「ああ、それと、報酬の件じゃがな……」


 その瞬間、ルクトは身を乗り出す。その反応にゼファーは思わず苦笑を漏らした。


 ルクトとて塩田が被害を受けて塩の供給が滞れば大変な事態になることは理解している。人間は塩がなければ生きていけないのだから。だから、それを防ぐべく早期の魔獣討伐に協力するのはやぶさかではない。


 しかし、だからと言ってただ働きするつもりは毛頭ない。特にルクトの場合は個人で稼ぐ額が大きい。仮に一ヶ月拘束されたとすれば、最低でも400万シクが飛ぶのだ。それ相応の報酬を用意してもらわなければ、話にならない。


「基本給として100万シク。あとは拘束期間や働きに応じて相談、だそうじゃ」


 ゼファーから告げられた条件にルクトは頷く。独断と偏見だが、こういう政府からの依頼は報酬が悪いと思っていた。だが、荷物運びで基本給100万シクもらえるのであればそう悪い仕事でもない。それに、実際には全部〈プライベート・ルーム〉に放り込んで運ぶわけだし。


「分かりました。あと、拘束期間中の講義なんですけど……」


 魔獣が発見されたのはオーフェル。よって討伐するにはそこまで行かなければならない。当然、そこに行っている間の講義は受けようがない。


「免除扱い、ということにする。まあ、もっとも四年生じゃし、講義の数もそう多くはないがの」


 ゼファーにそう言われルクトも苦笑した。四年生ともなると、そろそろ実技要件の達成を視野に入れて動き始めなければならず、そのため四年生以上の活動は迷宮攻略がメインになる。そしてそのための時間を確保するため、座学の講義は少なくなるのだ。


「ありがとうございます。それで、この後は具体的にどうすればいいんですかね?」


「明後日に〈プライベート・ルーム〉に荷物を積み込み、その後ミーティング。明々後日オーフェルに向けて出発、という予定だそうじゃ」


 なかなか急だな、とルクトは思った。とはいえ、この作戦は時間との勝負でもある。塩田に被害が出る前に討伐できればそれが最も良い。だがもしも被害が出たとしても、討伐が早ければ復旧も早くなる。復旧が遅れれば塩の供給に影響が出かねないのだから、これは重要なことだ。


「了解しました。では、明後日の朝、騎士団のほうに行けばいいんですね?」


「うむ。話は通しておいてくれるそうじゃ」


 ならばとりあえず行きさえすれば後は何とかなるだろう。作戦の具体的な説明や注意事項はミーティングのときに話されるはず。そもそもルクトは実際に戦うことを求められているわけではないので、その点随分と気は楽だった。


「冬山って、やっぱり寒いですかね?」


「寒いじゃろうな」


 とりあえず防寒対策だけはしっかりしておこう、と思うルクトであった。



▽▲▽▲▽▲▽



 ルクトがゼファーから魔獣討伐作戦への参加要請を聞かされていたのと、ほぼ同時刻。騎士団が使っている建物の一角にある工房と呼ばれている場所に二十人ほどの人々が集まっていた。彼らは全員、〈魔道技師〉だ。


 騎士が装備する魔道甲冑は魔装具(武器としての魔道具)だ。その整備には専門の知識と技術が必要となる。その二つを持っているのが彼ら魔道技師だった。


 余談になるが、騎士団や衛士団で使っている魔装具は魔道甲冑だけではない。ほかに普通の魔装具や魔道具も使っており、それらの整備は全てこの騎士団の工房で行われている。今回集められた人々は、普段はこの工房に勤めている技師たちであり、その中でも魔道甲冑の整備に携わっている者たちだった。


「さて、全員集まったか。休暇だった奴は突然呼び出して悪かったな」


 普段は「親方」と呼ばれている技師長の言葉に「まったくですよ」と技師たちの中から言葉がもれる。とはいえそう嫌そうな声でもなく、技師長が部下たちからそれなりに慕われていることが伺えた。


「とりあえず事情を説明する。質問等は話が終わってからにしてくれ」


 そう言ってから技師長は事情を説明し始めた。オーフェルに魔獣が出現したこと。その魔獣を、塩田に被害が出る前に討伐したいこと。その魔獣が〈ベヘモス〉に似ているらしいこと。


「それで、騎士団のほうから魔道甲冑の整備のために技師を一人寄越してくれ、と要請があった」


 要請というよりほとんど命令なのだが、まあそれはそれでいいとして。


「誰か希望者はいないか? ちなみに手当てが付くそうだ」


 技師長がそう聞くと、集まった技師たちは無言で顔を見合わせた。魔獣の討伐作戦に参加するのだ。求められている仕事は技師としてのものとはいえ、普段の仕事より危険なことは疑いようもない。それにいざとなれば魔道甲冑のカートリッジを交換するため、戦闘の真っ只中に飛び込まなければならない。そうなれば命がけだ。危険な仕事に二の足を踏むのは、無理もなかった。


「じゃあ、僕が行きますよ」


 技師長が指名することを考え始めたとき、のんびりした声とともに技師たちの中から手があがった。手を上げたのは若い男だ。くすんだ亜麻色の髪を後ろで適当にまとめ、顔にはふにゃりとしまりのない笑みを浮かべている。全体としてよく言えば穏やかそうな、悪く言えば眠そうな雰囲気の男だった。


 男の名はケイル・クーリッジ。二七歳で、技師たちの中でも腕利きの部類に入る。ちなみに独身。お嫁さん募集中。


「ケ、ケイル? ほ、本当にお前が行くのか?」


 ケイルが手を上げると、技師長は若干の動揺を浮かべて確認した。どうやら彼が手を上げるとは思っていなかったらしい。


「はい。それとも僕じゃあダメでしょうか?」


「いや、ダメではないがお前は……」


 周りを見渡せば他の技師たちも驚いていた。彼らにとってもここでケイルが名乗りを上げたのは予想外だったようである。


「いや、しかし、ケイルか……。う~ん……」


 希望者を募り、そして手を上げた人物がいたというのに、しかしその人物に仕事を任せてよいものかと技師長は悩んだ。そして周りの技師たちもそのことを不思議に思わない。そしてケイル本人はといえば、おそらくなにも考えていないであろうぼんやりとした顔で技師長が答えを出すのを待っていた。


「まあいいか。ケイルだもんな。仕事はちゃんとするだろう」


「そりゃあ、仕事はしますよ」


 少し不満げなケイルの言葉を無視しながら技師長は頷く。そして技師長の言葉に集まっていた技師たちも納得したような表情を浮かべた。そんな扱いにケイル本人はどことなく納得のいかないものを感じたが、「まあべつにいいか」と次の瞬間には考えることを止めていた。


 これがケイル・クーリッジと言う人間である、と言ってしまうのは早合点が過ぎるだろう。彼の本質はまた別のところにある。


 ケイルがノートルベル学園の機械科を卒業し工房に就職した際、彼は次のように豪語したという。


『学生時代たっぷり寝たから三ヶ月は不眠不休で働ける』


 言うまでもなく無理である。そして短すぎである。どうせ無理なことは分かっているのだから、せめて「三年!」とそれくらいの大言壮語は吐けなかったのだろうか。


 前述したとおり、ケイルは腕のいい魔道技師だ。彼の仕事は素早く、また正確かつ丁寧で、その点技師長の評価も高い。専門的な知識にもよく通じており、新装備の開発の際には幾つかの革新的なアイディアを出したこともあった。


 だがしかしはやまりたもうな。これもまたケイル・クーリッジの本質ではない。


 彼が仕事を素早く終えるのは、そうして空いた時間をぼんやりして過ごすためだ。彼の仕事が正確かつ丁寧なのは、後で文句が出てやり直しをするのが面倒だからである。彼が専門知識に通じているのは本を読んでいれば肉体労働をしなくていいからで、彼が革新的なアイディアを出したのは単に意見を聞かれたからである。


 だからつまり端的に言って。ケイル・クーリッジは「怠け者」なのだ。しかもただの怠け者ではない。彼は“できる”怠け者だった。そう、この「できる怠け者」という実に厄介な性質こそが、ケイル・クーリッジの本質なのである。


 まあなにはともあれ。これで役者は揃った。



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