獲物は寝て待て1
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都市国家カーラルヒスは、有史以来「戦争」というものを経験したことがない。
戦争、というからにはそれはただ単に人間同士が争う戦いとはわけが違う。いうなれば「都市国家同士が互いを滅ぼすため、あるいは支配するために争うこと」と言えるかもしれない。
それが凄惨な争いになることは想像に難くない。だから戦争を経験したことのないカーラルヒスは、その点幸運な都市国家と言える。
ただ、この世界の多くの都市国家はカーラルヒスと同じく戦争を経験したことがない。それはこの世界において戦争という行為の必要性が小さいからだ。
穀物が欲しいのであれば戦争よりも開拓を行ったほうが安定的に手に入るし、資源が欲しいのであれば同じく迷宮攻略を行ったほうが手っ取り早い。
相手となる都市国家もそう適当な場所にあるわけではない。都市を一つ落とすだけの戦力を一ヶ月以上外に出すだけでも、内部にそれ相応の影響が出る。最悪の場合、相手を落とす前に自滅するだろう。つまるところ、戦争をふっかけるだけの体力が一般的な都市国家にはないのだ。
もっともどうしても必要なもの、例えば食料や塩が足りない場合には戦争になりうる可能性はある。例えば、オーフェルが敵対的な都市国家だったとしたら、カーラルヒスは塩を得るために戦争を仕掛けていたかもしれない。
ただ、それにしても多くの場合は交易による解決のほうが現実的だ。そしてそれ以前に、不足するような事態を招かないことこそが至上命題といえるだろう。
まあ、「戦争」という単語がこの世に存在していること自体、戦争がこの世にあることの何よりの証拠なのだが、まあそれはそれでいいとして。
つまり、都市国家にとって「外敵」と定義されるものは、多くの場合人間以外の存在なのだ。「外敵」を「外部から都市に被害をもたらす存在」と定義すれば、その定義に当てはまるのは多くの場合野獣や魔獣である。そして相手が魔獣であった場合、その被害は甚大なものになりやすい。
一例を挙げるならば、〈ベヘモス〉。四十年ほど前にカーラルヒス近郊に出現したこの魔獣は、三メートル近い巨躯を持ち、外見は熊に似ていた。
この〈ベヘモス〉は非常に強力な個体だった。討伐のために投入された〈魔道甲冑〉三体のうち一体が修復不能な状態になり、それを装備していた騎士が殉職。さらに討伐に参加した武芸者のうち一割が戦死し、二割は怪我が原因で引退、四割に長期にわたる治療と療養が必要になり、まったく無傷である者は一人もいないという状態であった。
その結果、迷宮に潜って攻略を行う武芸者の数が減り、カーラルヒスは魔石とドロップアイテムの供給不足に陥った。さらに悪いことに、その時はこれから冬に向かうという季節だったのだ。「この冬だけで3000人に凍死の危険性がある」。そんな恐ろしい予測まで出されていた。
幸いなことに、その危機は〈闇語り〉の尽力によって回避された。しかし、それで万事めでたし、というわけには行かない。少なくとも都市の上層部にはかなりの衝撃が残った。たった一体の魔獣のせいで都市が滅びかけたのである。残された教訓の重みは計り知れない。
そしてそれは、四十年が経った今も、風化に耐え抜き残っていたらしい。
「第二三小隊隊長、ルッグナード・モリスンです」
「入れ」
失礼しやす、と断ってからルッグナードは「騎士長室」と銘打たれた部屋に入る。年の頃は四十路の半ばか。大柄な男で、肌の色は浅黒い。短く刈り込まれた髪の毛と強面のせいで黙っていれば近づきづらいが、実際の性格は大雑把で面倒見がいい。酒と家族を愛する気のいいオッサン、というのが同僚たちの評価だ。
ルッグナード・モリスンはもともとハンターだったのだが、結婚を機に引退。その後、衛士に再就職した。もともと実力のあった男で、それを認められて騎士となり現在は小隊長となっている。
蛇足になるが、騎士についてもう少し説明しておきたい。〈騎士〉とは都市国家の武力的切り札である〈魔道甲冑〉を装備する武芸者であり、その主な役割は武芸者が暴力を振るって罪を犯した場合の鎮圧とその抑止である、という話は前にもした。
現在、カーラルヒスが保有している魔道甲冑はおよそ八十体。これは一つの都市国家として平均的な水準である。この内、十体前後は常にメンテナンスなどで動かせる状態になく、よって平時において出動可能な魔道甲冑はおよそ七十体、さらにこの中で即応が可能なのは三十体、といったところか。
さて、現在カーラルヒスには一二二名の騎士がいる。明らかに魔道甲冑の数が足りていないので、シフトに応じて同じ装備を複数の騎士が使いまわす、という方法が取られていた。騎士たちは三から四名程度の小隊に分けられており、今のところ小隊は全部で三四ある。また小隊五つで中隊となり、中隊三つで大隊となる。ただ、中隊長は階級上存在しているが大隊長は存在せず、多くの場合騎士長がその役目を負うのが通例となっていた。
小隊は番号によって管理されているが、多くの騎士たちは隊長の名前で隊を識別している。例えば第二三小隊であれば、「ルッグナード小隊」かあるいは「モリスン小隊」などと言った具合だ。
閑話休題。話を騎士長室の中に戻そう。
「座ってくれ、モリスン隊長」
そう言ってルッグナードに席を勧めたのは、この部屋の主であるノルギス・キンドルだ。年の頃はルッグナードより少し上で、身長は彼より低く体格も細い。まあ、ルッグナードがデカイだけのような気もするが。
ノルギスは最初から衛士として武芸者の道を歩き始め、そして騎士になり中隊長を経て騎士長に上り詰めた。いわゆる「生粋」の騎士であり、それに対してルッグナードなどは「ハンター上がり」などと揶揄されることもある。
キンドル家は代々騎士を多く輩出してきた家系で、いわゆる名家として数えられている。そのせいかノルギスの雰囲気はルッグナードに比べて洗練されていた。髪の毛はもともと金髪だったのだが、老化現象なのかはたまた気苦労のせいか今は白に近い銀色になっている。
「さて、モリスン隊長。一つ君にやってほしい仕事がある」
ルッグナードが腰を下ろすと、ノルギスは武芸者らしく単刀直入にそう切り出した。
「ご命令とあれば全力を尽くしますが……。一体どんな仕事で?」
「実はオーフェルの塩田近くに魔獣の出現が複数回確認された」
ほほう、とルッグナードは目を細めた。こう言われればノルギスが頼みたい仕事の内容も大まかだが想像がつく。
「君にはこの魔獣の討伐を頼みたい」
「騎士長……」
そいつは無理ですぜ、とルッグナードは呆れ混じりに言おうとした。何せ今は一月の半ば。冬の最も寒い時期だ。そんな時期に魔道甲冑着込んで魔獣の討伐に向かうなど、はっきり言って自殺するようなものだ。討伐するにしても、普通ならば春を待つだろう。だがルッグナードがそれを言う前にノルギスがその言葉を遮った。
「モリスン隊長の言いたいことは分かる。だからひとまず話を最後まで聞いてくれ」
そう言われてはルッグナードには是非もない。彼は黙って頷き、ノルギスに話の続きを促した。
ノルギスが言うには魔獣が最初に確認されたのはおよそ一ヶ月前、年末の少し前のころであったと言う。以来、この魔獣は塩田の近くにたびたび出没するようになった。幸いなことに、具体的な被害はまだ出ていない。
そもそもこの“魔獣”が本当に魔獣なのか、それさえもはっきりしたことは分からない。魔獣特有の行動、つまり火を吐いたりなどと言ったことは確認されていないのだ。体内に魔石を持っているかは討伐してみないと分からないから、現時点ではただの野生動物なのか、あるいは本当に魔獣なのか、その判断はつきかねている。
とはいえ、ただの野生動物だと思っていたら魔獣であった場合より、その逆を想定して対処したほうが被害は少ない。そういうわけで現在は魔獣と断定して動いているのだ。
つまり。具体的な被害は出ていない、本当に魔獣かもわからない。にもかかわらずノルギスはルッグナードに討伐に行けという。
(こりゃ……、遠まわしに死ねと言われてんのか?)
半分冗談とはいえ、ルッグナードがそんな可能性さえも考え始めていたとき、ノルギスが次の言葉を口にした。
「それで、その魔獣だが。どうやら〈ベヘモス〉によく似た個体らしい」
「……っ!」
思いがけない単語に、ルッグナードは思わず息を呑んだ。冗談交じりに考えていた可能性など、一瞬のうちに吹き飛んでしまった。
「……それは、本当ですかい? 騎士長」
「姿を確認した者のなかに、〈ベヘモス〉の討伐戦に参加した方がいたらしい。熊に似た外見、三メートル近い巨躯。『見かけだけなら〈ベヘモス〉によく似ている』との話だそうだ」
重々しく頷きながら、ノルギスはルッグナードの問いかけに答えた。それを聞いてルッグナードも唸るようにして押し黙る。
〈ベヘモス〉はカーラルヒスにとって一種トラウマとなっている存在だ。今回の魔獣が本当に〈ベヘモス〉並みの魔獣ならば、春を待たずしてなるべく早く討伐してしまいたいという気持ちは理解できる。
今回、魔獣が確認されたのは塩田の近くだ。相手が本当に〈ベヘモス〉並みであった場合、塩田が襲われれば壊滅は必至であろう。仮に大きな被害が出なかったとしても、次にいつ来るのか分からない以上、討伐されるまでは操業は停止せざるをえない。
つまり、いずれにしても塩の生産に支障が出るのだ。人は塩がなければ生きていけない。そしてカーラルヒスは塩の供給をほとんど全てオーフェルに頼っている。オーフェルの塩田はカーラルヒスの生命線、と言っても過言ではないのだ。
「『可能な限り早く、そして確実に討伐せよ』と言うのが上からの命令だ。恐らくだが、山狩りをやってもらうことになる」
「投入される戦力は?」
「魔道甲冑を装備した騎士を三人。それだけだ。今回の魔獣が本当に〈ベヘモス〉並みだった場合、生身の武芸者を参加させても被害が増えるだけだろうからな」
それは〈ベヘモス〉討伐戦から得られた教訓の一つだった。〈ベヘモス〉討伐戦において被害が拡大した最大の理由は、魔道甲冑を装備した騎士を分散させたからだ、と言われている。生身の武芸者ではマナの量が足りないせいで思うようにダメージを与えられず、さりとて騎士一人では〈ベヘモス〉は抑えきれない。結果として、三人の騎士が揃うまでに大きな被害が出てしまった。
つまり、相手が〈ベヘモス〉クラスの魔獣になると、マナが足りていない環境の中で生身の武芸者はいるだけ邪魔でしかないのだ。ならば最初から連れて行かず、そして騎士を分散させることなく最初からまとめてぶつけることにより、被害を抑えつつ討伐することは可能、と考えられるのだ。
「いや、騎士長……。そいつは、やっぱりどう考えても無理ですぜ」
渋い顔を隠そうともせず、ルッグナードはそう言った。魔道甲冑を装備した騎士が三人、魔獣を求めて冬の山を探し回る。どう考えても遭難・凍死の未来しか見えてこない。冬の間は塩田の守りに徹し、春になって雪が溶けてから本格的な討伐を行う。それが最も現実的ではないだろうか。
「モリスン隊長の懸念は尤もだ」
ノルギスはルッグナードの渋面を咎めることもせず、むしろ頷いて肯定した。しかし、その一方で命令を撤回する気がないのは明らかだ。いぶかしむルッグナードにノルギスはこう告げた。
「今回の任務が騎士だけでは達成が困難なことは重々承知している。そこで今回は外部から協力者を呼ぶことにした」
「協力者……、ですかい?」
「ああ、ノートルベル学園武術科四年のルクト・オクスだ。隊長も名前ぐらいは聞いたことはあるだろう?」
ルッグナードは頷く。〈ソロ〉のルクトの名前は衛士隊にいたころから何度か耳にしている。また最近一緒に飲んだハンター時代の友人の話によれば、今は彼の個人能力である〈プライベート・ルーム〉を駆使して合同遠征をやっているらしい。
「その〈プライベート・ルーム〉のなかにテントや物資を詰め込んで行ってもらうことになる。聞く限りでは、本人が近くにいればすぐに中に入れるそうだ。定期的に休息を取るようにすれば、遭難することもないだろう」
なるほど、とルッグナードは思った。確かにそれならば懸念していた遭難や凍死の可能性はずっと低くなるだろう。
「本人に連絡は?」
「これからだ。まあ、断られることはないだろうから安心して欲しい」
ノルギスの言葉にルッグナードは内心で苦笑した。彼は「断られることはない」と言ったが、実際のところは「断れない」と言ったほうが正しいだろう。一学生が公権力の要請を断るのは難しい。まあなんにしても塩の供給が滞れば困るのはルクトも同じだ。そういう意味でも「断れない」だろう。
「では、ウチの小隊三人とルクト・オクス、全部で四人ですかい?」
「いや、魔道甲冑の整備と修理のために技師を一人つける。それと必要に応じてオーフェルで案内役を探してくれ」
「了解です」
ルッグナードは強く頷いた。これは確かに困難な任務ではある。だが、達成不可能で理不尽な命令ではない。少なくともノルギスはそういうふうに段取りを付けてくれた。ならば、後は給料分働くだけである。それに危険手当もでるだろうし。
「ああ、それともう一つ。なんでウチの小隊にこの任務を?」
「グロント中隊長の推薦だ」
ノルギスの告げた答えに、ルッグナードは内心で苦笑しつつ納得した。ジェスウィン・グロント中隊長は彼の直接の上司で、ルッグナードのことを快く思っていない嫌いがある。それを表立ってぶつけてくることはないのでルッグナードのほうも普段は当たり障りなく接しているのだが、たまにこうして裏を読みたくなるような事をしてくれる。
(オレが成功すれば推薦者として面子を保てる。逆に失敗すればせいせいする。死んでくれれば御の字、ってところか?)
無論、これはルッグナードの独断と偏見で、そのことは彼自身自覚している。互いに気が合わないのは事実だろうが、かといって険悪と言うほど仲が悪いわけではない。単純に実力を考慮してくれた結果、という可能性もある。
(そんなことを考えるオレはロクデナシってか?)
ルッグナードは内心で自嘲する。年をとったせいか、どうやら「汚れっちまった」ようである。
(ま、死ぬ気はねえ。失敗したら……、そん時はそんときだ)
そこまででルッグナードは頭を切り替えた。
「では、オレはこれで失礼します」
討伐の準備のためにやることは多い。それを頭の中で乱雑に並べながらルッグナードは立ち上がった。そんなルッグナードの背中をノルギスが呼び止める。
「それとモリスン隊長、例の魔獣だが。“魔獣”のままでは色々と不便なので、非公式だが呼称を与えることにした」
正式に呼称を与えると言うことは、カーラルヒスと言う都市国家が明確に敵と認識する、と言う意味である。今回の魔獣はまだそこまで大きな被害を出していないので、与えられる名前はあくまでも非公式なものとなる。
「ほう。それで、その名前は?」
「〈ベヒーモス〉、だそうだ」