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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第七話 いと尊し
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いと尊し9

 ――――パウエル・オクス。


 久しぶりにその名前を耳にしても、ルクトは懐かしいとは思わなかった。ただその一方で、憎いとかそういう感情も湧いてこない。しかし心はざわつく。全くの無関心ではいられない。


(どうでもいいと、そう思っていたはずなんだけどな……)


 無関心でいられないことに、ルクトは少しだけ動揺した。目が鋭くなり薄い笑みが浮かぶのを自覚する。そして「確か、親父がそんな名前だったよ」とシェリアに告げた。


「じゃ、じゃあ!!」


「まあ待て」


 急いて身を乗り出すシェリアを、ルクトが押し止める。


「同姓同名かもしれない。シェリアのいうパウエル・オクスさんについて、詳しいことを教えてくれ」


 ルクトにそう言われ、シェリアはパウエルについて自分の知っている限りのことを話し始めた。外見的な特徴や、初めて会ったときのこと。ヴェミスからオルジュに来た経緯など。決して筋道だった分かりやすい話ではなかったが、しかしルクトは言葉を挟まずシェリアの話を最後まで聞いた。


「そうか……。あの野郎、オルジュなんてところにいやがったのか……」


「それじゃあ……!」


「ああ、シェリアのいうパウエル・オクスはオレの親父だろうよ」


 そう言ってからルクトは目を閉じ、しばらくの間沈黙した。喜色を浮かべたシェリアは話し掛けたそうにしているが、しかし彼の雰囲気におされたのか声をかけられずにいる。


(無理もない……)


 カルミはそう思った。シェリアの話によれば、ルクトの父であるパウエルは当時まだ十歳だった彼を置いて夜逃げしたことになる。それがまだ子供であったルクトにどれほどの衝撃を与えたのか、カルミは想像することも出来ない。


 ルクトにとって父親がどのような存在なのか、カルミはまったくと言っていいほど知らない。なぜなら、彼自身が父親についてなにも話したことがないからだ。忘れていたのか、あるいは無視をしていたのか。どちらにしてもルクトは不意打ち的に、自分を捨てて逃げた父親のことを聞かされたのだ。いろいろと思うところはあるだろう。今、目をつぶって沈黙しているのは、それら諸々を腹の中に納めるために違いない。


「……まあ、いろいろと言いたいことはあるが、今はいい。それでパウエル・オクスがオレの父親だったとして、オレに何をしろって言うんだ?」


 目を開けたルクトがシェリアにそう問いかける。口調は変わっていないが、雰囲気は若干鋭くなったように感じられる。カルミが寒気を感じたのは、冷気だけが原因ではないはずだ。


「……お義父さんを許してあげて欲しいんです」


 なんとか搾り出すようにしてシェリアはそう答えた。そしてさらにこう続ける。


「お義父さん、苦しんでます。ヴェミスを逃げ出したときからずっと、ずっとです。もう、許してあげてください……」


 お願いします、とシェリアは頭を下げた。


「いいよ。別に、もう恨んでるわけじゃないし」


 肩をすくめながら、ルクトは軽い調子で答えた。それを聴いた瞬間、シェリアは勢いよく頭を上げる。その顔には満面の笑みが浮かんでいた。


「それじゃあ……!」


 何かを期待するようにシェリアはそこで言葉を切る。しかしルクトは彼女の望む言葉は口にせず、ただ「それじゃあ?」と聞き返した。


「それじゃあ……、その、そう! わたしと一緒にオルジュまで来てください!」


 それが叶えばシェリアにとっては最上の結果であろう。パウエルはルクトと和解して長年の罪悪感から解放され、オクス家はまた一人家族が増えることになる。そうすればまた一歩理想の家族へと近づくだろう。


 しかしルクトの返答は、シェリアの希望通りにはならなかった。


「それは断る」


 一瞬の迷いもなく、ルクトはそう切り捨てた。そして、それを聞いたシェリアの笑顔が凍る。


「な、なんで、ですか……!?」


 凍りついた舌を必死に動かしながら、シェリアはそう問いかける。


「オルジュからカーラルヒスまでどれくらいかかった?」


「えっと、三週間くらいですけど……」


「片道三週間。往復で六週間。その他諸々あわせれば、所要時間は二ヶ月ってところか」


 実際のところ、〈プライベート・ルーム〉を使えば所要時間はもっと短縮できるだろう。しかしルクトはそのことは指摘せず、話を先に進めた。


「その二ヶ月でオレがいくら稼げると思う? 最低でも800万だ」


 この800万シクという額は合同遠征で貰う分だけ。実際には自分でも狩り(ハント)を行うから、その分を考慮に入れれば1000万は堅い。


「親父を許すためだけに、800万は棒に振れないな」


「お金の問題じゃないでしょう!?」


 さも「当然」と言わんばかりに話すルクトに、シェリアは椅子から立ち上がり叫ぶようにして応じた。しかしそれでもルクトは態度と主張を変えようとしない。


「金の問題さ。なぜならオレは借金を返さなきゃいけないからな」


 どこか含み笑いさえ浮かべながら、ルクトはそう嘯いた。そんな彼の態度が、シェリアの怒りに油を注ぐ。


「親子の問題ですよ! なんでそれが分からないんですかっ!?」


「もとをただせば親父がこしらえた借金だ」


 いっそ冷徹なまでに、ルクトはシェリアの怒りに冷や水を浴びせた。その言葉を聞いて今度こそシェリアは凍りついた。


(知らなかったのか……。まあ、もしかしてとは思ったけど)


 先ほどシェリアがパウエルのことを話してくれたとき、彼がヴェミスで作った借金については触れられていなかった。それでルクトは彼女がそのことについて知らないのではないかと思ったのだ。それであえて軽い調子で借金のことを口にして、その反応をうかがったのである。


 知らなければ、ルクトが自分で作った借金だと考え不快感や怒りを示すだろう。逆に知っていれば、口ごもるなりそれ相応の反応を見せるだろう。そしてシェリアが見せた反応は前者だった。


 なぜシェリアがパウエルの借金のことを知らなかったのか。本人が隠していたのか、あるいは歳などのことを考慮してシェリアにはまだ教えていなかったのか。なんにしてもパウエル本人が教えるよりも、“悪い”知り方であったのは間違いないだろう。


「い、幾ら、ですか……?」


 虚ろな様子で視線を彷徨わせていたシェリアが、なんとかしてそれだけ口にする。額が少なければ「一緒に返していきましょう」とでも言いたいのかもしれない。しかし、現実はそんなに希望通りには行かない。


「諸事情あって総額1億6000万シク。ただし利息無し」


「い、1億…………」


 告げられたその額にシェリアは絶句する。どう考えてもこれは自分たちが頑張って返せるような額ではない。それでも諦めきれずなにか言おうとするが、それより前にルクトが少し意地の悪い笑みを浮かべながら口を開いた。


「だけどこれはオレの借金だ。オレが返す。他の誰にも、肩代わりなんてさせてやらない」


「…………!」


 今度こそ本当にシェリアは言葉を失った。ついさっきまで感じていた歓喜がしぼみ、胸の奥から失意が沸いてくる。つまりルクトは義父や自分たち家族とかかわりたくないのだと、シェリアはそう思った。


「……なんでですか? お義父さんのこと、許してくれるんじゃないんですか……?」


 弱々しい声でそう問いかけるシェリア。それに対し、ルクトはともすれば冷たささえ感じさせる平静さで返事を返す。


「許すか許さないかの問題なら、許すさ。それはオレの問題だからな」


 だがそこから先はオレの問題じゃない、とルクトは続けた。しかし、本当に許されたと思えるのか。それはパウエルの、ひいては彼の家族の問題だ。そこまで自分は関知しない、とルクトは言った。


「先輩だってお義父さんの家族じゃないですか!? わたしとは違う、ちゃんと血の繋がった本当の親子じゃないですか!」


 勢いよく立ち上がり、そう叫ぶシェリア。その拍子に彼女の目じりから溜まっていた涙がついに流れ落ちた。


「……わたしは、先輩が羨ましいんです。ちゃんとお義父さんの血を引いている先輩が羨ましくて仕方がないんです!!」


 ぐずぐずと鼻をすすりながら、シェリアはそう自分の気持ちを吐露した。


 家族とは何なのか。それを一言で説明するのは難しいが、ある一面だけを取り上げるならばそれは「血の繋がり」である、といえる。シェリアは義父であるパウエルと血の繋がりがない。それが彼女のなかでしこりとなっていた。


 いや、ただ単に血の繋がりがないだけなら、少々寂しく思うことはあってもそこに拘ることはなかっただろう。家族とは血の繋がりであるとはいえ、それはあくまでも一面でしかない。他にもっと素晴らしい面がたくさんある。そこに目を向ければよいのだ。問題が一つとして存在しない、理想の家族など物語の中にしか存在しないのだから。ただ一面に満足がいかなくとも、それは皆同じなのだから。


 シェリアとて、自分に憚るものがなければそう考えられただろう。しかし彼女は、他でもない自分自身に対して憚るものを抱えていた。


 それこそが、「血筋」である。


 絶体絶命の危機を救ってくれたパウエル・オクス。優しくて穏やかで頼りがいのある、大好きなお義父さんだ。シェリアの家族は彼を中心にして再生した。


 それに対し、シェリアの実の父はジノサ・ダームド。どうしようもない駄目人間で、自分と母を苦しめ、挙句の果てに家族を壊した張本人。そんな彼の血を引いているのは、今の家族の中で彼女一人だけだった。


『わたしはいつか、アイツみたいにこの家族を壊してしまうかもしれない』


 シェリアが初めてそんなことを考えたのは、果たしていつのことだったか。生活が良くなり幸せになればなるほど、その暗い考えは彼女を追い詰めていく。


『嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! わたしは、わたしはアイツと一緒にはならない! わたしは……! わたしは……!』


 ――――わたしは家族を守るんだ!!


 そう強く思うことで、シェリアはその暗い予感を振り払ってきた。そしてその「守る」という思いは成長するにつれて明確な形を持ち始める。


 家族を守るためには、まずはお金が必要だ。シェリアはそう考えた。ただ、女性の身ではそう給料のいい仕事にはありつけない。この時代の女性は結婚して家庭に入るのが普通とされているからだ。決して働き口がないわけではないが、男性と比べればやはり給料の点で劣る。シェリアとミーナが二人で暮らしていたとき、二人の生活が大変だったのにはそういう理由もある。


 ただ、なにごとにも例外はある。女性でありながら高給を目指せる職業。その一つがハンターだった。


 ハンターの世界は実力主義だ。もちろん人間の社会である以上、縁故関係やパワーバランスを完全に排除して考えることはできない。だが、それでも迷宮(ダンジョン)に潜るための実力というのは最重要視される。その評価に性別による差はない。女性より男性のハンターのほうが多いのは客観的な事実だが、その女性ハンターたちが少数派であるがゆえに、また女性であるがゆえに差別されているということは決してないのだ。


 ハンターになろう。シェリアはそう思った。幸いにして故郷のオルジュに迷宮がある。どこか遠くの都市に出稼ぎに行くようなことはしなくてもいい。


 ただ、ハンターというのはなろうと思ってすぐになれるものではない。特にシェリアの場合は完全な素人。コネも金もなく、彼女がオルジュでハンターになるのはほとんど不可能と言っていい状態だった。


 そこでシェリアはカーラルヒスのノートルベル学園武術科に入ることにした。そこでは武芸者の育成が行われているからだ。また格式高いノートルベル学園武術科の卒業証書があれば故郷でギルドに就職しやすいという思惑もある。


 当初シェリアの両親は彼女がカーラルヒスに行くことに、いやハンターになることに反対だった。その職業は非常に危険だからだ。五体満足で現役を引退できるハンターは五割にも満たないといわれているのだ。単純に考えて、半分以上のハンターが四肢の一部を失うか、そうでなくとも不具を抱える計算になる。


 ミーナとパウエルは必死に説得を重ねたが、しかしシェリアの決意は固かった。少なくともいきなり迷宮に挑むつもりではないことを厳重に確認すると、最後には折れた。ノートルベル学園武術科に入るという、一応の筋道が立っていたことも理由の一つだろう。


 だがもう一つ、シェリアに後ろ向きな理由があったことに二人は気づかなかった。


『これでオルジュから離れられる……』


 いつか自分が家族を壊してしまうかもしれない。その暗い予感は振り払えど振り払えどシェリアにまとわりついてくる。なにより、彼女自身がその予感を否定できないことが一番つらかった。


 ――――自分がいなくなれば、この家族が壊れることもない。


 その結論が出るのに、そう長い時間はかからなかった。かといって失踪したり死んでしまったりしては、家族は大いに悲しむだろう。それでは意味がない。


 そこで、留学である。


 留学し、オルジュから離れることで家族を守る。同時に、ノートルベル学園でハンターになり家族を守る力を身につける。そうして初めて、シェリアはあの幸せな家族の中に居場所を見つけることができるのだ。少なくとも、彼女はそう考えた。


 さて、そうやって留学のためにやって来たカーラルヒス。そこでシェリアは思いもかけぬ人物と出会うことになる。


 その人物こそ、ルクト・オクス。


『ルクト……、オクス。あの日聞いた名前と、同じ……』


 同姓同名の他人かとも思った。だが名前だけでなく歳の頃も完全に一致している。パウエルの息子であるルクト本人とは言い切れないが、しかし赤の他人と切って捨てるには条件が合いすぎている。シェリアはひとまず、彼についてもう少し調べることにした。


 ルクト・オクスについて調べるのは簡単だった。というより、わざわざ調べるまでもなく彼についての噂は耳に入ってくる。まああくまでも噂なので話半分に聞いていた部分もあるのだが、幸運なことにシェリアにはその噂の真偽を教えてくれそうな人がいた。カーラルヒスにやって来たその日に助けてもらった、二年生のカルミ・マーフェスである。さらによいことに、彼女はルクトとある程度の交友があった。


『先輩は面と向かって聞かないと肯定も否定もしないから、わたしも噂がどこまで本当かはよく分からないんだけど……』


 そう言いつつも、カルミは確実なこととして幾つかのことを教えてくれた。


『先輩は個人能力(パーソナル・アビリティ)の関係で、ソロで迷宮攻略をしてるんだって。しかも三年生のうちに実技要件を達成してる。すっごいよね~』


 未だに遠征どころか迷宮に潜ったことすらないシェリアには、それがどの程度凄いのかいまいちよく分からなかったが、ひとまず頷いて続きを促す。


『あとは、留学生で、カストレイア流っていう刀術の免許皆伝を持っていることくらいかな、わたしが知ってるのは』


『先輩の親御さんもハンターなんですか?』


『ええと、確かご両親は、今はいないって言ってたよ。小さい頃にメリアージュっていう人に拾われて、その人と暮らしてたんだって』


『そうですか……。あ、あと、先輩の出身都市って知ってますか?』


『出身都市? そういえば知らないなぁ』


 ここって留学生多いからあんまり気にしないんだよね、とカルミは笑っていた。結局、本人であるかもしれない可能性は高まったが、しかし本人と断定することはできない。またカルミは「先輩は自分のことをあまり話さない」と言っていたが、それはどうやら本当らしく、シェリアが知りたいルクト・オクスの個人情報というのを噂で聞くことはほとんどなかった。


『あとは本人に聞くしかないか……』


 その結論がでるまで、一ヶ月と少し。しかしシェリアはその話をルクトにすることがなかなかできなかった。


『もし先輩が本当に義兄さんだったら……』


 義兄であればいい、とシェリアは本当に思っている。ルクトは腕の立つ優秀なハンターだし、実技講義の時には分かりやすくそして優しく教えてくれる。


 理想的な義兄だと思う。だが、だからこそ、こう思ってしまうのだ。自分のせいでルクトが今の家族を否定したらどうしよう、と。


 ミーナがいてパウエルがいて、リーサがいてルクトがいて自分が居る。わだかまりも不安もなく、みんなが笑って暮らしていける。そんな、理想的な家族。そんな幸せな家族が、もし自分のせいで壊れてしまったら? そう考えると堪らなくなる。


 そんな不安の中、シェリアがすがったのはルクトの、ひいてはパウエルの血だった。つまり、「あのお義父さんと血の繋がった本当の親子なのだから、わたしがまずくてもきっと家族のことを考えて返事をしてくれるに違いない」と考えたのだ。


「……わたしは、家族を守りたいんです。先輩、助けてくださいよ……。血は、水より濃いものでしょう……?」


 涙で濡れた弱々しい目で、シェリアはルクトを見た。ルクトは一度を口を開きかけ、しかしその言葉は飲み込んでため息をつく。そして再度口を開いた。さっきまでより幾分優しい声で。


「血は水より濃い、か……。まあ、その通りかもしれないな」


 ルクトはパウエルのことなど、どうでもいいと思っていた。どこで何をしていようが、あるいはもうすでに死んでいようと、自分とはもう関係のない人間だと割り切って考えていたのだ。


 それが間違っていたわけではないだろう。実際、パウエルがルクトを捨てて夜逃げした時点で、二人の縁はもう切れていたのだ。借金のことにしても、もとをただせばパウエルがこしらえたものだが、しかし今の借金はルクトとメリアージュの間のものだ。パウエルは関係ない。


 しかし確かに「血は水より濃い」のだろう。そうやって無関係だと割り切っていたはずなのに、名前を聞き今の生活を知れば心はざわつき無関心ではいられない。


「だがな、恩は血よりも尊い。オレはそう思っている」


 パウエルが夜逃げしてしまったその後、血の繋がりがあるはずの親類は誰もルクトのことを助けてはくれなかった。裏社会から借りた多額の借金に恐れをなしたのか、誰も彼もがみて見ぬ振りをして彼のことを見捨てた。


 そんなルクトを助けてくれたのは、血の繋がりのまったくない、赤の他人であるはずのメリアージュだった。助けてくれただけではない。メリアージュはルクトのことを、育て導き守り慈しみ、全てのものを与えてくれた。


 その恩の尊さは、たとえ血筋と言えども及ぶものではない。


「……オレは、オレが借りた借金と恩を返すさ。だからお前も、お前が感じた恩を返していけばいい」


「わたし、は……。わたしの……」


「お前はお前だ」


 ルクトがどういうつもりでそう言ったのかはシェリアには分からない。だがその言葉を聞いたとき、彼女は胸の奥底に沈む凍てついた氷がすっと融けたように感じた。


『たとえその血を引いていようとも、シェリア・オクスはジノサ・ガームドではない。別々の人間であり、同じではない。同じでは、ないのだ』


 そう言われた気がした。ずっと、そう言って欲しかった気がした。


「…………っ」


 こみ上げてくるものを堪えきれず、シェリアは思わず駆け出した。


「シェリア!」


 今まで黙って見守っていたカルミが名前を呼ぶ。しかしシェリアは振り向くことなく教室から出て行ってしまった。


「行ってやりな」


 思わず視線を向けたルクトにそう言われ、カルミはシェリアの後を追う。さいわいにも彼女はすぐに見つかった。シェリアは人気のない階段の隅っこで、声を殺しながら泣いていた。


「シェリア……」


 どう声をかければいいのか、カルミには分からない。仕方なくカルミはシェリアを抱き締めてその頭を優しくなでた。


「……っう、うう、うあああぁぁああああぁああ!!!」


 カルミの胸でシェリアは声を上げて泣いた。きっと悲しいわけではないのだろう、とカルミは思う。これはきっとシェリア・オクスという人間が、また一つ前に進むために必要なことなのだ。そう思いながら、シェリアの涙がかれるまでカルミは優しくその頭をなで続けた。



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