いと尊し7
予想外のアクシデントにより予定していたよりも幾分時間はかかったが、ルクトは無事に地底湖巡りを終えた。十階層の地底湖で狩りを終えてその成果に満足げに一つ頷くと、ルクトは〈プライベート・ルーム〉の中に引っ込んで遅めの夕食を食べ、そして寝袋の中に潜り込んで就寝した。
次の日、少しばかり寝坊したルクトは、しかし焦ることもなくノロノロと朝食を食べ、そしてストレッチで身体を伸ばして暖める。これをしておかないと身体が動かないのだ。ルクトは〈プライベート・ルーム〉の中で軽く汗ばむまで身体を動かすと、迷宮攻略用の装備を身に付け外に出る。本日の攻略の始まりだ。
〈プライベート・ルーム〉の外に出ると、そこは十階層の地底湖だ。ルクトは〈プライベート・ルーム〉に移し替えることで地底湖の水を抜き、そのせいでピチピチと飛び跳ねることしか出来なくなった魚型のモンスターを手際よく仕留めていく。その成果は昨日の狩りに勝るとも劣らない。まったく、相変わらず地底湖はオイシイ狩場である。
「連続して狩りができないのが唯一の欠点だな」
もし連続して狩りができたとすれば、ルクトはきっとここから動かないであろう。自分のことながら彼にはそんな予感があった。
最後に“パチン”と指を鳴らして水を入れていた〈プライベート・ルーム〉を消すと、水が実空間に戻ってきて地底湖は再び満杯になった。ただし、先ほど狩り尽くしたためモンスターは一匹としていない。それをいいことにルクトは地底湖の水で顔を洗った。ちなみに、水は十分にあるのでその補給はしない。
「さて、行くか」
顔を洗ってさっぱりすると、ルクトは地底湖を後にした。目指すのは〈大広間〉。合同遠征で行きの目的地、帰りの待ち合わせ場所として使っている広場である。今日はそこで丸一日を自己鍛錬に費やし、そして明日帰るつもりだった。
途中、何度かモンスターと戦いながらルクトは無事に〈大広間〉にたどり着いた。自己鍛錬をするだけなら別にここでなくとも良いのだが、それでも“同じ場所”というのはなんとなく落ち着くものである。そしてそういう場所のほうがより集中できる、というのはあるいは言いすぎか。
ちなみに、空気の如くにスルーしてしまったが、地底湖からこの〈大広間〉に来るまでにルクトが獲得した魔石の個数は五個をはるかに超えている。つまり武術科の実技の卒業要件をこの道のりだけで軽くクリアしているわけだ。
もちろん、ルクトはすでに実技要件は達成している。しかしそれでも同級生をはじめ、武術科の学生たちは「十階層以下で取れる魔石を一人五個以上集めること」という実技要件を達成するため日夜努力を重ねているのだ。それを考えると、その、妙な気分になる。まるで、初心者を対象に募集したら一人だけ経験者が混じっていたかのような、「なんでお前ここにいるの?」的な……。
閑話休題。ルクト・オクスが人並みから外れているのは今に始まったことではない。それよりも今は彼の自己鍛錬である。
ここ最近のルクトの自己鍛錬は、専ら闘術の分野に関してであった。偏りすぎているようにも思うが、しかしこれは当然のこと。なにしろ彼の個人能力は攻撃力が皆無なのだから。ハンターである以上どうしてもモンスターとの戦闘を想定するから、ルクトの自己鍛錬は闘術が中心になる。
ただその一方で。ルクトの個人能力〈プライベート・ルーム〉は確かに攻撃力が皆無であるが、しかしながら戦闘の役に立たないわけではない。例えば、かつて〈リーダー〉タイプのモンスターをそのなかに隔離して群れの連携を阻害したように、上手く使えば戦闘を優位に進めることが出来る、そういう可能性を持っているのだ。
もちろんこの先もルクト・オクスというハンターの戦闘スタイルは、闘術を中心に据えたものになるだろう。しかしだからと言ってそれ以外の手札は要らないわけではない。いやそれどころか、余裕を持って戦闘を行い五体満足で生還するためには、使える手札は多いに越したことはない。
「……とはいえ、その手札がどれくらい使えるかは確認しなきゃいけないわけで」
つまり、本日の予定は個人能力の確認と検証だった。そして自分で予定を決めておいてなんだが、「今更かよ」と思わずにはいられないルクトである。
普通、個人能力の検証などというものは覚醒した直後に、念入りに行っておくべきものである。個人能力のなかには本人に合わせて成長していくものもあるから、そういう場合はそのつど確認と検証が必要になる。しかしルクトの〈プライベート・ルーム〉はこれまでそういう検証が必要なほどの成長は遂げていない。恐らくだが、そういうタイプの能力ではないのだろう。
つまり、ルクトはこれから初めて自分の個人能力について検証を行うのである。もちろん彼は自分の能力について、ある程度のことは知っている。知らなければそもそも使うことなどできないのだから。ただその多くは、「できそうだからやってみたら出来た」という、検証とも呼べないようなことを繰り返して蓄積してきた知識だ。
何ができて、何ができないのか。能力の限界はどこにあるのか。それを踏まえたうえで、どういう使い方ができるのか。そういうことはこれから検証しなければならない。
まったくをもって「今更」である。本来ならば、こういうことはもっと早い段階で済ませておかなければならないはずのもの。断じて、十階層に来たにもかかわらず攻略もせずに自己鍛錬やっているようなハンターが今更やらなければならないようなことではないのだ。もう一度言うが、もっと早い段階で済ませておくべきものなのだ。
ただ、別の見方をするならば。そういう検証をする必要がないくらい、〈プライベート・ルーム〉は便利で使い勝手がよく、“凄い”個人能力なのだともいえる。
普通、武芸者、とくに迷宮に潜るハンターが自分の個人能力を検証するのは、そうする必要があるからだ。つまりより深い階層に潜るため、実力を高めるべく個人能力を検証するのだ。別の言い方をすれば、十階層というのはそういうことをしておかなければたどり着けない場所、とも言える。
それに対しルクトの場合、これまで迷宮攻略で大きな壁にぶつかったことはない。むしろ彼の場合、壁は迷宮の外にあるような気がするがそれはそれとして。
そしてそのまま大きな問題に直面することもなく、ルクトは十階層に到達してしまった。それが良いのか悪いのかはともかくとして、そもそも遠征向きの能力だったとは言えるだろう。
まあそれはそれでいいとして。その“遠征向きの能力”である〈プライベート・ルーム〉が、戦闘中にも使えないかを検証するのが今日の自己鍛錬である。
「さてまずは……」
まずは、現在分かっていることの確認である。
最も重要なこととして、〈プライベート・ルーム〉は空間を提供する能力である。そこは四角い、真っ白で無味乾燥な空間だ。そしてその空間は現実の世界とは別のところにあり、その中に入ったり、あるいは物を入れたりすると実空間からは消えてしまったように見える。
〈プライベート・ルーム〉の広さは、上限はあるものの、上限内であれば自由に変えることが出来る。上限については、迷宮の下の階層に進むにつれて広くなっていく。これはルクトがより多くのマナを扱えるようになるからだと思われる。また複数の部屋を用意することも可能で、二つの部屋をつなげて一つにすることもできる。
また〈プライベート・ルーム〉の中は、ルクト・オクスがいる場所から影響を受ける。明るい場所ならば明るくなるし、暗い場所ならば暗くなるのだ。それと同じ理屈で、温度も外と同じくらいになる。つまり迷宮の中ならば、常に十五度前後というわけだ。
さて、そんな〈プライベート・ルーム〉のなかに入るためには、〈ゲート〉をくぐらなければならない。〈ゲート〉の見かけは、黒く渦を巻く空間の歪み、とでも言えばいいだろうか。とりあえず不吉な見かけではある。
〈ゲート〉については未検証な部分が多い。例えば、〈ゲート〉は複数個開けることが確認済みだが、最大で何個開けるのかは分からない。それに加え、〈ゲート〉は動かすこともできるが、その範囲やスピードなどについてはまだ検証していない。
「……ってことで、その辺りから始めるか」
ルクトはそう呟くと、指を“パチン”と鳴らして〈ゲート〉を開く。そしてそれを、地底湖の水を抜くときのようにまずはゆっくりと動かし始めた。上下左右奥手前。ゆっくりとした速度ではあるが、〈ゲート〉はルクトの思い通りに動く。さらに〈ゲート〉自体を斜めにしたり横にしたり、ということも可能だった。
次にルクトは、〈ゲート〉を動かす速度を上げていく。頭で「動け」と念じるだけでも〈ゲート〉は動いてくれるのだが、それよりは手をかざすなどして、手の動きと〈ゲート〉を同調させてやるとさらに速く、そして思い通りに動かすことができた。そして今後の練習次第では、スピードも自由度もさらに向上することが期待できる。
「なんにしても、これだけ自由に動かせるなら盾代わりになるか……?」
例えば突っ込んでくるモンスターの進路に割り込ませて〈プライベート・ルーム〉のなかに隔離してしまうとか。またあるいは火炎弾のような攻撃を〈プライベート・ルーム〉のほうに誘導してやって回避するとか。なかなか面白いかもしれない。
「さて次」
そういってルクトは軽く腕を横に振るった。すると〈ゲート〉が勢いよく彼から離れていく。そして30メートルほど離れたところで、不意に〈ゲート〉は消失した。どうやらその辺りが限界であるようだ。
ルクトは一つ頷くと、再び〈ゲート〉を開きそして同じことを繰り返す。速度や方向を変え、しかしどの場合も〈ゲート〉はルクトから30メートル程度離れると音もなく不意に消えた。
ルクトを中心に半径30メートル程度の範囲。どうやらそれが距離的な限界であるらしい。ただし、「今のところは」と注釈がつく。今後この範囲が拡大する可能性はまだ残っているし、また十分に高いといえるだろう。
ちなみに〈ゲート〉を開く場合は、手の届く範囲くらいでしか開くことはできなかった。どうやら離れた場所に〈ゲート〉を置きたい場合は、開いてから動かすか、あるいはルクトのほうが動くしかないらしい。
ルクトは満足げに一つ頷くと、別の検証に移った。次に確かめるのは、「〈ゲート〉は最大で何個開けるのか?」である。
「では早速」
ルクトは一つ一つゆっくりと確かめるように〈ゲート〉を開いていく。ちなみに指は鳴らさない。連続で“パチン、パチン”と指を鳴らすのは、なんとなく間抜けな感じがしたのだ。
年頃の男子の心情はまあいいとして、〈ゲート〉は順調に数を増やしていく。三つ四つ、そして五つ目を開こうとしたとき、“ズキンッ”と鋭い痛みがルクトの頭を襲った。
「……ッツ!」
思わず頭を抑えるルクト。幸い、痛みはすぐに引いてくれた。彼がもう一度五つ目の〈ゲート〉を開こうとすると、やはり同じように“ズキンッ”と鋭い頭痛がした。
「……つまり四つで限界、ということか。ま、将来的にはこの数も増えるかもしれないけど」
顔をしかめながらルクトはそう結論を出した。予想して身構えてはいたから不意打ちはくらわずにすんだが、しかし痛いものは痛い。まさかこんな副作用があるとは思っていなかった。
(それが分かったことも収穫の一つ、か……)
ルクトはそう前向きに考えることにした。何をするにも前向きな姿勢は重要である。そして前向きな姿勢のままルクトは次の検証に移った。
ルクトは開きっぱなしになっている四つの〈ゲート〉を動かそうと試みる。しかしこれがまったく上手くいかない。一つ一つ動かしたり、あるいは全てを同じ方向に移動させたりするのであれば簡単なのだが、二つ以上を同時に、そして別々の方向に動かそうとすると一気に難易度が跳ね上がる。例えるならば、左右の手で別々の作業をしているかのようだった。
結局、二つだけならばゆっくりでも何とか動かせるようになったが、三つ以上は今のところは無理だった。そして実戦で使おうと思えば、〈ゲート〉の数は一つだけにしておくべきであろう。
「そう言えば……」
四つの〈ゲート〉を目の前にして、ルクトの頭にふと一つの疑問が浮かんだ。この状態で〈プライベート・ルーム〉の中に入ったら、どんな感じになっているのだろうか。
感じた疑問を解決するべく、ルクトは〈ゲート〉の一つをくぐって〈プライベート・ルーム〉の中に入った。そこは検証用に空っぽにしておいた空間だ。そして何もない空間でルクトが振り返ると、そこには壁に四つの〈ゲート〉が並んでいた。
「なるほど。こうなるのか」
当たり前と言えば当たり前な結果に、少しだけ苦笑しつつルクトはそういった。ちなみに〈プライベート・ルーム〉の中では、〈ゲート〉は壁(天井や床でも可)にしか開くことができない。
「そういえば、コッチでも〈ゲート〉は動かせるのか?」
すぐに試してみる。壁に並んだ四つの〈ゲート〉のうち一つに手をかざし、そのまま腕を軽く横に振る。すると〈ゲート〉は腕の動きに従って、壁の上を音もなく動いた。
「なるほどね」
動かせたことに満足し、ルクトは〈プライベート・ルーム〉の外に出る。そして振り返ってみると、そこには少し意外な光景があった。
〈ゲート〉が四つ、中に入る前と同じ場所に開いている。数が四つなのは別によい。開いてから閉じてはいないのだから。しかし場所がまったく変わっていないのはどういうことであろうか。少なくとも一つは、中で動かしてきたというのに。
「むむむ?」
さてどういうことかとルクトは首をかしげた。それからおもむろに〈ゲート〉を二つ残してもう二つは閉じ、それからもう一度〈プライベート・ルーム〉の中に入る。それから〈ゲート〉を確認すると、二つの〈ゲート〉は外と同じく並んでいた。
そのうちの片方を、ルクトは右側面の壁に動かす。そして動かしたほうの〈ゲート〉から外に出る。そして〈ゲート〉の位置を確認すると、二つはやはり並んでそこに存在していた。
「うーん?」
妙な呟きを残しながら、今度は外で〈ゲート〉の位置を動かす。そしてもう一度、動かした〈ゲート〉のほうから〈プライベート・ルーム〉に入り、中で〈ゲート〉の位置関係を確認する。今度はちゃんと動かしたことが位置関係に反映されていた。そして中で二つの〈ゲート〉を並べた状態にしてから外に出ると、それはまったく反映されていない。
「……つまり、〈ゲート〉の位置ってのはどうしようもなく実空間のほうに引っ張られるのか」
つまりこれは、亜空間と実空間の優先順位の問題なのだろう。そして実空間のほうが亜空間より優先順位が高いから、二つの空間が関係するような場合には実空間のほうが優先される。そう考えれば、一応の筋は通る。
「ということは……?」
思いついたことを試してみる。まずは〈プライベート・ルーム〉の外で二つの〈ゲート〉を30メートルほど離れた状態にして配置する。そして片方から中に入る。〈プライベート・ルーム〉にはあらかじめ細工がしてあって、そこは非常に小さな部屋になっていた。二つの〈ゲート〉は向かい合う壁にそれぞれ配置してあり、その間の距離は非常に短い。ほんの一歩で到達できてしまう距離だ。
ルクトは逸る心を抑えながらその一歩を進み、入ったのとは別の〈ゲート〉から外に出る。そして立ち位置を確認すると、彼がいるのは離して配置しておいた〈ゲート〉の場所だった。
思わず、身体に震えが走る。およそ30メートルの距離を、たった一歩で移動したのである。擬似的ではあるが、瞬間移動と言っても過言ではないだろう。
この世界に瞬間的に別の場所に移動できる、テレポート的な移動手段は存在しない。そういう魔道具が開発されたと言う話は聞かないし、そういう個人能力を持った武芸者の話も聞いた事はない。これはルクトに限った話ではなく、彼よりはるかに広い情報網を持つメリアージュでも同様だ。
それが今、完全な形ではないとはいえ、瞬間移動が達成されたのである。歴史的瞬間、と言っていい。
もちろん、これによって今の状況が劇的に変わることはないだろう。一回で移動できる距離は30メートル程度と短く、遠征など長距離を移動しなければならない場合には、効果はあまり期待できない。連続で使えばあるいはとも思うが、〈プライベート・ルーム〉は普通に使うだけでも遠征に効果のある能力。そう大きな差は出ないかもしれない。思わぬリスクもあるかも分からず、当面はそう過信しないほうがいいだろう。
ただそれでも。個人能力の新たな可能性という意味では、これ以上ないくらい大きなものを発見することができた。そういう意味では今日の自己鍛錬は大成功である。
「後はこれをどんな風に使うか、だな」
半径30メートルの範囲内で(簡易的な)瞬間移動が可能になるのだから、例えば今までは落差が高すぎたり、距離が開きすぎているとしてショートカットできなかった場所でも、今後はショートカットが可能になるかもしれない。また将来的にこの範囲はさらに広くなる可能性もあり、そうなればもっと使い勝手が良くなるだろう。
だた、戦闘中にこれを使うのは難しいような気もする。なぜなら、一度〈プライベート・ルーム〉の中に入ってしまうと、外の情報は完全に遮断されてしまうからだ。時々刻々と変化する戦闘状況を、一瞬であっても遮断し取り逃がしてしまうのは危険であろう。ソロであるルクトの場合は特にそう言える。
「まあいいさ。そのあたりのことは後で考えるとしよう」
浮かれたいい気分でそう言うと、ルクトは〈プライベート・ルーム〉のなかに引っ込む。祝杯を挙げたい気分だった。
(こういう時、一人ってのはつまらないな……)
そんなことを考えて苦笑しつつも、とりあえず今はいい気分だった。