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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第七話 いと尊し

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いと尊し4

 ――――時間は少しさかのぼり、まだ夏休みだった頃。


「やあっ! やあっ! やあっ!」


 道場から寮に帰ってきたカルミの耳に、威勢のいい声が届く。声のする方に目を向けてみれば、一人の少女が懸命に木剣を振るっていた。


(あの子は、確か……)


 木剣を振るう少女にカルミは見覚えがあった。二日ほど前に道に迷っていたところを学園まで案内したのだ。名前は確か、シェリア・オクス。ここでこうして木剣を振るっているということは、どうやら無事に入学を決めることができたらしい。シェリアが志望していたのは武術科なので、新学期が始まれば彼女はカルミの後輩になる。


「やあ、頑張るね」


「あ! その節はお世話になりました!」


 カルミが話しかけると、シェリアはそう言って勢いよく頭を下げる。それから西日を避けて木陰に座り、シェリアの休憩もかねて少し話をした。


「それじゃあ、無事に合格できたんだ?」


「はい! おかげさまで!」


 興奮気味に答えるシェリア。ハンターになると言う夢への第一歩を踏み出せたのが嬉しいのだろう。しかしシェリアの笑顔はすぐに苦笑に変わり、「ただ……」と彼女は言葉を続ける。


「ペーパーテストは問題なかったんですけど、案の定、実技のほうがボロボロで……」


 あははは、とシェリアは力なく笑う。あまりのダメ具合に試験官も渋面を通り越して穏やかな悟りに至っていたそうだ。


 すなわち、「これを一年で最低限戦えるようにしてやらなきゃならないんだな」と。


 困難すぎる目標ではあるが、プラス要因もある。その一つは拙いながらもシェリアがすでに集気法を使えた、ということだ。集気法が使えれば訓練の時間を長く取ることができるし、また密度の濃い訓練ができる。圧倒的に時間が足りていないなか、これはありがたいことだ。


 また、一番重要なこととして、シェリア・オクス本人にやる気と覚悟がある。これがないと仮にどれだけ才能があったとしても一年では何も身につかないだろう。逆に言えば、これさえあれば何がなくとも一年で最低限戦えるくらいにはなれる、かもしれない。


「取りあえず、新学期が始まるまでひたすら集気法を使って素振りをしろって言われました」


 そう言ってシェリアは貸し出された木剣を軽く叩いた。その木剣はいわゆるショートソードサイズのもので普通ならば片手で扱うものだが、文句なしに初心者である彼女は今はこれを両手で使っている。


「良かったら、素振り、見てあげようか?」


「え? いいんですか!?」


 カルミの提案にシェリアが歓声を上げた。木剣を借りたときに素振りのやり方は教わったが、しかし直接見てもらったことも指導してもらったこともない。本当に今やっていることでいいのか心配だったのだ。


「うん、わたしも散々やったからね。素振りくらいなら教えられると思うよ。……師範たちに知られたら『生意気言うな』って怒られそうだけど」


 最後の言葉だけ苦笑気味に付け足してカルミはそう言った。


 是非! とシェリアは目を輝かせてカルミに迫る。その熱意におされてちょっとだけ及び腰になりながら、カルミも頷いて二人は木陰から立ち上がった。


 ゆっくりと歩くカルミの前を、シェリアが小走りにかけていく。やる気に満ち溢れたその背中を見つめながら、カルミはほんの少しだけむず痒い思いにとらわれた。


(先輩に頭下げたときのわたしも、あんな感じだったのかな……?)


 ルクトに「剣を教えてくれ」と頭を下げた、あの時。あの時はただただ必死で、自分がどういうふうに見えているかなんて気にかける余裕はなかった。それがシェリアという後輩を通して、あの時の自分を今更ながら客観的に見るハメになってしまった。


(うわ~! うわ~! うわ~!)


 なんというか、恥ずかしい。そして厄介なことに、一度恥ずかしいと思うと無限連鎖的に恥ずかしくなっていく。


「先輩?」


 内心で悶絶するカルミに、木剣を構えたシェリアがキョトンとした視線を送る。カルミはなんでもないと手を振って答え、彼女はシェリアの傍らに立った。


「じゃ、振ってみて」


「はい!」


 真剣な眼差しでシェリアが素振りを始める。彼女の素振りは、なるほど確かに荒削りで出鱈目だった。やる気に満ちているのは分かるが、技術がまったく追いついていない。まあ、始めたばかりなのでそれは仕方がないことなのだが。


「ええっとね……」


 カルミは一度素振りを止め、気がついた点を幾つか指摘していく。手取り足取り、時には身振りを交えながら知る限りの知識を伝える。シェリアはその一つ一つに頷きながら真剣に彼女の言うことを聞いていた。


「じゃあもう一回やってみて」


 カルミの言葉にシェリアは無言で頷き、再び木剣を振るい始めた。教えてもらった点を意識しながら、始めはゆっくりと丁寧に。何度か素振りを繰り返すうちに、ぎこちなかった彼女の動きはだんだんとスムーズになっていった。


(少しはマシになったかな……)


 素振りを繰り返すシェリアを見ながら、カルミは内心で満足そうにうなずいた。木剣を振るうシェリアの姿はそれなりに様になっている。


(あとは他に……)


 自分にできる事はないだろうか、とカルミは考える。まず脳裏に浮かぶのは、同じように自分の相手をしてくれたルクトの姿だ。


(立会い稽古、とか?)


 ただ素振りを繰り返すより、実戦形式の訓練をした方が得るものは多い。それはカルミの経験上も明白である。彼女も、道場に通う前は時間を見つけてルクトに挑みかかったものだ。


 我ながらいい考えだ、と自画自賛してカルミがシェリアに声をかけようとしたその矢先、別の人物が彼女たちに声をかけた。


「よう、頑張ってんな」


 その声の主はカルミのよく知っている人物だった。ルクト・オクス。今まさに脳裏に思い浮かんでいた人物であり、たびたび自主練の相手などをしてもらっている先輩である。


「先輩! 先輩も今帰ってきたところですか?」


「ああ、道場からな」


 あれ、とカルミは首を捻った。ルクトが修めている流派はカストレイア流刀術と言ったはずで、その流派の道場はカーラルヒスにはなかったはずだ。では彼はどの道場から帰ってきたのだろうか。


「レイシン流っていってな、最近通い始めた」


 カルミの疑問に気づいたのか、ルクトはそう明かした。それから彼は「練気法ってのをやってるんだけどな、これが結構面白い」と続ける。


「へぇ……、そうなんですか」


 ルクトの言うことを聞いて、カルミはレイシン流に興味が湧いてきた。しかし彼女のそんな様子を察したルクトは先んじて釘を刺す。


「まずは今通っている道場で免許皆伝を取ってからにしな」


 あれもこれもとやったって中途半端になるだけだ、とルクトは言った。お世話になっている先輩からそう言われ、カルミは「うっ…」と言葉に詰まる。それでも未練がましくねだるような視線をルクトに向けると、彼はわかりやすく呆れた表情を作った。


「……どうしてもって言うんなら止めはしないけどよ。月謝を二箇所に払うことになるんだぞ? 払えんのか?」


 そう言われてしまえばカルミも諦めるしかない。現在懐事情はギリギリで、これ以上出費を増やすのは無理だ。新学期が始まり迷宮(ダンジョン)に潜れるようになれば少しは余裕ができるのかもしれないが、しかし今度は時間がなくなるだろう。いずれにせよ、道場を二つ掛け持ちするほどの余裕はないのである。


「分かりました、今の道場で頑張ることにします」


「ああ、そうしな」


 不満が滲むカルミの声に、ルクトは苦笑を浮かべて応じる。こうしてレイシン流は新たな門下生を知らないところで逃したのだった。


 閑話休題。一人蚊帳の外に置かれていたシェリアが、躊躇いがちに二人に話しかける。


「あ、あの……」


「ああ、ごめんごめん。紹介するね。こちら、わたしがお世話になっているルクト・オクス先輩。で、先輩、こっちが新学期から武術科に入学することになったシェリア・オクスさん」


「よ、よろしくお願いしますっ!!」


「ん、よろしく」


 勢いよく頭を下げるシェリアと、それを見て苦笑を浮かべるルクト。いずれ二人を会わせてやりたいと思っていたカルミは満足そうな表情だ。


「それにしても同じ苗字なんだな」


 面白い偶然だ、ルクトは笑う。


「そ、そう、ですね……」


 それに対し、シェリアは少しぎこちない笑みを浮かべた。会ったばかりの、しかも男の先輩を前に緊張しているのかもしれない。


「それで、なにをしてたんだ?」


 ルクトの問い掛けに、カルミがシェリアの素振りを見ていたと簡単に説明する。それを聞くとルクトは少し意地の悪い笑みを浮かべた。


「へえ、早速先輩面か? 偉くなったもんだな、おい」


「せ、先輩面だなんて、そんな……」


 図星をつかれたかのように慌てるカルミ。もっとも、可愛い後輩ができてお姉さん気分になっていたのだから、まさしく図星である。


「まあどうでもいいけど、調子に乗って立会いとかするなよ」


「え!? 何でですか!?」


 今まさにやろうとしていたことを「ダメだ」と言われ、カルミは驚いた。そんな彼女に対し、ルクトは呆れたように理由を説明する。


「見たところシェリアはまだ初心者だろ? お前だって熟練者というわけじゃない。怪我とかさせたらどうするよ?」


 立会いをする二人が両方とも未熟であれば、それは訓練ではなくてただのどつき合いになってしまう。どちらかが、あるいは両方が怪我をする可能性はきわめて高い。ちゃんとした監督者がいればその限りではないが、この場合それも望めない。


「でも二人とも集気法で強化してますし……」


「だからだ」


 集気法で身体を強化していると言うことは、攻撃力も上がっていると言うことである。もちろん防御力のほうも向上しているわけだが、しかしそれは集気法が効いている間だけだ。もし集気法が途切れたところに強化された一撃を受ければどうなるか。打ち所が悪ければ死に至る危険すらある。


「う……。じゃ、じゃあ先輩なら……」


「そうだな……。シェリア、ちょっと素振りしてみて」


「は、はい!」


 突然水を向けられたシェリアは驚いたように背筋を伸ばして直立したが、すぐに木剣を構え、さっきカルミから教わったとおりに素振りを始めた。もちろん集気法を使いながら。それが基本だと試験官の先生から教わったのだ。


「今はまだ素振りを続けたほうがいいな」


 しばらくの間シェリアの素振りを観察したルクトはそう言った。


「集気法の使い方が荒い。もうちょっと滑らかに使えるようになるまで、立会い稽古は止めておいたほうがいい」


「は、はい! 分かりました!」


 シェリアが勢いよく頭を下げると、ルクトは苦笑気味に手を振ってそれを制した。それからもう二、三アドバイスをすると、ルクトは「汗を流したいから」といってその場を離れた。それにあわせてカルミのほうも「それじゃあまた」と言って寮のほうに向かって去っていく。


 シェリアは二人の先輩を見送ったあとも素振りを続けた。アドバイスしてもらったことを思い出しながら、ひたすら木剣を振るい続ける。


 そうやってしばらく素振りを続けると、だんだんと身体が動きを覚え、頭で確認しなくても大丈夫なようになってきた。そうすると自然、頭の中では別のことを考え始める。


(……ルクト・オクス先輩。……ルクト……)


 シェリアの脳裏に思い浮かぶのはついさっき紹介してもらった先輩の顔と、むかし幼い頃に聞いたとある名前。


(義兄、さん…………?)


 確信はない。だがもし、もしもこの予想が当たっているのであれば……。



▽▲▽▲▽▲▽



 新学期が始まり、すでに一ヶ月以上が経過した。一年生を教官たちが引率して迷宮に潜る実技演習はまだ始まっていないが、そのための準備は大詰めを迎えているはずである。そんなスケジュールの消化に伴い、ルクトもアシスタントとして週に一度実技講義に出るようになっていた。


 アシスタントは毎回、多くても十人程度の一年生の面倒を見る。メンバーは特に固定されてはおらず、一年生のほうが自分の使う得物に応じて指導を受ける先輩を選んでいた。ルクトの場合は太刀を使っているので、片手剣やそれに類する武器を使う一年生が彼のところに集まってくる。


 ルクトのやり方は去年とまったく同じだった。すなわち、集気法を使いながらひたすら素振りをさせるのだ。ただそれでは確実に飽きがくるので、道場に通っている一年生はそこで習った型の練習もしていいことにしている。道場に通っていない一年生には、カストレイア流の最も基本的な型を教え、それを反復させている。そして、それだけではルクトが何もすることがなくて暇なので、時間の許す限り一人ずつ立会い形式で稽古を付けることにしていた。


 これらの練習の主眼はただ一つ、「動きながら、スムーズに集気法を使えるようになること」である。技術的な分野に関しては、ルクトの能力を超えている。いや、教えられないことはないのだろうが、彼個人にもいろいろと予定があり、どう考えても時間が足りない。そっちについては各自で道場に通ってもらうしかないのだ。


「ほい、じゃあ次の人」


 実技講義のなか、ルクトはさっきまで立会い稽古をしていた一年生の男の子が落とした木剣を拾って下がっていくのを見送りながらそう言った。次に出てきたのは、赤みがかった栗毛の、パッチリとした大きな眼が印象的な女の子だ。夏休みの頃から何度か見た顔で、名前はシェリア・オクス。何の偶然かルクトと同じ姓名。そんな縁もあってか、彼女のことはルクトの記憶に残っていた。


「お願いします!」


 元気よく頭を下げ、木剣を正面に構えるシェリア。彼女が持っている木剣は、夏休みから振るっているショートソードサイズのものだ。


「じゃ、いつもどおりよく見て丁寧に受けて」


 ルクトがアシスタントとして今年度の実技講義に出るのはこれが初めてではないが、シェリアは最初から彼が出るときはいつも彼のところに来て指導を受けている。名前を知っている先輩が彼だけだったからなのかもしれないし、あるいは仲良くしていると言うカルミからなにか吹き込まれたのかもしれない。


 さてそんなシェリアだが、彼女の実力ははっきり言って低い。最近ようやく素振りが様になってきたように見えるが、ルクトの基準で言えばまだまだ初心者の域を出てはいなかった。


 そんな人間ががむしゃらに動いても稽古になるはずなどないし、むしろ我流で変な癖がつくもの良くないと思ったルクトは、彼女は立会い稽古はなしにしようかとも考えた。考えたが、ここで周りと差をつけるのも良くないかと思い、最終的に攻撃を禁じてひたすら防御させることにした。


 防御の技術は重要だ。これをないがしろにする武芸者はすぐに死ぬ。また、防御の訓練であれば相手の動きをある程度コントロールできると言うメリットがあった。つまり基本となる動きを、さわりとはいえなぞらせることができるのだ。もっとも、これ以上のことはやはり道場に通い習ってもらうしかないのだが。


 ちなみに、この防御だけの立会いはシェリア以外にも数人にやらせている。一年生の中でも、実力の程度はバラバラなのだ。一応、指導はその程度に合わせて行っている。もしかしたら彼らは不満に思っているのかもしれないが、最初に「カストレイア流の免許皆伝を持っている」と説明を受けているおかげか、今のところルクトが表立って不満を耳にしたことはなかった。もっとも、ただ単に先輩に向かって文句を言えないだけなのかもしれないが。


 カン、カン、カン、と一定のリズムでルクトの木刀とシェリアの木剣がぶつかり合う。シェリアは集中できているし受け方も丁寧だ。集気法を使うタイミングはまだまだ荒いが、これは練習時間に比例して上手くなっていくものなのである面仕方がない。彼女は木剣を振るい始めてまだ三ヶ月程度しかたっていないのだから。


「あっ!?」


 二十合ほど打ち合ったところで、ルクトは突然木刀の軌道を変えた。シェリアの木剣に触れる直前にルクトの木刀はまるで蛇が跳ねるようにして向きを変え、そしてシェリアのあご先にピタリと突きつけられる。


「……参りました」


「最後のアレ、どうだった?」


 シェリアが降参してからルクトは木刀を引き、それから最後の攻防について問いかける。少し考えてからシェリアはこう答えた。


「見えてはいたんですけど、反応できませんでした……」


「見えていたなら上出来だよ」


 今の段階では、という言葉は口にせずルクトはそう評価した。それを聞いたシェリアは笑顔を見せてから下がりまた素振りを始める。そして次の一年生が出てきて、ルクトはまた彼と手合わせを始めた。


 ルクトが同級生と立会い稽古をしている様子を、シェリアは素振りをしながら観察していた。二人の動きは対照的で、ぎこちない同級生に比べ、ルクトの動きはとても滑らかで素人目に見ても隙がなく美しくすらあった。


 シェリアが熟練の武芸者として名前を挙げられるのは、今のところルクト・オクス一人。自然と彼がシェリアにとっての目標となり、また理想像となる。


(先輩は教え方も上手いし分かりやすいし強いし優しいし…………)


 ループしかかる思考を、素振りに集中することでクリアする。それでも余計なことを考えてしまうのは止められなかった。


(もし、先輩が義兄さんだったら…………)


 そんなことを考えてしまう。


「ほい次」


「ありがとうございました!」


 立会い稽古の決着がつき、一年生が入れ替わる。


 実技講義は、まだ続く。



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