いと尊し3
迷宮十階層。合同遠征でよく使われるようになり、今では〈大広間〉と呼ばれるようになったひらけた空間に一人の青年がいた。黒眼に黒髪で、背丈は平均より少し高いくらい。身体の線が細いようにも見えるが、それは全身を鍛えていて無駄な贅肉がついていないことの証拠でもある。顔立ちはまあまあ整っていて、十人のうち四人くらいは「美形」と言ってくれるかもしれない。
身体的な面だけ見れば、これといった特徴のない青年と言えるだろう。しかしながら迷宮のこんなところに一人でいることこそが、この青年の最大の特徴と言える。
ルクト・オクス。それが彼の名であり、彼はこの学期からノートルベル学園武術科の四年になった。まあ、そんな面白みのない肩書きよりも「ソロのルクト」という、本人にしてみればありがたくない二つ名のほうがよほど有名であるが。
まあそれはともかくとして。今は合同遠征の二日目。時間は正午を少し過ぎた頃。こんな時間になってもまだ大広間にいるということは、つまりルクトは今日はここからまだ動いていないと言うことだ。
夏休みも終わり諸々が平常運転に戻った頃、ルクトは合同遠征の窓口を担当しているイズラ・フーヤから「今後も護衛をつけてはどうか」という話をされた。
『そのほうがルクト様も安全ですし、また攻略の効率も上がると思いますが?』
イズラのいうことはルクトも分かる。いくら〈プライベート・ルーム〉という安全圏が常にあるとはいえ、一人で戦闘をこなすのは危険が大きい。夏休みの間、ルクトは久しぶりに(護衛という名目だったが)パーティーを組んで攻略を行っていたから、「その方が安全」という言葉は身にしみて理解できた。攻略の効率が実際に上がるかはともかくとしても、迷宮内での安全性を向上させられるのは大きなメリットだ。
だがそれでもルクトはその話を断った。稼ぎを優先したわけではない。他にやりたいことがあったのだ。そしてそれが、ルクトが大広間から動かない理由でもある。
「さて、もう一度……」
腹の底に落とし込むようにして息を深く吸い込む。大気中のマナを身体の中に取り込む集気法と呼ばれる技法だ。今までに何千何万回と繰り返してきたその動作を、ルクトは一つ一つ確認するように、丁寧に行っていく。
マナが満ちるにつれて、身体の中に力が溢れてくるのが分かる。全身の筋肉の密度が上がったような錯覚を覚える一方で、まるで気体になってしまったかのように身体が軽く感じる。
これが集気法による身体能力強化。とはいえこれはあくまでも前準備。ルクトは一つ深呼吸をすると集中力を高めなおし、そして全身に満たしたマナを動かし始めた。心臓を起点にして、血の流れに沿うようにして全身の末端に至るまでマナを循環させていく。
練気法である。一言でいえば、「マナを動かして循環させ闘術を底上げする技術」だ。夏休みにルクトがパーティーを組んだクルーネベル・ラトージュという女性がいる。彼女はレイシン流道場というところの一人娘なのだが、その道場で教えているのがこの練気法なのである。
夏休みの間、合同遠征で迷宮に潜っている時以外はほとんどこの道場に入り浸るようにしてルクトは練気法の訓練に励んだ。新学期が始まれば思うように時間が取れなくなるという事情もあるが、それ以上に練気法のもつ可能性に賭けてみたいという気持ちが強かった。
というのもルクトはここ最近、武芸者としての自分の実力が伸び悩んでいるように感じているのだ。
カストレイア流の免許皆伝を得てからしばらくたち、また迷宮の十階層で安定した攻略を、しかもソロで行えるようになった。武芸者として一流の域に足を踏み入れた、と言っていいだろう。しかしだからこそ、ここから先は成長を実感しにくくなる。
例えてみるならば彫刻のようなものだ。最初、大胆に石を削っていくときは、その進み具合は速くとんとん拍子に物事は進む。しかしある程度形が完成し、細かい細工を施す工程に入ると目に見えた変化というのはなかなか起こらない。長く果てしない、忍耐の要る作業が続くことになるのだ。
普通であれば、それでもよい。一流の武芸者、ハンターとして活躍して満足と糧を得ることができるだろう。日々研鑽を積んで腕を磨き、遅々としながらでも高みを目指して鍛錬を重ねるだろう。
しかし、ルクトは知ってしまっている。そんな一流でさえも子供だましに思える、超越者の存在を。
いや、知っているだけならば諦めることもできたかもしれない。だがその超越者はルクトにとってあまりにも身近な存在でありすぎた。
――――強烈に、焦がれた。
ああなりたい。あそこにたどり着きたい。そういう思いは小さな頃からあり、また迷宮に初めて入った日にいっそう強くなった。
学園に入ってからは借金の返済が第一の目標であったが、それさえも見方を変えれば自身の成長と矛盾しないからこそ「第一の目標」にしておけた、ともいえる。そして借金完済のメドが立ってきたことで、最近伸び悩んでいる自分に少し焦りを感じ始めたのだ。
はるかに仰ぎ見た高みを目指すためには、ここで足踏みをしているわけにはいかない。そのために賭けたのが、練気法である。
普通、武芸者が実力を高めようと思ったとき、最も手っ取り早い方法は「迷宮のより深い階層に潜ること」だ。そこには濃密なマナがあり、それを吸収することで武芸者はマナに対する許容量を増やすことができる。つまり、一度の集気法で練り上げられる烈の量が増えるわけで、持続力や火力の強化が期待できる。
これはもちろん、ルクトにも同じことが言える。しかし彼の場合、諸々の事情があり基本的にソロで攻略を行わなければならない。そのことを考えると、十階層より下に行くことにルクトは少なからぬ躊躇いを覚える。
より深い階層に潜れば、より強いモンスターが出現することになる。一対一ならばそうそう後れを取ることはない。だが生憎と毎回一対一で戦えるわけではない。モンスターはこちらの都合など考えずに出現してくるのだから。
十階層までは武術科を卒業するためにどうしても到達する必要があった。だが実技要件を満たした以上、ここから先を目指す必要は必ずしもない。卒業後どうするかはまだ決めていないが、しかしわざわざソロを続けるつもりもない。ここから先はパーティーを組んでからでいい、というのがルクトの判断だった。
ただ、在学中にパーティーを組む方法がないわけではない。幾つか方法はあるだろうが、そのなかでも一番手っ取り早いのはイズラが提案してくれたように合同遠征で“護衛”を頼むことだ。しかしルクトはその提案を断った。あれもこれもやる気にはならなかったせい、かもしれない。
さてそんなわけで十階層より下には、積極的には行かないことにしたルクトだが、その代わりに自由時間にやっているのが練気法の鍛錬なのである。マナの許容量の増加はひとまず置いておいて、技術面を磨くことにしたわけだ。
少し話は違うが、武芸者が重視するものは第一に火力であり第二に連携だ。もっともこの順番は人によって入れ替わったりするのだが、ともかくこの二つが最重要視される。まずは攻撃力、それでダメなら力を合わせて、というわけだ。
しかしそういう常識からすると、個人の技術を磨くというルクトの選択はあまり一般的ではないといえる。ただある面、仕方がない。なにせ彼はソロ。下の階層を目指せば危険性が増すし、かといって力を合わせるメンバーもいない。彼の場合きわめて個人的な事情により、これしかできることがないのである。
ただ、練気法は闘術の底上げをおこなうもの。それによって攻撃力の強化も期待できるからまったく非常識な鍛錬、というわけでもない。全体的な戦闘能力が底上げされるのだから当然攻撃力も、というわけである。
そういうわけでここ最近、ルクトは迷宮の中でひたすら練気法の鍛錬を行っている。もちろんそれは迷宮の外でもできる。だが、いくら迷宮の外で練気法を上手に使えても実戦では役に立たない、というのが最近のルクトの意見だ。つまり、迷宮の中と外では難易度が段違いに跳ね上がるのだ。
理由は単純だ。「マナの量が多いから」である。練気法は烈、つまりマナを動かして循環させる、つまり制御することで成り立っている。制御すべきマナの量が多くなれば難易度も高くなる。それは自明の理だった。
最初は失敗の連続だった。ちょっとマナを動かしただけで制御不能に陥って練気法を維持できなくなり、しかしそのおかげで事なきを得る、というサイクルが延々と続いた。
ルクトは諦めなかった。もとより最初から上手くいくなどと甘いことは考えていない。ゆっくりと少しずつ感覚を掴みながら地道に鍛錬を続けていった。
ルクトが練気法の訓練をやっていたのは合同遠征で待機している間だけではない。今まで攻略に使っていた時間のほとんどを彼は訓練のほうにあてた。もちろんその訓練は迷宮の中で行う。ただし、下には潜らない。浅い階層の人が来ない広場でひたすら訓練を続けた。
おかげでほぼ毎日迷宮に潜っているのに少々金欠気味である。昼食は毎日300シク弁当。まあこれは前から変わっていないとも言うが。
そんなこんなで一ヶ月。メリアージュに「返済額が少ない」といわれながらも訓練を続けてきた。その成果がここ最近ようやく形になり始めていた。
「フウウゥゥ…………」
抜刀術の構えを取って深く息を吸い込み、集気法を行う。そして集めたマナを右手から太刀に、左手から鞘に流し込んで溜めていく。十分な量のマナを集中させたところで今度は練気法を行う。
太刀に込めたマナは柄から切っ先にかけて往復するように循環させ、鞘に込めたマナは螺旋を描くようにして循環させる。マナの流れが出来上がり、準備が整ったところでルクトは太刀を鞘から走らせた。
――――カストレイア流刀術、〈抜刀閃・乱翔刃〉
鋭く抜き放たれた太刀から複数の烈の刃がシャフト目掛けて放たれる。シャフトに激突した烈の刃は大きな音を立てて複数の斬撃痕を残した。
実際のところ、カストレイア流に〈抜刀閃・乱翔刃〉という技はない。これは烈の刃を飛ばす〈抜刀閃・翔刃〉という技と練気法を組み合わせたものである。翔刃の刃一つ一つに込められている烈は、当たり前にもとのそれより少ない。だが練気法と組み合わせることによって元と比べても遜色ない翔刃を、しかも複数放つことができている。
「やっぱり相性がいいな……」
満足の滲む声でルクトはそう呟いた。それは練気法とルクトが得意とする抜刀術は相性がいい、という意味だ。
練気法は画期的な技術だが、同時に難しい技術でもある。全身にかけようとすれば動けなくなってしまうくらいに。
そんな練気法を最大限活用するため、たとえば弓使いのクルーネベル・ラトージュがたどり着いた結論は「可能な限り動かないこと」であった。肉体の動きを最小限にすることで、練気法の制御に集中するのである。
抜刀術もそれに通じるところがある。抜刀術というのは溜めが長い、溜めを長くできる技だ。つまりその時間を使って練気法を使うことができる。
レイシン流の道場で話を聞いた限りでは、「多少雑でもいいので可能な限り速く」というのが練気法の実戦での使い方になる。敵を目の前にして練気法のほうにばかり意識を向けていられない、ということだ。
ただ実際問題として、時間をかけ丁寧に行ったほうが練気法の効果は高くなる。基本的に“待ち”の技である抜刀術はその時間を取りやすく、そういう意味で練気法と相性がいいと言えるのだ。
相性がいいのは抜刀術だけではない。ルクトの〈切り札〉も練気法と相性が良かった。
ルクトの〈切り札〉とは、カストレイア流刀術で言うところの〈深理〉である。「理を深める」と書いて〈深理〉。これはなにか特定の技の名称ではなく、免許皆伝に至った者が目指す次の段階とでも言うべきものだ。
『教えるべきことはもはやない。これより先は各々が考えて理を深め、極みを目指すべし』
これはカストレイア流の開祖が弟子たちに免許皆伝を与えた際に述べた言葉であると言う。この言葉は今も道場に伝わっており、ルクトも免許皆伝の証を貰ったとき、師範から厳かにこの言葉を聞かされた。
さて、肝心の深理の中身である。これは簡単に言えば、カストレイア流に独自のアレンジをして自分にとって使いやすい形にするということだ。そして多くの場合、それは得意とする技を自分用にアレンジすることでその段階を踏む。そのせいか、そのアレンジされた技を指して「だれそれの深理」というような呼び方をされることもあった。
どのような深理を持つのか、それがその者のスタイルを決定付けるといっても過言ではない。なにが得意なのか、なにを重要視しているのか。それは人によってそれぞれ異なるが、その差異が大きく反映されるのが深理であると言っても過言ではない。
ある者は使い勝手を追求し、ある者は二つの技を組み合わせて新たな技を誕生させ、またある者は手数を増やすことに専念した。それらの成果は流派の歴史と共に記録として道場に残され、それは後進の育成に一役買っている。
そしてルクトもまたカストレイア流の免許皆伝を持っており、自分の深理を確立すべく考えをめぐらせた。
ルクトがまず求めたのは「火力」、つまり「攻撃力」である。個人能力に攻撃力が皆無で、モンスターを倒すためには闘術を駆使するしかない彼にとって、攻撃力の向上は最優先課題であった。(ちなみに借金返済は至上命題である)
では、どうすれば攻撃力を強化できるのか。その答えは簡単で、「より多くの烈を攻撃に使う」しかない。つまり武芸者が日常的にやっているように、技を使うときに武器や身体の一部に烈を集中させるのだ。理論的に言えば、集気法で得たマナを全て一度の攻撃に使えば最大の威力を得られることになる。
ただあくまでもそれは理論上の話。実際問題としてはどうしても限界が付きまとう。それは技術的な限界と物理的な限界である。
物理的な限界というのは、ようは武器の耐久性の問題である。込める烈の量が多くなりすぎると、武器自体がそれに耐えられなくなり砕けてしまうことがあるのだ。ただこの武器破壊は滅多なことでは起こらない。多くの場合、その前に技術的な限界に突き当たるからだ。
技術的な限界とは、つまりどれだけのマナを扱うことができるのかという問題である。戦闘の中で自由に使える烈の量というのは意外と少ない。集気法でマナを集め身体の中に溜めておいてもその全てを自由に使えるわけではないのだ。もちろん身体の中に集めておくだけで身体能力強化の効果があるからその意味では有効活用されているが、闘術の、しかも技に使える烈というのはかなり制限されてくる。
これは理論的な限界ではない。何度も言うが技術的な限界である。つまり技に使おうとする烈が多ければ多いほど、その制御は困難になるのである。
例えば十の烈を練ったとする。そしてその十の烈を全て武器に込めたとする。すると多くの場合、武芸者はその状態を維持するのに精一杯で一歩も動くことができなくなる。一般的な傾向として、マナは集めれば集めるほど制御が難しくなるのだ。これが技術的な限界である。
迷宮の外など、そもそも集められるマナの量が少ないところではこういうことは起こらない。だがルクトが見据える十階層より下では、確実に一度に使える烈の量は集める量よりも少なくなる。
まあ、一度に使える量も徐々に増えていくので普通ならば問題はないのだが、ルクトは深理の課題としてこの量を何とかして増やせないかと考えたのだ。
『さて、どうしようか?』
まだ故郷のヴェミスにいた頃、ルクト少年は頭をひねって考えた。メリアージュにも相談してみたりもした、「妾が考えても意味がなかろう」とたしなめられヒントももらえなかった。
いろいろと試行錯誤を繰り返し紆余曲折あった末、ルクトがたどり着いたのが「鞘に烈を込めておき、技を放つ瞬間に太刀に押し込む」という方法であった。
十の烈を十のまま扱うことは出来ない。しかし二箇所に五ずつならばその難易度は格段に下がるのだ。そして技を放つ瞬間だけであれば、たとえ十の烈であっても制御はさほど難しくはない。ただ勢いに任せて放つだけである。
実際には全ての烈を攻撃に回してしまうのは、できたとしても非現実的だ。強力な技はその分反動も大きく、それに耐えるためには身体能力強化が必須でそちらに回す烈も残しておかなければならないからだ。
ただそれでも。この方法はルクトの目的であった攻撃力の強化を見事に果たした。同じ技でもこの方法を使えば、感覚的にはだが二倍近い威力を出せるようになったのだ。深理として上々の成果を上げたといっていいだろう。ただし、烈の消費量も二倍になっている。
なお、ルクトはこの自分の深理に〈瞬気法〉と名づけた。彼が通った道場にはきちんとその名で記録が残されている。
ただし、この瞬気法は幾つかの欠点も抱えている。まずその仕様上、鞘がなければ話にならない。よって槍や斧といった武器では瞬気法はつかえないことになる。また、瞬気法を使うためにはいちいち鞘に武器を戻さなければならず、しかも効果があるのは最初の一撃だけ。そうなるとこの技法の利用は抜刀術や抜き打ちなどに限られることになる。ルクトは抜刀術が得意だからいいが、そうでない人には使いにくい技法であろう。
また瞬気法はどうやら高度な技法であるらしい。なんでも、鞘に込めた烈を太刀に押し込むタイミングが非常に難しいのだとか。ルクトがカーラルヒスに留学するまでに瞬気法を使えるようになったのは道場でも五人ほどだけ。今はもう少し増えているかもしれないが、上級者向けの技法であることに変わりはない。
その上、タイミングを外して失敗すると鞘に込めていた分の烈は全て無駄になる。ハイリターンな代わりにハイリスクな技法でもあるのだ。
そして最大の欠点は、武器にかかる負荷の大きさが普通に烈を込めるのよりもはるかに大きいことだ。
ルクトが瞬気法を初めて迷宮で使ったとき、彼が使っていた太刀は粉々に砕け散った。曲がったり折れたりというのは比較的よくあることだが、粉々に砕けたのはこれが初めてである。予想外の事態にルクトの頭は付いていけずに思考停止し、それを後ろから見ていたメリアージュは眼に涙を浮かべて爆笑していた。
使っていた太刀は決していいものではなかったし、そろそろ買い替えの時期が来ていたことも確かである。だがそれでもきちんと手入れしていた武器がいきなり砕け散るなんて異常事態だ。なによりおかしいことに、同量の烈を普通に込めた場合は武器破壊なんて起こらないのだ。
『多量の烈を一瞬で押し込む、というのが良くないのであろうな。太刀のほうに込めておいた烈が反発しているのかもしれん』
目じりに残る涙をぬぐいながら、メリアージュはそう分析する。なんにしてもこの時点では武器のグレードを上げるしか対策が思いつかなかった。
ルクトは瞬気法に耐えられそうな武器をメリアージュにねだってみたが、結果は「自分で買え」とけんもほろろに断られ。結局この後、ルクトは迷宮での瞬気法の使用を控え、もっぱら迷宮の外で鍛錬を続けることになる。なんとも使えない技になってしまったものである。とはいえ使うたびに武器を壊していてはコストパフォーマンスが悪すぎる。ただでさえ多額の借金があるというのに。
とはいえこの問題は現在では一応解決している。今ルクトが使っている純ダマスカス鋼製の太刀ならば瞬気法にも十分に耐えられるからだ。
さて、話が長くなった。この瞬気法と練気法の相性である。
瞬気法と練気法の相性はいい。少なくともルクトはそう感じている。特に、今までの瞬気法は強引に烈を太刀にねじ込んでいたが、練気法を併用することでそれがよりスムーズにできるようになった。そのおかげで武器にかかる負荷も小さくなっていると期待でき、長い眼で見ればお財布にも優しい仕様になっている。ただその反面、技術的な難易度がさらに上がっているのは否めないが。
「もっと工夫すれば、烈は鞘に込めたままでも技を放てるようになるかもしれないな……」
つまり太刀に押し込めないで、二つの烈を接続して一塊にして使うというか、上手く言葉にできないがそんな感じである。なんにしても瞬気法の「二箇所にマナを集中させる」という特性と練気法の「マナを動かして制御する」という特性は、組み合わせたときにより大きな可能性を見せてくれるような気がする。
もちろん、その可能性を現実のものにするためには、高い壁をいくつも越えていかなければならないだろう。だがそれでも。
「先があるってのは、いいことだよな……?」
少なくともドン詰まりになるよりは。目指す高みは果てしなく遠いが、やれる事があるうちはおセンチになっている暇などない。
集気法を使い、使いきってしまったマナを補充する。練気法と瞬気法、それとカストレイア流の技。ルクトは自分の持つものを総動員して新たな可能性を探っていく。
時折思い出したように出現するモンスターで試し斬りをしながら、ルクトは大広間で孤独に太刀を振るい続けた。