夏休み金策事情11
四人が合同遠征から帰ってきた次の日。彼らはレイシン流の道場で目を覚ました。昨晩は結局夜半近くまで騒ぎ、四人ともそのまま道場に泊まったのだ。もちろんクルーネベルには母屋に自分の部屋があるのだが、そこはノリというか勢いというか。他の三人に付き合って彼女も道場のほうで一晩を明かした。
寝ぼけた頭を冷たい井戸水で顔を洗ってたたき起こし、四人はそれぞれに朝の活動を開始する。ルクトとセイヴィアが昨晩の残骸を片付けながら道場を掃除し、その間にロイとクルルが朝食を作る。
朝食を食べ終わった後はさらに家事を行う。掃除に洗濯その他諸々。家一軒を維持管理しようと思えば自然とその仕事は増え、また煩雑になる。特に洗濯に関しては合同遠征に着ていった物が四人分あって量が随分と多い。それらの仕事を四人は手分けしながら片付けていく。
「すみません。家のことまで手伝ってもらっちゃって……」
「いいっていいって。一晩泊めてもらったし、朝食もご馳走になったからね」
恐縮するクルルにロイが気楽そうな笑みを返す。彼がクルルに向ける笑みには腹黒の成分は一分も含まれていない。
(惚れた弱みってヤツかね?)
内心で意地悪くそんなことを考えるルクト。見ればセイヴィアのほうも少し離れたところから二人の様子を見ながらニヤニヤと面白そうに笑っており、きっと同じようなことを考えているのだろう。
(まあロイのほうはどうでもいいとして……)
果たしてクルルのほうはどうなのか。昨日二人で料理を作っていた様子などを見るかぎり、少なくとも悪い感情は抱いていないはずだ。
ただ、ルクトの見る限りクルーネベル・ラトージュという人間は誰に対しても礼儀正しく控えめだ。そのせいかその対応からは、彼女がロイに好意を抱いているのか、それともただのパーティーメンバーかあるいは道場の門下生として接しているのか、ルクトとしては判断を下しかねる。もっとも、そのことをセイヴィアが知ればまた盛大にため息を付くに違いないのだが。全く救いようがない、と。
さてそのセイヴィアだが、彼女は朝の仕事が一段落すると「洗濯物が乾いたら取りに来る」とだけ言い残して自分の家に帰っていった。そして彼女を見送ったルクトとロイは、クルルと一緒にまた道場のほうに来ていた。
これからクルルにレイシン流の真髄たる〈練気法〉を教えてもらうのだ。もっとも主に教えてもらうのは入門したてのルクトの方で、ロイが付いてきたのは本人曰く「暇だから」だそうだ。それを聞いたセイヴィアは面白そうにニヤニヤと笑っていたが。
練気法の話が出たのは昨晩の夜会でのことなのだが、もろもろの事情があってそれを教えてもらうのは日が改まってから、ということになっていた。まあ、事情といっても某先輩様が「明日にしろ!」とのたまっただけなのだが。
「昨晩もお話したとおり、〈練気法〉とはつまり『烈を動かす』ことです」
道場の床に向かい合わせになって座ると、クルルはまず復習するようにそう言った。確かに昨晩はそこまで話が進み、「実際にやってみよう」というところで流れてしまったのだ。そして今日の話はそこから始まる。
「口で説明するのは難しいので、まずはやってみましょう。ルクトさん、集気法を使って体を烈で満たしてください」
そう言われルクトは立ち上がってからいつものように集気法を使い、マナを集めて烈で身体を満たしていく。もっとも、昨晩の話によればマナも烈も同じものだそうなので、「マナを集めて体内で濃度を上げる」と言ったほうが正しいのかもしれない。
「いいぞ。できた」
いつもより丁寧に集気法を使い、ルクトは身体を烈で満たした。迷宮のなかに比べると体の内側に感じる力に頼りなさと不満を覚えるが、それはいまは関係ないことだろう。ルクトが準備を終えると、クルルは彼の後ろに回りこんで肩に両手をおいた。
「力を抜いて体を楽にしてください」
ルクトは言われたとおりにする。意図的な虚脱、つまり自然体になるための訓練はカストレイア流でもやっていたため実にスムーズに彼は全身の力を抜いた。
「では、いきます……」
若干の緊張がのぞくクルルの声。その一瞬後、ルクトは自分の身体のなかに違和感を覚えた。
何かが身体のなかで渦を巻いている。だが決して不快感は覚えない。それどころか四肢に力がみなぎり、筋肉が膨張するかのような感覚がある。それは濃密なマナが存在する迷宮のなかで集気法を使ったときの感覚に似ていた。
(すごいな……。これが練気法か……!)
練気法は闘術の威力を上げる。それは昨晩の段階で聞いていたが、まさかこれほどとは思わなかった。例えるならば外法を使ったときのようだ。しかも拒否反応を起こさないというのだから至れり尽くせりである。
「身体の中で烈が動いているのが分かりますか?」
クルルの問いかけにルクトは無言で頷いた。身体の内側に意識を向ければ、烈が体内を循環しているのがよく分かる。
「では、烈の流れの中心は?」
「…………心臓」
烈は心臓を中心として、血液の循環に沿うようにして身体のなかを巡っている。実際問題として血液がどんなふうに体の中を流れているかはっきりとしたことは分からないのだが、そこはまあイメージの問題だ。
「それでは、私が動かしている烈の流れを、少しずつでいいのでなぞってみてください」
つまり自分で烈を動かしてみろ、ということだろう。ルクトは無言で頷くと、クルルが動かす烈の流れに少しずつ触れ始める。
まずは指先でつつくように。それに慣れてきたら、今度はなぞるように。少しずつ少しずつ、一度に動かす烈の量を増やしていく。
時間の感覚さえ忘れ、ルクトは練気法の鍛錬を続けた。己の内側に意識を向け続ける、静かで動きのない鍛錬だ。しかしそれでも、いつの間にかルクトは全身に滝のような汗を流していた。
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ルクトの練気法の鍛錬は午後も続く。午前中のうちになんとかクルルの補助なしでも烈を全身に循環させられるようになり、さてここから本番というところで時間的にお昼にしたのだ。
ちなみに午前中クルルがルクトのほうに付きっ切りだったため、ロイは一人で練気法の鍛錬を行っていた。午前の訓練を切り上げるとき彼はなぜか少々不満げであったが、鍛錬が思うように行かなかったのかもしれない。
道場の裏の井戸で汗を流し、三人で協力しながら簡単な昼食を作る。それを食べ、一休みしてから三人は再び道場に戻った。
「さて、練気法の鍛錬はここからが本番です」
クルルの言葉にルクトも頷く。午前中はずっとクルルに補助をしてもらっていた。言うまでもなく、実戦でそのようなことをしてもらう余裕はない。実戦で使うためには、一人で練気法を使えるようにしなければならないのだ。
「午前中にやっていただいてお分かりと思いますが、烈を動かすことそれ自体は大して難しくはありません」
なぜなら、烈を動かすことそれ自体は武芸者ならば日常的に行っているからだ。
例えば、「腕や脚に烈を集める」という行為。これは「身体に溜め込んだ烈を動かして特定の箇所に集中させる」ということだ。またマナと烈が基本的に同じものだとするならば、マナを集めることそれ自体も「烈を動かす」ことに通じている。
つまり、「烈を動かす」ことは闘術において非常に基本的な技術であるといえる。
「では、練気法はなにが違うと思いますか?」
「烈を循環させること。つまり烈を停滞させることなく動かし続けることが、練気法の精髄だ」
ルクトがそう答えると、クルルは微笑みながら頷いた。どうやら正解であったらしい。というより、午前中の訓練をかんがみるにこれ以外の答えなどあるはずもないと思うのだが。
「その通りです。もちろん烈を循環させる際にもいろいろな技術が関係してきますが、それは今はまだ置いておきましょう」
まずは午前中にやってみたように烈を全身に循環させてみてください、とクルルに言われルクトは立ち上がった。集気法を使って身体を烈で満たし、さらに午前中と同じように全身の力を抜いて自然体になる。
目をつぶり、身体の内側に満ちている烈に意識を向ける。午前中の訓練で気がついたことなのだが、身体そのもの、つまり筋肉や血液に意識を向けても練気法は思うように使えない。肉体ではなく烈そのものに意識を集中する必要があるのだ。
(循環の起点となるのは心臓……)
午前中の訓練を思い出しながらルクトは少しずつ烈を動かし始める。一度心臓(の辺り)に集めた烈を、鼓動にあわせて全身に送り出していく。手足の指先にまで烈をいきわたらせると、そこからは折り返しだ。送り出す烈の邪魔をしないように、しかしそのすぐ傍を通るようにして烈を回収していく。
練気法を使うのにあわせ、自分の中で力が膨張していくのをルクトは感じる。集気法を使っていないのに、つまり新たなマナを取り込んでいないのに力が出ると言うのはなんとも不思議な感覚だ。
(……とりあえずはこんなもんか?)
烈の循環が定着してきたところで、ルクトは薄く目を開けた。午前中、クルルに補助をしてもらっていたときと比べると、ルクトの練気法は精度の面でどうしようもなく荒い。しかし彼はまだこれが訓練の初日なのだ。それを考えれば荒いとはいえ練気法を使えているだけで御の字と言えるだろう。
「……では、そのまま練気法を維持して歩いてみましょう」
次の課題がクルルから出される。確かに一人で練気法を使えるようになっても、動けなければ実戦では使えない。
そしてルクトが実戦へのすばらしき一歩を踏み出そうとした、その時。
「……あっ!」
片足を軽く持ち上げたその瞬間、ルクトは自分の中で循環していた烈の流れが消えてしまうのを感じた。それと同時に練気法によって底上げされていた力も全て消えうせる。後に残ったのは薄いマナによる頼りない強化だけだ。
「……っくっく」
ルクトがなんとも情けない間抜けな顔をさらしていると、隅っこのほうから押し殺した笑い声が聞こえた。そちらのほうに視線を向けると、案の定ロイが頬をひくつかせて笑っている。ルクトもさすがにイラっときて何か言ってやろうかと口を開きかけた矢先、クルルがロイをたしなめた。
「ロイさん。ダメですよ、笑っちゃ」
「悪い悪い。あまりにも愉快な顔をしてたもんだから」
笑いをかみ殺すのに失敗しながら(本気でかみ殺す気があるのかはなはだ疑問だが)ロイは一応謝った。明らかに悪いと思っていないロイをルクトは一睨みしたが、その程度のことで怯むヤツではない。結局これ以上は無駄といわんばかりにルクトはため息をつき、視線をクルルのほうに向けた。
「あまり気落ちしないでください。そもそも、全身に練気法をかけてその上で動くのは、私はもちろん父でさえできないんですから」
クルルの父であるウォロジスはレイシン流道場の道場主だ。つまりカーラルヒスでは最も練気法に精通している人物なわけで、彼にできないというのであれば少なくともこの都市にはできる武芸者は居ないだろう。当然、訓練一日目のルクトにできるはずもない。
そんなクルルの慰めに、ルクトは呆れるよりも納得した。確かに全身に練気法をかけて動けるようになるのは、訓練云々で解決する問題には思えない。例えるならば、全力で走りながら精巧な細工をするようなものだ。そんなものを制御しきれるはずもなく、そのため動こうとすれば練気法は途切れてしまう。
「……ならなぜわざわざこんなことを……」
ルクトの口調が少々恨みがましくなる。半日とはいえ、使えるはずもない技術の練習をさせられたのだ。使えないと始めから分かっているのであれば、わざわざやらせる必要などないように思える。
「誤解しないでください。練気法の鍛錬としては、全身にかけるこのやり方が全ての基礎になります」
「そうそう。基礎は大事だよ」
クルルは慌てたように言葉を付け加え、ロイがからかうようにしてそれに続く。基礎といわれてはルクトも黙るしかない。ただ、明らかに面白がっているだけの友人を一睨みするのは忘れなかったが。
「先ほども説明したとおり、全身に練気法をかけて動くのは不可能といっても過言ではありません。では、どうすればいいと思いますか?」
「……体の一部にだけかける。あるいは一瞬だけ使う、ってところか?」
ルクトの答えにクルルは微笑んで頷いた。どうやら正解であったらしい。ただ、これはそう難しい推論ではない。なにしろ先ほどからクルルが「全身に」と言ってくれているのだ。全身がダメなら一部だけ、と考えるのはむしろ当然の流れだ。
(そうか……。だからクルルは弓なのか……)
弓という武器は迷宮攻略を行うハンターたちからは敬遠されがちだ。それはクルルも承知していたはずで、なのになぜ彼女は自らの得物として弓を選んだのか、ルクトも少なからず疑問には思っていた。だが練気法についての知識を多少なりとも得たことで、その理由についても何となくだが予想がつくようになった。
一言で言ってしまえば、「練気法と相性がいいから」だろう。
先ほどルクトが体験したとおり、練気法を使いながら動くのは大変だ。たとえ練気法を使うのが身体の一部であったとしても、難易度は下がるとはいえ大変であることに変わりはないのだろう。つまり激しい動きが要求される実戦の中では、練気法の精度はどうしても下がってしまう、と予想できる。
では、練気法を最大限に活用するにはどうしたらいいのか。そのための答えの一つとしてクルルがたどり着いたのが、「動かない」ことであったのだろう。
動かず、つまり肉体的には静止したままで練気法の制御に集中力の大半を当てる。これならば確かに精度の高い練気法を行える。
しかしその一方で致命的な欠点もある。動かないのであれば、当然戦うこともできない。それでは本末転倒である。
そこで「弓」なのだ。弓は言うまでもなく射撃武器である。剣や槍を振り回すのに比べると、「弓を射る」という行為は身体の動きが極めて少ない。そういう意味で弓は練気法と相性がいいといえるのだ。
もちろん、実際の戦闘の中でまったく動かずにいられるわけがない。弓を引く、弦を弾くといった行動はどうしても必要だ。飛行タイプのモンスターが相手であれば、狙いをつけるために身体ごと動かす必要がある。であれば言葉にするほど練気法の制御に集中できているわけではないはずだ。
しかし、一緒に戦ったルクトの感想としてだが、クルルは実戦の中で練気法をかなり高いレベルで使うことができているように思う。きっとこれまで一途に鍛錬を続けてきたのだろう。
まあそれはそれとして。
「ルクトさんのおっしゃるとおり、練気法の実際の使い方としては、『瞬間的に、そして局部的に使う』という形になります」
「それにしたって、すぐにできる訳じゃないんだろ?」
「当然です。練習あるのみ、です」
クルルが少し得意げにのたまう。なにかしらの技術を習得しようと思えば、反復練習は基本中の基本。それなくしては何事も身につかない。
「それに、技一つずつでどういうふうに練気法をかけるか、微妙に違ってくるしねぇ……」
一瞬、ルクトはロイがなにを言っているのか理解できなかった。間抜け面をさらすルクトに、ロイはしかしからかうことはせずむしろ同情するように言葉を続ける。
「つまりね、闘術の技って言うのは一つ一つまったくの別物でしょ? そりゃまあ似ているのもあるけどね。だからそれぞれにあわせて練気法のかけ方も工夫しなきゃいけないってこと」
三秒ほど自失呆然とし思考を停止していたルクトの頭は、四秒目からようやく動き始めてロイの言葉を噛み砕いて処理していく。その結果導き出されるのは、鍛錬には膨大な時間がかかるであろうということだ。なにせカストレイア流刀術を例にしてみても技の数は二十以上。その一つ一つ全てに合わせて練気法、つまり烈の動かし方を工夫しなければならないのだ。
もちろん技の中には似通ったものも多い。だから全てをまったくのゼロからはじめる必要はないだろう。しかし最初から全部やることを目標にするのは、いくらなんでも無謀である。
「まずは一つか二つ、頻繁に使う技を選んでその練習に集中しましょう」
クルルの言葉にルクトは力なく頷いた。どう考えてもそれが現実的であろう。千里の道も一歩から、である。
「だけど、工夫するって言ったってどうやればいいんだか……」
「その辺りは一緒に考えていきましょう」
いつでも相談に乗りますよ、とクルルは請け負った。聞けばレイシン流の道場には過去の門下生たちがどのような工夫をしたのか、その記録が残っているのだと言う。もともと他の道場と掛け持ちをしている門下生が多いおかげで、さまざまな武器と技についての記録が残っている。中にはメモや走り書きのようなものも多いが、そういったものを調べながら自分で考え、自分だけの〈練気法〉を確立させる。それがレイシン流のモットーだそうだ。
「じゃあ早速……」
そう言って早速カストレイア流からよく使う技を見繕おうとするルクト。しかしそんな彼をクルルはたしなめた。
「もう幾つか基本となるものがあります。まずはそちらをしっかりとやりましょう」
まずは基礎固めです、とクルルは厳かに宣言した。闘術において基礎が大切なことはルクトも承知している。カストレイア流を習ったときも、最初の頃はひたすら基礎をさせられたものである。だから基礎固めの重要性はよく分かるのだが、しかしその一方で面倒くさくてつまらないものなのだ、基礎固めというのは。
ため息をこぼしそうになったのを、ルクトはグッと堪えた。「まずは基礎固め」というクルルの言葉は正しい。それに錬気法には大きな可能性が秘められているようにルクトは思う。基礎を疎かにして中途半端な技能しか身につけられないのでは、それこそ本末転倒というものだ。
「……分かった。焦らずにやるよ」
若干苦笑しつつルクトはそう言った。それを見てクルルが嬉しそうな笑みを浮かべる。
「……じゃあ僕は個人練習でもしてるよ」
ルクトは入門初日のレイシン流初心者である。そして道場主であるウォロジスが伏せっている今、彼に教えることが出来るのはクルルしかいない。当然、彼女はルクトに付きっ切りになる。
だからロイが個人練習になってしまうのはしょうがないことなのだが、彼の言葉にはどこか不貞腐れたものが漂う。その事に気がついたルクトは、いつもの仕返しとばかりに実に爽やかな笑顔で「頑張れ」と激励の言葉を送るのだった。