夏休み金策事情10
テーブルの上には料理がまだ残っている。ただ、それに手が伸びるペースは随分と散発的になっていた。テーブルを囲む四人はそれぞれ楽しげな表情を浮かべ、雑談をしながら時折お酒の入ったグラスを口元に運ぶ。
「そういえば、レイシン流って結局どんなことを教えてるんだ?」
その雑談の中でそんなことを聞いたのはルクトだった。夏休みの間限定とはいえパーティーを組んでいる四人のうちの一人はクルーネベル・ラトージュといい、彼女の父ウォロジスはレイシン流道場の師範だ。ついでに言えば今ルクトらが宴会の会場としているこの場所はレイシン流の道場そのものであり、こうしてみるとルクトはすでにレイシン流とそれなりに関わっているといえる。ただ不勉強なことに、その中身について彼はさっぱりな状態であった。
以前にロイはレイシン流について、「“烈の練り方”を教えている道場だ」と話していた。しかし、普通“烈の練り方”と言われれば、ほとんど全ての武芸者は「集気法」をイメージする。そして集気法は闘術の基礎中の基礎であり、どの道場でもまず真っ先に教えるものだ。いや、下手をすれば道場に通わずとも習得できる。使いこなすとなると話はまた別だが、習得するだけならば特に誰かに教わる必要もない技法。それが集気法だ。
だから、ルクトが初めてレイシン流についてロイから聞いたとき彼は首をひねった。「それはあえて教わるようなことなのか」と。結局、「話の本筋に関係ないから」とロイが端折ってしまったが、その時から気にはなっていたのだ。それに今ならばちょうどいいことに道場の一人娘さんもいる。教えてもらうにはちょうどいい。
「レイシン流では、〈練気法〉というものを教えています」
よどみなくそう答えたのは、当然と言うかクルルだった。お酒が入ったせいか彼女の頬は少し上気している。ただ口調はしっかりとしていて酔っ払っているわけではなさそうである。
「練気法? どういうモノなんだ、それは?」
当然の流れとしてルクトはそう尋ねた。するとクルルは少しだけ困ったような顔をして微笑んだ。
「最初から説明すると、少し長くなってしまうのですが……」
「オレはかまわないよ」
ルクトはそう答え、すでに練気法の中身を知っているであろうロイとセイヴィアのほうに視線を向ける。二人は揃って無言で頷き、それを確認したクルルは「では」と前置きをしてから話し始めた。
「基本的な考え方からなんですが、〈マナ〉と〈烈〉ってどう違うと思いますか?」
クルルからそう問われ、ルクトは一瞬言葉に詰まった。これまでに考えてみたことのない事柄だったからだ。それでも持っている知識をつなぎ合わせ、一応自分の中で納得のいく答えを導き出す。
「……〈マナ〉を集気法で集め体内で練り上げたものが〈烈〉、じゃないのか?」
クルルの問いかけに対し、多くの武芸者はルクトと同じように答えるだろう。ただ、ルクトはこれがクルルの求める“正解”ではないと感づいていた。誰でも考え付くようなことなら、わざわざ聞く必要などないからだ。
「では、具体的にどう“練り上げる”のですか?」
「それは……」
そこまで口にして、ルクトは言葉に詰まった。考えをまとめているから、ではない。本当にどう答えればいいのか分からなかったからだ。
「……集気法で行っているのは、ただ単にマナを集めることだけです。体内で別の何かに変換しているわけではありません」
そういう意味では〈マナ〉と〈烈〉は同一のモノと言えるでしょう、とクルルは続けた。咄嗟に反論しそうになり、しかしルクトは口をつぐんだ。そう考えると簡単に説明できる事例があったからだ。
魔石から直接マナを得る行為を〈外法〉という。なぜ外法と呼ばれているかというと、大量のマナを一瞬のうちに吸収することによって〈拒否反応〉を起こすからだ、という話は以前にもした。
そしてその拒否反応を起こした場合の治療方法が、「別の人間が集気法によってマナを奪ってやる」ことなのだ。
そう、“マナ”を奪うのである。決して、“烈”を奪うわけではないのだ。
変換前の状態なのだと言われればそれまでだが、しかし普段の集気法の場合でも意識的に変換を行っているわけではない以上、仮に〈マナ〉から〈烈〉への変換が行われているとすれば、それは〈マナ〉を吸収した瞬間に自動的に行われているはずである。
しかしながらそうであれば、「他人からマナを奪う」ことは不可能である。なぜなら体内に入った瞬間に〈マナ〉は〈烈〉に変換されているはずなのだから。
その一方で「烈を奪う」という表現は聞いたことがない。それはつまり、「他人から奪ったモノ」が「普段から集気法で得ているモノ」と同じであるからだ。少なくとも感覚の上では違和感がないことになる。
二つが同一の存在であるなら、それはつまり〈マナ〉なのだ。変換されたはずの烈が人間全てに共通するフラットな存在である、という考え方もあるが少々無理があるのは否めないだろう。とすれば「〈マナ〉と〈烈〉は同じものである」と考えるのは、無理のない結論であるように思える。
「……一応、理解はできた。それで〈マナ〉と〈烈〉が同じものならどうなるんだ?」
「あ……、いや、そこは本筋とはあまり関係ないんです……」
少し申し訳なさそうにクルルはそう言った。それから「コホン」とワザとらしく咳払いをして話を再開する。
「つまり、集気法でやっているのはただマナを“集める”だけで、決して“練り上げている”わけではない、ということです」
少なくともレイシン流ではそのように考えています、とクルルは続けた。
なるほど、とルクトは内心で納得した。つまりレイシン流基準では、集気法で烈を練り上げることはできない。だから改めて「烈の練り方」を教えているわけだ。それがすなわち、〈練気法〉。
「練気法が使えると、どういうふうにいいんだ?」
練気法の中身はともかくとして、ルクトはひとまずそれを使うことのメリットを尋ねた。
「練気法の目的は、闘術の効果を高めることです」
クルルのその答えを聞き、ルクトは「ほう」と声を漏らした。もしそれが本当のことならば、それはなかなかに画期的な技術だといえる。
闘術の威力は基本的にその周辺のマナの濃度に依存している。よってマナの濃度が薄ければ闘術の威力は低いレベルで頭打ちになる。
例えば迷宮の外のマナ濃度を「1」、迷宮の第一階層のマナ濃度を「10」とする。つまり十倍の差だ。この場合、同じ闘術を使っても迷宮の中と外では威力が十倍近く違ってくる、という具合だ。
しかしそれならば、「集気法で沢山のマナを集めればいいのでは?」と思うかもしれない。実際、武芸者は集気法でマナを集め体内でその濃度を高めてから使っている。そうすることによって一度に扱える烈の量を増やしているわけだ。
しかし体内でマナ(烈)の濃度を上げるといっても、そこには上限が存在する。例えば周辺のマナの濃度が「1」であれば、体内に集められるマナの濃度は高くとも「5」が限界。それ以上の濃度になると〈乖離現象〉が起きて、上限を超えた分の烈を体に留めておきながらさらにマナを集めることが極端に難しくなるのだ。
ちなみに。武芸者は闘術の威力を上げるために、「烈を一箇所に集中させる」という方法をよく使う。この場合には乖離現象は起こらない。なぜなら体内の烈の総量は増えていないからだ。実際には起こっているのかもしれないが、逃げていくマナは烈の量が少なくなった体の別の部分に流れていくし、そのスピードも至極緩やかで普通は気づかないし支障も出ない。
闘術の威力を上げるためには、究極的に言って周辺のマナの濃度を上げるしかない。しかしそれは神ならざる人の身ではどうにもならない領域である。技術でどうにかできる部分もあるが、しかしそれは小手先の範囲を出ない。その傾向はマナの濃度が低いほど顕著になる。だからこそ外法を使う者がいなくならない、ともいえるだろう。
そんな中でマナの濃度とは関係なく闘術の威力を底上げできる方法があるとしたらどうであろうか。それは火力の面で他の武芸者よりも優位に立てることを意味している。それは得がたいメリットと言えるだろう。
(そういえば……)
ルクトの脳裏に迷宮内での戦闘のシーンが甦る。その中でクルルが多用していた弓術〈弦鳴り〉。彼はその〈弦鳴り〉に若干の違和感を覚えていた。放たれる矢から感じる烈の量と、実際の威力が釣り合っていない様に思えていたのだ。
まあ弱くなるならまだしも、〈弦鳴り〉には十分な威力があった。それこそ、込められた烈の量にそぐわないほどに。威力が上がっている分には大歓迎なので遠征中は特に何も聞かなかったが、それが例の〈練気法〉の成果なのだろう。
「はい。その通りです」
ルクトがそのことを尋ねると、予想通りクルルは肯定の返事を返した。
(これは……、なかなか面白いかもしれない……)
クルルの話を聞きながら、ルクトは内心でそう思い始めていた。ロイの話によれば、レイシン流の道場に通っていた門下生はすべて他の道場との掛け持ちだったという。となると使っていた得物は当然バラバラなはずで、つまりレイシン流が教える〈練気法〉は得物を選ばない、普遍的な技術ということができる。
(カストレイア流にも応用が利くってことだ……)
得物を選ばず、闘術の威力を底上げしてくれる技術。練気法とは、思ったよりもずっと画期的な技術かもしれない。
「それで、具体的にどうやるんだ? 練気法ってのは?」
「烈を動かすんです」
「動かす?」
はて、とルクトは頭をひねった。
烈を動かす、というのは別に特別なことではない。烈を一箇所に集中させる、つまり動かして集める、というのは闘術の中ではごく普通に行われていることだ。またマナと烈が基本的に同じものであるとすれば、集気法によってマナを集めること自体がマナ(烈)を動かしていることになる。
そう考えれば「烈を動かす」というのは武芸者にとって馴染み深い行為だ。基礎中の基礎と言っていいだろう。しかしそうやって「動かす」ことが練気法でないことは明らかだ。それでは全ての武芸者が練気法を使えることになってしまう。
「動かすって、どう動かすんだ?」
「えっと、それは実際にやって見せたほうが…………」
そう言ってクルルが腰を浮かしかけたとき、それまで黙って話を聞いていたロイが急に話に割って入ってきた。
「ちょっと待った。ここから先はレイシン流の教えそのものだよ」
聞きたいのなら入門してもらわないと、とロイは少し意地悪げな笑みを浮かべる。
「いえ、でもルクトさんには合同遠征でお世話になってますし…………」
「それはそれ。これはこれ。安売りしちゃダメだよ」
恐縮するクルルにロイは非常に優しげな笑みを向けた。その笑みの下が真っ黒であることをルクトは良く知っている。つまるところ、借金返済のために血道を上げるルクトに金を使わせてみたいのだ、コイツは。
「そうだな。門下生も増えるし、ちょうどいいんじゃないのか?」
そう言ってセイヴィアもまたグラスを傾けながらルクトに面白がるような視線を向けてくる。
「というか、セイヴィア先輩もレイシン流の門下生になったんですか?」
「まあな。練気法はアレでなかなか面白い」
セイヴィアはあっさりとそう答える。どうやらレイシン流の門下生は一人ではなく二人だったらしい。思えば最初にこの道場に来たときも、彼女はクルルとここで何かしていた。きっとあの時も練気法の訓練をしていたのだろう。
「いいよ。三人目になろうじゃないか」
ルクトはそう言った。もともとレイシン流は門下生のほとんどが他流派との掛け持ちだったと聞くし、ロイも二ヶ月くらい道場に顔を出していなかったらしい。つまり、それほど縛りの厳しい道場ではないのだろう。教えてもらうのも練気法ただ一つで、それだけならば卒業までに一定のところまで修めることは可能なはずだ。なにより、ルクトがもともと使っているカストレイア流とケンカしないというのがいい。
「はいは~い! お一人様ごあんな~い!」
酔っているせいなのか、やたらとハイテンションにロイが騒ぐ。一方クルルのほうはそれとは対照的に申し訳なさそうに恐縮していた。
「それで、月謝は幾らなんだ?」
「えっと、ウチの道場は少し変則的な代金になっていまして……」
クルルの話によれば、レイシン流道場の基本月謝は一ヶ月につき一万シク。これで三回の教導を受けることが出来る。そして四回目からは一回につき五千シクだそうだ。まあ、教導と言っても他流派同士の試合みたいなこともやっていたらしいが。
ちなみに時間制限はなく、朝から晩まで居ても大丈夫。それどころか家に帰ってお昼を食べ、それからもう一度道場に来るのも一回のうちに含まれるのだとか。
「一ヶ月一度も来なくても一万シクは必要なのか?」
「いえ、一度も来られない場合は必要ありません。ただ、一度でも来られたらいただくことになります」
なるほど、とルクトは頷く。そういえばロイも二ヶ月くらい道場に顔を出していなかった、と言っていた。籍を置くだけで月謝がかかるとしたらルクトには考えられない暴挙だが、それならば納得できる。
そしてこのやり方はルクトにとっても都合がいい。新学期が始まれば彼とて忙しくなる。定期的に道場に顔を出すことは、おそらくできないだろう。
「入門料は?」
「必要ありません」
門下生名簿には名前を記載させていただきますが、とクルルは続けた。そうなると、道場の収入は純粋に門下生がどれくらいの頻度で来てくれるかに左右されることになる。加えてレイシン流は零細武門。ウォロジスが怪我をする以前にしても、門下生の数それ自体が少なかったはずだ。
「道場からの収入はさほどアテにならないんじゃないのか?」
なにしろロイのように二ヶ月近くも顔を出さない門下生までいるくらいだ。そんなルクトの指摘に対してクルルは曖昧な笑みを浮かべるばかりで、明確には否定も肯定もしなかった。
とはいえこの月謝の仕組みは、零細武門なりの生き残り戦術なのだろう。気が向いたり時間が空いたりしたときにふらりと顔を出し、他流派の武芸者と鍛錬や試合ができる。そういう便利さも魅力の一つにしているのだ。料金の額も武芸者基準で考えれば安いといっていい。
「まあ、大体話は分かった。一万シクは明日でいいか?」
「あ、いえ。月の終わりにでもまとめてくだされば……」
クルルが遠慮がちにそういう。しかしその様子とは裏腹に言葉の中身はなかなかにしたたかだ。彼女は「月末にまとめて」といった。それは「基本月謝だけでなく、四回目以降の教導料もまとめて」という意味だ。つまり「遠慮せず四回以上来い」と言っているに等しい。
「分かった。そうする」
苦笑しながらルクトはそう言った。さすがは道場の娘、と言ったところだろうか。収入獲得のためには抜け目がない。
「で、だ……」
若干わき道にそれていた話をルクトは元に戻す。彼の目は鋭く光り、口元には獰猛な笑みが張り付いている。
「具体的にどうすればいいんだ? 練気法ってのは」
戦いの気配すら漂わせながら、ルクトはそう尋ねた。