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403 シングル・ルーム  作者: 新月 乙夜
第一話 勤労学生の懐事情
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勤労学生の懐事情5

 パタリ、とルクトは後ろ手で扉を閉めた。彼が入ったのはダドウィンが在庫や素材を保管するために倉庫代わりに使っている部屋だ。さまざまなものが一見して雑多に積み上げられているその様子を見ていると、なんとなく宝探しがしたくなってくるから不思議だ。もっとも、これからルクトは宝探しをしにいくと言ってもあながち嘘ではあるまい。ただしその場所はいまだ人知の及ばぬ魔境、〈迷宮(ダンジョン)〉だが。


 迷宮(ダンジョン)攻略に行くために着替えるといったルクトだが、もちろんここに彼の装備がおいてあるわけではない。いや、ここに“在る”といえば“在る”のだが、その存在は触れることはおろか見ることすらできない。なぜならば、“ここ”とは違う“別の空間”に保管してあるからだ。


 ルクトは何もない空間に右手をかざし、「パチン」と右手の指を鳴らした。すると彼の目の前の空間が黒く渦を巻くようにして歪む。ルクトが〈ゲート〉と呼ぶ代物だ。ともすれば禍々しくさえ見えるその〈ゲート〉に、ルクトはあくびでもしそうな気楽さで入っていく。彼の体がすべて〈ゲート〉の奥に消えると、〈ゲート〉それ自体も空気に溶けるようにして消滅する。そして後には無人の部屋が残った。


 〈個人能力(パーソナル・アビリティ)〉、というものがある。


 個人能力(パーソナル・アビリティ)とはなんであるかを説明するために、まずは〈闘術〉について話しておいたほうがいいだろう。


 この世界の人間は、戦う術として〈闘術〉を編み出した。これは大気中の〈マナ〉を吸収して体内で〈烈〉に変換し、それを用いて戦う術だ。ルクトが修めた〈カストレイア流刀術〉も〈闘術〉の範疇に入っている。


 闘術は基本的に技術だ。もちろん才能の有無は大きく関係してくるが、理論的に習得不可能な技は存在しない。難易度の差はあれど全ての技は万人に習得の可能性がある。〈カストレイア流〉を修めたからといって、他流派の技が習得不可能になることはない。習えば使えるようになる。少なくともその可能性は決してゼロにならない。それが人の生み出した技術、〈闘術〉である。


 さて、個人能力(パーソナル・アビリティ)である。これはそもそも人が生み出したものではない。人が生まれながらに持つもの、“才能”とでも言えば分りやすいかもしれない。


 個人能力(パーソナル・アビリティ)は習って覚えるものではない。あるとき突然覚醒するのである。ただ、多くの人々は個人能力(パーソナル・アビリティ)を覚醒させることもなく一生を終えるし、逆に覚醒したからといって周りから尊敬されるということもない。個人能力(パーソナル・アビリティ)を覚醒させる方法はすでに知れ渡っているからだ。


 その方法とは、「迷宮(ダンジョン)を攻略すること」である。より詳しく言うのなら、迷宮(ダンジョン)に満ちている濃密な〈マナ〉を取り込み続けることで、個人能力(パーソナル・アビリティ)は覚醒するのである。どの程度攻略を行えば覚醒するのかは個人差があるが、多くの者は迷宮(ダンジョン)に潜るようになってから一年以内に覚醒を果たす。ルクトの場合、覚醒まで一年半程度かかったがこれは迷宮(ダンジョン)に潜る頻度が少なかったからだろう、とメリアージュは言っていた。


 ただし学べば学んだ分だけ習得が可能な闘術に対し、個人能力(パーソナル・アビリティ)は一人につき一つしか覚醒しない。一人が一つだけ使える魔法のようなもの、といえば分りやすいかもしれない。ただしその能力は自分で選ぶことができず、覚醒してはじめて自分の個人能力(パーソナル・アビリティ)を確認することができるのだ。


 個人能力(パーソナル・アビリティ)にはさまざまな種類がある。戦闘に向いているもの、あるいは不向きなもの、汎用性の高いもの、使う時と場所を選ぶもの、使いやすいもの、使いづらいもの。実に多種多様で、考えようによっては雑多ですらある。


個人能力(パーソナル・アビリティ)は個性を、人の内面を反映している」


 と唱える学者もいるが、この説に確たる根拠はない。個人能力(パーソナル・アビリティ)の無秩序とさえいえる種類の多さについて説明しようとしているのだろうが、メリアージュなどに言わせれば「色々な人間がいるのだから色々な個人能力(パーソナル・アビリティ)があって当然」ということになり、ルクトにしても偉い学者さんの言うことよりは彼女の言うことのほうが分りやすい。もっとも、そこには恩人で親代わりであるメリアージュへの贔屓が多分に含まれていることは否定できない。


 まあそれはいいとして。ルクトの個人能力(パーソナル・アビリティ)は戦闘には全く向かない。いや、使えないことはないのだが、攻撃力という点に関しては皆無であるといっていい。ただしそれ以外のところでは、極めて汎用性の高い能力だとルクトは思っている。


 ――――〈プライベート・ルーム〉。


 ルクトは自分の個人能力(パーソナル・アビリティ)にそう名前をつけた。簡単に言ってしまえば「個人で自由に使える亜空間を作り出す能力」である。そして先ほどの〈ゲート〉は、その亜空間に入るための入り口なのだ。


 〈ゲート〉をくぐると、そこはもう現実の空間ではない。亜空間である〈プライベート・ルーム〉の中である。


 そこは四角い箱型の空間である。大きさはある程度任意で変えることができるが、箱型以外の形にすることはできない。まあ、仮に球状の空間を作ってみても使いにくいだけだろうが。


 壁や床、天井はすべて同一の素材で出来ている。迷宮の床と同じく白い素材なのだが、それよりもさらに安っぽい感じがするのは気のせいではないだろう。窓などは無く〈プライベート・ルーム〉は外界と完全に遮断されている。部屋というよりは、メリアージュなどが評したように倉庫と言ったほうが近いかもしれない。


 〈プライベート・ルーム〉は、もともとは空の空間である。最初、そこには何もなかった。しかし外からモノを持ち込むことは可能だった。そこでルクトは〈プライベート・ルーム〉に家具を持ち込み、そこに文字通りの「プライベート・ルーム」を作り上げたのである。


 すのこ(・・・)を何枚かしいて一段高くなった場所を作り、そこにラグをしいてソファーとテーブル、クローゼットを配置してある。ティーセットや仮眠のための毛布なども用意してあり、休憩程度であれば十分に必要を満たせるだけのものが整えられていた。ちなみにラグの上は土足厳禁だ。


 ルクトの装備は基本的にこの〈プライベート・ルーム〉の中に置いてある。そうしておくと今回のように出先からそのまま迷宮(ダンジョン)攻略に向かうことができ、何かと便利なのだ。またヴェミスにいた時代からこの中で戦闘服に着替えてきたから、今ではそれが一種の儀式のようなものになっている。着替えをしながら「迷宮(ダンジョン)攻略をする自分」に切り替えていく、とでも言えばいいのかもしれない。少なくとも、決まった動作を繰り返すことでコンディションを整え集中力を高めているのは事実だ。


 黒のロングコートを羽織り、その上からベルトを巻いて剣帯で太刀を吊るす。ヘッドギアをかぶり最後にブーツを履いて立ち上がる。その目つきは完全にハンターのものになっていた。


 ルクトが〈プライベート・ルーム〉の壁に触れると、そこに〈ゲート〉が出来た。外に出るとそこは〈ハンマー&スミス〉の倉庫部屋だ。


〈ゲート〉から出るときには、入った位置に出ることになる。ただし、この位置は随時更新され、最新の位置が適用される。つまり、ヴェミスで入れたものをカーラルヒスで取り出すことも可能、ということだ。マスターであるルクトがその時いる地点が最優先される、と考えればいい。このおかげで荷物の運搬にとても便利がいい。


 ルクトは工房で槌を振るい始めたダドウィンに一言かけてから〈ハンマー&スミス〉を後にした。外に出ると日はまだ十分に高い。これならばそこそこ時間をかけて攻略を行えそうである。


 迷宮(ダンジョン)に向かって通りを歩くルクト。攻略用の装備に身を包んだ彼は周りから明らかに浮いているが、いぶかしげな視線を向けてくるものはいない。工房が立ち並ぶこの辺りは普段からハンターが良く訪れ、そのためこういう格好は見慣れているのだろう。


 ただ、不審がる視線はないが生温かく苦笑するような視線が向けられている。見渡せばまだまだ薄着が目立つこの季節、ロングコートを着込んだルクトの服装は明らかに季節感を無視しまくっていた。


「暑い………」


 うんざりした口調でルクトは呟く。なぜ馬鹿正直にコートまで羽織ってしまったのか。いや今からでも脱げばいいのではないか、と考えるもそのうえからベルトを締めてしまっているため簡単には脱げない。このままでは迷宮(ダンジョン)につくまでに汗だくになってしまうかもしれない。


(おのれ………!)


 かなり自業自得な怒りを己に向けるルクト。しかもそのせいで体温が上昇し汗が噴き出してくるのだからやってられない。


(こうなったら………!)


 さっさと迷宮(ダンジョン)に入って涼んでやる、とルクトは決意した。迷宮(ダンジョン)のなかは常に十五℃前後と一定で、今の季節の外気温に比べればはるかに涼しい。そもそもこの格好は迷宮(ダンジョン)にあわせたものなのだから、そこに入ったほうが快適なのは当然だ。


 そうと決まれば、とルクトは歩く速度を上げる。早歩きで迷宮(ダンジョン)に向かう彼は、しかしそこに着いたときには汗だくになってしまったのだった。



▽▲▽▲▽▲▽



 意外かも知れないが、迷宮(ダンジョン)の入り口は都市の内部にある。というよりもそこを中心にして都市が発展していった、と言ったほうが正しい。


 迷宮(ダンジョン)の入り口は鍾乳洞に似ている。地面が抉られたようにして穴が開いており、その穴の中は洞窟になっていてそこを進んでいくと迷宮(ダンジョン)につくのだ。だから地表部分に見える入り口はいわば“仮の入り口”であって、“本当の入り口”はそのさらに進んだ奥にあることになる。


 カーラルヒスでは迷宮(ダンジョン)の上に大きな建物が建てられている。入り口をすっぽり覆うように建てられたこの建物は、ハンターたちから一般的に〈会館〉と呼ばれており、迷宮(ダンジョン)の管理と攻略の支援がその建設目的であった。


 多くの都市において迷宮(ダンジョン)の出入りというのは自由である。それは「入場料」のようなものを課してはいないという意味だ。迷宮(ダンジョン)の攻略が不活発になれば供給される魔石などの資源が減り、都市はまたたく間に機能不全を起こしてしまうだろう。


 しかしだからといって、迷宮(ダンジョン)が放置されているというわけではない。迷宮(ダンジョン)とはすなわち人知の及ばぬ魔境。そんな危険地帯が都市の内部に存在しているのだから、都市国家の運営という観点から考えてそこを管理する方向に動くのはむしろ当然のことだ。


 ノートルベル学園を擁する都市国家カーラルヒスにおいてもそれは変わらない。むしろ武術科の学生が日常的に迷宮(ダンジョン)に潜るこの都市において、迷宮(ダンジョン)の管理は他の都市に比べて厳しくなっている。


 カーラルヒスの迷宮(ダンジョン)に潜る際には、身分証の提示が求められる。ハンターであれば都市が発行しているライセンスを、学生であれば学生証の提示が必要になるのである。当然、それらのものを持っていなければ迷宮(ダンジョン)に潜ることはできない。なのでどちらも持っていない場合は、大人であればライセンスを取得するように、子供であれば学園の武術科に入るように言われるのである。ちなみにライセンスは書類に必要事項を書き込み発行料を支払えば即日中に取得することができる。実戦経験は必要ない。


 同じく迷宮(ダンジョン)を持つ都市国家であるヴェミスでは、そこに潜る際に身分証の提示を求められることはない。警備のために衛士がいたが、少なくとも迷宮(ダンジョン)に潜るために誰かに許可を取る必要はなかった。


 ではなぜカーラルヒスの迷宮(ダンジョン)は管理が厳しいのか。それはやはり学園と武術科があるからであろう。武術科というハンターを育成するための学科が存在し、その上そこに入るための訓練生制度まであるこの都市において、「子供を迷宮(ダンジョン)に入れない」という良識が広く深く浸透しているのはむしろ当然のことといえるかもしれない。


 さらにカーラルヒスの迷宮(ダンジョン)は雰囲気がいいことでも知られている。ヴェミスの迷宮(ダンジョン)は稼ぎ優先の競争主義で、ともすれば殺伐とさえしていた。というよりも、普通迷宮(ダンジョン)とはそういうところなのだろう。しかしカーラルヒスの迷宮(ダンジョン)は違う。そこに潜るハンターたちは「先達として子供たちを見守る」という意識を持っているものが多い。素人である学生たちが攻略中にプロのハンターたちからアドバイスをもらえる迷宮(ダンジョン)など、おそらくここだけであろう。


 閑話休題。ともかくここカーラルヒスにおいては、迷宮(ダンジョン)に潜るためには先ず身分証(ルクトの場合は学生証)を提示しなければならない。そして今、ルクトはそのために列に並んでいた。列の先頭では受付係が提示された身分証を確認して、時間と名前を記録している。攻略から帰ってきたときにも報告しなければならないので、最初と最後の記録を合わせることで「誰が、いつ、迷宮(ダンジョン)に潜り、そしていつ帰ってきたのか、あるいは帰ってこなかったのか」を調べることができるのだ。


「よう、ルクト。相変わらずのソロか?」


 そういって後ろから声をかけてきたのは、顔見知りのハンターだった。年齢は恐らく三十代半ば。ハンターらしく厳つい面構えだが、浮かべた快活な笑みのおかげで威圧感がない。


「ええ。ていうか卒業するまでソロですよ、オレは」


 なにしろ学園側からパーティーを組むことを禁止されている。反面、それはパーティーを組まなくても迷宮(ダンジョン)攻略を行える、卒業要件を満たせるという判断でもある。それだけ評価されている、という意味でもあるのだ。


「今日はどのへんまで行くつもりなんだ?」


「五階層くらいまで」


 メインで使ってた武器がダメになっちゃったんで稼がないとなんです、とルクトは肩をすくめた。


「お前さんのことだから日帰りだろ?」


「ええ、まあ」


「相変わらず反則的だな、お前さんの個人能力(パーソナル・アビリティ)は」


 そういわれたルクトは曖昧に笑った。普通、迷宮(ダンジョン)攻略において日帰りが可能な範囲というのは二階層、無理をして三階層といった辺りである。第五階層というのはハンターたちの感覚からすれば深い階層ではないが、行くためには遠征をしなければならないところである。そこへ日帰りでいけるとなれば、反則的といわれても仕方がない。


「前も誘ったけどよ、卒業したらウチのギルドに入らないか」


 むしろ今すぐにでも、言いたそうなハンターの男にルクトは苦笑する。こういう誘いはカーラルヒスに来る前からあった。ただ、ヴェミスにいた頃はメリアージュがすべて断っていたし、ここにきてからもすべて断ってきた。


「答えは前と同じですよ。『卒業が近くなったら考えます』」


 誘いに対してはすべてそう答えてきた。まずは卒業してから、というのがルクトの考えだ。武術科は六年制なので今年をいれて卒業まであと四年ある。そのせいか多くのギルドやパーティーはまだ本腰を入れて勧誘しているわけではない。ハンターの男もそれ以上は何も言わずに引き下がった。


「そっちは遠征ですか?」


 ルクトが男の後ろを覗き込むと、彼のパーティーメンバーが寝袋や食料などを積み込んだトロッコを取り囲むようにして談笑している。トロッコは二台。多いようにも思えるが、遠征を行うパーティーの荷物としては平均的だ。


 こういう荷物を抱えていれば、当然モンスターとの戦闘においては邪魔になる。それに加えて行動自体が制限されてしまうことも想像に難くない。しかし必要な荷物を持っていかなければ、遠征自体を行うことができない。特に寝袋なしで眠るには迷宮(ダンジョン)の中は涼しすぎる。また深い階層を攻略しようと思えば遠征期間を長く設定しなければならず、そのためにはたくさんの食料を持っていかなければならない。ハンターにとっては悩ましい問題だ。


 しかし、ルクトの個人能力(パーソナル・アビリティ)〈プライベート・ルーム〉があれば、それらの問題はすぐに解決してしまう。なにしろその中にすべて放り込んでおけばいいのだから。身軽な状態であれば荷物に気を使う必要はないし、また攻略のスピードアップにもつながる。この辺りが勧誘の一因であろう。


「ああ。夜までに四階層のベースキャンプにたどり着いて、そこで一泊する予定だ」


 ベースキャンプというのはハンターたちが遠征の拠点として用いている迷宮(ダンジョン)内の広場のことだ。距離と位置がちょうど良いため、自然と多くのハンターたちが集まるようになったのだ。


 またベースキャンプというのは、人力で作られた迷宮(ダンジョン)内の安全圏であるともいえる。普通はバラバラに散って攻略を行っているパーティーが、そこでは一箇所に集まるのだ。ハンターの数が多くなれば当然戦力は増強され、また個人の危険は減る。もちろん迷宮(ダンジョン)内であるからモンスターが出現(ポップ)することはあるが、現れた瞬間に袋叩きにして倒してしまうのが普通だ。


「そこからさらに下に潜るんですか?」


「ああ。十か十一、できれば十二階層くらいまで行きたいと思っている」


 十階層まで遠征でき、そこで安定した狩り(ハント)を行えればハンターとして一人前といわれている。もちろんそれを成し遂げるためには普通一人では絶対に無理で、信頼して背中を預けることのできるパーティーメンバーが必要になる。「できれば十二階層くらいまで」という男の台詞は、彼のパーティーの実力と信頼の強さを物語っていた。


「次の方、どうぞ~」


 どうやら雑談をしているうちに受付の順番が来たらしい。「それじゃあ」といって話を切り上げ、ルクトは受付に向かった。すでに顔見知りになっている受付のお姉さんに学生証をわたし、彼女が時間と名前を控えている間に頭の中に迷宮(ダンジョン)の地図を展開して目的地と道順を確認しておく。


「はい、ありがとうございました」


 受付のお姉さんから学生証を受け取る。その際に「今日は化粧が濃いですね」と言ったら、「失礼なことを言うのはどの口かしら~?」と妙に迫力のある笑顔で頬を思いっきり抓り上げられてしまった。おかしい、本当のことなのに。


「まったく、ソロでやってるんだからもう少し緊張感を持ちなさい」


 呆れた声でそういうと受付のお姉さんは口調を真剣なものに戻し、「帰ってこなかった人の名前を確認するのは本当に嫌な作業なのよ」と続けた。ここで受付の仕事を長くしていれば、その分多くの人の死を間接的にとはいえ見ることになる。それは決して気持ちのいい仕事ではないだろう。


「大丈夫ですよ。ちゃんと今日中に帰ってきます」


 今晩のビーフシチューを食いっぱぐれるわけにはいかないので、と冗談めかしてルクトが言うと受付のお姉さんはまた呆れたように笑った。


 それじゃ、と言ってルクトは受付を離れ迷宮(ダンジョン)の入り口へと向かう。石畳が敷かれて舗装されていた道はすぐに砂利道になり、そして鍾乳洞のような洞窟へと続いていく。洞窟の奥から吹いてくる涼しい風が、迷宮(ダンジョン)が近いことをルクトに教えた。


 そして突然、ルクトは広い空間に出た。果てしなく広がる闇の空間。そこに乱立する〈シャフト〉とその間を縫うようにして広がっていく白い床の通路。


 そこは〈迷宮(ダンジョン)〉。人を拒絶しはしないが、しかし受け入れもしない、人知の及ばぬ魔境である。



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