夏休み金策事情5
十人ほどの集団が迷宮のなかを疾駆している。十人、というのは迷宮の中ではあまり見ない数だ。パーティーの基本的な人数は六人。十人では一パーティーでは多すぎるし、二パーティーにしては少ない。
「この先の広場でモンスターが出現します! 数は三!」
十人のうち、後方にいた女性が声を上げた。腰にまで届きそうな長い髪の毛を、後ろでポニーテールにしてまとめている。色は黒に見えるが、実際は深い濃紺だ。よく晴れた晩の、夜空の色に似ている。
瞳の色は藍。青より青い藍色だ。その瞳に強い意志の光を宿らせた彼女の顔立ちはどこか鋭角的に見えた。気取って詩的な表現をするならば、「佳人」よりも「麗人」と評するべきかもしれない。
彼女の名はクルーネベル・ラトージュ。レイシン流道場の一人娘である。
クルーネベルの言うとおりこの先は広場になっている。そして広場ではモンスターが出現しやすい。それは迷宮攻略をする上でのセオリーだ。だが彼女が声を出した時点では、モンスター出現の前兆である燐光を放つマナの収束は見られない。
だが十人はクルーネベルの予言、いや観測を疑いもせずに集気法を使って烈を練り上げ臨戦態勢を取った。そして先頭のハンターが広場に足を踏み入れると、彼女の言ったとおり三箇所でマナが収束し燐光を放ち始める。
(これはなかなかすごいな……)
現れた三体のモンスターと六人のハンターたちが戦う様子を注意深く見守りながら、ルクトは頭の片隅でそんなことを考えた。クルーネベルがモンスターの出現とその数を言い当てることができたのは、決してまぐれではない。彼女の個人能力の力によるものである。
――――〈千里眼〉。
それがクルーネベルの個人能力である。詳しいことはルクトも知らないが、なんでも〈視る〉ことに特化した能力らしい。彼女はそれで普通は見ることができない、モンスターの出現する前兆の“前兆”を視ているのだという。
最初はルクトも「そんなものが本当に見えるのか」と半信半疑だった。だが百発百中で予想を的中させられては、もうそういうものなのだと受け入れるしかない。
『大した能力じゃありませんよ。視えても対処できなきゃ意味はないんですから』
クルーネベルはそういって謙遜していたが、ルクトの考えは少し違う。〈千里眼〉はパーティーの中でこそ、その真価を発揮する能力だ。
迷宮の中では、いつどこでモンスターが出現するか分からない。そのためハンターたちは、出現の前兆があるとはいえ、常に神経の一部を緊張させておかなければならないのだ。そしてそれは精神的な疲労に繋がる。肉体的な疲労は集気法で何とかなるから、この精神的な疲労こそが遠征と攻略の難易度を押し上げている最大の要因と言っていいだろう。早い話、集中力が持たないのだ。
だが、モンスターが出現する、あるいはしない、ということが分かるとしたらどうだろうか。もしそれが分かるのであれば、モンスターが出現するときだけ集中力を高めて臨戦態勢を取ればいい。そうやってメリハリをつけることができれば、精神的な疲労は随分と軽くなるだろう。
それを見極めるのが、〈千里眼〉。
もちろんこの能力は戦闘には向いていない。少なくとも直接的な攻撃力は皆無だ。だが火力不足だというのなら仲間を頼ればいいのだ。適所適材、己の良くせざることは他人に任せるべし、である。
実際、この合同遠征のなかで〈千里眼〉の力は目立たないながらも発揮されている。進むペースがいつもより速いのだ。また精神的な疲労も幾分軽いように思う。後ろからついて行くだけのルクトがそうなのだから、前で実際に戦っているハンターたちはより強くその恩恵を感じているはずだ。
(ま、少なくともただのお客さんじゃないのはありがたいな……)
ルクトにとっても、また合同遠征に参加しているハンターたちにとっても。ロイに「参加、大丈夫そうだ」と伝えたときのことを思い出しながら、ルクトはそんなことを考えていた。
▽▲▽▲▽▲▽
「本当かい!?」
ルクトから「参加、大丈夫そうだ」と伝えたとき、ロイニクス・ハーバンは珍しく喜色をあらわにして歓声を上げた。そしてそのままルクトを伴い、レイシン流の道場に向かう。夏休みの間だけとはいえパーティーを組むことになったクルーネベルに挨拶をしにいくのは必要に違いないが、それにしてもロイが張り切っているように見えたのはルクトの見間違いではないだろう。
クルーネベルの家はカーラルヒスの郊外にある。それは道場と併設する形で自宅が建てられているからだ。小さくとも道場を建てるにはどうしてもそれ相応の広さの土地が必要になり、その土地を都市の中心部に持つのはなかなか難しい。見つけることも、そしてまた維持することも。それが出来るのはごく一部の大きな、そして伝統ある武門だけだ。よって多くの場合、道場は土地を得やすい郊外に立てられる。
レイシン流は年月だけを考えれば100年以上の歴史を持っている。しかしその間中マイナーな武門であり続けており、有史以来経営難と戦い続けているといっても過言ではない。それでも今日まで生き残ってきたのだから大したものである。
しかしながらここ最近、レイシン流はカーラルヒスでの創立以来何度目かの廃業の危機に陥っている。なにしろロイの言うところによれば、今現在門下生は彼一人しかいない。このままの状態が続けば、今年中にも道場を閉じなければならなくなるだろう。
クルーネベルの家に近づくと、道場のほうから人の気配がした。ルクトとロイが道場を覗くと、そこには女性が二人。一人はクルーネベルで、この時は髪の毛は後ろに流してあった。
もう一人の女性は男性と比べても長身で、そのせいか一見して分からないが起伏に富んだ女性らしい体つきをしている。長い銀色の髪をしており、なぜか室内にも関わらず広いつばの付いた男物の帽子を被っていた。端正な顔立ちは鋭角的というより攻撃的で、戦闘時には非常に獰猛な笑みを浮かべることをルクトは知っている。
「セイヴィア先輩も来ていたんですか」
ちょうど良かった、とロイは笑う。彼の姿を見て、道場でなにやら稽古をしていたらしい女性二人も動きを止めた。それからロイの後ろにルクトの姿を認め、クルーネベルは嬉しそうに、セイヴィアは面白そうに、それぞれ笑みを浮かべた。
「ロイさん、そちらの方が……?」
「そ。ルクト・オクス」
迷宮攻略のための秘密兵器、とロイは少しおどけながらルクトを紹介した。それを聞いたクルーネベルは「まあ」と柔らかい笑みを浮かべて頭を下げて自己紹介をする。
「クルーネベル・ラトージュです。どうぞクルルと呼んで下さい」
わたしの名前は語感が悪いですから、とクルルは苦笑を浮かべた。
「んで、アタシがセイヴィア・ルーニーだ。久しぶりだな、ルクト・オクス」
「あれ? 知り合い?」
「前に一度迷宮で、な。それより、よく覚えてましたね、先輩」
「ソロでやってるハンターなんてそうそう居るもんじゃないからな。迷宮のなかで会えば記憶に残るさ」
その意見にルクトも「確かに」と苦笑をもらすしかなかった。
「それより、お前がここに来たってことは、いいんだな?」
セイヴィアが口元に少しだけ獰猛な笑みを浮かべてルクトに確認する。省略部分を勝手に補えば「お前のパーティーとして合同遠征に参加しても本当にいいんだな?」と言ったところか。
「ええ。窓口の人は『かまわない』って言ってくれましたよ」
「よし、喜べクルル。これでがっぽり稼げるぞ」
そういってセイヴィアはクルルに人懐っこい笑みを見せた。
「本当にありがとうございます。ご迷惑とは思いますが、なにとぞよろしくお願いします」
手を前で組み、申し訳なさそうな顔をしながらクルルは頭を下げた。
「とりあえず中に入って詳しいことを話し合おうよ」
ロイに促されて四人は道場の真ん中で輪になって座った。クルルは「自宅のほうに」と言ってくれたのだが、他の三人が道場でいいと言ったのだ。
「皆さん、この度はわたしの個人的な事情にも関わらずこうして力を貸していただき、まことにありがとうごいます」
腰を下ろすとすぐにクルルは正座をして綺麗に手をついて頭を下げた。その姿勢と言葉からは誠意と感謝の気持ちがありありと伝わってくる。
「いいよ、アタシはどうせ暇つぶしだし。面白ければそれでいいのさ」
「深い階層に行きたいと思っていたのは僕も同じだからね。クルルは気にしなくていいよ」
「ま、危険が減るのはオレとしてもありがたいしな」
セイヴィア、ロイ、ルクトが口々にそう言うのを聞いてようやくクルルは頭を上げ、そして楚々と微笑んだ。それから四人はパーティーを組むにあたっての細々とした、しかし重要なことを話し合っていく。面倒だが、こういうことは最初にきちんと決めておかなければ後々問題になってしまうのだ。
まず最初に話し合われたのは、最も揉める事柄、つまり金の分配に関することで、真っ先に口を開いたのはルクトだった。
「……オレは合同遠征に参加する各パーティーから参加費を貰っている。そしてそっちの稼ぎに関しては、このパーティー内で分配する気はない」
それが気に入らないならこの話はなかったことにしてくれ、とルクトは「強欲者」と呼ばれることも覚悟してそう言った。心苦しさはもちろん感じる。だがこれは彼にとって絶対に引けない一線だった。
ルクトの最優先事項は借金の返済だ。だが、彼が合同遠征一回につき貰っている200万シクまで分配するとなると、彼の懐に入る稼ぎはむしろパーティーを組むことで少なくなってしまう。それでは、ルクトにとっては本末転倒なのだ。
「はい。それでかまいません」
クルルは迷うことなくそう言った。それから「それに、もともとそういうお話ですし」と付け足す。その口ぶりからするに、ロイが最初からその方向で話を付けてくれていたのだろう。
だがルクトはそのことをロイからは何も聞かされていない。ルクトが余計なことを言わされた腹立ち紛れにロイを睨みつけると、彼は露骨に視線をそらした。だがその口元は僅かながらも確かに笑っていたから、忘れていたのではなく意図的に言わなかったのだろう。こういうことをするから“腹黒”といわれるのだ。
それからさらに細かいことを決めていく。
一つ、遠征のためにかかった費用は必要経費として稼いだなかから出すこと。
一つ、純利益は平等に四等分すること。
一つ、合同遠征に参加しているパーティーの邪魔をしては悪いので十階層より下にはなるべくいかないこと。
一つ、万が一誰かが大きな怪我をした場合は攻略を切り上げて〈プライベート・ルーム〉のなかで待機すること。
大雑把にまとめればこんなところだろうか。それから肝心の合同遠征が翌日に迫っていたこともあり、大急ぎで必要なものを用意して〈プライベート・ルーム〉のなかに詰め込んでいく。全ての準備が完了したのは夕方になってからだった。
「本当にありがとうございました。明日から、よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げるクルルに見送られ、三人は帰路に着いた。セイヴィアとは途中で別れ、ルクトとロイは連れ立って学園の寮を目指す。
「……今回のことだけど、もしかしたら合同遠征に参加するパーティーから不満が出るかもしれないぞ」
歩きながらルクトはポツリとそう呟いた。イズラは大丈夫だと言ってくれたが、しかし実際のところは果たしてどうだろうか。もし不満が出れば、パーティーは解散しなければいけないだろう。ルクトにとってはパーティーよりも合同遠征のほうが優先だ。
「大丈夫だよ。たぶんね」
気楽な調子でロイはそう言った。このとき彼が妙に自信ありげだったのは、すでにクルルの個人能力を知っていたからなのだろう。
ただし、ルクトは知らない。のん気なものだと友人の態度に呆れながら、彼は明日ハンターたちがどういう反応を示すのか投げやりな気分で心配していた。
▽▲▽▲▽▲▽
合同遠征当日。すでに説明がなされていたのか、ルクトの周りに集まるロイら三人の姿を見てもハンターたちは何も言わなかった。ただ何も言わないだけで、向けられる視線は少なくとも友好的とは言いがたい。中にはレイシン流とクルルのことを知っているハンターも居たのかもしれない。イズラと〈水銀鋼の剣〉が各ギルドにどう説明したのかは知らないが、上には上の、現場には現場の考えや感じ方があるということだろう。
そんな、険悪ではないが友好的でもない雰囲気のなか始まった合同遠征であったが、しかし集まっているのはプロのハンターたち。それに、少なくとも不利益を被るわけではない。一度動き出してしまえば、色々と思うところはあるのだろうけれど、それを表に出す者はいなかった。
そんななかでの、〈千里眼〉による“観測”。
決して“予測”ではない。なぜならクルルにとって〈千里眼〉で視ているのは、「確定した未来」ではなく「ただの現実」だからだ。彼女にしてみればそこにあるモノを視て「ある」と言っているだけであり、見間違えるとかそういう次元の問題ではないのだ。
ただその感覚は、“視えない”人々からしてみれば理解しがたい。前兆すらないのに「モンスターが出現する」と言われても、それを信じられないと思うのは常識的なことであろう。最初はハンター達も怪訝そうな顔をしていた。というより、恐らく信じてはいなかったのだろう。
だがクルルの観測は百発百中だった。彼女が「出現する」といえば必ずモンスターは出現した。そんなことを繰り返すうちに、ハンターたちの評価も徐々に変わっていったようである。十階層のいつも広場に着いて〈プライベート・ルーム〉のなかに待機していたパーティーが続々と外に出てきたとき、彼らの雰囲気は出発のときよりもずっと良くなっていたのだ。それは今回いつもよりも一時間以上早く目的地に到着できたことも無関係ではないだろう。
「お疲れさん。帰りもよろしくな」
ハンターたちは口々にそんな言葉を四人にかけてから、さらに下の階層を目指して広場から出発していく。なかには笑顔を浮かべて肩を叩いていくハンターもいて、どうやら「不満が噴出してパーティー解散」という最悪のシナリオは回避できた様子だ。
「やれやれ、これは結構キツイね……」
合同遠征に参加している十個のパーティー全てを見送ると、さすがに疲れた様子を見せるロイがぼやき気味にそうもらした。ほとんど一日中、しかも全力で走り続けたのだ。集気法を使っていれば身体は動くが、しかし疲労がなくなるわけではない。疲れて当然である。
疲れているのはルクトも同じだが、それでも今回はクルルの〈千里眼〉のおかげで幾分楽だった。ハンターたちも同じことを感じていたからこそ雰囲気が良くなったのである。ルクトがそのことをクルルに伝えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「お役に立てたのなら、良かったです」
穏やかに微笑むその表情に、安堵の色が混じっているのはルクトの見間違いではあるまい。彼女自身、お荷物になってしまわないかどうか心配だったのだろう。
「それはそうと、汗がすごいな」
被っていた男物の帽子で顔を扇ぎながら、額に張り付いた銀髪をセイヴィアは鬱陶しげにかき上げた。迷宮のなかの気温は十五度前後と涼しいが、それでも今はまだ身体の内側にこもった熱が声高に自己主張している。
「レディーファーストだ。先に着替えさせてもらうぜ」
すでに何度もこの事態を経験してきたルクトの助言もあり、四人はきちんと着替えを用意して来ていた。普通であれば余計な荷物でしかないが、〈プライベート・ルーム〉のなかに放り込んでおけば邪魔にはならない。
とはいえ、まさか四人一緒に着替えるわけにもいかない。そこでレディーファーストを主張するセイヴィアの言うとおり、まずは女性が〈プライベート・ルーム〉のなかで着替えることになった。男二人は外で待ちぼうけである。
「覗くなよ?」
面白がるような笑みを浮かべそういうと、返事を聞かずにセイヴィアは〈ゲート〉をくぐって〈プライベート・ルーム〉のなかに消えていく。
「…………ルクト」
「ん? どうした?」
「これは……、アレかな? つまりは『覗け』という……」
「迷宮の彼方までぶっ飛ばされたいのなら好きにしろ」
かつてセイヴィアの戦鎚によってぶっ飛ばされたモンスターの末路を思い出しながら、ルクトは少し冷めた口調でそういった。あの威力ならば人間一人ぶっ飛ばすくらいわけないだろう。
「止めとくよ。まだ死にたくない」
そう言ってロイは大げさに肩をすくめた。ルクトもこんなところで、その上女性の着替えを覗いた末に、友人を失いたくはない。
ただ誤算があったとすれば、それは女性の着替えは男が思うよりもはるかに長かったということだ。あまりに長くて、セイヴィアが言ったのとは恐らく別の意味で中を確認したくなったのは秘密だ。
ちなみに。
着替えを終えて〈プライベート・ルーム〉から出てきたセイヴィアとクルルはなぜか顔を朱色に染めていた。ただしセイヴィアの場合は真っ赤な手形を頬に貼り付けて、だが。
なかで何があったのかは、まあ、あえて語らずとも良かろう。