夏休み金策事情2
ノートルベル学園の敷地内は閑散としていた。朝霧が立ち込めるような早朝だから、という理由だけではない。生徒数そのものが減っているのだ。
ノートルベル学園が夏休み、つまり長期休暇に入って今日で二日目。六年生(のほとんど)は卒業してしまったし、留学生の中にはすでに故郷の都市に帰って行った者もいる。カーラルヒス出身の学生達も、用事があったとしてもこんな朝早くからはやって来はしない。
閑散としていても物悲しさは感じない。それどころかなにか大事をやりきった後のような達成感すら覚える、そんな学園の敷地内を一人の学生が歩いている。無駄のない、武術を修めた者特有の足取りだ。
黒眼に黒髪で、背丈は平均より少し高いくらい。身体の線が細いようにも見えるが、それは全身を鍛えていて無駄な贅肉がついていないことの証拠でもある。顔立ちはまあまあ整っていて、十人のうち四人くらいは「美形」と言ってくれるかもしれない。
ノートルベル学園武術科三年で、この夏休みが明ければ四年になる、ルクト・オクスである。
(伸びてきたな……)
前髪をいじりながらルクトはそんなことを考える。ただ、まだ切る予定はない。それは別に散髪代をケチっているわけではなく、合同遠征に参加していた女性ハンターたちから「伸ばしてみれば?」と(わりと強く)勧められたからだ。
ルクトとしては別に髪型にこだわるつもりはない。どうしても短くしておかなければいけない理由も特になく、勧められたとおり少し伸ばしてみるつもりだった。
(ま、邪魔になったら切るけど)
辺りはすでに明るいが、太陽の姿はまだ見えない、そんな時間。ルクトは人気のない校庭を突っ切って幾つかある校門の一つから敷地の外に出る。そしてそのままカーラルヒスの郊外へ。そこにあるカデルハイト商会の所有する倉庫へ入っていった。
「おはようございます、ルクトさん」
倉庫にはすでに先客がいた。カデルハイト商会の職員である。恐らく年の頃は三十代半ば。商人らしく隙のない笑みを浮かべている。ルクトは知らないが、彼は商会の幹部候補の一人だった。
「さっそく荷物の積み込みを始めたいのですが……」
商会の職員の視線が動く。その視線を追って倉庫の奥に目をやれば、そこにあったのは山積みされた麻袋の山。中身は穀物でおそらくは小麦や大麦、もしかしたらトウモロコシもあるかもしれない。さらには大樽も幾つか用意されており、こちらの中身は恐らく油やお酒の類であろう。
「多いですね……」
ルクトが正直な感想をもらす。倉庫に用意された物資の量はこれまでで明らかに一番多い。
「頭領の指示で量を増やしたんですよ」
頭領とは言うまでもなくドミニク・カデルハイトのことだ。どうやら仕事を依頼できる回数の不足を一回ごとの量で補うつもりらしい。
(ま、オレ一人だし、これくらいならまだ大丈夫か……)
パチン、と指を擦り合わせて鳴らしルクトは〈ゲート〉を開く。
「じゃ、お願いします」
そう言って職員の男は自分の後ろに控えていた数名の筋肉隆々の男たちに指示を出した。彼らの本職はおそらく農夫であろう。臨時の肉体労働のために雇われたのだ。彼らが次々に麻袋を〈プライベート・ルーム〉に運び入れていく様子を見ていたルクトに職員の男が話しかける。
「ルクトさんは、朝食は食べてきましたか?」
「いえ、まだです」
ではこちらをどうぞ、と職員の男がルクトに弁当を差し出す。見れば同じ弁当が幾つか用意されており、こちらは荷物を運び込んでいる男達の分だろう。
「いいんですか? オレだけ」
「ええ。彼らは肉体労働をして腹を減らしてから食べるそうですよ」
その物言いが聞こえたのか、肉体労働に勤しむ男たちは揃って苦笑を浮かべる。それを見てルクトも苦笑を浮かべた。
「じゃあ、食べさせてもらいますね」
ルクトは弁当を受け取ると、仕事の邪魔にならないよう隅っこに移動して食べ始める。
(うまい……! しかも300シク弁当より豪華!)
目算400シク相当、いやもしかしたらそれ以上に豪華な弁当を嬉々として貪るルクト。一人で食べているせいもあってか、十分もしないうちに食べ終わってしまう。
朝食を食べ終えたルクトは、そのまま倉庫の壁にもたれかかって男達が〈プライベート・ルーム〉に荷物を運び入れる様子をなんとなく眺める。当たり前だが、特に面白い光景ではない。
(このバイトも今年で三年目、か……)
一年生の夏休み、ルクトは暇を持て余していた。長期休暇だから当然講義はなにもない。〈ハンマー&スミス〉でのバイトも毎日あるわけではなかった。この時点ではまだ一年生だから迷宮に潜ることもできない。故郷のヴェミスに帰るというのも手だが、しかし片道三週間。往復だけで夏休みが終わってしまう。
そんな暇を持て余すルクトにメリアージュが勧めたのが、カデルハイト商会での物資輸送のバイトだった。バイトの内容は極めて単純。カーラルヒスからは小麦などの食料を〈プライベート・ルーム〉に詰めて持って行き、オーフェルからは塩を仕入れて帰ってくる。価格や数量については手紙の形で指示を持っていくため、ルクトがあれこれ手を回す必要はない。本当に荷物を運ぶだけの、簡単なお仕事である。
余談になるが、ここで衛星都市オーフェルについて少し説明しておきたい。
オーフェルはカーラルヒスから南西におよそ100キロの位置にある海に面した都市で、製塩業が盛んだ。カーラルヒスで出回っている塩のほとんど全てはオーフェル産であると言っていい。
それもそのはずで、そもそもオーフェルとはカーラルヒスが塩を得るために興した都市だ。つまりカーラルヒスに塩を供給することこそが、この都市の至上命題といっていいだろう。
政治的には独立しており自治を保っている。ただ、その成り立ちや力関係のため、カーラルヒスからは良かれ悪かれ影響を受けやすい。
人口はおよそ三千人。初期のころはカーラルヒスからの入植者が人口のほとんど全てを占めていたが、現在では“オーフェル出身”という人が人口のおよそ七割を占めている。比較的温暖な気候で、海に面しているせいか朝夕の気温差も小さく、老後の隠居先としてカーラルヒスから移り住む人も少なくない。
人口の特徴としては、子供が少ないことが挙げられる。これは別に極端な少子化政策が布かれている、というわけではない。一定の年齢に達した子供は、大抵ノートルベル学園で学ぶためにオーフェルを離れてしまうのだ。そのせいで子供が少なくなる。そして夏休みになると平均年齢は一気に下がる。
労働人口のうち、およそ五割は直接塩に関係した仕事で生計を立てている。さらに言えば「塩と無関係な人間はいない」と言われるほど、オーフェルの人々は直接的あるいは間接的に塩に関わっているのだ。
さらに三割が半農半漁の生活をしており、あとの一割が林業や炭作りあるいは狩猟を行い、残りの一割は製塩とは直接関係のない商売をしている。
さて、すでにお気づきと思うが、オーフェルにおいては製塩業が中心であり、食料生産に従事している人は少ない。はっきり言えば食料自給率が低く、この都市だけで自給自足することはできないのだ。
実際、オーフェルはカーラルヒスから食料の供給にかなりの割合で依存している。そのかわりオーフェルはカーラルヒスに塩や他の海産物を供給する。それがこの二つの都市の大まかな関係であり、オーフェルが「衛星都市」と呼ばれる所以だろう。
まあそんなわけで。この二つの都市の間では、結構活発な交易が行われている。つまり人とモノと金の行き来があるわけだ。
閑話休題。
ルクトの仕事は荷物を運ぶだけだが、本当ならそれは大仕事である。
大量の荷物を運ぶとなると、馬車を使うことになる。さらに都市の外に出るわけだから、当然魔獣や野獣、盗賊などに襲われる危険がつきまとう。よって護衛としてハンターを雇わなければならない。
さて、ハンターを一パーティー六人雇ったとする。その場合、使える馬車は三台か四台と言われている。それ以上になると護衛しきれなくなるのだ。当然のことながら、輸送できる荷物の量も馬車の数によって制限されてくる。
さらに、時間的な問題もある。ハンターだけなら集気法を駆使して一日で100キロを踏破することぐらい簡単にできるだろう。しかし護衛をする場合には荷物を満載した足の遅い馬車に速度を合わせなければならない。そうなると片道だけ三、四日、往復だと一週間以上かかることになる。
ただでさえ高給取りなハンターを六人、場合によってはそれ以上を一週間以上にわたって雇うとなると結構な額の報酬が必要になる。つまり輸送コストが跳ね上がるのだ。もちろんそのコストは小売価格に転嫁されるわけだが、商人側の心情としてはコストを安く抑えられるに越したことはない。
そこで、ルクト・オクスと〈プライベート・ルーム〉である。
個人能力〈プライベート・ルーム〉は私的な空間を提供する能力だ。その空間には中規模の倉庫くらいなら中身を丸ごと納められるだけの収容能力がある。馬車に換算すれば十台分以上の荷物を収容できることになる。
さらにその空間は、ルクト・オクスについて動く。いや、実際の現象としてその表現が正しいのかは分からないが、見かけ上はそういうふうに映る。だからルクトがカーラルヒスからオーフェルまで移動すれば、カーラルヒスで詰め込んだ荷物もオーフェルまで移動するのだ。
さらに足の遅い馬車に速度を合わせる必要はないから、大幅な輸送速度の向上が期待できる。それにルクトは武芸者。つまり一日でオーフェルまで行くことが可能なのだ。であれば大体三日もあれば仕事をして往復が可能になる。
まとめると、ハンターの護衛が三パーティー十八人以上必要な量の荷物を一人で、しかも本来なら一週間以上かかるところを三日で仕事を終えることができる、ということになる。
これほど輸送に向いた能力はない、と言っていいだろう。ドミニクがルクトを何とかして商会に引き込めないかと考えたのも当然である。なにしろ商売には疎いルクトでさえ、こうやって輸送の仕事をすれば楽して大金を稼げると思ったくらいだ。
『それはならん』
しかしその計画はメリアージュの一言で脆くも瓦解した。
『……ルクトよ。妾はおぬしに「ハンターになれ」と言ったのであって、「商人になれ」と言った覚えはないぞ?』
確かにその通りである。そしてハンターになるためには迷宮に潜らなければならない。夏休みがあければルクトは二年生になる。晴れて迷宮攻略が解禁になるわけで、商会のバイトにかまけている暇はなくなるだろう。それに一年生のこの時はまだルクトもパーティーを組むつもりでいたから、彼一人の予定で遠征の計画をどうこうするのもまずいと思われた。
不承ながらもルクトはメリアージュの言うとおりにした。結局、このバイトをするのは夏休みの期間だけということになり、そして今年の夏で三年目だ。
ちなみに。
『妾の養い子相手にあこぎな商売なんぞしてみよ。おぬしの商会は妾が責任を持って潰すゆえな?』
初めてドミニクのところに話をしに行った時、去り際のメリアージュが言い残したその言葉にドミニクがなんとも悲壮な顔をしていたのをよく覚えている。思わず「ごめんなさい」と謝ってしまったものだ。
まあそれはそれでいいとして。そうこうしている内に荷物の積み込みが終わったようである。
「それじゃあルクトさん、詳しいことはコッチに書いておきましたので、この手紙をノールワント商会の頭領に渡してください」
そう言ってカデルハイト商会の職員が差し出した手紙をルクトは受け取った。
「それとこれはお昼分の弁当です。適当な時間に食べてください」
差し出されたのは先ほど食べたのと同じような弁当と、水の入った大き目の皮袋。暑い季節だし動くので水分補給は重要なのだ。ルクトが受け取った荷物を〈プライベート・ルーム〉のなかに片付けると準備は完了である。
「それじゃあルクトさん、よろしくお願いします」
「はい。それじゃあ行ってきます」
そんな挨拶を交わしてからルクトは倉庫の外に出た。すでに日は昇っているが、辺りの空気はまだ涼しい。
「さて、涼しいうちに距離を稼ぎますかね」
そんなことを呟きながら集気法を使い身体能力強化を施す。次の瞬間、ルクトは風を切って走りだした。目指すは衛星都市オーフェルである。
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カーラルヒスとオーフェルは街道によって繋がっている。決して石畳が敷かれているわけではないが、きちんと舗装され大きな石が落ちていたり穴が開いていたりということはない。これは馬車が通りやすくするためだが、馬車が通りやすい道は人も通りやすい。ちなみにこの街道は「塩の道」などとも呼ばれていた。
その「塩の道」をルクトは集気法を駆使しながら駆け抜ける。また街道は一本道だから道なりに進めばいいだけで、地図やコンパスを使う必要もない。途中幾つかの隊商を追い越したり、あるいはすれ違ったりしたが、ただ一人で疾走するルクトを彼らがどんな顔で見送っていたか彼は知らない。そしてたぶん知らないほうがいい。
オーフェルの街が見えてきたのは、日が傾き空が赤く染まってきた頃だった。都市の門番をしている衛士に身分証代わりにノートルベル学園の学生証を見せて中に入る。
門をくぐってオーフェルの都市の中に入ると、正面は大通になっている。大通はそのまま港まで続いており、つまり門をくぐると海を見ることができる。海からの風がルクトの少し伸びた黒い髪の毛を揺らし、潮の香りが鼻をくすぐる。慣れないその匂いに彼は少しだけ苦笑を浮かべた。
この匂いをかぐとなぜか遠くの異国に来た気になる。ヴェミスからカーラルヒスまで三週間かけてきた時はそうでもなかったというのに、不思議なものだと思う。
「さてと。まずは……」
少しだけ足を止めていたルクトは、そう小さく呟いて歩き出す。まず目指すのは宿屋である。
オーフェルには都市の規模のわりに宿屋が多い。それはカーラルヒスから小麦などの食料を売りに、そして塩を買い付けに来る隊商とその護衛たちを目当てにしている宿屋だ。こういう部分からも、オーフェルが交易で成り立っている都市であるということが良く分かる。
そんなわけでオーフェルには宿屋が数あるが、ルクトは泊まる宿屋をすでに決めている。二年前、一年生のときに初めてここに来たときから贔屓にしている宿屋だ。ただ単に別のところを探すのが面倒なだけとも言うが。
(不満は別にないからいいんですよーだっと)
頭の中のおぼろげな地図を頼りに街中を十分ほど歩き、ようやく目当ての看板を見つけた。宿屋の名前は「海猫亭」。海猫は本来は海鳥のはずなのだが、ここの看板にはまるまると太ったデブ猫が描かれている。
一階では食堂も営業しており家庭料理よりワンランク上の、格式ばらないが素人には作れない手の込んだ料理が、外からの客だけでなく地元の住民にもウケている。稼ぎ的にはむしろ食堂がメインなのだが、宿泊客には割引のサービスを行っており、料理目当てに宿屋としてもなかなか盛況だった。
「おや、ルクトかい!?」
「……年に何回も来ないのに良く覚えてますね、女将さん」
店内に入ってすぐに名前を呼ばれたルクトは苦笑を浮かべる。彼の視線の先では恰幅のいいおばさんが快活な笑みを浮かべていた。
「客商売だからね。客の顔と名前は覚えるさ。それにアンタほど珍妙な客はそういない!」
そう言って女将さんは遠慮なく豪快に笑った。確かに荷物も持たず身一つ、しかも一人でふらりとやってくるルクトは珍妙な客だろう。自覚があるのか、ルクトは苦笑を深くしてただ肩をすくめるばかりだ。
「それはそうと、泊まりかい?」
「はい、二泊でお願いします」
「代金は?」
「後払いで」
はいよ、と返事を返すと女将さんは伝票に二泊分の代金を書き込み、それをルクトに渡した。食堂で何かを食べたりした場合にもこの伝票に追加され、最後に宿を引き払うときに合計金額を支払うことになる。
最初にこのシステムを知ったとき、ルクトはふと「お金を払わないで逃げちゃう人とかいるんじゃ?」と思ったことがある。地元の住民はともかく、交易で来た人間が都市の外へ逃げてしまえば捕まえることはほとんど不可能と言っていい。だが彼のそんな懸念を女将さんは笑い飛ばした。
『一度でもそんなことをしたら、そいつは二度とオーフェルで仕事ができないだろうね』
なにしろオーフェルは狭い都市だ。代金踏み倒すようなやからの情報はあっという間に都市中に回ることになる。その結果、あらゆる宿屋から追い出され、あらゆる食堂から出入り禁止をくらい、あらゆる商会商店から取引を拒否されることになる。
外からオーフェルにやってくる人間のほとんどは交易に関係しているから、そんな状況になってはとてもではないが仕事にならない。交易というのは一回だけの話ではなく、続けることに意味があるのだから。今後に響くから誰もそんなことはしない、というわけである。
まあそれはともかくとして。女将さんから部屋の鍵を受け取ると、ルクトは部屋には向かわず一言断ってから水を借りて汗を流した。ずっと走っていたせいで汗だくだったのだ。汗のせいで肌にへばり付く服を脱ぎ、綺麗な衣服に着替える。これから荷物の届け先に出向くので着るのは学園の制服だ。脱いだものは袋を借りてその中に突っ込み洗濯をお願いする。その分きっちり追加料金を取られるがかまわない。なぜならこれらの費用はすべて必要経費として領収書と引き換えにカデルハイト商会が後で支払ってくれるからだ。必要経費は別途支給なのだ。
(別途支給! 甘美な響きだ……)
おかげで食事も好きなものを食べることができる。ビバ領収書。ありがとう他人の財布。
ちなみにオーフェルでは山から流れてくる川の水を水源として利用している。海のすぐ近くのせいか、井戸を掘っても塩っぽい水しか出てこないのだ。口に入れる水は一度浄水器を通してから使う、というのがこの都市での常識だ。
「さて、と……」
汗を流してさっぱりとしたルクトは女将さんに声を掛けてから海猫亭を出て次なる目的地へと向かう。目指すはノールワント商会。荷物の届け先にして塩の仕入先である。
ちなみに「海猫亭」の正式名称は、
「海猫亭~にくきゅーは世界を救わない~」
です(笑)
本編では使わないと思います。