晴れ後雨時々曇り12
休憩のために〈プライベート・ルーム〉に入ったルクトとロイを先ず待っていたのは説教だった。目尻に涙を浮かべたルーシェがいかに心配したのかを切々と語り、オルガ班から例の魔獣について聞いたらしいテミスがなぜ二人で背負い込んだのかと怒り、「やーい叱られてやんの」と囃したソルが折檻され、最後にイヴァンが「無事でなにより」と言ってまとめた。それを脇で見ているオルガ班の面々がクスクスと笑っているのだから、二人としてはいたたまれない。
「お茶くれ」
若干不貞腐れた声でルクトがお茶を所望すると、それまで怖い眼をしていたルーシェやテミスもようやく水に流してくれたらしく仕方なさそうな笑顔を浮かべた。すでに用意してあったのか、お茶はすぐに出てきた。大方、テミスあたりが淹れたのだろう。おそらくは嬉々として。
「こ、これは……!」
出された紅茶を一口飲んだルクトは眼を見開いた。紅茶は適度に甘く疲れた身体に染み渡る。しかしその甘みは、砂糖のそれではない。
「あ、気づいた? 蜂蜜入れてみたの」
そういってルーシェが掲げて見せる陶器の入れ物に入った蜂蜜は、彼女が今回のオリエンテーリングのために用意してきたもの、ではない。ルクトが自腹で買って〈プライベート・ルーム〉に保管しておいたものである。昼食の時には見つかっていなかったので大丈夫だと思っていたらこの有様だ。
一息で紅茶を飲み干し、慌ててルーシェから陶器の入れ物をひったくる。中身を確認すると、蜂蜜はもうほとんど残っていなかった。どうやらオルガ班にも振舞うなどして使ってしまったようである。
「お、おお、お……」
言葉にならない声を漏らしながらうな垂れるルクト。備蓄しておいた食料の中で一番高価だったのがこの蜂蜜なのだ。貧乏性と格闘しながら購入した逸品なのである。しかも買った本人がまだほとんど使ってなかったというのに。
がっくりうな垂れるルクト。魔獣から逃げてきたときより疲れ切っているように見えるのは、ロイの見間違いではない。
「おかわりは?」
「……もう、三杯」
めげない男である。
それぞれに紅茶を飲みながら、二つの班のメンバーたちは色々と話をした。話をしているうちに、話題は自然と例の魔獣のことになる。
「こういうのもなんですけど、先輩達、よくあの魔獣から逃げられましたよね」
「そんなに凄かったの?」
「ああ、一目見て絶対勝てないって思った」
ルクトが正直な感想を言うと、「そんな危ない相手と二人だけで……」と再び説教モードに入りそうな気配。
「まあな。勝てないっていうのは、オレたちも思った」
説教が始まる前にそう言ったのはオルガ班のメンバーの一人。ルクトたちと同じ三年生で、座学でよく顔を見る。
「防御系の個人能力持ってるヤツがいて助かったな」
「あ、でも誰でどんな能力かは秘密な」
「わりとショボイからよ」
「そりゃないっすよ、センパイ」
ははは、と明るい笑い声が響く。オルガ班のメンバーたちは大きなストレスから解放されたこともあってか饒舌だった。足を折った人物も、顔色もいいしひとまずは大事なさそうである。
「目印追ってるときに何度か戦闘した痕が残っていたんですけど、追いつかれたってことですよね? その魔獣って足速かったんですか?」
そう尋ねたのはイヴァンだ。
「いや、それは俺たちが途中で足を止めて休んでいたからだ」
その答えにルクトとロイは揃って怪訝な表情をした。実際にあの雄鹿に似た魔獣と対峙した者の意見として言わせて貰えば、あんなバケモノに追われているときに足を止めて呑気に休んでいるなど正気の沙汰ではない。決して追いつかれないよう、全力で逃げるのが正しい反応であるように思える。
「だってそうしないと、後から追ってくるお前らと合流できないだろ?」
しかし、その答えを聞いて深く納得した。確かにオルガ班が全力で森のなかを逃げ回っていたら、いかに目印が残っていたとしても未だに合流できていなかったであろう。距離を縮めてもらうためには、どうしても足を止める必要があったのだ。
(でもな……、だからと言って……)
彼らの言っていることは至極尤もである。しかしだからといって実際にその通りに行動できるかは別問題だ。ルクトの場合、なまじ件の魔獣を生で見ているからなおさらそのプレッシャーとストレスを想像できてしまう。いくら防御手段があったとはいえ、彼らだって本当は全力で逃げ出したかったはずだ。
しかし彼らは足を止めることを選択した。それだけではない。逃げている間も、後からロイニクス班が追ってこられるようきちっと目印を残していた。ルクトとロイが逃げ出した時は、とてもではないがそんな余裕はなかったのに。
「先輩たち、スゴイですね……!」
ロイの感想にルクトも全力で賛同する。
「いやいや、お前らなんて一戦やらかした上に一撃入れたんだろ? お前らのほうがスゲーよ」
その感想にオルガ班のメンバーは全員が「ウンウン」と頷いた。
「戦おうって気すら起こらなかったからな~」
「なんつーか、圧倒的でしたよね……」
「あの辺りの主なのかな……?」
「夢にまで出そうです……」
「荷物も全部置いてきちゃいましたしね」
「あ、そういえば持って来てくれてありがとな。アレなくしたら弁償なんだわ」
なんやかんやと話し込み。この二つのパーティーがカーラルヒスのノートルベル学園に帰還したのは、その日の七時過ぎのことだった。いつのまにか雨は上がって雲も晴れ、薄暗くなった空には星も見える。明日はきっと晴れるのだろう。
「ありがとな。マジで助かった」
今度何か奢るわ、と言葉を交わしてオルガ班とは別れた。この後、まずは骨折したメンバーを医務室に連れて行くらしい。
「いやあ、本当にありがとうございました」
そう言って丁寧に頭を下げたのは、出迎えに出てきてくれたトレイズだ。一時は死者が出たことさえも覚悟しただけに、全員が無事、ではないにしろ生還できたことに彼は心の底から喜んでいた。
「できれば今後のために詳しい事情を聞いておきたいのですが……」
トレイズはロイニクス班の面々を見渡しそこで言葉を切った。誰もかれも雨に濡れ泥にまみれてなかなかひどい状態である。加えて疲労の色は隠しきれない。ルクトが合同遠征のたびに実感しているように、集気法を使っていようとも疲れるものは疲れるのだ。おまけにお腹もすいていた。
「また後日、ということにしましょう。今日はゆっくり休んでください」
トレイズの言葉にメンバーの表情が緩む。話の分かる先生でよかったと思っているに違いない。
「それと先生、これを」
そう言ってロイが差し出したのは、オリエンテーリングのチェックシートだった。そこにはきっちりと判子が四つ押されている。
「おや、わざわざ押してきたんですか?」
事情が事情なので君達の班は認定を出そうと思っていたんですけどね、とトレイズは少し呆れたように笑いチェックシートを受け取った。
こうしてルクトらロイニクス班のメンバーは、つつがなくオリエンテーリングの単位を取得したのである。
ちなみに、後日談。
「ルクト、はいこれ。わたしたちが食べちゃった分」
そう言ってルーシェは小銭の詰まった小さな皮袋をルクトに差し出した。食べちゃった分、というのは彼女たちが〈プライベート・ルーム〉の中を漁って見つけてきた、ルクトの備蓄のことであろう。正確な金額など彼女たちは知らないはずだから、一人いくらかずつ五人で出し合ったのかもしれない。
「お、おお……! まさか弁償してくれるとは……」
どうやら脳内出納帳の食費の欄を下方修正する必要がありそうだ。嬉しい限りである。
「なによう。わたしたちが食い逃げするとでも思ったわけ?」
「い、いや……」
あっはっはっはっはっは、とルクトは明後日のほうを向いて白々しい笑い声を立てた。わりと本気で諦めていた、とは間違っても口にしない。
「わたしたち、少し話し合う必要があるみたいじゃない?」
ルーシェが笑顔に怒気を滲ませてルクトに迫る。口にはしていない。が、ルーシェには伝わってしまったらしい。どうやら説教は長くなりそうだ。
というわけで。
第五話「晴れ後雨時々曇り」いかがだったでしょうか?
今回は日頃迷宮に引き篭もりがちな不健康児どもをお日様の下に放り出して見ました。灰になってしまわないか心配です(笑)
ちなみに例の魔獣は草食。鹿だけに。
「お肉に興味はないのだよ!」