晴れ後雨時々曇り9
懐中時計で時間を確認すると、九時を少し過ぎている。八時ごろに一悶着あった後も、雨は降ったり止んだりを繰り返しながら断続的に降り続いた。どうやら今日は「雨時々曇り」の天気なのかもしれない。それならばせめて小降りになってくれないだろうか、と思いながらルクトが洞窟の外をぼんやりと眺めていると、思いがけず〈共鳴機〉に通信が入った。無論相手は親機、つまり学園通信室である。
(何かあったか……?)
機能的なことを言えば、親機から通信が入るのは不思議でもなんでもない。〈共鳴機〉とはそういう魔道具だからだ。
しかしこのオリエンテーリングに限って言えば、親機は専ら受信のためのものだったはずだ。必要な連絡事項はすべて事前に通達されており、オリエンテーリングの最中に、しかも個別に何かを伝える必要はないからだ。
逆を言えば、こうして通信が入ったということは、個別に何かを伝える必要があるということだ。となれば不測の事態でも起こったのかもしれない。
「こちらロイニクス班です。どうぞ」
リーダーであるロイが〈共鳴機〉を耳元に当てて答える。他のメンバーも集気法を使って聴力を強化し、洩れ聞こえる声に意識を集中した。
『こちら通信室のトレイズ・レーシーです。ロイ君たちのパーティーはまだ♠のチェックポイントですか?』
トレイズ・レーシーは武術科の実技教官だ。ルクトに実技講義のアシスタントを打診したのも彼である。
「はい、そうです」
『……確認しました。折り入って君達にお願いがあります』
「出来ることと出来ないことがありますが……」
『それはそうですね。……実は遭難者が出ました。それで救助に向かって欲しいのです』
トレイズの話によれば、遭難したのは学内ギルド〈力渦巻く場所〉からオリエンテーリングに参加しているパーティーで、オルガ班というそうだ。遭難場所は♦のチェックポイントのすぐ近く。つい先ほど、「助けてくれ」と通信室に連絡が入ったらしい。
「この雨の中、動いているパーティーがいるなんて……」
『初日の出発の時間が遅かったのと、二日間で二つしかチェックポイントを回れなかったので、焦っていたみたいですね。雨が上がったのを見て出発してしまった、と言っていました』
三つ目のチェックポイントである♦を回った彼らは、四つ目のチェックポイントである♥に向かおうとした。♥は♦から見てほぼ真南にある。
「でも確か♦のチェックポイントがある岩山の南側って……」
『そうです。岩塊が肌をさらす崖になっています』
それに対し北側はなだらかで上り下りはしやすい。しかし焦っていたオルガ班は迂回せずにそのまま南側の崖を下ることにしたそうだ。
もちろん崖とはいっても、南側にもちゃんと道はある。細くて北側に比べれば危険ではあるが、決して人が通れないわけではない。ただ、雨が降っていたのが悪かった。濡れた道は滑りやすくなっていたのである。
『……メンバーの一人が足を滑らせて転落。足を骨折したそうです』
「……転落して足を骨折したのは一人だけですか?」
『そうです』
「では、わざわざ救助が必要とは思えませんが……」
パーティーは普通六人編成だ。一人動けなくなったとしても後五人いる。一人がおんぶするなりして学園まで帰ってくることは可能だろう。ならば救助を待つよりも自分たちで動いたほうが早いように思える。骨折は確かに大怪我だが、わざわざ他のパーティーが救助に向かう必要があるようには思えなかった。
ロイは決して意地悪でそう言ったわけではない。これが仮に遠征の途中、つまり迷宮の中であったならどうか。彼らは誰に頼ることもせず、自分たちの力だけで怪我人を守りながら出口を目指したはずだ。むしろ、そうできなければ迷宮に潜る資格などないといっても過言ではない。
同じことが今回のオリエンテーリングにも言える。不測の事態においても帰還する能力を養う。それもまた目的なのだから。
『まあ、普通ならそうなんですけどね……。実は転落したときにコンパスを駄目にしてしまったみたいで……』
「それは……、致命的ですね……」
仮に駄目になったのが地図であったならまだやりようはあった。〈共鳴機〉を使って進むべき方角を指示してもらえばカーラルヒスに帰還することは十分に可能だ。
だがコンパスがないとなると、進むべき方角が分かったとしても、その方角を確実に選ぶことができない。そんな状態で動き回ったとしても、カーラルヒスに帰ってくることなど出来ないであろう。
もちろん、コンパスがなくとも方角を知る方法はある。一番簡単なのは、太陽の位置と時間の関係から推察する方法だが、生憎と今日の空は厚い雲に覆われている。太陽の位置から方角を知ることは出来ない。
「来年は各班にコンパスを二つずつ持たせたほうが良さそうですね……」
『そうですね。検討してみましょう』
まあそれはそれとして、とトレイズは少しわき道にそれた話を本論に戻す。
『幸い、コンパスが壊れたことに気づいた彼らはすぐに連絡をくれました。彼らがいる位置から♦のチェックポイントがある山頂が見えるということなので、そこまで行けば発見は容易だと思われます』
なるべくその場から動かないように、と指示をしてあるという。〈共鳴機〉の親機で確認できる子機の位置は大まかでしかない。見つけやすい位置にいてもらうのは、迅速な救助のための必要条件だ。
「事情は分かりました。……で、なんでウチのパーティーなんですか?」
ロイの声の調子は変わらない。しかしルクトを始めとするメンバーは、彼の目つきが若干鋭くなったことに気づいていた。
『ロイ君の班にはルクト君がいますね? 彼の個人能力はこういう事態にも役に立つでしょう? それにカーラルヒスから救助隊を出すよりも君たちのほうが近いですから』
洩れ聞こえるトレイズの答えを聞いてルクトは苦笑をもらした。ロイのほうを見ればなにがそんなに嬉しいのか満面の笑みを浮かべている。彼にしてみれば、救助の話を聞いたときから〈プライベート・ルーム〉のことは頭にあったのだろう。
「分かりました。やるだけやってみますよ。確認しますけど、〈プライベート・ルーム〉は使用解禁と言うことで?」
『ええ、お願いします。まずは♦のチェックポイントを目指してください。ついたらそこで一度連絡を。怪我人は意識もあり応急手当も済んで、それほど重篤な状態と言うわけではありません。君たちも急いで無茶をするような真似はくれぐれもしないでください。通信終わります』
「はい、分かりました。通信終わります」
通信を終え、ロイが〈共鳴機〉を耳から離す。それからメンバーのほうに目を向けると、彼以外の五人はすでに準備を終えていた。重いリュックサックはすでに〈プライベート・ルーム〉の中に収納済みで、さらに全員フード付きの外套を羽織っている。
「おや、やる気満々だね」
「ふざけてないでロイも早くしなさい」
ルーシェの投げつけた外套が、おどけてみせるロイの亜麻色の頭に引っかかる。
「やる気満々のところ申し訳ないけどね、ルーシェとテミスは中で待機」
わざわざ全員が濡れる必要はないからね、とロイが外套を羽織ながら指示を出す。その指示にルーシェが若干不満そうな顔をした。
「……わたし、今は動きたい気分なんだけど」
「そう? じゃあイヴァンと交代でいい?」
「楽が出来るなら大歓迎」
肩をすくめたイヴァンが了承しそういうことになる。ルーシェが外に出たいといったのは、一時間ほど前まで散々「動こう」とごねていたのを気にしていたのかもしれない。
「さて、せっかく身軽になったんだ。走るよ」
ロイが、優しげなその顔に少しだけ獰猛な笑みを浮かべる。動きたいのに動けない状況の中で、少なからずストレスが溜まっていたのは彼も同じようだ。
洞窟から人影が飛び出てくる。数は四。全員がフード付きの外套を羽織っていた。集気法で強化された彼らの身体は風を切るようにして疾駆する。
空には黒く重い雲。雨が止む気配はなかった。
▽▲▽▲▽▲▽
♠のチェックポイントがあった洞窟を飛び出してから、およそ二時間が経過した。途中何度かメンバーを交代させながら、ルクトらロイニクス班のメンバーは♦のチェックポイントを目指し、今はなだらかな斜面を飛ぶようにして上っている。雨は時々止むこともあったが、基本的に降り続いている。
『…………ロイ君、聞こえますか。応答願います』
不意にロイの持つ〈共鳴機〉からトレイズの声が響き、メンバーは足を止めた。ロイは懐から〈共鳴機〉を取り出すと、それを耳元に持っていく。
「こちらロイニクス班。どうぞ」
『ああ、良かった。ちょっと待ってくださいね、今位置を確認します。……確認しました。♦のチェックポイントのすぐ近くまで来ていますね』
さすがに速い、とトレイズは感心した。重いリュックサックを背負うことなく、集気法によって身体能力強化を施した武芸者が走って移動しているのだ。速いのはある意味当然だし、トレイズだってその速度をアテにしていた部分もあるのだろう。
「ええ、今は岩山を北側の斜面から登っている最中です」
それで何かあったんですか、とロイはトレイズに尋ねた。学園への連絡は♦のチェックポイントに到着したときにロイの側からするという予定だった。それなのにこのタイミングで、しかもトレイズの方から連絡が来たと言うことは、なにかあったと考えるのが妥当だ。それもおそらくは良くないことが。
『……実は、先ほどからオルガ班と連絡が取れない状態になっています』
その状態に気がついたのはほんの五分ほど前だと言う。いくら呼びかけても応答がない。最初は子機の魔力切れを疑ったが、しかし周囲の音が洩れ聞こえるから動いてはいるはずだという。位置も確認したが、最初に連絡のあった地点から動いてはいない。少なくとも大きくは。
『考えられる可能性は三つ』
一つ目は、単純に気づいていないという可能性。耳元に持っていって使うことからも分かるように、子機が出力する音声はそれほど大きくはない。集気法を用いて聴力を強化してある状態ならまだしも、例えば身体能力強化を解いて〈共鳴機〉をリュックサックの中にしまい、おしゃべりに興じているような状態だったなら、呼びかけが聞こえなくても無理はない。
二つ目は、気づいてはいてもそれに応じることが出来ない状況にある場合。これはかなり逼迫した状態にあると言っていいだろう。怪我人を除いたとしても、オルガ班には五体満足なメンバーが後五人いる。にもかかわらず誰一人通信に応じられないとなると、かなりギリギリの状態にあることが予想された。仮に戦闘中であるとすれば、劣勢であると考えておいたほうがいいだろう。
そして三つ目は、〈共鳴機〉を喪失してしまった場合。〈共鳴機〉が手元になければ通信に応じられないのは道理である。ただこの場合、喪失した経緯が問題になる。単純になくしただけならば良いが、今はその可能性は低いといわざるを得ない。オルガ班だって〈共鳴機〉が命綱であることは理解しているはずで、その上で簡単になくしてしまうほど彼らだって阿呆ではないだろう。
そうなると戦闘などの最中になくした、というのが一番可能性としては高そうだ。ただ〈共鳴機〉それ自体は壊れてはおらず位置も変わっていないということだから、オルガ班が〈共鳴機〉を捨てて移動した、つまり逃げたということになる。こちらも状況は逼迫している、といえるだろう。
(全員すでに死んでいる、という可能性もあるが……)
洩れ聞こえるトレイズの声に注意を向けながら、ルクトは四番目の可能性について考える。もちろん可能性としては高くないだろうが、しかし完全に無視することもできない。トレイズだって気づいているはずだが、あえて話さなかったのはこちらを不安にさせないためか。
「……それで、僕たちはどうすれば?」
一通り説明を聞き終わったロイが、今後の方針を尋ねる。
『ひとまずは♦のチェックポイントを目指してください。着いたら必ず連絡を。着く前に危険を感じたならすぐさま撤退してください』
「それだと、先輩と同級生を見捨てることになりますが……」
遭難し救助に向かっているオルガ班は、四年生と三年生の混合パーティーである。全員が学内ギルド〈力渦巻く場所〉に所属しているからこその構成と言えるだろう。
『かまいません。君たちがまず優先すべきは君たち自身の安全です。その結果救助に向かうことが出来なくなったとしても、その責任は全て学園にあります』
君たちが気にする必要はありません、とトレイズは言い切った。
「……分かりました。では、チェックポイントに到着したら連絡を入れます。……通信終わります」
『宜しくお願いします。……本当に、くれぐれも無茶だけはしないでください。通信終わります』
通信を終え、ロイが〈共鳴機〉を懐に戻す。そしてテミス、イヴァン、ルクトを順番に見渡してからこう言った。
「ひとまずチェックポイントを目指す。それでいいね?」
三人は無言で頷き肯定の返事を返す。それから一行は再び走り出した。彼らが岩山の山頂のチェックポイントに到着したのは、それからおよそ三〇分後のことだった。
「……見えた! あそこだ!」
雨音に負けないよう大きな声で叫ぶロイにルクトは無言で頷いた。彼の視線の先には、石を積み上げて作った塚が鎮座している。これまでと同様、あそこが目指すべきチェックポイントであろう。
♦のチェックポイントに到着すると、ロイはおもむろにチェックシートを取り出して「4」の欄に♦の判子を押す。ちゃっかりしたものだと呆れた視線を向けるが、彼にそれを気にした様子は見受けられなかった。
「こちらロイニクス班。通信室、応答願います」
トレイズから念押しされていた通りに♦のチェックポイントに到着したロイは学園に連絡を入れる。向こうでもそれを待っていたらしく、応答はすぐにあった。
『こちら通信室のトレイズです。位置を確認しました。……無事にチェックポイントにたどり着けたようでなによりです』
トレイズの声に安堵が混じる。オルガ班と連絡が取れなくなる非常事態にもかかわらず、救助に向かわせているのが学生であるということに彼なりに思うところがあるのだろう。本来ならば止めさせたいのかもしれないが、最も早く現場に到着できるのがロイニクス班であることも間違いない。遭難した学生たちを一刻も早く救助したいという気持ちも無視することは出来ず、トレイズの胸のうちは決して穏やかとはいえなかった。
「それで、これからどうすれば?」
『そうですね……。そこから見える範囲でオルガ班は確認できませんか?』
そう言われ、ロイは集気法で改めて視覚を強化し辺りを見渡す。〈共鳴機〉から洩れ聞こえる会話を聞いていたルクトたちもそれに倣った。幸い♦のチェックポイントがあるのは岩山の頂上。周囲を見回すには都合がいい。
「人影は……、ありませんね。人がいる気配もないです」
鋭い視線で周囲を見渡しながら、ロイが〈共鳴機〉を耳元に当てて報告する。見渡す限り人影はないし、狼煙などの人の存在をうかがわせるものも見当たらない。他の三人も同様である。
その一方で危険な魔獣や野獣の気配もない。ひとまずこの周辺は安全であると考えて良さそうだった。
『それでは、周辺の探索をお願いしてもいいでしょうか?』
「その前に昼食を食べても?」
『ええ、しっかり食べてください。通信終わります』
トレイズが苦笑気味にそう答えると、ロイは大仰に満面の笑みを浮かべた。もっとも、トレイズからは見えているはずもないが。
「分かりました。通信終わります」
ロイが通信を終えて〈共鳴機〉を懐に片付けると、ルクトは無言のまま指を“パチン”と鳴らして〈ゲート〉を開いた。〈プライベート・ルーム〉があるのに、わざわざ外で雨に濡れながら昼食を食べることはない。
四人が〈プライベート・ルーム〉に入ると、すでに中にいたソルとルーシェが昼食を作ってくれていた。また味気ない保存食を水で流し込むだけかと思っていたので温かい食事はありがたい。
ただ、誤算があったとすれば……。
「お前ら……、人のモン勝手にあさるなよ……」
無造作に並べられた干し肉やチーズ、ドライフルーツなどを見てルクトが呆れ交じりに嘆息する。もちろんそれらの食料はルクトが〈プライベート・ルーム〉のなかに備蓄しておいたものだ。しかも、自腹。
「遠征中の数少ない楽しみだっていうのに……」
迷宮に潜っているときは、程度の差こそあれ常に緊張していなければならない。そしてソロであるルクトの場合は特にそうであるといえた。もちろんルクトの場合は〈プライベート・ルーム〉という安全圏で十分に休むことができるわけだが、精神的な疲労というのは身体を休めるだけでは思うように回復してくれない。そんなわけで「食べる楽しみ」というのは彼にとって結構重要なのだ。
だが、しかし。
「没収だね」
「没収ね」
「没ッ収!」
「没収だな」
「没収ですわ」
普通に遠征をしている連中からすれば、それは過ぎたる贅沢である。彼らが迷宮で食べることができるのは、基本的に味気ない保存食だけなのだから。
「ああもう、勝手にしてくれ」
げに凄まじきは食べ物の恨み。もとより五対一では敵うはずもなく。ルクトは脳内出納帳の食費の欄に書かれた数字を上方修正するのであった。




