晴れ後雨時々曇り8
初夏だけあって辺りが明るくなるのは早かった。オリエンテーリング二日目、全員が起きたのは朝の五時少し前。不寝番をしていたルーシェとテミスを別にすれば、起きてきたばかりの男連中はまだ少し眠そうな顔をしていた。
「早く顔を洗ってきなさい」
ルーシェに言われて近くの小川で顔を洗う男たち。小川の水は十分に冷たく、寝ぼけた頭を少々無理やりに覚醒させていく。
「あ゛~、つめて……」
それでもシャッキリと目が覚めるこの感覚は気持ちがいい。寝起きでフワフワしていた体に血がめぐり、歩を進める足取りもしっかりとしてくる。
起きてきた男連中が朝の用事を簡単に済ませると、六人は揃って朝食を取った。献立は簡単なスープで、作ったのはルーシェとテミスだ。暖かい食事が何もしなくても出てくるのはありがたい。男連中はそれぞれ礼を言ってスープを受け取ると、かき込むようなことはせずにゆっくりとそれを腹の中に収めていく。
「さて、そろそろ行こうか」
ロイがそう声をかけたのは六時少し前。彼のその言葉を合図にして六人は立ち上がって動き出した。もうすでに出発の準備は整っていたので、あとは焚き火の火を消して軽く土をかけていくだけだ。
「さてと。三番目のチェックポイントは遠いよ」
もしかしたら今日一日かかるかもしれない、と言う亜麻色の髪をした優しげな青年はなにがそんなに楽しいのか満面の笑みを浮かべた。
ルクトたちが回る三番目のチェックポイントは♠である。♠のチェックポイントは彼らが今いる♥のチェックポイントから見て、十二時を北にしたときのだいたい十一時の方角であり、二つのチェックポイントを結ぶ直線の真ん中辺りにカーラルヒスがある。単純に地図上の直線の距離を比べてみても、♥のチェックポイントから♠のチェックポイントまでは昨日一日歩いたのと同じくらいの距離で、「今日一日かかるかもしれない」というロイの推測は決して的外れではない。
「カーラルヒスには寄って行くか?」
「見える所までは近づきたいけどね。位置確認も含めてさ」
だけど街中には入らないかなぁ、とロイはルクトに答える。なにしろわざわざ街中に入る理由がない。必要な物資はあらかじめ全て用意してあるし、なによりオリエンテーリングには時間制限がある。無意味に時間を使うわけにはいかなかった。
コンパスで方位を確認し六人は歩き始める。しばらく歩くと森を抜けた。空を見上げれば、昨日よりも雲は多いが十分に「晴れ」と言える天気だ。西の空も晴れ渡り、雨を降らせそうな雲は見当たらない。
(この天気が続いてくれるといいが……)
野外である以上、動きやすさはどうしても天候に左右される。曇ってくるくらいならばどうということもないが、雨が降り始めれば途端に動きにくくなるだろう。願わくは昨日と同じくこの天気が続いて欲しいが、さてどうなるか。
(ま、心配してもどうにもならないわけで……)
当たり前の話だが、人間に天候を操る力はない。当然ルクトにだってそんな力はないし、メリアージュにだってない、……だろう、たぶん。
そして天候を操る力がない以上、人間にできるのは空を見上げてこの先天気がどう変化していくかを予想することだけだ。そして今の空模様を見る限り、少なくとも午前中は雨が降り出すことはないだろう。
(その後も降らなければいいけれど)
そこは運任せの天任せ、である。この世の中は思い通りにならないことのほうが多いのだから。
▽▲▽▲▽▲▽
午前中、順調に距離を稼いだルクトら六人は草原に座り込んで昼食を食べていた。時刻は十一時半前。朝が早かったこともあり、少し早目の昼食だ。西のほうに目を向ければそこにはカーラルヒスがあり、♥のチェックポイントから♠のチェックポイントまでちょうど半分程度進んだことになる。
「お、誰か近づいてくる」
接近してくる集団にいち早く気がついたのはイヴァンだった。誘われるようにして彼の指差す方に目を向けると、ルクトたちと同じように大きなリュックサックを担いだ同年代と思しき六人が近づいてくる。十中八九、彼らと同じようにオリエンテーリングに参加しているノートルベル学園武術科の学生であろう。
「こんにちは。三年のロイニクス班です」
「よ、四年のルグリス班だ」
それぞれのパーティーのリーダーが挨拶を交わす。学園にいるときのようにバッチを付けている訳ではなかったのですぐには分からなかったが、近づいてきたのはどうやら先輩達だったらしい。
「珍しいですね。他のパーティーに会ったのはこれが初めてです」
「まあそう頻繁に会うもんでもないからな」
四つのチェックポイントの位置が固定されている以上、オリエンテーリングに参加している学生達が移動するルートというのはおのずと限られてくる。しかしだからといって偶然に他のパーティーと出会う可能性は低い。
コンパスを使っているとはいえ多少なりとも誤差は出る。全く同じコース上を移動するなんてありえないのだ。そして一〇〇メートルも距離が開いていて、その間に障害物でもあればそうそうお互い気づくものではない。
「この方角だと、先輩たちは♦のチェックポイントからですか?」
四年生のパーティーはルクトたちに対して北東の方角から来た。そしてその方角にあるのは、彼らが四番目に回る♦のチェックポイントである。
「そ。んで♣のチェックポイントを目指しているわけ」
ルグリスの答えにロイも頷く。確かに、♦のチェックポイントからカーラルヒスの近くを通るルートで移動しているのであれば、目指すのは♣のチェックポイントしかない。ルクトたちが移動しているコースとはちょうど交差する形になっており、その交差点(あるいはその付近)でちょうどばったり会ったことになる。
「♦のチェックポイントって、どんな感じですか?」
ロイがさらに尋ねる。ちなみにこうして途中で会ったパーティーからチェックポイントの様子などを聞くのはルール違反ではない。チェックポイントの位置が毎年変わらない以上、あらかじめその周辺の情報を仕入れるのは決して難しくはないからだ。実際、学内ギルドに入っているような連中は、事前にギルド内の先輩に色々と聞いておくらしい。つまり事前に調べられることを途中で聞いても特に問題はない、ということだ。
ルグリスの話によると、♦のチェックポイントは岩山の頂上にあるらしい。ただ、“岩山”といってもそう急峻なものではなく、特に北側はなだらかで上りやすいということだ。しかしその一方で南側は岩塊が肌をさらす崖になっていて、“岩山”というのはどうやらこちら側を見たときのイメージのようだ。
「一応南側にも道はあるんだけどな。細いし、余裕があるなら北側に回りこんだほうがいい、とオレは思う」
「なるほど。ありがとうございます」
思いがけず有益な情報を聞くことができロイは心なし嬉しそうだった。
「先輩たちは♣のチェックポイントを目指しているんですよね? あそこは……」
「小高い丘の上、だろ? 知ってるよ」
オリエンテーリングには去年も参加したからな、とルグリスは少し決まり悪そうに言った。つまり去年はその単位を取れなかったということだ。
「二日目から雨降ってさ、結局時間切れ」
そう言ってルグリスは肩をすくめた。その様子からはあまり悔しそうな雰囲気は感じられない。去年のことだからなのかもしれないが、“天災”が原因だから諦めやすかったのかもしれない。
(やっぱり雨が降ると動きにくくなるのか……)
ロイとルグリスの話を聞いてルクトはそう思った。分かっていたことではあるが、実際に雨が原因で単位が取れなかった人の話を聞くと重みが違う。
さらにルクトはこれまで都市の外を出歩く時は、必ずと言っていいほど〈プライベート・ルーム〉を駆使していた。だが今回のオリエンテーリングではそれは使用禁止だ。いわば“未知の体験”をしている真っ最中で、それも不安材料といえるだろう。
(まあ、降り方にもよるが……)
フード付きの外套は全員が用意してきている。小雨程度であれば雨宿りはしなくてもいいかもしれない。だが大荒れになれば収まるまで待たなければならないだろう。その結果、時間切れになるとしても。
その可能性についてはルクトも覚悟している。たとえオリエンテーリングの単位が取れず、合同遠征一回分200万シクを棒に振ったのが全くの無駄になるとしても、それでも自分の安全を最優先にしつつ天候に合わせていくしかないのだ。自然を相手にするとはそういうことである。自然は迷宮とはまた別の意味で人間の都合など斟酌してくれないのだから。
そうこうしているうちにロイとルグリスの話も終わったらしい。「じゃ、お前らも頑張れよ」と言って軽く手を振り再び歩き始めた四年生パーティーを見送り、ルクトたち六人もリュックサックを担ぎなおす。
地図で位置を確認し、コンパスで進む方角を確かめる。目指すチェックポイントは♠。残りは二つである。
▽▲▽▲▽▲▽
「見えた! あの洞窟だ!」
ザァザァという雨音に負けないよう叫んだ先頭をいくロイの声に、ルクトは走りながら無言で頷いた。彼の視線の先には、森の中でぽっかりと口をあけた洞窟がある。
ロイが走るスピードを上げる。それに合わせて後ろの五人も四肢に力を込めた。全力疾走である。
大きなリュックサックを背負っていると思えないスピードで六人分の人影が洞窟の中に飛び込んだ。足を止めると、それぞれ肩を上下させながら空気を求めてあえぐ。喉の奥が痛い。いくら集気法で身体を強化しているとはいえマナの濃度が薄い迷宮の外で、しかも三十キロ近い荷物を担いで全力疾走するのはきつい。
「はは、降ってきちゃったねぇ……」
ようやく息が落ち着いてくると、ロイが苦笑気味にそういった。彼が目を向ける洞窟の外では、激しい雨風が打ち付けるようにして降っている。風向きの関係で洞窟の中には吹き込んでこないのがせめても、だ。
「ついさっきまで晴れてたのになぁ……」
ぼやくようにしてイヴァンがそう呟き、他の五人は苦笑交じりに首を縦に降った。遠くで雷の落ちる音がする。どうやらこれからが本降りのようだ。
雨が降り始めたのはほんの十分ほど前である。風が強くなってきたと思ったらあっという間に空が真っ黒い雲に覆われ、そしてすぐにどしゃ降りの大雨になった。運のいいことにルクトたちは♠のチェックポイントがある洞窟の近くまで来ており、「雨宿りをするならそこで」ということになりここまで走ってきた、というわけだ。
「濡れてない?」
ロイがそう尋ねてメンバーを見渡す。ひどく濡れているものはいない。雨が降ってからここに来るまでの時間が短かったこともそうだが、降り始めたとき森の中にいたのがさいわいした。木の葉などに遮られて雨の勢いが弱まり、そのおかげでひどく濡れずに済んだのだ。
「この天気じゃあ、今日はもう動けないわね……」
洞窟の入り口から外の様子を厳しい目で眺め、少し悔しそうな声でルーシェがそう呟いた。ルクトが懐中時計を確認してみれば、時間は四時十分を少し過ぎたあたり。この雨さえ降らなければもう少し進むことができたであろう時間だ。
「ま、それでもこれで三つ目のチェックポイントだ。早いとこ判子押しちまおうぜ」
入り口から外を睨むルーシェを宥めるようにソルが軽い口調でそう言った。その声に促されるようにして六人は洞窟の奥のほうに入っていく。
「昨日、ここで夜を明かしたパーティーがいるみたいだな」
なるほどその言葉の通り焚き火の跡が残っていた。自分たち以外の人間の存在(たとえそれが残り香であっても)を感じると、なぜか少しだけ安心するから不思議だ。
奥、とは言っても三〇メートルも進めばもう突き当たりだった。そして突き当たりに♣のチェックポイントと同じような石を積み上げた塚が築いてあり、そこに置かれた木箱の中に♠の判子は保管されていた。
ロイはチェックシートの「3」の欄に♠の判子を押し、さらに〈共鳴機〉を取り出して学園に連絡を入れる。
「こちらロイニクス班。三番目、♠のチェックポイントに到着しました」
『少々お待ちください…………。確認しました。判子はありましたか?』
「はい、ありました」
『了解しました。ロイニクス班の第三チェックポイントを認定します。……雨の様子はどうですか?』
「雨ですか? 雨も風も強いですね。三番目のチェックポイントが洞窟の中で助かりましたよ」
今日はもうここでお終いみたいです、とロイが大げさに嘆息した声で答えると〈共鳴機〉の向こう側から苦笑する気配がした。
『ロイニクス班が回るチェックポイントは後一つ、♦だけです。……最後だからといって無茶はしないでくださいね。通信終わります』
「はいは~い。危ない真似はしませんよ~。通信終わります」
おどけた声でロイが答え、通信は終わった。随分と慣れてきた様子である。
通信を終えてしまうと、本格的にやることがなくなった。洞窟の外に目を向ければ、この短い時間の間でさらに雨風が強くなったように思える。ゴロゴロと雷も鳴っており、どう考えても外にでるのは得策ではない。
「雨が止むまでは、ここで足止めだね……」
ロイの呟きに、すでに荷物を降ろしてそれぞれ勝手に腰を下ろしていたメンバーが気の抜けた同意の返事を返す。
激しい雨風の中を進むのは危険で、それが収まるまで待つことに異論はない。幸いにもここは洞窟の中。雨宿りには適している。
(問題は……)
問題はいつまでこの天気が続くのか、である。これから夜半あるいは明日の未明にかけて、くらいであれば特に問題はない。残りのチェックポイントは♦一つだけ。明日一日あれば十分にオリエンテーリングの単位は修得できるだろう。
だが、明日の昼過ぎまで降り続くとなると、単位の修得は難しくなるかもしれない。ルクトたちは、単位を修得するためには明後日の朝八時までに学園に帰還しなければならない。そうなると実質的に動けるのは、明日一日だけになる。半日で♦のチェックポイントを回って学園に戻るのは少々難しい。
もちろん四日目の朝早く起きてがんばるという手もあるけれど、できることならば明日の日暮れ前までに学園に戻りたい。
(早いとこ上がってくれればいいけれど……)
完全でなくとも良い。あまりに酷い天気でなければ、濡れるのをおして外に出るのもやぶさかではない。そのために持ってきた外套だし、なにより非常事態になれば「濡れたくない」などと泣き言をいっている訳にもいかないだろう。
どちらにせよ今日はもう動けない。仮に雨が上がったとしても、ロイはここを動くとは言わないだろう。
(だったら……)
だったら、降るだけ降ってさっさと上がってくれればいい。洞窟の中に響く雨音を聞きながらルクトはそう思った。
▽▲▽▲▽▲▽
「雨が上がったわ」
少し不機嫌なルーシェの声が洞窟に響く。外を見れば、なるほど彼女の言うとおり先ほどまで降っていた雨は止んでいる。しかしそれでも、ルーシェ以外のメンバーは腰を下ろしたまま立ち上がろうとはしなかった。
確かに雨は止んだ。そして実は十五分ほど前にも、一度雨は止んでいる。つまりオリエンテーリングの三日目は、朝から雨が降ったり止んだりしているのだ。
またどうせすぐに降ってくる。そう思うと動く気にはなれない。ルクトがあくびをすると、なぜかルーシェに睨まれた。
「……ロイ」
「はいはい」
肩をすくめたルクトに名前を呼ばれた亜麻色の髪を持つ青年は、優しげな顔に苦笑を浮かべて立ち上がり洞窟の外に様子を見に行く。そして自分の個人能力〈伸縮自在な網〉を使って木に登り、高い位置から空の様子を観察する。
「ダメだね。またすぐに降りだすよ」
洞窟に戻ってきたロイは結果を端的にそう報告した。つまり、まだ動かないという判断である。
「いつ完全に上がるかなんて分からないじゃない!? 時間がなくなるわ!」
少しヒステリック気味にルーシェが叫ぶ。普段から面倒見が良く言動の落ち着いている彼女にしては珍しい。
ルーシェが焦っている一番の理由は、こういう状況に不慣れであるからだろう。彼女はカーラルヒスの出身で、つまり都市の外に出てサバイバルを行うのはこれが初めてだ。おまけにオリエンテーリングには時間制限もあり、そのせいでストレスが溜まっているのかもしれない。
カーラルヒス出身で初めてのサバイバルといえばイヴァンもそうだが、彼のほうは比較的落ち着いているように見えた。ルーシェが先に焦りを表に出したおかげで、逆に冷静になれたのかもしれない。
「そうだけどね。でも今はここで待機。安全最優先」
遠征と同じだよ、と苛立つルーシェを宥めるようにロイがそう言う。
「……遠征とは危険度が違うわ。雨に濡れたって死ぬわけじゃないじゃない」
「でも待機」
「オリエンテーリングの単位、取れないわよ?」
「いいじゃない。また来年挑戦すれば」
どれだけルーシェが言い募ろうともロイは決定を曲げなかった。その点優秀なリーダーと言えるかもしれない。
「……ルクトはいいの? 単位は今年取っておかないと困るんじゃないの?」
一人ではロイを説得できないと見たルーシェは、今度はルクトを巻き込もうとする。水を向けられたルクトは肩をすくめて苦笑しながら「まあ困る」と答えた。途端、ルーシェがうれしそうな顔をする。
「じゃあ…………」
「だけど雨に濡れて風邪をひくのはもっと困る」
ルーシェの言葉を遮りルクトがそう続けると、彼女はたちまち不機嫌そうな顔に戻った。とはいえこれはルクトの本音だ。風邪をひいて体調を崩せば、個人的な攻略や合同遠征に差し障りが出るのは間違いないのだから。そうなれば損失は200万シクではすまないかもしれない。
「集気法を使っていれば風邪なんてひかないわよ……」
どうやら自分の味方はいないらしい、と悟ったルーシェは小さく文句を呟き苛立たしげに腰を下ろした。
「そんなに焦らなくても大丈夫ですわ、ルーシェ」
そんなルーシェを後ろから優しく抱きしめたのはテミスだった。艶やかな黒い髪の毛を持つルーシェの頭を胸にうずめるようにして抱き、そしてなだめるようにして背中をゆっくりと撫でる。
「今はまだ八時を過ぎたくらい。時間的にはまだまだ余裕がありますわ」
普段の言動こそアレだが、テミストクレス・バレンシアは名家のお嬢様である。滅多に見せない令嬢の顔だが、そのせいか“深窓の”と枕詞を付けたくなるような育ちの良さをかもし出す。その雰囲気は軽くウェーブのかかった金髪やすっきりとした目鼻立ちと相まって相手の反論を穏やかに封じる。
テミスの言葉にルーシェが息を吐いて力を抜くのが分かった。そしてしばらくテミスのなすがままにされた後、彼女の胸に抱かれたまま口を開く。
「……ごめん。わたし、感じ悪かった」
ルーシェを抱いたままのテミスがとびきり嬉しそうな笑みを浮かべた。それを見たルクトは内心で苦笑を漏らす。
(日頃からそうやっていればルーシェだってまんざらでもないだろうに……)
ソルとはまた別の意味で残念なヤツである。
「……ところでテミス」
「どうかしまして? ルーシェ」
いまだテミスの胸に頭を抱きかかえられたままのルーシェが声を上げる。それに答えるテミスは彼女の艶やかな髪の毛に頬を寄せてご満悦の表情だ。すでに令嬢の仮面はどこかに投げ捨ていつもの調子である。
「そろそろ、離してくれないかしら?」
「え~、もうちょっと……」
解放を要求するルーシェをテミスは逃がすまいとさらに強く抱きしめる。さらにテミスの手がルーシェの身体をまさぐっていやらしく蠢く。
「ちょ……! こら……、どこさわって……!」
「いい感じに柔らかいわき腹と……」
「実況するなっ!!」
ルーシェの頭突きがテミスの顎先を直撃。拘束が緩んだその隙に、顔を真っ赤にしたルーシェはテミスの魔の手から脱出する。
「頭突きは乙女的ではないと思うんだ」
「もうヤだこのパーティー……」
大真面目にのたまうロイに、ルーシェは疲れたようにうな垂れた。そんな彼女にテミスが抱きつかなかったのは、さすがに自重したからなのかもしれない。
「……お、また降ってきた」
イヴァンの声に外を見れば、確かに再び雨が降り始めていた。雨の勢いは結構強く、先ほどの晴れ間に出発しなかったのは正解だったといえるだろう。
(さて、早めに止んでくれると助かるが……)
ダメだったら来年また挑戦すればいい、というロイの意見にはルクトも賛成だ。必須ではない単位のために風邪をひくのは割に合わない。
ただそれでも。今年、オリエンテーリングの単位を修得できればそれが一番いいわけで。そのためにもなるべく早い段階で雨が上がってほしい。ルクトがそう考えているのも、また本当だった。