晴れ後雨時々曇り7
「見えた。あの塚だ」
ロイが指差した先には、石を積み上げて作った祭壇のようなものが鎮座していた。見ようによっては祠のようにも見えるが、べつに何かを祭っているわけではない。そこに置かれているのは♣の判子が一つ。つまりオリエンテーリングのチェックポイントである。
♣のチェックポイントは小高い丘の上にあった。周りに木々は生えておらず、そのおかげで視界が開け広々としている。
石を積み上げて作られた塚に近づくと、そこには木箱が固定してありその中に♣の判子が一つ保管されていた。ちなみに判子は鉄製の鎖につながれている。盗難防止のため、であろう。
ロイはリュックサックを下ろすと中からチェックシートを取り出し「1」と書かれた欄に♣の判子を押す。これでチェックポイントを回ったことになるのだ。
「ロイ、あと学園に連絡を入れないと」
「ああ、そうだった」
ルーシェの言葉に頷いたロイは、チェックシートをリュックサックの中に戻してさらにそこから一つの魔道具を取り出した。〈共鳴通信機〉、あるいはたんに〈共鳴機〉などとも呼ばれる、通信用の魔道具である。
見た目はシンプルな金属製の小箱である。手のひらにちょうど収まるくらいの大きさで、真ん中に小ぶりな結晶体が埋め込まれている。さらにその結晶体を中心にして簡単な幾何学模様が刻まれており、どことなく浮世離れした雰囲気を持っていた。ちなみに結晶体はドロップアイテムである。
〈共鳴機〉は基本的に〈親機〉と〈子機〉の間で通信を行う魔道具である。ロイが取り出したのは当然子機のほうで、今回オリエンテーリングに参加しているパーティーにはもれなくこれと同じような子機が配布されている。
リュックサックにしまってあったことからも分かるように、〈共鳴機〉のうち子機のほうは小さくて持ち運びに便利で、また比較的量産も容易であるという。ただ、子機は親機に対してしか通信を繋ぐことができない。
それに対し親機の方は八人がけの円卓程度の大きさがあり持ち運びには向かない。その代わり、親機は全ての子機と通信を行うことが可能である。また、親機は通信中の子機の位置を大まかにだが把握することができ、その機能を用いることで学園はオリエンテーリング中の学生たちの位置を掴んでいる、らしい。
〈共鳴機〉についてルクトが知っているのはそれくらいだ。彼は武芸者であり、当然の事ながら魔道具については門外漢である。機械科の天才エリス・キャンベル辺りに説明させれば詳しく教えてくれるのかもしれないが、生憎とそこまで興味はなかった。道具は問題なく使えればそれでいいのである。
「こちらロイニクス班。学園通信室、応答願います」
荷物を降ろしたメンバーが見守る中、リーダーであるロイが〈共鳴機〉の子機を耳に当てて通信を開始する。親機の周りに人がいなければどれだけ話しかけても返事は返ってこないのだが、幸いなことにすぐに返信が来た。
『…………こちらノートルベル学園通信室です。どうぞ』
「こちら第二グループのロイニクス班です。第一チェックポイントに到達しました」
『少しお待ちください。位置を確認します。…………確認しました。ロイニクス班の第一チェックポイントは♣ですね?』
「はい」
『判子はありましたか?』
「はい、ありました」
判子の有無を確認するのには二つの意味がある。第一に判子が無くなっていた場合、当然だがその判子を押してチェックポイントを回ったと証明することはできない。そこで〈共鳴機〉を用いて通信を行って親機で位置を確認することにより、チェックポイントを回ったかどうかを二重にチェックするのだ。
もう一つはズルの防止である。つまりチェックポイントに到達していないのに「到達しました。判子はありませんでした」と嘘をつこうとする学生への牽制だ。親機で確認できる子機の位置はあくまでも大まかであり、チェックポイントの近くにいるかどうかぐらいしか確認できない。それを逆手にとってチェックポイントに到達したように見せかけ、その分の距離をショートカットする、というようなことは少し頭の回る者ならすぐに思いつくだろう。
またさらに悪質な手として、「チェックポイントを回る順番を偽る」というものがある。四つあるチェックポイントを回る順番はランダムで決まっており、そのため最短コースで回れるわけではない。しかしチェックシートに判子を押すだけなら、例えば「二番目と三番目の順番を入れ替える」というような真似が簡単にできてしまう。
しかしこうやって判子の有無を確認し、それと一緒にどのチェックポイントを回ったかも確認することでズルをしていないかを確かめるのである。そしてズルしたことがバレれば、当然オリエンテーリングの単位はもらえないし、今後悪名が付いて回ることになる。卒業後の進路にも響くことだろう。
もちろんこんな確認をしなくても、ちょっと調べれば嘘をついてズルをしたかどうかはすぐに分かるだろう。だがそうやって「嘘をついても無駄である」と知らしめておくだけでも意味があるのだ。
『了解しました。ロイニクス班の第一チェックポイントを認定します。残りはあと三つです。健闘を。これで通信を終わります』
「はい、ありがとうございます。通信終わります」
お互いにお決まりの文句で通信を終え、ロイは〈共鳴機〉を耳から離した。それを見たメンバーは、特に意味もないのだがなぜか全員一つ頷いた。親機はともかく〈共鳴機〉の子機は基本的に一人用だ。ただこの場にいるのは全員武芸者である。身体能力を強化し洩れ聞こえる声を聞いていたのだ。
「さて、メシにしようよ」
そう言ってロイが力の抜けた笑みを浮かべると、メンバーたちもつられて笑った。時間を確認すれば一時少し前。昼食には少し遅いが、遅すぎるわけでもない時間帯だ。
♣の判子が置かれている塚から少し離れたところに、ルクトら六人はそれぞれ勝手に座り込む。足元には短い草が青々と茂っており、そのまま座り込んでも服が汚れる心配はしなくてもよい。
リュックサックを開け昼食分の食料を取り出す。とはいえそう大したものではない。遠征にも持って行く保存食の類で、すぐに食べられる代わりにそれほどおいしいわけではない。食べられないほど不味いわけではないが、なんというか「味気ない」という言葉が本当によく似合う食べ物、といえばいいかもしれない。
食べものが味気ないと、自然と早食いになってしまう。「これで食事を楽しもう」という気にならないのだ。水で流し込むようにして、十分もしないうちに全員が昼食を終えてしまった。
「お茶が飲みたいですわ……」
腹を満たすだけの味気ない食事が不満だったのかテミスがそう呟く。
「まさかティーセットを持ってきたわけじゃないよな?」
「そのまさかですわ!」
自信満々に(何の自信なのかは不明だが)胸を張るテミス。やっぱりか、と思いつつもルクトは頬が引きつるのを止められなかった。
遠征のちょっとしたコツとして少々の甘味など持っていくといいと、このパーティーに教えたのはルクトだ。だがどこでどうとち狂ったのか、“少々の甘味”は“優雅なティータイム”に進化あるいはランクアップしてしまった。そしてその進化あるいはランクアップを主導したのが、何を隠そうこのテミストクレス・バレンシアなのである。
これがルクトならば話は分かる。彼の個人能力〈プライベート・ルーム〉を駆使すれば、ティーセットを迷宮に持ち込みお茶を楽しむことなど造作もない。
だがテミスたちはそうではない。「持ち込む荷物は可能な限り少なく」というのが遠征のセオリーなのだが、それでも彼女は邪魔としか思えないティーセットを持ち込んでお茶を楽しむことにこだわるのだ。そしてやはりと言うか、テミスはこのオリエンテーリングにもティーセットを持ち込んでお茶を楽しむ算段のようだ。
寮で淹れて飲めばいいじゃん! と何度ツッコんだか分からないルクトである。
「あら。でもわたし好きよ、テミスの淹れてくれる紅茶」
「いや、だからなんで余計な荷物を抱え込んでまで……」
「『常に紳士淑女たれ』。それがバレンシア家の家訓ですわ」
「紳士淑女は同性に求愛したりしない」
ルクトの指摘に、テミス以外のメンバーは地味に頷いた。もっともテミスの鉄面皮にはかすり傷一つ付かなかったが。
「ま、お茶を淹れるのは夜休むときにしようか」
お茶を淹れるとなれば、お湯を沸かしたりとそれ相応に時間がかかる。ならば夜暗くなり動けなくなってからでもいいだろう。明るくて動きやすい時間帯になるべく動いておくのがオリエンテーリングの基本だ。たぶん。
テミスがそれを了解したところで、ルクトら六人は立ち上がって重いリュックサックを担ぎなおす。腹に収めた一食分重量は軽くなっているはずなのだが、あいにくと軽くなった実感はなかった。
「さてと、二つ目のチェックポイントは♥だから……」
そう言ってロイは地図を広げコンパスで方位を確認する。二つ目のチェックポイントはカーラルヒスから見て十二時を北にして五時の方向、♣のチェックポイントからは大体三時半の方向にあった。
「じゃ、行こうか」
ロイの言葉にメンバー全員がうなずきを返し彼らは歩き出した。空は晴れ渡っており雨が降り出す気配はない。ただこの天気が明日、明後日と続いてくれる保証はない。空の様子を見てある程度を予想することは可能だが、その精度は決して高くはないのだ。
「できれば今日動ける間に♥のチェックポイントまで行ってしまいたいねぇ」
誰にともなくロイがそう呟く。その言葉にルクトは小さく頷いた。天気がいい時は行動もしやすいが雨が降ると途端に動きにくくなる。身体が濡れればそのままにしておくわけにはいかないし、土がぬかるめば歩きにくくなるだろう。重い荷物を持っているときはなおさらだ。
これが迷宮のなかであれば空模様を気にする必要などない。迷宮のなかは季節や時間を問わず一定で雨が降ることなどないからだ。
(この天気が続けばいいが……)
ルクトはそっと西の空を見上げる。そこに雨を降らせそうな雲はない。夜まではほぼ確実に雨は降らないと思っていいだろう。だがそれ以上のことは神ならざる者に知る術はなかった。
▽▲▽▲▽▲▽
見晴らしのよい丘の上にあった♣のチェックポイントとは異なり、♥のチェックポイントがあったのは森の中だった。そのため遠くからチェックポイントの位置を確認する、ということはできなかった。
しかしながら♥のチェックポイントを見つけるのはそう難しくはなかった。配布された地図に依ればチェックポイントの近くには小さな滝があり、そしてそこから小川が流れている。だからまずはその小川のところまでコンパスを頼りに進み、その後は川に沿って上流に向かって遡り、そして滝にたどり着いたらその周辺を探索してチェックポイントを発見したのだ。
♥のチェックポイントは小さな掘建て小屋だった。小屋の中には毛布などの寝具や日持ちのする食料、応急手当のための道具などが置かれており、本来は狩人などが使っているのかもしれない。
その掘建て小屋の隅っこに、♥の判子がやはり木箱に入れられておいてあった。さらにその木箱の上にはご丁寧に「小屋の中の物資を勝手に使わないこと」との注意書きが置かれている。
「至れり尽くせり、だね」
ロイの言葉に毒が混じるがいつものことなのでメンバーは呆れたように肩をすくめただけだった。
チェックシートの「2」の欄に♥の判子を押し、さらに〈共鳴機〉で学園に連絡を入れる。最初のチェックポイントと同じ手順だ。
『…………ロイニクス班が回るチェックポイントは残りあと二つです。健闘を。これで通信を終わります』
「はい、ありがとうございます。通信終わります」
やはり最初のチェックポイントと同じようなやり取りをしてロイは通信を終えた。〈共鳴機〉をリュックサックの中に戻すと、ロイはルクトに時間を尋ねた。
「五時半過ぎ、だな。動こうと思えばまだ動けるが……」
今は初夏で、つまり一年でもっとも日が長い季節だ。七時を過ぎてもまだ暗くはならず、ルクトの言うとおりまだ動こうと思えば動ける。
「いや、今日はここで休もう」
「……そうだな。オレもそれがいいと思う」
だが動けるのと前に進むは別だ。それに野営の準備というのは慣れていても結構時間がかかるものだし、森の中は木々に光が遮られて暗くなるのが早い。
加えてここならば水場が近いし、それに地図上での現在地の確認が容易だ。なにせチェックポイントの場所なのだから。闇雲に暗がりの中を進んで現在地が分からなくなるよりも、今晩はここに留まって明日の朝からまた次のチェックポイントを目指せばよいのである。
特に反対意見が出ることもなく、メンバーは野営の準備を始める。思いのほか難航したのが薪探しだった。もちろん熱を得るための魔道具は持ってきているが、火力はさほどつよくはない。それにこれから夜になることを考えれば獣避けも兼ねて焚き火を焚くのがベストだろう。
森の中だから周りは木ばっかりだが、折ったばかりの生木などそう簡単に燃えてくれるものでもない。だから枯れ木を集めるのだが、暗くなり始めているせいもあってかなかなか大変だった。
さらに持ち運びがまた面倒なのだ。集気法で身体能力強化を施しているから重さは苦にならないのだが、両手で持ち運べる量にはどうしても限界がある。薪を背負って運ぶそれ用の道具など当然持ってきていないし、そのため何度か往復しなければならなかった。
だがそんな面倒くさい薪集めの中、思いがけない獲物が手に入った。
「これは……、七面鳥かい?」
こんなのよく捕まえたね、とロイが喜色を浮かべながら捕まえてきたソルのほうを見る。すでに七面鳥の首は落とされ血抜きも済んでいるようで、その手際はなかなかのものだ。
「はっはっは、俺様にかかればこのくらい」
「さ、早いところさばいちゃいましょ」
分かりやすく天狗になって「もっと褒めろ」と言わんばかりのソルを無視してルーシェが手早く七面鳥を処理していく。
相変わらずソルには冷たいルーシェだが、彼女の顔にも笑みが浮かんでいる。ルクトたちが持ってきたのは基本的においしくはない保存食ばかり。もちろん手を加えればそれなりに食べられるようになるが、いつもの食事に比べれば味気ないことは変わりない。だから思いがけず手に入ったこの七面鳥はとびっきりのご馳走なのだ。
「あ、でもどうやって調理しようか……?」
「ん? 鍋とか何も持ってきてないの?」
「いえ、鍋はありますわ。ただ、そちらはスープを作るつもりでしたから……」
「スープに入れればいいんじゃね?」
「さすがに一羽分は多いわよ」
となれば肉が余る。そして鍋を火にかけていれば、その肉を焼くことは出来ない。
「鉄串なら何本かある。それに刺して焼けばいいだろう」
そういってルクトはリュックサックからなめし革に包まれた五十センチほどの鉄串を持ってきた。その鉄串に油を塗って適当な大きさに切ったばかりの七面鳥の肉を刺し、塩を振ってから焚き火の周りにつき立てて焼く。しばらくすると、食欲をそそるいい匂いがしてきた。
「……そういえば、なんで鉄串なんて持ってきたんだ?」
「便利だぞ。何本か組み合わせて使えば、火にかけるときの支柱になったりもする」
ヴェミスにいた頃、メリアージュとサバイバルをしながら覚えた知恵である。また鉄串は投擲用の武器としても使え、まとめて片付けておけばかさ張ることもなく結構便利なのだ。ただ鉄なのでそれ相応に重いのが難点ではあるが、そこは武芸者。身体能力強化を施しておけばなんとでもなる。
カーラルヒスに来る際の道中に使ってそれっきり〈プライベート・ルーム〉に放置したままになっていたのだが、今回久しぶりのサバイバルということで引っ張り出してきたのである。実際に使うかどうかは不明だったが、こうして役に立ったのであればもって来た甲斐があった。
「だれか内臓を捨ててきてくれない?」
七面鳥を解体し終えたルーシェがそう頼む。内臓類も食べようと思えば十分に食べられるのだが、そのためには手間と道具が必要で、サバイバル中の彼らには生憎とそれらのものはなかった。かといって近くに放置しておいては、血の臭いに誘われて熊や狼などの獣が寄ってくる。だからある程度離れた場所に捨ててくることが必要なのだ。
「オレが行ってくるよ」
そう言って立ち上がったのはイヴァンだった。そして彼が行って帰ってくるまでの間に、肉を焼いてさらに湯を沸かしスープを作る。
暖かい食事に、休むことなく歩いていたせいですきっ腹。思いがけず手に入った七面鳥の肉の脂の弾ける香ばしいかおり。お昼の食事が味気なかったこともあり、六人はしばしの間無言で夕食を貪った。
やがて用意した食事は全て六人の腹の中に納まり、さらにテミスが入れてくれた紅茶を飲む頃になると、辺りはすっかりと暗くなっていた。パチパチと爆ぜる焚き火だけが闇を照らしており、その明かりは不安そうでもありまたその一方で頼もしくもある。
「……さて、やることもないしもう休もうか?」
ロイの言葉にメンバーは無言で頷く。実際、一日中休むことなく動き回ったおかげで疲れは溜まっている。いくら集気法で体を強化しているとはいえ、疲れを感じないわけではないのだ。
魔獣や野獣を警戒して不寝番二人残し、あとの四人は掘建て小屋の中で休むことにする。物資を勝手に使うなと注意書きにはあったが、これくらいはいいであろう。
最初の不寝番であるルクトとソルを残し、残りの四人が掘建て小屋に引っ込む。
「さぁてルクト! 遊びに行く計画をしっかりじっくり立てようじゃないか!」
「その話まだ引っ張るのか……」
呆れながら、「あんまり騒ぐとルーシェに怒られるぞ」とソルを宥めるルクト。なかなか長い夜になりそうだった。