晴れ後雨時々曇り3
武芸者は〈衛士〉・〈騎士〉・〈ハンター〉に三つに分類される、という話は以前にもした。このうち衛士と騎士は都市国家の治安維持を担当し、ハンターは迷宮攻略によって魔石や鉱物資源を供給している。
とはいえ、これは都市国家内における役割分担である。そして都市国家だけがこの世の全てではない。都市国家の外側にも世界は広がっている。その世界は広大であり、そしてともすれば迷宮以上に過酷な場所なのだ。
そしてその過酷な世界からは、時として招かれざる来訪者がやってくる。すなわち害獣である。
害獣、というのは人間の生産活動に被害を与える動物を一括りにしてあらわした言葉だ。この中には、例えば畑を荒らす鹿や猪、家畜を襲う熊や狼など本当にあらゆる動物が含まれている。
鹿や猪、熊や狼など普通の動物であれば対処は比較的簡単だ。闘術の心得などなくとも、仕留め駆除することは十分に可能であろう。なかには狩人としてそれらの獣を狩り、肉や毛皮を得ることで生計を立てている者も居る。
しかし相手が〈魔獣〉になると、話はだいぶ違ってくる。
魔獣、というのは体内に魔石を持つ動物の総称である。体内に魔石を持つことによって、魔獣は普通の動物にはない特異性を持つと考えられていた。
ちなみに魔獣はモンスターではない。通常の生殖活動によって子孫を残し、死ねばその骸は朽ち果てて塵へと帰る。魔獣はあくまでも“動物”なのだ。
ただ、一般人の感覚からすれば、魔獣は動物よりもモンスターに近い。彼らにしてみれば、炎を吐いたり雷を身にまとったりする“化け物”を、普通の動物と同列に考えることには抵抗があるのだろう。
それは決して主観の問題ではない。実際、魔獣は普通の野獣に比べてはるかに手ごわい相手だ。毛は硬く普通に射た弓矢などが刺さることはまずありえない。動きは俊敏で疲れにくく、多くの場合獰猛で気性が荒い。
簡単に言えば、闘術を修めていない一般人では相手をすることが難しいのだ。そうなると必然的に、魔獣の駆除や討伐を担当するのは闘術を修めている武芸者たち、ということになる。
魔獣の駆除や討伐は、普通都市国家政府が主導して行われる。それだけ魔獣というのは、都市国家にとって厄介な相手なのだ。個体の能力が高いというものあるが、それ以上に普通の動物とは異なり魔獣は人間を恐れないのである。そんな魔獣にとって、多くの人間で溢れかえっている都市は格好の狩場になってしまう。
もちろん、例えば〈ベヘモス〉のように、都市の存亡と人類の生存競争に関わってくるような、飛びぬけて強力な魔獣というのは滅多にいない。ただそれでも、毎年魔獣による被害は出る。そしてそのなかには人的な被害も含まれており、そしてその割合が普通の野獣のそれに比べて高くなるのが魔獣の特徴なのだ。
魔獣による被害を抑えることは都市国家の利益に適う。そこで多くの都市国家が年に一度以上行うのが、「山狩り」である。つまり多数の武芸者を動員して積極的に魔獣を、そしてついでに熊など害獣を狩るのだ。これによって都市周辺に生息する魔獣の個体数を減らし、それによって被害を抑えることが目的である。
カーラルヒスでは、山狩りは年に二回、春先と秋に行われていた。そしてその際には現役武芸者の三分の一以上が動員されている。ちなみに特に大きな被害をもたらす、〈ベヘモス〉のような魔獣が現れた場合には、必要に応じてその都度討伐隊が編成されることになっている。
つまり、〈衛士〉・〈騎士〉・〈ハンター〉の役割分担に関わらず、武芸者にとって魔獣の駆除や討伐は重要な仕事である、ということだ。そうである以上、そのために必要な能力を身につけることが望まれている。
戦闘に関して言えば、新たな技能を身につける必要はさほどない。迷宮でモンスターと戦うための闘術は、魔獣を相手にした場合でも十分に有効である。樹木などの障害物が多い場所での戦闘のために連携を見直さなければならない場合もあるが、それでもまったくのゼロから何かを始めなければならない、ということはないだろう。
しかし山歩きの能力に関しては、迷宮攻略での経験は役に立たないことが多い。特に地図の読み方やコンパスの用い方が分からなければすぐに迷子になってしまうだろう。
もちろん、山狩りが行われる範囲は毎年同じだから、ある程度経験則によって動き回ることは可能である。だが山狩りに参加する武芸者の多くは、基本的に普段は都市の中で生活している。都市の外の山や森の中を動き回る、その経験自体が不足しているのだ。経験豊富な案内役が付く場合もあるとはいえ、その案内役が死んでしまった場合に備え、地図とコンパスを用いて目的地にたどり着けるだけの能力が必要なのである。
そしてノートルベル学園武術科は武芸者の育成を目的としている。武芸者にそれらの能力が必要とされているのであれば、その能力を学生たちに身につけさせなければならないのだ。
そのための課外授業が「オリエンテーリング」である。
オリエンテーリングのなかで学生たちは、パーティーごとにわかれ地図上に記載されたチェックポイントを指定された順番で、そして制限時間内に回ることを目指す。ちなみにここでのパーティーは迷宮に潜る際の攻略パーティーでなくともよい。ただ、多くの学生は気心の知れた攻略パーティーで参加する。
回るチェックポイントは全部で四つ。♠・♣・♦・♥である。これら四つのチェックポイントはカーラルヒスを中心にした直径30キロの円の範囲内に配置されている。それぞれのポイントには判子が置かれており、その判子をチェックシートに押すことでそこへたどり着いたことを証明するのだ。ちなみにチェックポイントの位置は毎年同じである。
制限時間は72時間、つまり三日間。その間学生たちにサバイバルをさせることもオリエンテーリングの目的である。なお、早く終わる分には問題ない。
オリエンテーリングに参加できるのは三年生以上で、その週は全ての講義が休みとなる。なのでオリエンテーリングに参加しないパーティーは、その週は頑張って迷宮攻略に励むことが多い。
オリエンテーリングは山狩り、つまり魔獣駆除に必要な能力を身に着けることが目的だが、そのなかで魔獣を狩ることは強制されていない。あくまでも地図とコンパスを頼りにチェックポイントを回れればいいのである。
ただ、不意に魔獣と遭遇してしまうことは往々にしてありえる。その時どうするのか、戦うのか、それとも逃げるのか。その判断は全て学生たちが自分たちで下すことになる。そういう咄嗟の判断力を鍛えることも、オリエンテーリングの目的である。
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「ルクト君、ちょっといい?」
オリエンテーリングが二週間後に迫ったある日の昼休み、一人の女子学生がルクトに声をかけてきた。彼女の名前はタニアシス・クレイマン。二年生の初めの頃に、一緒に迷宮に潜っていたことのある同級生である。
「ルクト君はオリエンテーリングに参加するの?」
「うん、そのつもり」
ルクトがそう答えると、タニアは少し心配そうな顔をした。そして少し躊躇ってからさらにこう尋ねる。
「…………もしかして、一人?」
ルクトがソロで迷宮攻略をしていることを知らない武術科の学生はいない。同級生ならばなおのこと、である。そしてオリエンテーリングに参加する学生は大抵の場合、攻略パーティーの単位で参加する。そうなると、ソロでパーティーを組んでいないルクトはオリエンテーリングでもあぶれてしまうことになる。
「いや、ロイたちのパーティーに入れてもらうことになってる」
「あ、そっか。もともとロイ君たちとパーティー組んでたんだもんね。一人ならウチのパーティーと一緒にどうかなって思っていたんだけど……」
よかったよかった、とタニアは胸の前で小さく手を叩きうれしそうに笑顔を浮かべた。
(純粋に心配してくれてただけ、か……)
タニアに悟られぬよう、ルクトは内心でこっそりと苦笑をもらす。実は、ルクトはタニアの他にも幾つかのパーティーから「オリエンテーリングに参加するなら一緒にどうか?」と誘われていた。ルクトは早い段階でもともとパーティーを組んでいたロイたちと一緒に参加することを決めていたのでそういう話は全て断ったのだが、断られた相手はなぜか皆一様に残念そうな顔をするのである。裏でなにを考えているのか勘繰りたくなっても仕方がないであろう。
(それに、みんな女子なんだよな……)
そうなのだ。そうやって勧誘に来たのは、なぜか圧倒的に女子が多いのだ。なかには露骨に科をつくり甘ったるい猫撫で声で誘ってくる者もおり、ルクトとしてはうれしさよりも不信感のほうが先に立つ。
ちなみに勧誘に来た女子学生のなかには、学内ギルド〈叡智の女神〉の幹部で〈赤薔薇の騎士〉の二つ名を持つ五年生のヴィレッタ・レガロもいた。彼女の勧誘はいつもどおり直球で、ルクトは逆に安心したものである。
『〈叡智の女神〉からもオリエンテーリングに参加するパーティーがいるのだが、よければ一緒にどうか?』
そのままギルドに入ってくれればなおいい、とヴィレッタは迫る。むしろソッチのほうが本音だろうに、と内心で苦笑しながらルクトはいつも通りに答えた。「ギルドに入る気はありません」と。そしてオリエンテーリングのパーティーについては「もとのパーティーにもう頼んであるので大丈夫です」といって、そちらも断った。
ルクトの答えを聞くと、ヴィレッタは少し残念そうな表情を浮かべる。これまでどれだけ勧誘を断られても彼女はめげなかっただけに、その表情を見たルクトは少し意外に感じた。
『結局、最後の最後までフラれっぱなしだったな』
苦笑を浮かべながらヴィレッタはそう言った。彼女が口にした「最後」という単語に、思わずルクトは首をひねる。そんな彼にヴィレッタは事情を説明してくれた。
『私も内定を貰って就職先が決まったからな。これからは個人的なことで忙しくなる。学園にもあまり来なくなるだろうからな』
ヴィレッタは実技の卒業要件を五年生の、しかも年が変わる前に達成した〈エリート〉である。そして〈エリート〉になった学生は五年次の残りの期間を使って就職活動を行い、そして新学期が始まったら就職先のギルドに入り浸って学園にはあまり来なくなる、というのが普通だった。
『オリエンテーリングが終われば、夏休みまで一ヶ月。そして夏休みが終われば新学期だ』
時間切れということさ、とヴィレッタは少し寂しそうに笑った。そんな彼女を見ていると、ルクトのなかにも少なからず感傷が沸き起こる。
学園の中でもルクトはいろいろなところから勧誘を受けてきた。そのなかでも特に熱心だったのが〈叡智の女神〉でありヴィレッタだった。彼女は確かにしつこかったが、その一方で不思議と嫌な気分させられることもなく、ルクトは彼女とのそんな関係が決して嫌いではなかった。
だが、それも今日で終わりだという。
当然といえば、当然のことである。ここは学園でルクトもヴィレッタも学生。ここでの関係はいずれ必ず終わり、そして思い出になるのだ。
『ああ、それと、私以外の〈叡智の女神〉のメンバーがまた君を勧誘に来るだろうから、仲良くしてやってくれ』
それだけ言い残すと、ヴィレッタは踵を返して去っていった。最後まで変わらないその様子に、ルクトは苦笑を漏らしたものである。
閑話休題。話を元に戻そう。
ヴィレッタという例外を別にすれば、ルクトをパーティーに誘いに来た女の子たちはみんな親しげで好意的で、それゆえ裏がありそうだった。そんなお誘いが多い中、タニアは事情を聞いてほっとしている。そんな彼女を見て、ルクトも少しだけほっとした。
「最近、調子はどうだ?」
ルクトとタニアは短い間だが一緒に迷宮攻略をしていたこともあり知らない仲ではない。以前にルーシェから彼女のパーティーメンバーが決まったという話を聞いていたが、思えばそれ以来彼女の近況については耳にしていない。メンバーが決まったということは攻略にいそしんでいるはずだが、さてその進捗状況はいかほどか。
「悪くないと思うよ」
今は六階層くらいかなぁ、とタニアは話す。少し前にロイたちにも同じ事を聞いたのだが、彼らは「七階層くらいだ」と言っていた。彼らはルクトという例外を除いた三年生の中ではダントツで攻略を進めているパーティーなのだが、タニアたちはそのすぐ後ろにつけているわけだ。
(まあ、六階層くらいまでは、結構簡単に進めるんだけどな)
浅い階層は出現するモンスターも弱いからサクサクと進める。それに四階層には多くのハンターが集まるベースキャンプがある。そこは人力で作り上げた安全圏であり、比較的ゆっくりと休むことができる。
ただ、それ以降は徐々にモンスターも強くなってくる。なにより休むときには自分たちしかいないのだ。そうなればベースキャンプほどゆっくり休むことなどできない。不寝番をする人間も必要になり、だんだんと精神的な疲労が蓄積されていくのである。
当然、攻略の難易度は跳ね上がる。「ベースキャンプより先が遠征の本番」といわれるのはそのためだ。
そんな中、六階層くらいであればベースキャンプを拠点に攻略を行うことができる。これはプロで通用するやり方ではないが、金を貯めて装備を整えるため、またパーティーでの連携になれるため、学生たちがよくやるやり方である。
言ってみれば、「ベースキャンプまで行く」のが第一段階で、「ベースキャンプを拠点にして狩りをする」のが第二段階、となる。そして第三段階は「十階層到達」で、第四段階が「十階層で安定して狩りができる」こと、と言えるだろう。当然、プロと呼べるレベルは第四段階だ。
そういう意味では、タニアたちは第二段階といえる。三年生としては文句なしに優秀なレベルだろう、とルクトは思った。思ったが、口にはしない。あまりにも偉そうだからだ。ルクトは自分がそこまで大した人間だとは思っていない。
「そういえば、パーティーにすごい個人能力を持ったメンバーがいるって聞いたけど?」
代わりに別のことを聞く。そんな話を確かルーシェがしていたはずだ。わざわざ「すごい」と言われるくらいだ。多少の興味はある。
「うん、サミュエル君だね」
本名は確か、サミュエル・ディボン。それなりにいい所の出らしいが、留学生のため詳しいことはわからない。まあ、カーラルヒスの御家事情諸々に関しても、ヴェミス出身のルクトにとってはさっぱりだが。
「名前は〈絶対勝利の剣〉って言ってね、〈創造〉系の個人能力なんだけど……、なんていうのかな? “すごく強い一撃を放てる剣”かな?」
大層な名前をつけたものだ、とルクトは思った。個人能力の名前というのは普通、発現した後に自分で考えてつける。「名は体をあらわす」という言葉があるとおり、その名前は能力に則したものにするのが普通だ。
そしてサミュエルが自分の個人能力につけた名前が〈絶対勝利の剣〉。もとは神話にでてくる剣の名前だが、あまりにも有名すぎる。名前負けするから、普通は敬遠されて誰もその名前は使わない。
だがサミュエルはその名前をあえて選んだ。よほどのナルシストか、それとも……。
(その名を冠するに値する能力か……)
だとすれば、「すごい」という評価もあながち間違ってはいないのかもしれない。ルクトの目が少し細くなる。それには気づかずタニアはさらに言葉を続けた。
「本当に凄いんだよ? 今まで出てきたモンスターは、みんな一発でやっつけちゃったし」
「へえ、そりゃ凄い」
少々興奮気味に話すタニアに、ルクトは当たり障りなく話をあわせた。ただ実際のところ、六階層くらいならルクトでもモンスターを一撃で倒すことができる。本当に凄い能力かは、この先の成長と活躍しだいだろう。
「それより、いいのか?」
「ん? なにが?」
「サミュエルの個人能力、勝手に話しちゃって」
普通、ハンターたちは自分の個人能力を秘匿する。教えるとしてもパーティーメンバーか、ごく親しい間柄の人間だけだ。知られても問題ない能力だとしても、すき好んで吹聴するハンターはいない。
「うん、大丈夫だと思うよ」
て言うかみんなもう結構知ってるし、とタニアは苦笑混じりに続けた。
「どうも、サミュエル君が自分で話しているみたいなんだよね……」
「おいおい」
タニアの言葉に、ルクトはさすがに呆れた声を出す。個人能力とは自分だけの手札。それを曝すということは、自分の奥の手を曝すことにも等しい。
「もしかしたらルクト君と張り合っていたりして」
「勘弁してくれ」
タニアの冗談に、ルクトは苦笑を浮かべながら肩をすくめた。確かに有名な武芸者ともなれば、その個人能力は自然と巷に広がる。しかしそれは、いわば“必要悪”とも言うべき事態であり、決して本人がそう望んでいるわけではない。だが傍からすれば「有名であればそうなって当然」、「そうなれば有名になれる」とそんなふうに見えるのかもしれない。
その点、なるほどルクトの能力は広く知れ渡っている。だがそれは止むに止まれぬ事情があったからだ。確かに彼は有名だが、それもやはり本人が望んだ結果ではない。そんなところで張り合われても、正直困る。
「というかさ、ルクト君」
「ん? どした?」
見れば、タニアは少しだけ意地悪な笑みを浮かべていた。
「みんなが知ってること、知らないんだ?」
「う……」
居心地悪げに目を逸らすルクトであった。