晴れ後雨時々曇り2
合同遠征から戻ってきた二日後、午前の座学を終えたルクトは昼食として300シク弁当をかきこみ、一度寮に戻ってから〈水銀鋼の剣〉のギルドホームへ向かった。
「お疲れ様です、ルクト様」
クールな表情と硬い挨拶で出迎えてくれたのは、〈水銀鋼の剣〉の職員であるイズラ・フーヤ。彼女は完全なデスクワーク要員であってハンターではない。もともとギルドの会計係だったのだが、合同遠征の窓口が設置されたことを受け、窓口の受付係も兼務することになった。
合同遠征の計画の立案など事務的な面はほとんど全てイズラが受け持っており、ルクトに連絡を入れるのも基本的に彼女だ。当然ルクトの側から要望や連絡がある場合も、彼女に伝えることになる。
ちなみにルクトはイズラに対し、「“様”付けは止めてください」とお願いしたことがあるのだが、「分かりました、ルクト様」と全然わかっていないお答えを頂戴した。表情をピクリとも動かさずに言われたせいかもう一度頼む気力もわいてこず、以来ずっとこの調子である。
「こちら今月分の報酬になります」
ルクトが用件を告げるより早く、イズラは金貨の詰まった小袋をトレイに乗せてルクトに差し出す。合同遠征の参加費は直接ルクトに支払われるのではなく、窓口のほうに支払われる。そして月の終わりに一括してルクトに受け渡す、という方式になっていた。
もちろん集金も今日ギルドホームに来た目的の一つだが、「なんだか催促しているみたいだな」とルクトは内心で苦笑しながらその袋を受け取った。中身を確認すると金貨が四十枚、400万シク。今月は合同遠征が二回あって、十パーティーが往復で利用したから受取額はこれで間違いない。
「確かにいただきました」
軽く頭を下げてから、ルクトは金貨の入った小袋を〈プライベート・ルーム〉の中に放り込んだ。ここに入れておけば盗まれたり落としたりする心配はまずない。
「それと、課外授業のオリエンテーリングのことなんですけど……」
ノートルベル学園の武術科はあらかじめ決められている講義以外は基本的に放任主義で、講義予定が突然変更になることはまずない。武術科の第一目標はやはり実技要件の達成、つまりは迷宮攻略であり、そのため学生の遠征予定に支障がでるような事態は極力避けなければならないのだ。
そんな中で、年に一度だけ開かれる課外授業がある。それが、ルクトの言う「オリエンテーリング」である。ちなみにオリエンテーリングは実技の単位扱いなのだが、卒業要件ではない。だから卒業のためにその単位を修得する必要はないのだが、「取っておくと就職に有利」とまことしやかに言われている。実際多くのギルドが単位の修得を勧めており、その意味では根拠のある噂と言えるだろう。なお、オリエンテーリングの単位は一つで、例えば三年次に取ってしまえば、その後四年次にもう一度取る必要はない。
「予定通り、六月の第四週に行われることになりました」
オリエンテーリング開催の通知はすでに二ヶ月ほど前から日程を含めて公開されている。ただ、それはあくまでも予定であり変更される可能性もあったのだが、今日晴れて本決まりとなったのだ。なお、よほどひどい嵐でも来ない限り雨天決行である。
「承知しました。では、そのように予定を立てます」
あくまで事務的に、淡々とイズラは応じた。最初の頃は彼女のこの対応に、「何か気分を損ねるようなことをしてしまっただろうか」と内心でオロオロしたものである。ただ、合同遠征に参加した〈水銀鋼の剣〉のハンターから「イズラはあれがデフォルトだよ」と教えてもらい、それからは緊張しなくて済んでいる。
「六月の合同遠征は第二週に一度だけ、ということにしましょう」
幾つかの書類を確認した後、イズラはそう計画を立てた。それからルクトに「よろしいですか?」と尋ね、彼が了解の返事を返すとそれで計画の大まかな日程が決まった。後はイズラが参加するパーティーを決め、日程とあわせて各ギルドに通知することになる。
「……本当にいいんですか? オリエンテーリングに参加して」
少し遠慮がちにルクトは尋ねた。なにしろオリエンテーリングの単位は卒業のために必須というわけではない。
これまで合同遠征はだいたい月に二回、隔週で催されてきた。しかしオリエンテーリングに参加するとなると、先ほどイズラが予定を立てたように合同遠征は一度しか計画できない。必須ではない、つまり必ずしも修得する必要のない単位のために遠征の機会が一度減ってしまうのは困るのではないか、とルクトは思ったのだ。
「問題ありません。マスターからも『学園関係の要望は無条件で考慮するように』と指示されていますので」
やはり事務的に、淡々とイズラは応じた。万事この調子なので、本当に些細なことなのか、それとも実はそう見せているだけなのか、ルクトとしては判断しかねる。結局、イズラの言葉を額面どおりに受け取ることしかできなかった。
もっともこの場合、イズラの言葉に裏などない。もしここでルクトにオリエンテーリングの参加を撤回させ、その代わりに合同遠征を計画したらどうなるか。学園がそれを「ルクトの学生生活に支障の出る行為」と判断する可能性は十分にある。そして一度その判断が下れば、学園は躊躇なく合同遠征の開催そのものにストップをかけるだろう。それは〈水銀鋼の剣〉のみならず全てのギルドにとって回避すべき事態である。
今回のことただ一回だけで、学園が口出しをしてくることはないかもしれない。しかしそういうことが積み重なれば、学園とて黙って見ているわけにはいかなくなる。少々神経質なくらいでちょうどいいのだ。
「……それに〈水銀鋼の剣〉もオリエンテーリングの単位修得は推奨しています。ほとんどのギルドも同様ですし、理解は得やすいかと」
イズラにそこまで言われてしまえば、ルクトとしても言うことはもうなにもない。武芸者として社会に出る上でやっておいたほうがいいことだからこそ、学園はオリエンテーリングを開催するのであり、各ギルドもその単位修得を推奨するのだ。
それに、ほとんどのギルドはルクトがカーラルヒスに居残ることを望んでいる。そして仮に彼が残った場合、その単位を修得しているほうがギルドにとっては望ましい。その辺の事情を含めて、イズラは「問題ない」と言ったのである。
(むしろ問題があるのはオレのほうかも、な……)
なにしろ合同遠征の予定が一回減るということは、その分の収入も減るということである。今ルクトは遠征一回につき200万シク稼いでいるが、それが全部消えてなくなるのだ。しかもオリエンテーリングに参加している間は迷宮に潜ることもできないから、当然その間の収入はまったくのゼロ、である。
(おおぉ…………! 借金完済が遠のく!)
改めてその事実を確認し、内心で慄くルクト。今からでもオリエンテーリングへの参加を取りやめようかとも思ったが、すでに参加する方向でもろもろの予定が立てられている。我儘を言うのも良くないだろう。
「……じゃあ、その方向で宜しくお願いします」
若干頬をひくつかせながらも、結局ルクトはオリエンテーリングへの参加を決めた。いや、もともと参加するつもりではいたのだが、これで後には引けなくなった。
(これは、絶対に今年一回で単位取らないとだな……)
ルクトはそう決意する。一度オリエンテーリングに参加するだけで月の収入が200万減ると思うと、そう何度も挑戦したくはない。
「承知しました」
ルクトの内心のもろもろには気づかない振りをして、イズラは事務的に、淡々と返事を返した。こうしてルクトはオリエンテーリングに参加することになったのである。
▽▲▽▲▽▲▽
扉を開けると、“コツコツ”と窓ガラスをつつく音がした。音のする方に視線をやれば、案の定そこには“黒い鳥”がいた。あまりのタイミングの良さに、ルクトは思わず苦笑をもらす。
彼は今さっき〈水銀鋼の剣〉のギルドホームから寮の自室である403号室に帰ってきたばかりである。まさか同じタイミングで“黒い鳥”も来たわけではないだろうから、帰ってくるまでの間待たせてしまったことになる。
窓を開けてやると、“黒い鳥”は羽ばたかず飛び跳ねるようにして部屋の中に入り、そしていつものように窓の近くに置かれた机の上に降り立った。窓を閉めると、ルクトも椅子を引いてそこに腰掛けた。
「……調子はどうじゃ、ルクトよ?」
「ぼちぼち、かな」
「おぬしはいつも“ぼちぼち”じゃな」
いつもどおりの問いかけにいつもどおりに答え、そしてやはりいつもどおりに“黒い鳥”はメリアージュの声で笑った。
「待たせたみたいで悪かったな」
「なに、かまわぬよ。それよりどこに行っておったのじゃ?」
「……ちょっと〈水銀鋼の剣〉のギルドホームに」
合同遠征を主催する、というもともとの案を考え、そしてそれを〈水銀鋼の剣〉に持ち込んだのは他ならぬメリアージュだ。加えて最終的にどういう条件で合意したのかもすでに話してある。ゆえにルクトの言葉に“ピン”とくるものがあったらしい。若干言いにくそうにしてルクトがそう答えると、“黒い鳥”の目が鋭く光った、気がした。
「ほほう? 集金かえ?」
メリアージュの声に面白がるような声が混じる。その声だけで、ルクトはニンマリと腹黒そうに笑う彼女の姿を容易に想像できた。
「……うん、まあそれを含め、色々と」
「ではさっさと今月の返済分を出すが良い」
ですよねぇ、と力なく笑うとルクトは〈ゲート〉を開き、〈プライベート・ルーム〉に放り込んでおいた金貨の詰まった小袋を持ってくる。そして小袋の中身金貨四十枚全てを“黒い鳥”の目の前に積み上げて並べた。今月の返済分は400万シク。つまり、今月の合同遠征で稼いだ分全てである。
「短い所有時間だった……」
大げさな仕草でがっくりとうな垂れながらルクトはそう嘆く。そんな彼の視線の先では、“黒い鳥”が四十枚の金貨を次々についばみ飲み込んでいた。
別に狙ったわけではないのだが、ルクトが合同遠征の窓口からお金を受け取るのは月末で、そしてメリアージュが取り立てに来るのが月末から翌月の初めごろの間である。つまりお金を受け取ると、そう間をおかずにメリアージュが取り立てに来るわけで、ルクトとしてはお金をただ右から左に受け渡しているような感じが否めない。
実際問題として、長く手元に残っていたところで借金の返済分にまわすことには変わりはない。そういう意味ではなにも問題はないのだが、しかしそれでも。せっかく稼いだお金がこうしてすぐに自分の手の届かないところに行ってしまうと、そこはかとないやるせなさを感じてしまうのだ。
「そう嘆くでない。これ以外に自分でも稼いでおるのじゃろう?」
「まあ、そうだけどさ」
合同遠征はおおよそ月に二回だから、それ以外にも迷宮に潜って攻略を行う時間は十分にある。そういう時はもちろんこれまで通りソロなのだが、カンを鈍らせないためにもルクトは時間のある時はできるだけ迷宮に潜るようにしていた。
加えて合同遠征で参加パーティーを目的地まで送り届けたあと、彼らが戻ってくるまでの間ルクトは基本的に自由行動である。つまりその間は独自に(やっぱりソロで)狩りを行っており、それによって得た戦果は全て彼のものだ。
そうやって合同遠征以外にも自分で稼いでいる分がまた別にあるわけで、総合的な収支を見ればむしろ前よりも懐事情は良くなっている。だからこそ合同遠征の分は全てメリアージュに渡すことができている、とも言えるだろう。
しかしそれでも。お金が、特に大金が出て行ってしまうときというのは、どうにもやるせないものなのだ。
「うむ。それはただの貧乏性じゃな」
金貨を全て飲み込んだ“黒い鳥”が、メリアージュの声でそうばっさりと切り捨てる。確かにルクトは貧乏性だが、出費額が400万シクならば一般人はもとより高収入のハンターでさえ躊躇いを覚えるだろう。それを“貧乏性”と切り捨てる辺り、やはりメリアージュの感覚も一般的なそれとはずれている。もっとも彼女は黒鉄屋。その金銭感覚が普通でないのは、むしろ当然のことかもしれない。
「……そういえば、オリエンテーリングに参加することにしたよ」
貧乏性と言われたルクトは、苦笑しながらそう言って話題を変えた。金の話でメリアージュに勝てる気はしない。まあ、どの話でも勝てる気はしないのだが。
「一人でやるのかえ?」
「まだ頼んでないけど、ソロでやる前にパーティーを組んでいた連中のところに入れてもらうつもり」
オリエンテーリングの参加申し込みは、基本的に個人で行う。つまり参加は一人でも可能だ。しかし実際問題として、一人だけでオリエンテーリングに参加する学生はいない。残されたパーティーメンバーの攻略活動に支障が出るからだ。それにオリエンテーリングにはサバイバル的な側面もある。一人よりも複数人で参加するほうが、何かと都合がいいのは事実だ。
そこで多くの場合、学生たちはパーティー単位でオリエンテーリングに参加する。参加できるのは三年生以上の学生、という校則も関係しているのだろう。大抵のパーティーにおいてメンバーが決まるのは、だいたい二年次の後半から三年次の前半。パーティー内の親睦を深めるためにもオリエンテーリングは都合がいい。
ただ、多くの学生がパーティー単位で参加するとは言え、オリエンテーリングと迷宮攻略は全くの別物である。だから攻略はソロでしなければならないルクトも、この時はパーティーを組んでもいいのだ。そしてパーティーを組んでいいのならば、もともとのメンバーたちと組むのが一番自然である。
それにロイたちはルクトが抜けてから新たなパーティーメンバーを補充していない。つまり彼らのパーティーは五人であり、ほかと比べると一人少ないのだ。人数的なバランスという意味でも、そこに入れてもらうのが順当、とルクトは思っていた。
(ま、頼む前にそもそもアイツらがオリエンテーリングに出るのか聞かなきゃだけど)
彼らがオリエンテーリングに参加する、というのであれば恐らく問題はない。しかしそもそも参加しないというのであれば、パーティー参加の件は考え直さなければいけないだろう。ルクトの都合で「出ろ」と無理強いするわけにもいくまい。
「おぬしならば一人でも大丈夫じゃろう」
メリアージュはどこか面白がるようにしてそう言った。ルクトの個人能力〈プライベート・ルーム〉はサバイバルにもその偉力を発揮する。彼女はそのことをよく知っているのだ。
なにしろ荷物は持って行き放題だし、夜は安全圏で休むことができる。行動できないほどの悪天候に見舞われた時は、中でゆっくりとお茶でも飲みながら休んでいればいい。強力な魔獣の討伐が目的でもない限り、ルクトにパーティーを組まなければならない理由はないのだ。
「うん、まあ、そうだけどさ……」
ルクトの答えは歯切れが悪い。ついでに言えば、彼が少々気恥ずかしげな表情を浮かべている気がするのは、決してメリアージュの勘違いではないだろう。
(やれやれ、飄々としているようで寂しがり屋……)
小さい頃から変わらんのぅ、とメリアージュは“黒い鳥”の向こう側で苦笑した。そしてそれからすぐに「それも少し違うか」と思い直す。
より正確に言うならば、ルクトは見捨てられることが怖いのだ。決して別れが怖いわけではない。だから、例えば卒業などで“きれいに”別れるのであれば、それを寂しく思いこそすれ恐れたりはしない。
彼は関係性が突然に、そして一方的に終わってしまうことが怖いのだ。それは彼が実の父親に見捨てられたことと無関係ではあるまい。
だからこそ、ルクトは居場所を求める。その居場所が自分にとって必ずしも必要ではないとしても、一度手に入れた居場所に彼はこだわるのだ。
「そこに居てもいい。いや、居て欲しい」
そう、言われたいのだ。
もっとも、これはメリアージュの独断と偏見である。これまでの経験と観察に基づいてはいるが、基本的に彼女の主観であるしなによりも確認したわけではない。メリアージュはそれを認める一方で、そう大きく間違っているわけではないだろう、とも思っている。ちなみにその根拠は七割が女の勘で、残りの三割が養い親の勘だ。
「……まあ、久しぶりじゃしな。パーティー組んで行くのもいいじゃろう」
メリアージュはそう言ってそれ以上深く追求することはしなかった。それに彼女の言うとおり、ルクトが本格的なサバイバルをするのは彼がヴェミスからカーラルヒスにやって来たとき以来で、色々と鈍っていたとしてもおかしくはない。そういうとき、フォローしてくれる仲間が周りに居れば心強いだろう。
「地図の読み方は覚えておるかえ? コンパスは北を指すのじゃぞ?」
からかい混じりの楽しげなメリアージュの声が響く。
「知ってるよ。この前講義で習った」
ルクトもまた笑いながらそう返す。このところオリエンテーリングに向けた講義が開催されているのは事実だが、その中で「コンパスは北を指します」などと大真面目にのたまう講師はさすがにいなかった。
「ほうほう。さすがはノートルベル学園じゃな!」
いかにも「感心した!」という様子のメリアージュの声音が響く。それからしばらく、二人はじゃれ合いのような会話を続けるのだった。
――――借金残高は、あと1億2300万シク。