晴れ後雨時々曇り1
お気に入り登録件数が3000件を超えました!
これも読んでくださる皆様のおかげです。今後もよろしくお願いします。
ルクトは走っていた。決して追われているわけではない。むしろ、追いかけていた。
彼の前を走る人影は六人分。全員が迷宮攻略用の装備を整え、集気法を用いた身体能力強化を施して疾駆している。彼らは全員、プロのハンターだ。最後尾から彼らを追うルクトもまた、黒で統一された装備を纏い腰間につるした太刀を左手で抑え、同じように集気法を使いながらひた走る。ただ彼の装備はいつもとは異なり、ロングコートは羽織っていなかった。その理由は簡単で、単純に暑いからだ。
幸いにも、ここはマナの濃度が高い。継続的に集気法を使ってさえいれば、疲労によって体が動かなくなってしまうことはない。
だがそれでも。迷宮のなかをほとんど全力で疾走することになるとは、ほんの数ヶ月前までは考えたこともなかった。
▽▲▽▲▽▲▽
事の発端は一月の半ばごろにまでさかのぼる。そのころ、「ルクト・オクスはプロのハンターたちに雇われている」という噂が、カーラルヒス中のギルドに流れた。結局、この噂それ自体はウソでしかなかったのだが、この噂によって各ギルドは「実技要件を達成しているルクトを勧誘するのに、彼が卒業するまで待つ必要ない」ということに気づいてしまった。
いろいろ勧誘された末、結局ルクトはどこのギルドにも入ることはなかった。彼が選んだのは(実際はメリアージュが提案したのだが)、「合同遠征を主催する」というやり方だった。
合同遠征、とはいっても複数のパーティーがずらずらと連なっていては効率が悪いことこの上ない。そこで実際には〈プライベート・ルーム〉を駆使して十階層程度まで移動し、そこから各パーティーはそれぞれ分かれて個別に攻略を行うことにしている。そしてあらかじめ時間を決めておいてその時間にもう一度合流し、再び〈プライベート・ルーム〉を駆使して出口を目指すのだ。これにより移動時間の大幅な短縮が期待され、またこれまでに行われた合同遠征においてその期待は見事に達成された。
この合同遠征の話をルクトに持ちかけたのはギルド〈水銀鋼の剣〉であったが、彼はそのギルドに入ったわけではない。従って合同遠征には、基本的にカーラルヒスの全てのハンターが参加可能である。
しかし現実の話として人数的な制限が付きまとう。現在の〈プライベート・ルーム〉では最大限に広くしても最大で十パーティー、おおよそ六十人程度が収容能力の限界だったのである。
当然、希望者すべてが合同遠征に参加することはできない。取捨選択が必要である。
しかしながらこの取捨選択というやつがなかなか難しい。断られ続ければ誰だって反感を持つし、またカーラルヒスのギルド間におけるパワーバランスというやつを考慮する必要もある。
そもそも希望者の受付それ自体も、ルクトが個人でやるには大変過ぎる。希望者がぞろぞろと列を成して寮の前に並ぶのだ。ルクト個人にしても学生全体にしても迷惑なことであろう。
そこで〈水銀鋼の剣〉が提案したのが、「それ用の窓口を設けてはどうか」ということであった。つまりその窓口で合同遠征の参加希望者を受付け、どのパーティーを参加させるのか、また日程を含む具体的な遠征計画を立てるのである。もちろんルクトの要望や都合は最大限考慮されるし、これならば彼の負担も減るだろう。
『つまり、その窓口を〈水銀鋼の剣〉に置きたいと、そういうことですか?』
ルクトの問いかけに、〈水銀鋼の剣〉のギルドマスターであるフェルナンド・リーバイは満面の笑みを浮かべた。そして面倒事を引き受ける代わりにフェルナンドが提示した条件が、「合同遠征に〈水銀鋼の剣〉からパーティーを二つ、常に参加させること」であった。つまり遠征に参加でいる十枠のうち、二つを〈水銀鋼の剣〉の専有にしたいと言うことである。
余談になるが、合同遠征用の窓口を設けることが本当に〈水銀鋼の剣〉にとって面倒事なのか疑問である。なにしろ遠征に参加するパーティーをそこで決めるのだ。遠征に参加できるかどうかが〈水銀鋼の剣〉の胸一つで決まってしまうとなれば、カーラルヒスのハンター社会におけるそのギルドの発言力は大いに高まるであろう。少なくとも、無用な軋轢を起こして睨まれるようなことは避けるはずだ。
フェルナンドは間違いなくそれを狙っていたはずだが、ルクトがその辺りの事情をきちんと理解していたのかは疑わしい。いや、理解はしていなかったはずだ。彼がギルドと本格的に関わるのはこれが初めてなのだから。
結局、ルクトはフェルナンドの提案を呑んだ。自分で全てやるのは無理だと少し考えれば分かるし、なによりメリアージュがこの話を最初に持っていったのは〈水銀鋼の剣〉である。パーティー二つ分の役得があってもいいだろうと思ったのだ。
さらにルクトはメリアージュの素案をたたき台にして、フェルナンドと話し合いながら細かい部分を決めていく。
一つ、合同遠征の参加費は一パーティーにつき片道10万シク、往復で20万シクとする。
一つ、必要な物資は各自が用意すること。
一つ、目的地についてからの攻略は、各自の責任と判断に基づいて行うこと。
一つ、時間厳守のこと。時間に間に合わず置いていかれたとしても苦情は受け付けない。
一つ、当たり前だが学生は参加させない。
大筋をまとめればこんなところだろうか。細かい部分については後でフェルナンドが明文化し、ルクトがそれを承認する形になる。
さらに合同遠征の窓口を置くことになる〈水銀鋼の剣〉との間の決め事についても話し合う。
一つ、合同遠征の計画はルクト・オクスの事情や要望を最大限考慮して立てること。
一つ、合同遠征に際し、〈水銀鋼の剣〉は常に二パーティーを参加させる権利を有する。
一つ、〈水銀鋼の剣〉が二パーティーを参加させられない場合、余った枠は他の枠と同じように扱われる。
一つ、この先、合同遠征に参加可能なパーティー数が増えたとしても〈水銀鋼の剣〉の専有枠は増やさない。
一つ、〈水銀鋼の剣〉は公正中立な立場で合同遠征を計画し参加パーティーを選ぶこと。
これもまた細かい部分は後で明文化され、それをルクトが承認することになる。ルクトからしてみればそういう手続きは煩わしくて面倒臭いが、ギルド相手に商売をしようというのである、ある程度型にはまっておかなければ後でそれこそ面倒臭いことになる。
さて、合同遠征に関する諸々が決まると、その内容はカーラルヒス中のギルドに通知された。そこからの動きは早い。もともとルクトが〈水銀鋼の剣〉と組んだことは早い段階で知れ渡っていたし、彼らが企んでいたことも同様である。「早く第一回目の合同遠征を」ということは、口には出されなかったが空気として間違いなく広がっていた。
通知が来たその日から、窓口となっている〈水銀鋼の剣〉には各ギルドの参加希望を伝える使いが列を成した。せっかくだから、と言うことでルクトも様子を見に来たのだが、その長蛇の列に驚きまた呆れることになる。これが寮の前で自分を待っていたかもしれないと思うとゾッとしない。まったく、〈水銀鋼の剣〉に窓口を任せて本当に良かった、と思うルクトであった。
窓口を受け持った〈水銀鋼の剣〉の面々の努力(決してルクトの、ではない)の末に、ついに第一回目の合同遠征が催されることとなった。参加するのは十パーティー六十人であり、それにルクトを加えた六一人が総勢となる。
受付を順次終え、十個のパーティーは迷宮入り口のエントランスで合流する。そして予定通りそこで〈プライベート・ルーム〉の中にそれぞれの荷物を運び込んだ。
ルクト・オクスの持つ稀有な個人能力について、カーラルヒスのハンターで知らぬ者はいない。しかしこれまでソロで活動していたせいもあり、その知名度に反して〈プライベート・ルーム〉の中に実際に入ったことのある者はほとんどおらず、つまりハンターたちのほとんどはこれが初めてであった。
『おお……』
誰からとも知れず声が上がる。異質な空間と言えばその筆頭は間違いなく迷宮だが、ルクトの〈プライベート・ルーム〉もまた異質な空間である。四方と上下は全て味気のない白い壁でできている。手触りは強いて言えば陶器に似ているが、闘術の強い衝撃を加えても砕けることはない。少なくとも、今まで砕けたことはなかった。
真っ白い、何もない空間なのだ。〈プライベート・ルーム〉とは。ただ、端っこのほうにルクトが持ち込んだソファーやらクローゼットやらがこじんまりと用意されており、そこだけ妙に生活感がある。口の悪いロイなどは「脱力させられる」と言うが、中に入ったハンターたちもそこに気づき揃って苦笑を浮かべた。外にいたルクトはその事には気づかなかったが、それはさて幸運と言うべきか。
さて、合同遠征に参加したハンターたちは〈プライベート・ルーム〉の中に荷物を片付けて身軽な状態になった。ただ、だからと言って六十人がぞろぞろと連れ立って移動していては邪魔である。迷宮には普通に攻略をしているパーティーもいるのだから。
そこで合同遠征においては、目的地(十階層の適当な広場)に着くまでは一パーティーずつが交代で外に出て進むことになっている。残りは〈プライベート・ルーム〉の中で待機だ。ちなみに道中でモンスターと遭遇した場合は、その時外に出ているパーティーが対処し、ドロップアイテムもそのパーティーのものということになっている。
ただ、当たり前だがルクト・オクスが前に進まないことには〈プライベート・ルーム〉も前に進まない。よってルクトだけは中でのんびりする訳にもいかず、せっせと足を動かさなければならない。
もっとも、ルクトにしてみればそれは当たり前のことで、忌避すべき理由は何もなかった。なにせそういう能力なのだから。散々利用している能力に、今さら文句をつけても始まらない。それに、いつぞや先輩であるアーカインらのパーティーに参加したときと同じく、彼は後ろから付いて行くだけで戦闘には加わらないのだ。矢面に立つパーティーに比べれば負担は至極軽い。
ただ一つ、誤算だったのは…………。
『よし、走るぞ』
さも「当然」、と言う顔でそう言ったのは、〈水銀鋼の剣〉から参加している二つのパーティーのうち片方のリーダーであるベルムート・アドラーだった。
『ゆっくりと歩いていては時間がもったいない。せっかく身軽な状態なのだから走って移動し距離を稼ぐ』
ベルムートの説明を簡単にまとめるとこのようになる。
普通、迷宮内は歩いて移動する。その最大の理由は、荷物を積んだトロッコだ。これを押しながら走るのは危険だ。まっすぐな道だけならともかく、迷宮の通路は曲がりくねっている。走っていたらカーブを曲がりきれずそのまま真っ逆さま、などという事態は容易に想像できた。
だが、そのトロッコを〈プライベート・ルーム〉の中に収納しておけるのであれば、話は違ってくる。荷物を気にしなくても良い身軽な状態ならば、走ってショートカットが可能なポイントまで移動することにさほどの問題はない。集気法を継続的に使っていれば、体力的な問題もクリアできる。
そもそも浅い階層は得られる魔石も小さく狩場としては魅力がない。手早く駆け抜けてしまえるのならば、それに越したことはなかった。
『せっかく金を払って合同遠征に参加しているのだから、効率的な攻略がしたい』
つまりはそういうことである。そして効率的な攻略のためには浅い階層で時間を食っているわけにはいかないのだ。
そういう事情はルクトにも理解できる。だから“走って移動する”ことそれ自体には賛成した。賛成したのだが……。
『さて行こう。走るぞ』
ベルムートから聞いたのか、あるいはもともとそういう取り決めなのか。交代して〈プライベート・ルーム〉の中から出てきたパーティーのリーダーは無情にも(ルクトの主観)そう告げた。今まで中で休んでいたのだから、当然ながら疲労の色はまったくない。
『ちょ……、休ませて……』
いくら集気法を使って身体能力強化を施しているとはいえ、全力に近い速度で走り続けるのはさすがにきつい。体が動かなくなってしまうことはないとはいえ、疲れを感じないわけではないのだ。
『さあ行こう』
しかしながらルクトの懇願はつつがなく無視されパーティーは走り出す。しかもルクトがすぐに追いつけるよう速度を抑えているのが憎らしい。
『鬼! 悪魔!』
その罵声もなかったことにされる。その扱いに泣きたくなるが、グッとこらえてルクトは走り出す。なぜか、一つ強くなったような気がした瞬間であった。
▽▲▽▲▽▲▽
「それじゃあお気をつけて」
つつがなく目的地である十階層の広場に到着したルクトは、〈ゲート〉の中から続々と出てくるハンターたちにそう声をかけた。この際、その声が精彩を欠いていたことは無視してやるべきであろう。
この数ヶ月の間で合同遠征はすでに何度も計画されている。慣れもあってかここまでの移動に問題はない。
いや、問題がないことがルクトにとっては問題、というべきか。迷宮内の移動は走って行われ、そしてパーティーの交代はスムーズだ。つまり、ルクトにしてみれば休む暇がない。
昼食はそれぞれのパーティーが〈プライベート・ルーム〉の中で勝手に食べているのだが、走りっぱなしのルクトにはその時間もない。いっそ腹が減って動けないということになれば堂々と休めるのだが、集気法さえ使っていれば多少腹が減っていても動けてしまうのがまた憎らしい。
もちろん、道中モンスターに遭遇することはある。ただ、浅い階層であれば足を止める間もなく瞬殺され、ドロップも多くの場合回収することもなく放置される。六階層より下くらいになるとさすがに少々時間がかかるようになるが、そこはやはりプロのハンター。学生などよりはるかに鮮やかな手際でモンスターを片付けて先へと進む。
つまり結論を端的に述べるならば、目的地にたどり着くまでにルクトは疲れ果ててしまっているのである。
「お疲れさん。帰りもよろしく頼むぜ」
ハンターの一人がルクトにそう声を掛けた。これから彼らは個別行動を取ってさらに下の階層を目指すことになる。ルクトと別れることになるので、この先休憩に〈プライベート・ルーム〉を使うことはできなくなるが仕方ない。狭い範囲に十個のパーティーが密集していては、思うように攻略を行うことができないのだ。
効率的に攻略を行うためにはある程度広がる必要があり、そしてわざわざ上の階層に戻ろうというパーティーはなく、となると全てのパーティーは下へと向かう。この広場からは分岐路が三つ出ており、十個のパーティーがばらけるという意味でもここは都合が良い場所だった。
「お前さんはゆっくり休めよ」
ハンターの言葉にルクトは力ない笑みを返す。きついと承知してくれているのなら、せめて昼食の時間ぐらい取ってほしいと思うルクトである。
さらに下を目指して移動を開始した各パーティーを見送ると、ルクトは開きっぱなしになっていた〈ゲート〉をくぐって〈プライベート・ルーム〉の中に引っ込む。走りっぱなしで疲労が蓄積しており、さすがにこの状態でモンスターと戦いたくはなかった。
「着替えよ…………」
走り続けていたせいで、ルクトの衣服は汗でグショグショになっている。これを着続けるのは気持ちが悪いので、彼は着替えを準備していた。普通、ハンターは余計な荷物になる着替えは遠征に持っていかない。しかし〈プライベート・ルーム〉があれば何の問題もない。
服を脱いで汗を拭き、着替える。脱いだ衣服は袋に入れてクローゼットの隅っこに押し込んでおく。水浴びができればなおいいのだが、まあそこまでの贅沢は言わない。地底湖に飛び込めばその代わりになるのだろうが、間違いなく魚型のモンスターに食われるので止めておく。
着替えを終えると、途端に腹が減ってくる。お湯を沸かすことさえ面倒で、持ってきた保存食を水で流し込んで貪る。腹が膨れると、ようやく人心地ついた。
「広い、な……」
最大まで広げた〈プライベート・ルーム〉を隅っこから眺めて、ルクトは改めてそう思った。なにしろつい先ほどまで五十人以上の人間と、十パーティー分の荷物が入っていたのである。広くもなるというものだ。
だがそれも今は全て外に出てしまい、〈プライベート・ルーム〉の中は空っぽである。それがそこはかとない空漠を感じさせた。
(狭くするか……?)
合同遠征に参加しているハンターたちは、しばらくは戻ってこない。無駄に広い空間を広げておく必要はないだろう。ただ、逆に強いて狭くしなければならない理由もない。
「いいや。寝よ」
無駄なことをしている気がしたルクトは、それ以上考えるのを止める。そして寝袋を用意すると、さっさと横になって目を閉じる。
(…………どれだけ広くなっても、やっぱりここは〈シングル・ルーム〉………)